本章-1 旅の準備7
古来より差別される者。社会的に弱者に対する人々の扱いは変わらない。
拒絶、誹謗、暴力、そして私刑。
罪のない少女を、親子を狙い殺そうとした化物を殺した騎士。
ライに対して待つのは、歓喜に満ち溢れた歓声の声ではなく。
触れれば傷つく氷のように、拒絶する冷たい視線。
そもそも弱者などという、人扱いされているかどうかも怪しい。
「くたばれ骨人が!」
大衆にとっては、名も無き勇気ある若者の誹謗から始まる。
化物とライが壊した。
石畳やテーブルの破片による投擲という、ささやかな、けれども確かな暴力。
始まりはたった一つの石だが、まさに一石を投じるその行動により。
周囲はその影響を受け、ライを排除せんとする運動となる。
「俺達の街から出ていけ!」
「白竜の敵ぃ!」
「動ける奴は武器を持ってこい!あの骨人、剣を持っているぞ!」
そしてその運動の中には、ライが身を挺した、親子も含まれていた。
父親もその子も、どちらも他の者より深くライに、迷惑にも庇われ関わってしまったとばかりに。
恐怖を顔に張り付け。怯える目で、石をライに投げた。
「肉の無い、穢れた骨」「お前なんて怖くない」そう叫びながら。
周囲に飛び交う破片、破片に甲冑が当たり奏でる音、自身を排除せんと慌ただしく動く人々。
悪意と敵意と殺意の渦、その中心に立つライは、口を閉ざし。
一先ずネージュの安否を改めて確認すべく、首を動かし青と白い頭を探し見つける。
(ネージュは無事か)
骨人に誘拐されかけた少女、という体のままなのか。
半ば押さえつけられているような、少々乱暴な状態ではあるが。
大人達に保護されていることを、ライは確認すると。
今すぐに、故意にネージュに危害が加わることはないだろうと、肩の荷が下りた気分になった。
ネージュの持つ気品と、ネージュに相応しい服と相まって。
貴族。少なくとも良家の娘と誤認され、おいそれと危害を加えられないし。
骨人に危害を加えさせる訳には、一般人にいかないのだろう。
結果的に、ライの買った服がネージュを守ることとなった。
そして、仮にネージュが手を出されそうになった時には。
ライはまさに問答無用で、多少の血を流すことになったとしても。
両の手にある武器で大衆を無力化させ、ネージュを奪還しようとライは考えていた。
そうならなかったことにライは安堵し、手の力みを解いて武器を背の鞘に納める。
何故、敵である骨人が目立つ二つの武器を納めたのか。
考えることをしない人々は、続々と手に雑多な物を持ち、ライをただ囲むだけの陣を組み始めるが。
すぐには襲い掛かったりはしない。彼らは、所詮は市民。
安全圏で他者を攻撃することはできても、自らの身を危険に巻き込んでまで他者を攻撃することは、すぐにはできない。
人は人でない物相手ならば、どれだけひどいことでもできるが。
やるにしても、当人なりの道徳心ゆえか覚悟はいる。
相手が、化物を相手にして打ち勝った骨人だから猶更だ。
ライは彼らの考えがよく分かっていた。何しろライ自身骨人になる前は、彼らの側だったのだ。
だからこそ、焦るような見っともないことはせず。堂々とした足取りで化物が残した黒い石を拾い。
「はい」
今回のようなことが常に起きないよう、骨人であることを偽る。
錆びた箇所があり、化物と戦う際に吹き飛ぶこともあるが、よく馴染み気に入っている。
所々錆びたアーメットを受け取り。
カチャカチャと音を立てながら、被り直し。
そして、ネージュを手に戻すべくライは歩き出した。
これ以上広場に居ようものならば、武器を持った市民どころか。
化物騒ぎを聞きつけた、警らやライを白竜騎士であること知らない。
教会が抱える戦力、白竜爪兵と一戦交わし。彼らを流血でもさせたら。
ライには罰こそないが、虚しい気持ちになるのが想像できた。
もっとも、下手なことせず。
首にぶら下がっている白竜の目のペンダントを見せれば、それだけで場は治まるかもしれないが。
ライはそれを本意としない。
骨人であることが露見してしまっていて、見る目がない者には飾り物に過ぎない。
白竜騎士の証であるペンダントが、信頼されない可能性もあるが。
それ以上に、ペンダントを見せて、手のひらを返して許してくださいと言われた所で。
ライはそんなことぐらいでは、今回のことをなかったことにして水に流すことは、ライには出来ない。
すでに、人々はライに石をぶつけ、化物達とひと括りした。
恩を売るつもりで化物と戦ってはいないが、仇で返されることはライはしていない。
ライは静かに、だが怒ってはいた。
しかし、怒りに委ねて暴れ出すようなことはしなかった。
いくつか理由はあるが、そんなことをした時には、隣にいる赤髪の女に冷笑されるのが分かり切っていたのが大きい。
「いつからいたんだ」
「銃の音聞いて、少し経ったくらいかしら」
投擲物が舞う中で、いつの間にやら、飛んだアーメットを拾い上げ。
寄り添うように、ライの隣に来てフィラキは共に歩く。
その様は、言うまでもなく骨人の仲間と捉えられ、場はさらに骨人排除の熱気が高まる。
「何だあの女、骨人の仲間か?」
「骨人の仲間ならあれは魔女だ!」
「骨人諸共吊るしあげて火にくべてやる!」
骨人は敵である、死ね死ね死ね。
腐物は敵である、死ね死ね死ね。
化物は敵である、死ね死ね死ね。
異教徒は敵である、死ね死ね死ね。
そんなものを味方する奴も、やはり敵だ死ね死ね。
敵は悪、悪は骨人、骨人の味方は敵。
異形の物という悪と言う名の絶対と、それらと敵対する。
我らの神白き竜の信徒。神の名と信仰の元に、正義と言う名の絶対が完成した。
骨人であるライにとって、またライを味方するフィラキにとって、甚だ迷惑極まりない完成だが、ここはそんな世だ。
幼子に多大な影響を与える教育において、先の完成を幼き頃から受けて、それを当然と思い。
それらが圧倒的に多数の世界で、人々の悪意恐れず寄り添えるフィラキが異常なのだ。
怖くない信じられると言い切り、化物に対しても情を移せるネージュが異常なのだ。
そして、そんな世界で錆びた甲冑で骨の体を隠して騙して生きる。
骨人の存在が、最たる悪なのだ。
つまり、ライが骨人でなければよかった。
無条件で人々に悪意をぶつけられる。種族骨人でなければよかった。
ライがなりたくてなった訳ではない骨人でさえ、なければよかったのだ。
骨人という原罪でなければ。
だがどれだけ周囲が人であることを否定する。
そんな骨人とはいえ、ライには確かな人としての意志がある。
腐物、化物と違い人であるからこそ、感情がある。
人であるから考えも、義も、己の規則がある。
そんなライの、数多くある許せぬことの一つは。
自身が原因で、自身に向けらればいい悪意を身内にぶつけられることだ。
真っ当な正人とも、亜人とも言い難い。
人にはない力を多く持ち、時には腐物化物の区切り線を、半歩踏み入るかのように、他者の血を啜るフィラキだが。
腐物化物と違い人を、無差別にかつ無意味に襲わず、殺しもせず。
ましてやフィラキは骨人でもない。
そんなフィラキを、骨人の味方と一括りし。
骨人と同罪であるかのように投げられた破片が、フィラキの白い肌にぶつかり。
フィラキにはすぐに治せる程度ではあるが、傷を作った。
些細であるが、フィラキが傷ついた。
「…………」
ギロリと、数人に向けてライは視線を撃ち。
撃たれたその数人は、洞穴の奥底から睨む蛇の光を見た、蛙のように固まり。
掌から石が零れ落ちた。
こんな時。戦いで培った無いのにやたら良い目があると、困った物だとライは思った。
相手が分からなければ、怒りを平等に人々に向けられるが。
誰がフィラキに破片を当てたのか、ライには分かってしまい、怒りを集中させてしまう。
働き盛りの若い、くすんだ黄色髪の男に。
少し皺のある、痩せてる栗毛髪の女に。
衝動に身を任せ、骨人を象徴する漆黒の武具によって命奪う事も。
首にぶら下げた、白竜の目のペンダントを使い。身分の力により、死に近い苦を与えることも出来る。
どちらもライの骨に染みた殺人技術、やたら意味を持ってしまった口先で出来てしまうのだ。
相手が望むならば、ない目だけで忘れることのできない恐怖を叩きつける事も、ライは出来る。
「ライ」
しかし、静止するかのように名を呼びかける者の言葉に、ライは腹立たしい汚石から、対照的に美しい琥珀へと目を移し。
怒りを飲み込み代わりに、フィラキに毒を零す。
ある意味、フィラキの傷は自業自得だからだ。
骨人であると、人々に露見した時。
ましてや、そんな時にライに近づき、仲間のように振る舞ったら。今回のようにフィラキには意味あるなし関係なく、多少は傷付くことなど。
熱した鉄板に触れたら熱いと分かるくらい、分かり切っているはずだからだ。
「馬鹿が、今来たらこうなることくらい分かっていただろう」
来たタイミングからして、事情が分かっているのならば。
素知らぬふりして、あとで合流すれば、フィラキまでも、敵意にぶつかることはない。
フィラキがそんな振る舞いをしたところで。
ライはそれを理由に、フィラキを嫌うことは絶対にないと公言出来る。
どう言い繕っても、己が骨人である。これ以上の理由はないからだ。
しかし、その骨人の傍にいる。
ただ、それだけで謂われない悪意をぶつけられるにも関らず。
酔狂な女、フィラキは敵意の渦の中で、平然と笑い。
「こんなことくらい。どうってことないわ。アンタが寂しそうだったし」
琥珀を輝かせる瞳を悪意によって、曇らせることも。
現実から逃れるように、俯かせることもなく。
高位置にあるライのない目を覗き込むようにフィラキは告げ、薄い唇が微笑み歪む。
「……寂しがってねぇよ」
ただの骨人と札を貼り、人ではなく化物と一方的に敵意をぶつけられる理不尽。
そんな理不尽を、理不尽を行う人々を、ぶつけられた側の孤独を知らぬ者達を、ライの器では到底許す気はないが。
利にならない行動をするフィラキに、ライは突き放すような言葉で返したものの。
思わず、骨の硬い顔が綻んだ気がした。
これは紛れもなく。フィラキの功績だ。
フィラキがいるからこそ感じられた、ライの安らぎだ。
山のように積み上げられた金銀財宝であっても、決して比較するに至らない。
ライの財産だ。
いつの間にやら、二人は笑いながら歩いていた。
周囲は何を突然笑い出したと、気を疑い勘ぐるが、ライとフィラキはお構いなしに笑い続ける。
なぜなら、理不尽が舞っていようが。
一人ではない。
隣には共に傷つくことを厭わない、信頼できる相棒がいる。
主人と奴隷と言う立場こそあるが、そんな立場は二人にはちょっとした刺激の種にしかならない。
そして、これが武器を振らない、権力も振らない、針のような暴言もない。
ただ笑い歩く。
ライとフィラキの人々に対する、実に穏やかな反撃であった。
「止まれ骨人!白竜様の眼下に当たるこの白き清浄なる世に、貴様の生きる資格はない!」
しかし、いよいよ投擲が止まり。
同時に、安全圏から身を抜け出してでも、攻撃する気概はある街の警らや兵士。
教会で駐屯する白を基調とした防具に、爪の本数だけ評価のされる。一本爪のペンダントを身に着けた複数の白竜爪兵。
その他多くの日々の仕事で多少なり腕力はある市民達が武器や、倉庫にあったであろう工具を持ってライを取り囲む。
けれども、ライとフィラキはお互いを見やり、ほとんど同時に顔を引き締め直した。
だが、互いに余裕があった。なぜなら、仮に戦うとしても、彼らは相手にならない。
そして本気で自分達を排する気でいるのならば、百人の雑兵よりも一人の猛者が必要だ。
「やれ、フィラキ」
その証明のようにライの一言で、大半は片が付く。
長い睫毛の下に隠された至高の琥珀。
美しく輝く玉には必ず、守護の力があるものだ。
フィラキの眼に宿る力。
完成が低い者ならば、発動後見ただけで体の自由を奪う縛眼の力により、すでに大半の人間はフィラキの支配下だ。
相性の悪い者やら強者には、どこまでも無意味な力だが。
弱者には、絶対的な力だ。
体の自由が効かなくなったことに、困惑する表情もろくに浮かべることが出来なくなったまま。
ただの肉壁となった者達を掻い潜り。
無垢あるいは神。白竜の大いなる力を象徴する、白色を基調とした防具を身に纏う白竜爪兵が現れる。
「俺が相手だ骨人!」
若い、フィラキと同年代程度の血気盛んな白竜爪兵の男が。静止した周囲の状況に、困惑と恐怖を入り混じった声を震わせるが。
仮にも、化物腐物を操る黄金教団と戦う為の者達。上と下の実力差は大きいが、その中には未来の白竜騎士もいる。
普段より並外れた敵に対するときの為に鍛え、身に宿した完成。
そして戦いへの意気込みは並ではないのだ。
フィラキの縛眼を辛うじて耐え。
武器にこれまた白を基調とした。白竜爪兵ならば支給される良質な剣を手にただ一人。
首にある爪のペンダント、その存在意義の為に、ライに剣先を向けて、真っ直ぐに走る。
「威勢はいいな」
馬鹿の猪突と笑う者がいるかもしれないが、ライはこういった手合いは、嫌いの一言で片付ける性分ではない。
少なくともこの兵士は、動けぬ人々の中。未知への恐怖に臆し、群衆に混ざることなく。
一人で立ち向かうだけの意志と勇気はあるのだから。
それ故に、その他多くと捉えていた人々から、ただ一人敵となった若い男に。
もはやライは戦いを辞さない。
幸い相手は自身と同じく、どれだけ言い繕うが兵士、戦いの人。
ライにとって戦をする者は、命を奪うつもりで来ているのならば。
最低限奪われるくらいの考えを持って、戦いに挑んでいる。
そうライは思っている。もっとも相手がそう思っていなくても、ライには関係ない。
こればかりは自己完結に尽きる問題だ。いちいち相手の心情、事情全部くみ取るほどライは人が良くはない。
相手が戦う意志を見せた、ライも戦士としてその意志に応じるだけだ。
フィラキはライの意図を察し。細い胴を折り主に一礼すると、一歩引く。
代わりにライは、大きく一歩踏み。
「うわぁああああ!」と、骨人と言う未知の存在に挑む恐怖、骨人という許されざる悪に対する怒り。
それらを塗り潰す。
戦闘の高揚を声に表し、剣先で突こうとする相手に。ライもまた、大股で走りながら間合いを詰め。
剣と剣がすれ違い、重なるほどの接近した両者。
しかし、経験故にさらりとライは爪兵の剣を避けると、引き抜いたサーベルの一閃を持って。
相手の鎧がもつ堅い障害なぞ、知らぬとばかりに鎧ごと圧し斬り。
鋭利なサーベルの線は、爪兵の男の肩肉を割き、血が噴出。
また、広場が血に汚れ、戦いに勝った者と負けた者が生まれる。
「ぐぅああ!」
サーベルに身を切り裂かれた痛みに、苦悶の表情と声を零し。
膝を折った爪兵に、ライは戦う意志が消え去ることを確認した後。もう用はないサーベルを鞘に納め、戦いの終わりを言葉にすることなく告げた。
あとはフィラキの眼で終わる。
傷を負って血が流れ出ることは、痛みと近づく死の恐怖により意志の惰弱化を招き。
相手の本来持つ実力。完成を弱める。
弱まったのであれば元より、無理をしていたのだろう爪兵の男に、フィラキの縛眼の効果が及ぶのは当然だった。
爪兵の男はもはや、出血箇所を手で押さえる程度の動きしかもはやできない。
ガチャリガチャリと、ライの錆びた甲冑が擦れる錆音が。さながら死神の心音のように生者達の恐怖を掻き立てる。
この場において、生殺与奪を握る絶対なる王はライ。
動くことを許されるのは、王の僕である赤髪の君。
例え数刻も満たぬ時間で、王座を追われることになったとしても、この場にいるすべての生は今、悪しき骨人に握られている。
この事実は決して変わらない。
民草に許されるのは、王に媚びへつらい許しを請うのではない。
ただ染色された石像のように動かぬことだけだ。
もっとも、くどいようだが、ライは最初から誰も殺す気はない。
多少流血はあったが、爪兵の男の立ち向かい出来た傷は決して恥ではなく。
負けて死ぬのではなく、負けて生き残ったのだから上等だろう。
それで問題があるとしたら、爪兵の自尊心の問題だろう。
個人的に腹が立った、だから殺す。
それは、あまりにも幼稚、いや化物寄りの考えだ。
骨人を腐物化物と同一視する者が多いが、だからと言ってライはそれに応える必要はない。
殺さないという選択肢は原則勝者の特権であり。その選択肢をしても良いと思う相手ならば、ライはそちらを選んだだけだ。
それだけに過ぎないのだ。そこに情はない。
そして、僕であるフィラキは、ただ主に従う。




