再生
患者の腹に触れると、コブのようなしこりがあった。硬い筋肉のようなそれは、触れると少し熱を発しているように感じた。
「やっぱり、お酒の飲みすぎじゃないみたいですね」
そう言って、ネーブルは患部に手を当てて、気を探った。
「治るのか、それとも治らねえのか。俺が聞きたいのは、それだけなんだがな」
患者が、野太い声を上げた。胴は短く背丈は子供のようだが、引き締まった肉体とたくわえられたあごひげは立派なものだ。患者は、ドワーフだった。名を、ヤグドといった。
「毒を抜いて、しばらく安静にしていれば治ります」
「そうかい。なら、ぱぱっとやってくれ」
寝転がったまま、ヤグドが言った。
「ボクがやって、いいんですか?」
戸惑う口調で、ネーブルが尋ねる。
「ほかに、誰がいるんだ」
「お医者さん、この村にいないんですか?」
「いま、俺の目の前にお前さんがいる。できるんだろ? 毒を抜くっての」
「実際に、やったことはないんですけど……」
「なら、俺が初めてってわけか」
「はい……」
「失敗したら、どうしようって思ってやがるな」
「……よく、わかりますね」
「お前さんの考えることなんざ、丸わかりだ。何年一緒に過ごしたと思ってる」
「……二週間ですけど」
「それだけありゃ、充分だ。何かにつけてオドオドしやがって……初めて会ったときも、そうだったな。思わず食い逃げでもするんじゃねえかって、思ったくらいだ」
「ごめんなさい……ボク、人がたくさんいるのって、まだ慣れなくて……」
「それでよく、旅をしようなんて思えたもんだな、まったく……それよりも、ほら、さっさとやれって」
急かすようなヤグドの声に、ネーブルは息を吐いた。
「じゃ、じゃあ、ボクがやりますけど……痛くても、我慢してくださいね?」
そう言って、ネーブルは針を取り出した。先端を火であぶり、丁寧に消毒をする。
「だ、大丈夫なのか、本当に」
金属の反射する光をみて、ヤグドは不安を覚えたようだった。
「毒を抜くのは、初めてです。鍼を打つのは、三回目ですけど……」
「ほう、やったことあるんじゃねえか。それで、結果は?」
訊かれて、ネーブルの肩がぴくりと跳ねた。
「二人とも、死にました。ボクの、おとうさんと、おかあさんです……」
「そうか……っておい、どういうことだそりゃ!」
ヤグドが跳ね起きて、ネーブルの肩を掴んだ。
「打ってはいけない場所に、鍼を打ったんです……ふたりとも、苦しんでいたから」
細い針の先で、火が揺れている。肩に掛けられたヤグドの手から、力が抜けた。
「……どんな仔細があったのか、それは聞かねえ。だが、今のお前さんには、鍼は打てねえだろうよ」
ヤグドの手が伸びて、ネーブルの手から針を抜き取った。ネーブルには、ヤグドの力に抗う気持は無い。テーブルの上に針を置いて、ヤグドはごろんと寝ころんだ。
「ごめんなさい」
「いらねえことを訊いた、俺が悪い。明日にでも、医者に行ってみるさ」
「それが、いいと思います。おやすみなさい、ヤグドさん」
ネーブルは、ヤグドの部屋を出た。小さな料理屋の二階にある、居住スペースだった。旅慣れないネーブルに、ヤグドは暖かい料理と色々な知識を教えてくれた。川の増水で渡し船がなく、宿のない村で足止めを食うことになったとき、親切に納屋を貸してくれた。ほんのお礼のつもりで、診察を申し出た。ヤグドの顔色が、少し青いようにみえたからだ。
「お医者さんがいるなら、きっとなんとかしてくれるよね……」
納屋に入り、ネーブルは呟く。明日には、川の水かさも元に戻るという。ヤグドの親切に甘えるのも、今日が最後だ。ネーブルは目を閉じた。眠りは、すぐには訪れない。こんな時は、決まって悪夢を見た。
ぱちぱちと、火の粉がはぜる。森の中を、ネーブルは走っていた。これは夢だ。どこか頭の片隅で理解しているが、ネーブルの動悸は激しくなっていた。森の小屋が、燃えている。炎の中へ、ネーブルは飛び込んだ。熱さは感じない。二つ並んだ寝台へ、駆け寄る。ネーブルの両親が、横たわっている。安らかな、寝顔だった。夢の中のネーブルは、何かを叫んでいた。両親の身体はやがて、激しさを増す炎に包まれていく。何もかもが、焼けて溶けていく。ネーブルはただ、叫び続けた。
「おい、起きろ、ネーブル!」
身体を揺さぶられ、ネーブルは目を見開いた。心配そうなヤグドの顔が、上からネーブルを見つめていた。
「ん、あ、ヤグドさん……」
「随分なうなされようだったな。怖い夢でも見てたのか」
「うん……」
うつむくネーブルの目の端を、ヤグドは布で乱暴に拭った。
「しっかりしろ。どうせ夢だ。何にもなりゃしねえよ。それより、とっとと顔洗って来い。朝飯ぐらいは食っていくんだろ?」
ヤグドに促され、ネーブルは納屋の隣の井戸へ向かう。汲み上げた水に、目を赤く腫らしたハーフエルフの少女が映っている。ぱちゃぱちゃと音立てて、ネーブルは顔を洗った。
ヤグドの店へ入ると、ネーブルの食事だけが用意されていた。
「ほら、とっとと食え。それから、仕込みくらい手伝っていけ。渡し船まで、時間はあるんだからよ」
「ヤグドさんは、もう食べたの?」
「医者に行ったら、食うなって言われてな。薬も出してもらった。だから、心配するな」
薬包と水をテーブルに並べ、ヤグドが言った。
「お薬……どんなものか、見せてもらえる?」
「ああ。飲みすぎの薬らしいがな。お前さんの言うような、毒なんて無いって言ってたぜ」
言いながら、ヤグドが薬包を開いた。粉末の薬を、ネーブルは観察する。小指に唾をつけて、少量舐めた。
「……ダメだよ、ヤグドさん。この薬じゃ、病気は治らない」
「どういうことだ? 医者は、朝飯抜いて薬飲めって、言ってたが」
「この薬は、野草を粉末にして作るんだ。ボクも、森ではよく作ってた。お腹の調子を整えて、腹痛とかの痛みを抑える薬だよ」
「腹痛のときに飲むのか。別に、俺は腹の調子は悪くねえぞ」
「うん……ヤグドさんの場合、この薬は効かない。薬が偽物とかいうんじゃなくて、用法が違うんだよ」
「ってことは、あのヤブ医者、俺をだましやがったのか! ちくしょう、ぶっちめてやる!」
勢いよく立ち上がったヤグドが、腹を押さえてうずくまった。
「ヤグドさん!」
「ぐ、うう……は、腹が……」
苦しむヤグドを仰向けに寝かせ、ネーブルは患部を診た。青黒く腫れた腹の一部が、大きなコブのように隆起している。
「ヤグドさん! しっかりして! いま、お医者さん呼んでくるから……」
立ち上がりかけたネーブルの腕を、ヤグドが強く引いた。
「ヤブ医者呼んでどうする! お前がやれ……痛ぇ……」
大声を出したヤグドが、苦悶にうめく。
「……ボクが、やっていいの? ヤグドさん、死んじゃうかもしれない」
「いいから、やれ……お前にしか、できねえんだから……」
「死んだら、イヤだよ……?」
「ハーフ、エルフの小娘に、ちくっと刺された、くらいで、俺が、死ねるかよ……とっとと、済ませろ」
尻を蹴り上げられるように、ネーブルは立ち上がり、厨房の火で針を炙った。息を吸い、そして吐く。体内の気を、集中させていく。
「絶対に、助ける。それだけを、考えてやるんだ。何、やるかは、わからねえが、よ……」
苦しんで息を荒げながら、ヤグドが言った。
「うん……ヤグドさんの苦しみは、ボクが取り除く」
しっかりとうなずいて、ネーブルは患部に手を当てた。暴れるように激しい気の流れが、コブの中心に渦巻いている。落とすように、ネーブルは鍼を打った。針を伝って、膿が勢いよく飛び出してきた。どろりとした膿はネーブルの顔を汚したが、ネーブルはうろたえず、さらに鍼を打った。腹に二本、そして胸と両腕に一本ずつ。打った後、ネーブルはヤグドの胸に両手を当てて、気を少しずつ流した。
「う……ああ……楽になってきたな……」
「動かないで。まだ、針を抜くまで」
ものの三十分ほどで、治療は終わった。布を湯で沸かし、ヤグドの身体と自分の顔についた膿を、丁寧に拭う。
「なんだか、疲れちまった……一日中、鍋を振ってたみてえな疲れだ……」
「ヤグドさんの気をつかって、毒を抜きだしたんだよ。疲れるのは当たり前。今日はお店は休みにして、ゆっくり眠ったほうがいいよ」
そう言って、ネーブルもその場にへたり込んだ。気を導くために、鍼を打ちこむことは、最大限の集中力を要求する。体内の気を練り上げ集中することによって、ネーブルはそれを実行した。だから、今のネーブルには指一本動かすのもおっくうになるほどの疲労があった。
「ボクも、もう、動けないかも……」
「おい、倒れてくるんじゃねえ、重いだろうが……」
「ごめん、なさい……」
謝りながら、ネーブルは寝息を立て始める。折り重なるように倒れた二人の寝息が、朝の料理屋に響いていった。
「本当に、いいの、ヤグドさん?」
渡し船の上で、ネーブルが問いかける。
「いいってことよ。あの村にいたら、ヤブ医者にそのうち殺されちまう」
あごひげをしごきながら、ヤグドは答えた。それからヤグドは、ネーブルと向かい合うように座りなおして言う。
「ありがとよ、ネーブル。お前さんのおかげで、俺は助かった。俺の命を助けたお前さんは、立派なお医者様だよ」
言われて、ネーブルは長い耳を真っ赤に染めた。
「ぼ、ボクは、別に……ただ、一生懸命やっただけだよ」
「それでいいんじゃねえか? 料理も、医術も、根っこのところは一緒なんだよ。相手を思い、精一杯やるだけだ」
笑い声をあげて、ヤグドが空を見上げる。ネーブルも、つられて空を見た。雲ひとつない青空に、太陽がまぶしい光を投げかけてくる。
「とりあえずは、今日の晩飯について考えようや。野菜と干し魚しかねえが、酒の肴ぐらいは何とかなるか」
「ヤグドさん、お酒は、しばらくダメだよ」
「酒がなきゃ、死んじまうじゃねえか! せめて、一口くらいは」
「ダーメ。ボクが良いって言うまで、お酒は禁止!」
わいわいと騒ぐ客をのせて、渡し船は滑るように川面を進んでいく。そよそよと爽やかな風が、暖かな空気を運んでいった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。一応、一話完結のお話ですが続き物としても楽しめるようにしていこうと思っています。どうぞ、お楽しみください。
呑みたいときにお酒が呑めないのは、酒好きの人間にとっては辛いものですね。