神林集落
草花の香りに混じり、焚き火の香りが漂ってきました。煙一つにしても、私には未知の体験です。私の居た町では、木々を燃やした煙を見る機会はありません。
(ん……この香り、梅? いや似てるけど、違う? 何を燃やしてるんだろ)
一瞬、私が間違える程梅に似ている香りを感じ取りました。植物博士という訳ではありませんけど、草花にはちょっと煩いです。
「リッカさま、お気づきかと思いますが、もう少しです」
にこり、と笑顔を見せてくれるアリスさん。先ほどまでのぎこちなさは消えていました。
(花が咲くようなってこういう)
良かったと思いながら、自然な微笑みで私も返します。花が咲くような笑みとは、アリスさんの笑みの事でしょう。
「えっと。この香りは、なんていう木を燃やしてるんですか?」
少なくとも”神の森”では嗅いだことのない匂いですね。あそこには梅はありませんでしたし。桜でもないです。んー、気になっちゃいます。
「―――。はぃ、ツァルナの木のことですね。集落周辺に生えています。この季節にはおいしい果実を実らせるのですよ。見に行きましょうか」
微笑みながら、スキップするようにアリスさんが少し道をはずれていきます。
それにしても、顔がさっきより赤いような。……まさか。
「アリスさん、ちょっと」
そういって私はアリスさんに近づき額に手をあてます。
「ぇ」
……熱はないようですね。でも病気は怖いですし、この国特有の? 聞いておきましょう。
「熱は、ないようですけど。大丈夫ですか?何かこの国だけの病気とかは――」
濡れていた私を抱きとめたときに、アリスさんも濡れてしまったでしょう。重症化する前に専門医に見てもらった方が……。
寄り道するより、着替えを優先させた方が良いかもしれません。
「あ、あのリッカさま。私は大丈夫です。病気ではないです。ですから、ツァルナの木を見ていきましょう。今の時間だといいものが見れますよ」
急かすように言うアリスさんの笑顔に力はありますが、しかし……。
「それは明日でも……。今はアリスさんの体調のほうが気になりますよ」
額に当てていた手をすべらせ、頬に手をあてます。やっぱり、熱を持っています。
「―――はひ」
私の心配が通じたのか、良い返事をいただけました。ただ、アリスさんの目が、とろんとしたような? 風邪を引いた時、こんな感じになったと思います。やっぱり早く、暖めるべきです。
「素――――王―――」
アリスさんが何かつぶやいてますけど、うまく聞き取れませんね……。アリスさんの体調は心配ですけど、改めて少しだけ回りを見渡します。
ここからはつあるなの木? というのは見えません。ここから見えたら道を外れる必要はないですし、当たり前ですよね。
「―――カ―――し――――いて……。よしっ。リッカさま、ご心配をおかけしてもうしわけありません。そうですよね、リッカさまの着替えが先でしたっ」
復活したアリスさんが少し早口で私の着替えを提案します。
ん……? 私の着替え? えっと、そちらではないんですけど……集落に行くなら、それでもいいですね。
「そうでした。私も、濡れてるんでした。色々あって忘れて」
色々、はぅ……か、考えないようにしましょう。これ以上悶えていたら夜になってしまいます。もう太陽は、ほぼ沈んでいるのですから。
肌寒さが増してきたので、私の着替えも必要でしょう。余り風邪を引いた事はありませんけど、私の体は風邪の前兆とは別の意味で火照っています。ある意味では、体調不良なのかもしれません。
(アリスさんの不意打ち慈愛スマイルに慣れなきゃ……毎回どぎまぎしていたら身がもた―――)
「リッカさま? どうし……もしかして、リッカさまのほうが風邪を!?」
私の両手を握りしめ、祈るように胸の前で組みます。その距離はまるで恋人がキスをする寸前のような―――。
「ぁ、はひっ」
予定とは違い、私は悶えることになってしまいました。そして揺れる視界でアリスさんを見つつ、もう一つ必要なことが増えたと痛感しました。
(この距離にも慣れ、ないと)
……この距離にはずっと慣れないかもしれないと、頭では理解していますが、そう思わざるを得ないほどの破壊力があるのでした。
お互い心配をし合いながらも、集落までの距離は近づいていっているようで、視線の先が仄かに明るさを増してきました。
揺らめくような光。先ほどの燃える木の匂いから予想はしていましたが、その集落には電気はないようです。この国に電気があるかどうかは、定かではありませんけれど……。
(そういえば、私のバッグどこいったんだろう。あの中にスマホや甘酒入ってるんだけど)
甘酒、飲んでみたかったのですけど……と、スマホより甘酒のほうを惜しんでしたら、着いたようです。
「ようこそ、リッカさま。ここが『神林集落』、神住まう土地を守る者――”巫女”を守ることを望んだ方たちが、住む場所です」
そう告げるアリスさんの表情が、少しの憂いを帯びたことに疑問を感じつつも私はその光景に心を奪われました。
「――これは」
集落、そう形容するのがしっくりきます。鉄・コンクリートがなく、排気ガスの不快な臭いの欠片もない光景に私は――目が離せないのでした。