核樹②
最後の扉の先は思いのほか広く、ドーム状になっています。その中央の台座の上に鎮座していたのは、欠片というには大きい、薪ほどの大きさの核樹でした。
これが核樹の欠片。遥か昔に”神林”から切り離され、この地にやってきた欠片は今切り取られたかのような艶を残しています。かすかに本物の木の香りがします。腐るどころか、汚れ一つありません。
「すごい、生命力……」
私の足が勝手に動き出します。核樹に吸い込まれるように。
手の届く距離まできました。横にはアリスさんも居るようです。ですが、顔が欠片から目を離せません。
触れてはいけないのだろうと思っているのに、手が伸びます。
視界にアリスさんの手も見えます。一体どうして―――。
見えた景色は、”神の森”の湖の畔。そこには、お母さんが――。
視界が暗転し、次に見えたのは”神林”の湖。
『あぁ、触れたのかい。もうちょっと待っていておくれ。すぐに――』
神さま……?
「「……?」」
何が起きたのでしょう。あの光景は?
「リッカさま」
アリスさんが私を呼びます。
「?」
「リッカさまのお母様は、リッカさまにそっくりなのですよね……」
アリスさんが私の母のことを質問します。
「うん、そう言われてたね」
「……今、見えました。リッカさまが少し成長したような女性でした」
そう呟くようにアリスさんが言いました。困惑するように瞳が揺れています。
「その女性が、神林ではない森の湖の畔で……泣いていました」
泣いていたかは私には見えませんでしたけど、同じ景色を見ていたようです。
母が、泣いて……? 一度しか見たことのない母の涙、その時のことが思い出されます。
「その後に、”神林”で神さまが見えた?」
私が続きを引き継いで言います。
「はい。リッカさまも見たのですね」
アリスさんが多少の驚きを見せます。
「うん。もう少し、待っていてって」
核樹の欠片に吸い込まれるように近づいて触れると、同じ光景を見た、と。
「アルツィアさまからのお告げでしょうか」
アリスさんがそう考え込みながら言います。
「多分、そうだよね。何かを待てばいいのかな」
何があるかは分かりませんが、神さまのことですから何か考えがあるのでしょう。
「そうですね、待ちましょう」
アリスさんが祈るように言います。
「うん」
今後の方針が一つ追加されました。
「お二人共、どうしたのですか?」
アンネさんが困惑しています。
「ごめんなさい、核樹に触ってしまいました」
私は謝ります。多分むやみに触ってはいけないと思ったので。
「いえ、お二人ならば問題ないでしょう。しかし、何が起きたのですか……?」
コルメンスさんから再度疑問が投げかけられます。
「えっと、私たちはどういう風に見えてたんでしょう」
気になって質問し返してしまいます。その失礼な行いに嫌な顔一つせずコルメンスさんが応えてくれます。
「お二人が急に黙って歩き出し、核樹に触れた状態で動きを止めてしまいました」
コルメンスさんが困惑しながら言います。
「実は――」
アリスさんが事情を説明しました。
あれは、神託だったのでしょうか。でも、神さまの言葉には予定外だったといった感情が込められていたように思います。
すぐに、なんだったのでしょう。
「アルツィア様が……」
アリスさんの説明を受けたコルメンスさんが驚きの表情で呟きます。疑いの眼差しはありません。
司祭さんとの邂逅によって痛感しています。私たちを疑いなく信じてくれる人たちは、貴重な存在なのだと。
そんな人たちが私たちを支えてくれていることに感謝しています。
「何かを待つ必要が出来ましたけれど、やるべきことは変わりません」
アリスさんが粛々と言います。
最終目標である魔王討伐。その途中でやることが増えただけです。
「そうです。魔王を討伐しこの世界に平和を創る、これは変わりません。そのためにまず核樹の搬入です。触ってもよいとのことなので私が運んでもいいでしょうか。先ほどは触ったことすら気づかずに神さまのとこまで意識が飛んでいたので。あぁ……どうしてこんなに艶が落ちないのでしょう。ささくれ一つない艶やかな姿。小枝には未だに力があって成長を続けています。まるで鍾乳石の成長のようにじわりじわりと伸びているのでしょう。みずみずしい葉は未だに呼吸をしています。早く光合成させてあげたいです。さぁ! いきましょう!」
一目見たときから何故か触らなければいけないという意識が私を突き動かしたため落ち着けていましたが、正気?に戻ればやっぱり興奮を抑えられません。触っていいんですよね?
台座の周りをくるくる回りながら三百六十度楽しみます。こうやって機会をいただけたということは、祭り中は忙しくて見れないのでしょう。今のうちに堪能しなければ。
「普段との違いに圧倒されますね、アンネからの報告以上です……」
コルメンスはアンネから報告を受けていた。喜ぶ時はくるくると踊るように表現する、と。しかし今のリツカは満面の笑みで台座の周りを回り核樹から目を離すことなく目を輝かせている。時に体全体で下から覗き込むようにしゃがんでみたり、ジャンプして上からみようとしたりしている。触ろうとしているが、まだコルメンスが許可を出していないため我慢している。
踊ることはないけれどそれ以上に衝撃だろう。コルメンスは落ち着いたリツカしか見ていない、アルレスィアと微笑みあったり、アルレスィアのために怒ったりは見ているけれど、それは年相応かそれ以上だった。でも今は……レティシアより幼く見えるのだから。
「一昨日の大通りは、まだ抑えられた方だったのですね……」
大通りでも確かにアンネリス含む多くの人たちに見られている。しかしあの時は現物がなかったため目を閉じまだ見ぬ核樹の欠片を想像するしかなかった。だけど今は目の前にある。リツカの大きい瞳が輝いているのだ、その姿は可愛らしい少女の挙動だけど、妙な色気を持っている。頬が赤く染められているからだろう。以前レティシアが蕩けていた、と評したがその時の顔だ。
「お二人なら喧伝することはないかと思いますが、内密にお願いします」
アルレスィアは喜ぶリツカを見て笑顔になるが、二人へ釘を刺すことを忘れない。この国に来てからさまざまな噂を耳にし、体験した。集落にいた時は知らなかったこの国の噂好きな一面をまざまざと見せ付けられたのだ。二人なら大丈夫と思っていても過敏に反応するのも仕方ないだろう。
「もう結構な人にバレてしまっていますが」
アンネリスが呟く。
「それでもです」
アルレスィアは毅然と告げる。
国民の噂は噂でしかない。見るまでは信じきれないだろう。しかし二人は国王と国王補佐、二人の発する言葉には力がある。噂は現実として受け入れられる。リツカが異世界から来た巫女、それを大多数の国民が受け入れたのもコルメンスが受け入れたからだ。
二人が、リツカは森で興奮する森好きな女の子なんて言おうものなら、奇異の目に曝されることを防ぐことはできない。
「は、はぁ……」
アンネリスはそこまで至らないため、曖昧な返事になってしまう。それでも返事した以上ここでの事が外に漏れることはない。アルレスィアは信用している。
「持っていいですか?」
「え、えぇ。どうぞ」
リツカの二度目の確認にコルメンスが応える。
「よかったですね、リッカさま」
「うん!」
喜ぶリツカにアルレスィアは微笑みかける。
「はぁ……。朝でよかったです」
そんな光景にアンネリスは、額を手で押さえた。




