はじまりのはじまり
これは昔々、ある国でのよくある物語。
から、始まるお話し。
とある国で、長いこと子宝に恵まれなかった王さまとお妃様との間に、子どもが生まれ、国を上げて祝うために、多くの客人が集められた。
毎夜、ひっきりなしに訪れたお客様をもてなすために、宴の席を設けた。晩餐会に舞踏会が行われ。もてなしのお礼として、祝いの品が贈られました。
毎日のように来ていたお客人も途絶え、そろそろ、宴を終わらせようかと、考えていた頃。やっと、最後の、お客がやってきました。
十三人の賢女達。招待していたのは十二人で、十三人目の賢女は長いこと死んでいたものと思われていたため、招待状を出していなかったのです。
王さまは、この十三人目の賢女に、誠心誠意謝罪し、笑顔で対応しました。娘が生まれた事を祝ってくれているですから。出来るだけ来てくれた人に気分を悪くさせたくはないのです。
晩餐会はつつがなく執り行われ、最後に、この珍妙な客人達から祝いの品を受けとる時がきました。
賢女達は次々に、素晴らしい祝福を娘に授け、その度に、王さまとお妃さまは我が事のように喜び、自分たちの娘は世界で一番の幸せ者だと想い、涙さえ流して喜んだのです。
さて、とうとう十三人目の賢女の番になりました。
今度はどんな素敵な祝福が我が子に授けられるのか…。そう、二人は、いえ、城の全ての人が期待と羨望で、固唾を飲んだとき、賢女はくちにしたのです。
『この子が、15の誕生日の日に、この子は糸車の錘に刺さり、深い眠りにつくだろう。そして、次に目が覚めた時には、彼者達がかけた祝福は消え去ることだろう。』
と、それからはもう、大変な騒ぎでした。呪いを解かせるために衛兵に賢女を捕らえる様に命じ、直ぐ様衛兵達は賢女を取り囲みましたが、目の前で、賢女はきえてしまいました。
そこで、たまたま席をたっていた賢女が戻って来て、ことの次第を聞き、それならば、姫がいつ目覚めるか分からない、もし、目覚めても寂しく無いようにと、
『姫が深い眠りに落ちるとき、この城も全てが眠りにつき、百年の後、王子のキスによって姫が目覚めるその時、この城の全ての時がまた、動き出す事でしょう。』という、予言を残し、賢女達は城から姿をけしました。
そのあと、王さまは国中に賢女捜索の御触れをだし。更に、国中の糸車と錘をかき集め処分させたのです。
あれから、いくつかの年月がたったころ。多くの祝福を授かった姫はすくすくと育ち、姫は祝福の通り、“美しく”可愛らしい姫に、“天使の様な優しい心”を、何をしていても、人々を惹き付ける“優雅な振る舞い”軽やかに“踊り”“小鳥の様な歌声”は人々や動物達の心を癒し、“動物とさえ心を交わし”どんな“楽器も心のままに演奏し”“聡明”で、“姫の笑顔はこの国を豊かにし”“姫の回りはいつも笑顔で溢れ”“姫へ向けられる好意の分だけ多くの民が幸せに”なり。姫の暮らす国は豊かに、幸せになりました。
確かに、祝福通り成長した姫でしたが、姫は自分に与えられた祝福が嫌いでした。何故なら、祝福のせいで姫はどんな踊りも、楽器も、教えられれば直ぐにこなすことが出来、努力とは縁遠い生活を送っていました。更にいけないのが、優しく聡明であったがために、姫は、自分がズルばかりしているようで申し訳ない気持ちになってしまいます。
ですが、なににもまして嫌なのは、姫の周りのひとは、笑顔を張り付かせていることです。祝福のせいで、姫の前では誰でも笑顔になるのです。例え笑顔ではなす内容ではなくとも、そして姫は知ってしまいます。姫から離れた所では、色々な表情をする城の人々の姿を、これは姫にとって衝撃的な出来事でした。いつもいつも、仮面のような笑顔を見ていた姫は、祝福も、自分の周りの人々も、祝福のために自分を笑わそうとする事も、どうしても好きには成れず。そんな自分も、姫は好きではなくて、いつしか15歳の誕生日の呪いを心待ちにするようになったのは、必然だったのでしょう。