兆し⑤
ライゼルトは真面目な顔で話をしているのに、リツカはアルレスィアの足に座り、撫でられている。アルレスィアはリツカの方だけを見ていて話を聞いているのか分かりづらい。レティシアはその光景が面白い様で笑っている。ウィンツェッツに至っては、早々に目を閉じ欠伸をしながら今にも寝そうだ。
話している内容は真面目で、全員の今後を左右するような話だ。にも関わらず、緊張しすぎで重苦しい空気、というわけではなく、ランチのメニューでも考えているかのような、軽いものだった。
「そろそろ戻るが、あんさんもいい加減ソイツを降ろしておけよ」
「リツカお姉さン、私より年下というより、もはや赤ん坊でス」
「結局何も解決してねぇし、ただの休憩だったな」
ライゼルトとウィンツェッツのため息とレティシアの笑い声が離れていく。
「……」
アルレスィアはそれをチラリと窺っただけで、特に反応を見せない。
「んっ……」
背中を撫でると小さく息がもれ、頭を撫でるとピクンと反応する。
アルレスィアに全てを預け、全てを感じるように目を閉じ、行為を受け入れてくれているリツカが愛しくて仕方ないようだ。
本当に、赤子のようだった。
「リッカさま、そろそろ戻りましょう」
まだこのままで居たい、その気持ちを押し殺し、リツカに声をかける。
「うん……」
アルレスィアの声に反応し、腕に込められていた力が緩む。リツカの顔は紅潮し、目が潤んでいる。そして、渋々アルレスィアの足から降りた。
続いて立ち上がったアルレスィアの傍にぴったりと寄り添い、離れようとしない。
改めて現実をつきつけ、注意を促したライゼルト。それはリツカの精神力の強さと覚悟を知っていて、尊敬すらしているからだ。リツカならば、乗り越えられるだろうと、思っている。
だけど、リツカは皆が思っている以上に、繊細だ。
自分より大切な人を守るためとはいえ、別の人の命を奪っていいとは思えない。
リツカは今、魔法の暴走による負傷よりも、精神的疲労を強く感じていた。
『戻るのかい?』
「はい」
神さまがやってきました。
アリスさんが応えながら、私の手を握ってくれます。
「核樹は、どうなってますか?」
『変化ないよ。ただ神林化しているお陰か、この王都内部の悪意はほんの少し減っているようだ』
神さまが周囲を見回しながら呟きます。
確かに、朝、広域感知した際、王都内に悪意を感じませんでした。
今日含め、後二日は神さまが滞在してくれます。その間、国外に目を向ける余裕が出るのはありがたいです。
『余り過信はしないでおくれ。”神林”ですらあの様だった。こちらも確実な防壁とはいかない』
「ないのが当たり前だったのですから、油断はありません」
アリスさんの言葉に安心したのか、核樹の方に歩いていきました。
『じゃ、気をつけて行って来なさい』
「いってきます」
「はい」
神さまも、心配していたようです。
アリスさんが狙われたんですから、気が気ではないのでしょうね。
外に出て、広域感知するか迷います。自分の足で探すべきでしょうか。
「少し、歩きませんか?」
魔法を使うのは、様子を見てから、ということでしょう。
アリスさんと散歩することを選びます。
「牧場側は朝行ったから、丘の上目指そうか」
「はい」
握っていた手の指を絡め、坂道を登ります。この坂道を徒歩で通るのは、この王都に来た時以来です。
次第に視点が高くなり、王国の全貌が見えてきます。美術館で見たミニチュアは、ここで見た景色を元に造ったのかもしれませんね。
普通に感じられる距離に悪意はありません。
「もう少し遠くへ行ってみましょう」
「うん」
広い草原が広がっています。感知する必要を感じない程の見渡しの良さですけど、大きい岩や深い茂みはあります。その影から出てくる可能性があるので、警戒は必要です。
対悪意では、後手に回る事が普通です。普通の人では、変質後にしか対応できません。しかし私たちならば先手が取れます。そのために、意識的な感知は絶対に必要です。どんなに強力な敵でも、出現時は隙だらけです。
「他の皆は、大丈夫かな」
「ライゼさんとシーアさんは心配ないと思います」
二人が、死ぬかもしれないという可能性。それを先ほど示唆されました。否応無く、脳裏を過ぎります。
私が動けない場合、私の意識が途切れた場合、そんな時頼れるのは、二人だけなんです。
「兄弟子さんは、まだちょっと頼りないから、ね」
「子供の時から一人で生きていた方の様です。危ないと思えば、すぐ逃げるでしょうから、こちらも心配はないかと」
逃げ足が残っていれば、きっと大丈夫でしょう。でもあの人は、戦闘狂じみた面が偶に見えます。見誤らなければ良いのですが……。
「おヤ」
「ん?」
西と北の間には大きな川があって行き来できませんが、東側は繋がってるんでしたね。
「お師匠さんハ、殺した事あるんですカ?」
「あぁ」
長年冒険者をやっていたり、旅をしている人ならば、あるのかもです。
「任務だったが、いくつかな」
「でしたラ、殺しの辛さは知ってるはずでス」
いくら必要だからって、リツカお姉さんや巫女さんに、させることではないはずです。
「あんさんの様に、人間を行動不能にさせる魔法を多種扱えるなら、あそこまで言うつもりはなかった」
「……」
リツカお姉さんの魔法は、どうにも出来ません。巫女さんの拘束系は強いものではありませんけど、行動を止めるための魔法はいくつかもっています。
「巫女っ娘の言った通りの手順でやれるなら、問題はねぇだろう」
「でしたラ」
「巫女っ娘が行動不能になった場合を、アイツら考えとんのか?」
「それハ――」
リツカお姉さんは、巫女さんを守りきるでしょう。そう信じています。
でも、もし、本当に行動不能になった時、リツカお姉さんがどうするか、ですか。
「アイツらは潔癖だ。あんさんの言い分じゃ、高潔だが」
「えェ」
人の言葉に傷つけられ、怒り、嘆こうとも、自身が裏切る事はありません。自分の言葉に責任を持っている人たちです。
だから、心を動かされるのです。
「だがな、巫女っ娘が気絶でもしようもんなら、アイツは止まらんよ」
「……」
容易に想像できます。
どんなに殺したくないと思っていても、きっとリツカお姉さんはその時、やるんです。
それは私も一緒でしょう。お姉ちゃんがやられたら、私も手加減しないと確信しています。
「そんな時、覚悟してなかったら壊れるだろ」
ため息をつき、水筒から水を飲んでいます。本当に水なんでしょうか。変な匂いがしているんですけど。
「この際、本当に殺すか殺さないかは問題じゃねぇ」
お師匠さんが南を向いています。見えないはずの二人を見るように。
「アイツらなら、覚悟してるだろうが、念の為だ」
どこまでも世話焼きな人です。
「わかりましタ、もう何も言いませン」
「あん?」
そういう事なら、話は簡単です。
「最後まデ、死ぬ気で生き残っテ、二人に無用な殺しはさせませン」
死ぬ予定なんて最初からありませんが、もっと気をつけるだけです。
「頼もしいことだ。あんさんが捕まえりゃ、誰も殺しなんてせんでいいからな」
「そういうことでス」
共和国軍の人間にも知り合いは居ますが、仲間や国のために頑張っていた方が、殺しで精神を患ったなんて話を良く聞きます。
リツカお姉さんの精神力は強靭ですけど、殺しはそんな強い心も簡単に壊してしまうのです。
絶対に二人の心は壊させません。
「それよリ、そのお水」
やっぱり変な匂いしまス。
「ん? あんさんは飲めんぞ」
「やっぱりお酒ですネ」
顔に出ていませんが、やけにご機嫌な雰囲気してます。
「たまにはいいだろ」
「仕方ありませんネ」
アンネさんに言っちゃいます。私は悪戯っ子ですが、任務はしっかりやる人間です。
「不穏な空気が――」
「でハ、後ほド」
「ま、まて!」
もう遅いです。




