過去②
―――……
「お母さん、どこへ向ってるんです?」
十三歳になった日、私は母と共に街を歩いていました。
「あなたのこれからを決める、そんな場所よ」
母はいつものように眉間に皺をよせ、姿勢を正して綺麗に歩いています。抽象的な物言いもいつも通りです。ただはっきりしているのは、そういった言い方をする時は、乗り気ではないという事です。
(私のこれから? 普通に学校いって、椿ちゃんと一緒にバスケやって、そして、その先はわからないや)
んーんーと唸りながら考えていると、母の視線に気付きました。
「……ごめんなさいね」
「?」
母からの言葉は、空を飛ぶ戦闘機の音にかきけされて、聞こえませんでした。いえ――聞こえない振りをしました。
着いた場所は、神社。この神社は確か、”神の森”を奉る場所だったはずです。お母さんとは確か、一度だけ来ています。
「ここなんです?」
少しわくわくしながら、母に尋ねます。
私は、”神の森”に初めて行った七歳のころから、あの森のファンです。”神の森”に関係することなら、私は自然と興奮してしまいます。
「―――ええ、そうよ」
より眉間に皺をよせ母は、搾り出すようにつぶやきました。
そして、神社の中へ入っていきました。
このとき私は、何か視線のようなものを感じて、”神の森”の方角へ目を向けたのです。
「……?」
森を見ても、何も変わっていなかったので、母に着いて行って、お堂に入りました。
「……来ましたか、十花様」
そこには神主さまがいらっしゃいました。正装を着ています。袍は黒色、袴は白地の白紋。つまり今から行われるのは、【特級】の神職による、【大祭】。”神の森”に関係する神事ということになります。
ちなみに、十花は私の母の名前です。私の家は代々、一から十の組み合わせに花をつけた名前となっています。私だけは、ちょっと違いますけど。
「様、はおやめください。上木様」
さらに母の眉間がよせられます。そういえば昔来た時も、この方の前では不機嫌そうでした。
それにしても、せっかく整ってるんだからもっと笑顔でいればいいのに。そう、昔言ったときは……三時間ほど時間が飛んでいました。胃がキリキリしていたので、どうやら突きを受けて気絶したようです。
手加減はされていましたが、それ以来母に眉間の皺のことは言っていません。
「元とは言え”巫女”様なのです。蔑ろにはできません」
他の神社だと神主さまが一番偉いのですが、ここ”神樹神社”では”巫女”が一番偉いのです。
”巫女”と巫女は別物。故にこの町では、本来の巫女は”巫女補佐”と呼ばれています。
もっと他に名前なかったのかな?
「はぁ……仕方ありませんね。頑固なところは何も変わってないようで安心しました。今日の用件は……手紙で伝えた通りです」
どうやら母はすでに神主さまに用件を伝えていたようでした。
「―――。本当に……よろしいのですか。まだこんなにも幼い……」
ん? 神主さまが私を見ています。
「……構いません。あの子が、七花が結婚するのだから、この子しかいません」
七花さんは私の従姉妹、”神の森”へ私を連れて行ってくれた人。そう――恩人です!!
今でも思い出します。
森にいくわよー。と軽い感じで連れ出されたのです。普段私は母と一緒でないと外に出られないので、それだけでもちょっとだけ嬉しかったのですが、連れてこられた”神の森”は……そこは、あんなにも……あんなにも! ステキだったのですから!!
風が私を包み込む! 父より優しくっ母より力強くっ。木々が、私を招き入れてくれたかのように揺らめき歓迎してくれる! 草花が、私へのプレゼントなのか甘い香りで私を喜ばせてくれる! 森全体が私を祝福してくれているかのよう! そんな幸せを感じきれることなく、その日は終わってしまいました……。
もう1度行きたくて、母の目を掻い潜り黙って一人で入りました……! すごい高揚感と幸福感でした! でも、一人で入ってはいけないとこなのよ、と七花さんと、母に怒られてしまいました。
母の怒りは思い出したくありません……。あんなお母さんは初めて見ました。
その後七花さんは、「一人じゃダメだから、行きたくなったらいつでも声をかけて」と小声で私に言ってくれました。母が付き添わないように連れ出す理由は様々です。映画に行く、ショッピング、ランチ。
いつもおば様が一緒だと、流石の立花も疲れるって。とは七花さんの言葉です。
だから……何度も何度も何度もっ。七花さんに頼んで連れて行ってもらっていました! 母に怒られるから内緒よ。と念をおされ続けながら!
きっと、この時の私は別人に見えていたことでしょう。
実は先日も連れて行ってもらっていたのです。バレていません! バレたらもう連れて行けないと七花さんに言――。
「あの子、七花。ずっと立花のこと”神の森”に連れて行ってました」
―――! バ、バレ……!?
「でも、もう関係ない……」
搾り出すように母が言葉を紡ぎます。……え? 関係……?
「七花が結婚する前だったら、もう連れて行くなと言ったでしょうけど……。もう、意味がないですから」
……? どういうことでしょう。とにかくまだ”神の森”にいけるようです。
よかった。
「この子、”神の森”のことになると人が変わったように、喜ぶんです。……だからきっと、大丈夫です」
私の浮かれっぷりもばっちりバレてました。もっと感情を隠せるようにしないと。恥ずか死にます。
「わかりました、十花様、立花さん。では、準備は整っています。どうぞこちらへ」
神主さんが中へ招き入れます。準備とは一体なんのことでしょう。それに七花さんの結婚て?そんなこと昨日は言って……。
「―――ごめんなさい。立花。あなたに……。んーん、なんでもない。あなたなら大丈夫ね」
この時、七花さんが言っていたことを思い出しました。あれって結婚のこと……?
連れて来られた場所には祭壇があり、木が鎮座しています、多くの巫女補佐の方々、そしてこの街の市長や区長などの重役の方々がいました。
ここで、大祭が行われるのでしょう。
「――立花様」
……? 『様』? 神主さんが変な言葉を発しました。さっきは、さんって。
母が私から離れていきます。その時母の目は、私を慈しむように、今にも消えてしまいそうな人を見るかのように、細められていました。
母と私の繋がれた手が中々離れなかったのは……母が離れるのを拒んでいたから。何故そんなにも拒んだのか、この時の私は分かっていませんでした。
市長の上座、この場で最も高い位の場所の隣へ座りました。そして暫くし、皆が立ち上がり、私の後ろ。入り口を見て最敬礼をしました。振り向いた私の後ろにはやんごとなき方が、いらっしゃいました。
そのお方は私に顔をお向けになると、にこりと笑顔を見せて、母の隣へ歩いていきます。そして母と二言三言話すと、お座りになりました。それを見て周りの方も座ります。
(どうしてここに?)
テレビでしか見た事がない人です。大きな行事や、震災の時くらいしか地方に出向く事はないと聞いています。
「立花様」
私はビクッと肩を震わせます。ここにいたって私は、異常を感じはじめます。
こんな田舎といってもいい場所の、知名度の低い、というより、ネットで調べても出てこないほどの神社の祭りにこのお方が参加するのですから。
「祈りを始める前に、あなた様には決断していただくことがあります」
神主さまの目も、母と同じ目をしています。ですが、その目にはそれに追加して、硬い決意がみてとれます。更に奥の光には気づかない振りをしました。それは粘っこく、私を見ていたからです。
「これからあなた様は、”巫女”の役割を継ぐことになります」
淡々と告げる神主さん。その声に喜悦が滲んでいるのに、私と母だけが気付きました。
だけど私の意識はそちらにはありません。
(巫女だけなんだよね、一人で森に入れるの。だったら嬉――)
「”巫女”となった者は、交際することも、結婚することも全ての男女の営みに対しての拘束をうけることになります」
拘束……? 神主さんの言葉の半分も分かりませんでしけど、拘束という言葉だけは、脳に響きました。
「しかし、自由がないわけではありません。跡継ぎが居る場合に限り、許可がおり、恋愛する事が出来ます」
跡継ぎ、許可……よく分かりません。十三歳の少女に確認する事ではないと思います。
「立花様、あなた様はこれから先、次の跡継ぎは生まれるまで、”神の森”と血婚していただきます」
……? 結婚に対して拘束を受けるんじゃ。
「これから行われるのは、そのための儀式です」
結婚? いえ、血婚……? 言葉のニュアンスの違いで混乱してしまいます。血という文字に、私はちょっと後退りしてしまいました。
「血婚って、具体的には何をすれば」
搾り出した私の声は、思いのほかこの場に響きました。
「血を用いた契りです。あちらの祭壇におかれている木は、”神の森”の深奥、その中心に咲く桜の木の一部。つまり”神さま”の一部でございます」
あれが、”神さま”? 確かに……ちょっと吸い寄せられるような、不思議な気配を感じます。
「”神”へ、あなたの血を捧げ、契りを結びます」
「契りを結ぶと……どうなるのでしょう」
「契りを結ぶと、この町から出ることができなくなります。一歩もです。そして、頻度はお任せしますが”神の森”へ一人で通っていただきます」
それは……町から出られないのは、普通の人は辛いのでしょうね。私は生まれてから一度も町の外に出た事がないので、余りピンと来ていません。
ただただ、森へ通えるようになるのが嬉しいです。今までは七花さんに連れて行ってもらえないと、入れなかったのですから。
「そして、守護者として。”神の森”を守っていただきます」
―――森を守れる、大好きなあの森を。私の手で。私の気持ちは固まりつつあります。
「これらに、納得いただけたのであれば……ご決断を」
固まりつつありますけれどその前に、聞いておかなくてはいけません。
「あの、どうして……あの方が」
神主さんが、息を飲み込んでいます。この質問は予想外だったようです。
「――これは、誰にも話してはなりません。よろしいですね? ”巫女”と一部の人間だけのものです」
そう言って、話し始めました。
「この儀式は、国の指示で行われているのです」
「……? もう、地主のようなものって……」
「これは隠さなければならないものゆえ、地主と言う形で周知させているのです。あなた様も、これからは地主の跡継ぎとして振舞って頂くことになります」
誰にも話してはいけないから、地主として振舞う、ですか。地主なんて、振舞うようなものではないと……幼いながら、思ってしまいます。
「……遥か昔より続く、”神の森”の守護。それをこの国は続けているのです。その為、代替わりの際にはお越しになっていただいているのです」
この儀式の直後から”巫女”はこの町から出られない。だから来て頂いているそうです。これで、あのお方がお越しになった理由はわかりました。
最後に、母がなぜあんなにも渋っていたのかを聞いて、決めます。
「母は、私を”巫女”にすることに乗り気ではないように見えるのです」
神主さんは目を閉じ、かみ締めるような演技をしています。段々と白々しくなっていっています。
「十花様は、この過酷な任に、幼いあなたを推挙することに躊躇しております」
過酷……そうは感じませんでした。
「この先、もし跡継ぎになれる女性が六花の家に現れなければ、別の……清らかな魂をもつ者を探し、その方になっていただくことになります」
ふむ……ん? それってつまり……。
「あなた様は、特別です。あなた様に同年代のご兄弟がいれば、そちらの方々に普通に結婚していただき、子をなしてもらうのですが。あなた様にはご兄弟がおられません」
この時、母は唇を噛み締めて、悲しい顔で私を見ていました。神主さんとは違う、本当の表情です。
「つまりあなた様は、七花様が子をなし、さらにその子が十六を超えるまで、そしてその子が”神さま”に気に入られるまで”巫女”になっていただきます」
最低でも、十六年。七花さん次第になるけど、もしかしたら三十を超えても、私は巫女のままという事になります。でも、十六……?
「えっと。私、十三歳です。十六歳じゃありません。それに―――」
知っていることでしょうけど、あえて言います。七花さんは、あと三年くらい待てなかったのか、と。
「……あなた様は、特別です」
何度も聞いた言葉です。それを言う神主さんは、目を鋭くして、私に告げました。
「あなたは近年稀にみる、清らかな魂をもっています。これは”神の森”にあなた様が一人で入ったときに判明したものです」
どういう、こと? 一人で入った事、ちゃんと伝わっているんですね。でもそれを怒るでもなく、むしろ喜んで指摘してきました。
というより、こんなにも厳重な管理をされている森に、何で私はあの時入れたのでしょう。今になって、その異常性に気付きました。
「あなた様は、覚えていないようですが。あの時、探しに入った七花様はあなた様を見つけたとき、驚愕したそうです。体が透けたようになって、まるで――”神さま”へ連れて行かれるようだった。と」
―――え。
「急いで声をかけたところ戻ってきたようですが、この話を聞いた時我々は確信しました」
先ほどまでの慈愛に満ちた目ではなく、強い熱を込め、私を見据えています。もう、隠す事はしないのでしょう。これが神主さんの本当の目です。
「あなた様は、”神”に愛されているのだと」
そういう、ことですか。
「ですから、あなた様は特別です。今からでも任へつくことができるでしょう。”神さま”もあなた様なら文句など言わないでしょう」
……最初から決まっていたんですね。どの段階からかは分かりませんけど、私が巫女になるのは、決まっていたようです。
「”神さま”に気に入られるまでとは……そのままの意味ですか?」
気に入られるまで。七花さんの子供が気に入られるまで。つまり気に入られなかったら?
「はい。その子から孫へ、孫からひ孫へ。気に入られるまで――あなた様は、”巫女”のままです。六花家以外から探すと言いましたが、恐らく現れないでしょう。それほどまで、六花とは特別な魂なのです。どうか受けて頂きたい。あなた様が受けなければ、七花様は罪」
……恋愛はよくわかりません。気になる子はいるけれど、これは友情なのかもしれません。だから――。
「もう、大丈夫です」
何か、私を脅すような言葉を吐こうとしていたようですけど、私の気持ちは固まっています。
母も知っていたのでしょう、その目には……私が初めてみる、母の涙が流れていました。
多くの人々、そしてこのお役目を始めた天皇家である陛下の手前、泣き崩れることも、顔を隠すこともできずに、涙が流れていきます。
きっと、母は……私に普通の女の子として生きてほしいのでしょう。
私が巫女になるための準備を、私が生まれてからずっとしつつも、私が巫女になるのは反対だったようですから。
それでも私は。
「―――。なります、”巫女”に」
母は、涙を流す目で私をじっと見ています。その目には、誇りと悲しみがありました。
儀式は滞りなく進んでいきます。そして祝詞を終え、場を神聖な空気が包んでいきます。
今日から私が”巫女”です。期待なのかは分かりませんけど、神主さんやこの場に居る方達は喜んでいるように感じます。
私も、森に入る為の特権を頂けました。拘束も、私にとってはどうでも良いものばかりです。何も問題はありません。
無いはずなのに、私はそのときなぜか……。
「――――」
泣いていたのでした。
―――……