兆し⑧
「……」
紅茶を一口飲みゲルハルトは、無言で一点を見ている。
その視線の先には――。
「……」
ソワソワと右に左に歩いてみたり、椅子に座って事務仕事をしようと書類をとってみたり、全く手につかず、結局立ち上がって窓から外を眺めてみたりしているコルメンスが、顔を青くしていた。
「陛下」
「はい!」
「席を外しましょうか?」
余りにもコルメンスの落ち着きがないため、一人の方が落ち着けるかと思ったゲルハルトが声をかける。
「い、いえ! どうか、このままでお願いします」
「はぁ……」
両手を振って懇願するコルメンスに、力なく返事するゲルハルトは、紅茶をもう一口飲んだ。
「ゲルハルト様も、緊張しましたか?」
他に意識をやり、落ち着く作戦に出たコルメンス。ゲルハルトは少し考え込む。
「緊張はしましたが、私のときは一週間程の短い付き合いでしたので、もはや、勢いでした」
一目見て、この人しか居ないと思ったゲルハルトは、一週間、全力でエルタナスィアに振り向いてもらおうとしていた。
エルタナスィアも、ゲルハルトの事が気になっていたが、その事を、ゲルハルトは知らない。エルタナスィアが恥ずかしいからと、隠している。
「陛下の場合、十年ですか。それ程の付き合いともなれば、勢いに身を任せるのも、難しいでしょう」
「はい……」
もし勢いでいけるのならば、十年もかかっていない。
「私はずっと、身分の差で逃げていました」
相手は生まれながらの女王。誰もが認める、真の王族。対して自分は、平民上がりの統治者にすぎない。そう思っていた。
「それを、今日終わらせたいのです」
決意で眼を鋭くさせ、力強く宣言する。
身分の差で逃げるなど、必要ないと。
「その眼」
「はい」
「あの方にそっくりだ」
「あの方、ですか」
ゲルハルトがコルメンスの目を見ながら呟く。
「陛下の想いは伝わるでしょう。あの方も、あの子と通じ合っているのですから」
「それは、もしや――」
「あちらは、少々通じ合いすぎていますが」
コルメンスの気づきに、ゲルハルトはにやりと笑う。
そして、紅茶を飲み干し、立ち上がる。
「そろそろ時間でしょう。我々は街へ出ます」
「は、はい」
一礼して出て行くゲルハルトの背中を呆然と見るコルメンス。
「……やる時はやる人でしたね」
赤い髪の少女を思い浮かべ、頬を叩き気合を入れる。
「コルメンス様」
「はい、エルヴィ様。参りましょう」
二人が外に出て行く。軽いデートでも、するのだろうか。
「ム?」
会議中にも関わらず、シーアさんが急に立ち上がりました。
「どうかしましたか?」
アンネさんが私たちを見て、シーアさんに尋ねます。
私たちを見たのは、シーアさんが立ち上がったのが、何かを感じ取ったからかと、思ったからでしょう。
でも私達は何も感じ取ってませんから、首を横に振ります。
「すぐにでも行かないと間に合わない気がしまス」
「何を言っとんだ?」
要領を得ないシーアさんに、ライゼさんが突っ込みを入れました。
シーアさんが笑みを浮かべています。その笑みは、よく見た、悪戯っ子の笑みです。
「アンネさン、会議後の予定ハ?」
「休憩の後、もう一度警備に出てもらおうかと」
「くっ……」
悔しそうにしていますね。
「少しだけなら、私たちが変わってあげようか」
「エ?」
色々と御世話になってますし。
「南で、広域感知やって異常なかったら、北にいくよ」
何に焦っているのかは分かりません。でも、シーアさんがここまで悔しがるのも珍しいですし、大事なことなのでしょう。
「私としては、リッカさまに広域感知は使って欲しくありませんが、仕方有りませんね……」
アリスさんがため息をつきながらも、支持してくれます。
「い、いエ、そこま――」
「アンネさんそれでいいですか?」
シーアさんなら断るでしょうけど、たまには頼ってみるのもいいのではないですかね。
「はぁ、分かりました」
迷っていましたが、アンネさんは許可を出してくれました。
後は会議ですね。
「おい、あんさんの用事ってなぁ、国王と女王陛下のだろ」
「知ってたんですカ」
少し焦った様子のレティシアにライゼルトが小声で話しかける。
「どうすんだ。巫女っ娘はどうか分からんが、剣士娘は大ごとだと思っとるぞ」
「うぐ……」
呻くように迷っている。
エルヴィエールが喜ぶ姿を是非見たいと思っているが、リツカが、まだ不慣れな広域感知を使ってまで引き受けてくれる程の案件なのかと、レティシアは冷や汗を流している。
ただでさえ、朝のダメージが抜け切れているか微妙なところなのに、無茶をさせて良いのか、と。
「こうなったら」
「あぁ」
悪い予感を感じつつも、ライゼルトは反応してあげている。
「もしもの時は、私が三倍頑張りまス!」
「あぁ……」
握りこぶしを作り、力強く宣言するレティシアに、「そうだよな」と呆れ、会議に戻った。
「それでは、朝の刺客以外は、何も?」
「そうですね。マリスタザリアとの遭遇はありませんでした」
南には何もありませんでしたね。
「こっちは害獣だけだったな」
「私の方は二体程半端物が居ましタ」
「俺のとこはさっき言ったように無しだ」
東は害獣、西はこちらと同様、北には変質しきれていないマリスタザリアがニ体ですか。
「アンネさん、ちょっと」
「はい」
職員の一人が、アンネさんに声をかけました。神妙な面持ちです。何か問題があったのでしょうか。
「――?」
アンネさんの顔が強張りました。
「皆様、会議は中断します。各自休憩をとりましたら、予定通りお願いします。レティシア様は一時離脱、リツカ様アルレスィア様は南で広域感知後北へ、ウィンツェッツ様は西へお願いします」
焦った様子で、私たちに指示を出していきます。
普通にしていいということは、マリスタザリアではないようです。
「ライゼ様は私と共に来てください」
「おう」
ライゼさんだけで、解決できるようです。急いでいるようですし、聞くのは後でいいでしょう。
真っ先に、兄弟子さんは西に向かいました。
「それでハ、私は早速いきまス」
「うん」
「程ほどで帰ってきてくださいね」
アリスさんの言葉にギクっといった感じに顔を強張らせて走っていきました。
「アリスさんはシーアさんの予定を知ってるの?」
「いえ。ただ、そう思っただけです」
クスクスと笑いながら、アリスさんが私の手を引っ張ります。
「さぁ、休憩をとりましょう」
「うん。もしもの時動けなかったらいけないもんね」
お腹は空いてませんが、広域感知のために疲れはとっておかないと。
「朝の残りのスープがありますから、一度帰りましょう」
「ほんと!? いこ!」
前言撤回です。お腹空きました。
アリスさんの手を引いて、少し小走りでいきます。
「スープは逃げませんよ」
「それでも早く早く!」
今朝のスープは甘い野菜が多く入っていました。春を感じますね。
早く食べたいです!
「そんで? 何がおきたんだ」
ギルドを出て、南門に向かっているライゼルトがアンネリスに尋ねる。
「余りにも敵が出ないため、護衛なしでもいいだろうと、商業ギルドの数名が勝手に……」
「はぁ……平和ボケにも程がある」
アンネリスが目を閉じ言い辛そうに、答えた。
ライゼルトの呆れも尤もだろう。いくら敵が最近出ないからと言って、出ていないわけではない。
ただの動物でも人は殺せる。そして、敵はただの動物ではなく、半端であっても変質しているんだ。
わずかな気の緩み。神誕祭の大成功に浮かれているとしか思えない行動だろう。
「止めればいいんだな?」
今にも出発しそうな商人達を見据え、ライゼルトが指示を仰ぐ。
「出来れば、とめて欲しいです。無理であれば、拘束もやむを得ません」
「分かった」
残念だ、といった顔でアンネリスが指示を出す。
一組の勝手な行動で、大勢が危険に晒される可能性がある。
もし仮に、この行商が成功したとしたら、今後護衛をつけずに外へ出る者が続々と増えるだろう。
襲われない確証などなくとも、護衛をつける費用や面倒を考えた場合、つけなくても良いとなれば、そちらに傾く。
今後の安全のために、多少強引でも止めるしかないということだ。




