本章-1 旅の準備5
「よくない」
「……何だ、お前」
テーブルに近づく、背が低い正人の男が一人。
酔った様子はないが、汚れた浮浪者に似た雰囲気。
少なくとも、身なりはお世辞にも良いとは言えず。
何より目が、纏う気配が正気の人間とは少し違っていた。
ライは普段からフィラキという、やたらと目に惹いてしまう女を連れているだけあって。
過去の経験から基づく感故に、ライの左腕はすでにネージュを庇う様に前に出されていた。
「あ……あぁ……」
そして、ネージュがどこか男に怯えていることを悟ると。
ライの中で、男に対して敵意と、ネージュを守る事に対する使命感が同時に沸き上がる。
これも意志無き骨人の影響が、多少なりともあるかもしれないが。
ライは成人した大人で、ネージュは保護すべき子供。
ライにはネージュを守る義務があるのは確かで。
今回ばかりは面倒な感情な抜きにした、ライの意志だ。
「独り占めはよくない」
「何の話だ」
脈絡のない言葉に、ライは鋭い視線を送ってみるが男は意に介さない。
何故なら男の視線は、殺意込めてすぐにでも戦える気構えにいるライよりも、ネージュへと向けられていたからだ。
そして、ブルりと体を大きく揺らしたかと思えば、男の視線は殺意となり、そのままネージュへ向かう。
「大いなる意志様を独り占め。よくないぞぉおおおおお!」
「ネージュ!」
「きゃ……」
瞬時に、ライはネージュを抱えて、男から距離を取った。
そうでなければ、ネージュは男から放たれた長い針に刺されていたからだ。
「尻尾から……毒かアレは?」
観察するライの言葉通り。正人であるはずの男から、いつの間にやら尻尾が生えていた。
尻尾の先には、さながら銃口のように、光届かぬ故の黒き穴があり。
そこから腕程の長さある針を飛ばしたのだ。
挙句、その針はただの針ではないらしく。針の形を保てず溶けたかと思えば、鼻を刺すような危険な臭い。
人が無知だった時に身を持って、命の危険があると警告する臭う液状の毒へと変えた。
「な、何だあいつは!?亜人!?いや、化物だぁ!」
「いやぁあああ!!」
男から尻尾が生えかと思えば。
元の体を脱ぎ捨てるようにして姿が変わり始め、やがてライよりも一回りは体が大きくなり。
本来の肌色らしい毒々しい緑肌の化物が現れ、化物は擬態していた人の形から本来の化物の姿へと戻る。
その姿を見た者達の混乱から始まり、広場は騒然となり。
走って逃げだす者、恐怖のあまり縮む者とおおよそ二つの行動を取り始め。
そういった行動を起こすものが増えれば増える程、周囲はさらに混乱としていく。
そんな中ライは、理由は知らぬが。狙いを引き受けてしまっているネージュを抱きかかえたまま、次から次へと足場。
広場に点在する机に着地して粉砕し、また跳躍を繰り返して針を避ける。
或いは、虎意匠のサーベルで針を斬るのではなく、地に叩きつける。
毒に対する知識は、ライはそこまで深くはないが。
少なくとも毒液が当たるのは当然のこと、嗅がせるのも危険と判断し、やたらと毒液を周囲の建物に付着させないよう広場内に被害を収める為だ。
化物による被害を出さない。
ネージュを安全にさせて、殺す隙を探る。
冷静に、対化物の専門家である白竜騎士として、体はこの両方に応えているライではあるが。
頭の方は、戦いのさ中であるが上の空で。
化物がネージュを集中的に狙った理由を考えていた。
(大いなる意志を独り占め。状況からして、化物が言うには、ネージュは大いなる意志とやらを独り占めにしている。だから、ネージュを狙っているということになるが……どういうことだ?
化物達は口を揃えて、大いなる意志という、共通した認識を持っていることは知っているが。そもそも大いなる意志とやらが、何年経っても分からんからな。まったく!)
理由を考え、答えを探るが見つからない。
改めて白竜騎士という大層な身分がありながらも、分からないことが。
今も昔も、世には謎が多すぎることにライは嫌気がさす。
だが、なんにせよ自身よりも狙われて。間違いなく骨だけの骨人ならともかく、肉と血のある体には悪影響ある毒を出す相手に。
少女程度の力しかないネージュを抱えたまま戦うのは、どう考えても不利であることは間違いなく。
狙いを自分に向けられないか、とりあえず攻撃でもしてみるかと、ライは思案しながらまた跳ぶ。
ライの左腕に抱えるネージュの重さが、今そのままネージュの命の重さと同義だ。
「ライ。あれ人が……」
「あれは人じゃない化物だ。黄金教団が生み出した奴か、勝手に発生しやがった野良の奴か知らんが。人を襲い、人を喰らう。だから化物だ。殺す」
「違う」
「……違う?」
しばらく静かに抱かれたままであったネージュだが、化物を初めて見て、腕の中で震えるネージュ。
その口から放たれた違うという否定の言葉に、ライは問い返すと同時に。
血の気の引いて青くなり、そして吐き気すら堪えるかのような表情を浮かべるネージュに。
毒の影響かとライは、ないはずの肝を冷やす思いをしたが。
しかし、ネージュが堪えているのは、もっと別のことだった。
「すごく苦しんでる」
「苦しんでいる?……どういう」
苦しんでいる。そうネージュは言った。
そんな馬鹿なと思いながら、ライは何らかの事情があるように見える、ネージュの言葉ならばと。
改めてない目に映る、毒針を飛ばす化物の顔を見るが。
そこにはやはりというべきか、にたりとした笑み。
ライは嫌というほど見たことある、自らを強者と疑わず、だが弱者を嬲ることにはやたら熱を出す。
そんな薄ら寒い笑みを浮かべている下衆の顔にしか見えなかった。
しかし、ネージュの言葉が嘘のようにはライには聞こえず。
悲痛な叫びを堪えているかのような。
ネージュの雰囲気に、ライも思わず呑まれ。
物は試しと、声を張った。
「化物よ、何故この娘を狙う。貴様と因縁があったか、答えろ!」
「その娘が、大いなる意志様を独り占めしているからに決まってるだろ」
「では、大いなる意志とは何だ!」
「様をつけろ!薄汚い錆野郎がぁ!意志様を馬鹿にする奴は皆股に俺の針打ち付けて殺してやるぅ!!」
「何故貴様ら化物は大いなる意志とやらに従う、崇拝する!」
「黙れ!黙れ!黙れ!黙れ!お前も殺す!意志様を独り占めするその餓鬼は犯して殺して、犯して殺す!!」
「…………」
「意志様が俺に囁くんだ……もっと人を殺せ、完成を高めよと、究極の完成に至れとぉおお!!」
化物と会話する意味がない、人は人としか会話できない。
分かってたよ。そう代弁するかのような重い溜息をライは零し。
沈黙を持って、会話を一方的に打ち切ることにした。
そもそも会話が成り立っていたのは最初だけ。
何より、元より生かすつもりはなかったが、ライには化物は長生きはしたくないと言っていることだけはライには伝わった。
だが一人。そうでない者がいた。
「じゃどうして、そんなに苦しんでいるの?」
ネージュはライの腕からすり抜けると、化物に歩み寄りながら語り掛ける。
それはあまりにも自然すぎて、また危険な化物に向かう者がいるはずがないという固定概念が。
ライが腕からネージュがいなくなっているこに、気付かせることを遅らせた。
「………………うぅあ?」
そして化物の反応も、普段ライが知る物とは違っていた。
戦闘時であっても、殺せる弱者がいたら片手間に人を襲い殺しにかかる。
それが化物の習性だ。しかし、化物はネージュを見て、襲う所か。
ネージュの輝きを増す一等星の瞳、そして全身から放たれる無色の圧に、化物は怯え竦んでいるようにライには見えた。
「苦しんで、苦しんで、貴方は少しずつ削れてるのに」
歩み、丸腰のまま化物へ近づくネージュ。
誰がどう見ても危険だ。化物がその気ならば、ネージュはすでに殺されている。
だがライは、何かに命じられるように体が動かせず。いやそれどころか、動かせないと認識させないほどのネージュに見惚れてしまい。
ネージュの歩みを止めることができなかった。
「それでも貴方は完成、究極の完成になりたいの」
ライは止めない、当然のように周囲の人間も誰も止めない。
ネージュは化物の前に立つ。
それはさながら礼拝堂の講壇立つ教役者、化物は罪を告白せんとする罪人。
「貴方は消えたくない。違う?」
肉石がなければ、化物は制御できない。制御できるような物は化物と呼ばない。
それがライの常識だ。しかし、ライは周囲にいる人々は今奇跡を見ていた。
どこから見ても少女過ぎないネージュが、見るからに恐ろしい化物を相手に。
ただその前に立ち語り、化物を圧している光景。
ネージュという大いなる存在に、人々は巻き込まれた。
「俺は、俺は!意志様がぁ!お前がぁ!」
それは化物も例外ではなく、ネージュに巻き込まれていた。
激しい動揺や混乱が、人肉を引きちぎる腕力、牙。そして、体内にて生み出される毒。
あらゆる手段で目の前の少女を殺せるはずの化物が、自傷しながら取り乱す。
ネージュという存在にもっとも影響を受けていたのは、間違いなく化物であった。
「貴方の意志はどこですか」
けれども、その言葉が引き金のように。
薄気味悪い笑みも、混乱による苦痛とも違う。
真顔、ただし意識はライでもネージュでもなく、天。
空へと向け、そして神が化物を見守っていたかのように、刺すような白光が化物に降り注ぐ。
「おぉ大いなる意志様、導きの声が」
少しばかりの沈黙の後。
化物は両腕を広げ、神々しい物を拝んだかのような恍惚として表情を浮かべ。
意識を視線を再びネージュへ。
そこにはにたりと薄気味悪い笑みが浮かばれており。
紡ぐ言葉は。
「究極の完成へ至る、大いなる意志様の導き、殺させろ」
「ネージュ!!」
体を停止させていたライを再び戦に駆り立てる十分すぎた。
化物が放つ毒針がネージュに届く前に。
ライはネージュを再び抱きかかえて、先ほどと同じく跳躍を繰り返す。
「何をしてるんだ……!アレは化物と言っただろ!危険だ!二度とあんなことをするな」
「白い光が空から注いで、消えちゃった……」
危険なことをしたネージュに、ライは叱り付けるが。ライ自身、ネージュの行動とそれによる光景に見惚れていたこともあり。
悲しそうな表情を浮かべるネージュを相手に、ライはそこまで強い声音を出すことはできなかった。
だが、もはやネージュの出番はないだろう。戦うことでしか事態は解決はしないことはライには目に見えていた。
展開のない逃げを続けてきたライではあるが、攻勢に打って出ることにした。
元より、並みの人よりも死が遠ざかっている骨の体、攻勢こそライの真価が発揮させるのだ。
腰からぶら下げる鞄の中で眠る、毒草彫刻の短銃を取り出す。
相手がネージュを狙っているのであれば、無視できないよう重い一撃を与える。
ライの考えはいたって単純だ。
短銃の狙いを化物につけて、右手の引金に指をかけ引く。
「……ころすの?」
その直前で、右手に柔らかく。
けれども確かに引き金を引く事を抑えようとする力が加わり。
ライは睨むような視線をネージュへ向けるが、別の意味で化物すら畏怖させるライの眼力を受けても、ネージュはまったく怯えることなく。
言い慣れてはいないだろう言葉を口にして。
化物とは言え命を奪うこと、その意味をライに問いかける。
問いかけるには、もうあまりにも多くの化物をライは屠ってきたというのに。
「…………」
「ころしちゃうのライ。あの人あんなに苦しんでいたのに……」
本来化物が元人であることは、公では伏せられているにも関わらず。
直感か、あるいはフィラキのように特別な力を身に宿しており、化物が元人であるとネージュは悟り。
あの短い会話で、その後の今の仕打ちを見て、それでも尚化物には元人しての情があるとでも言うのか。
何故化物を殺すことをネージュが止めるのか、ライには理解できない。
そしてライは思った。ネージュは異常だ。しかも今回は悪い意味で異常すぎる。
情を移すのは結構だが、情を移すにしても化物であれ、人であれ相手は選ぶべきだ。
どれだけ化物になった者がネージュから見たら苦しんでいようが、放っておけばただの大量殺人鬼以外の何者にもなれない。
そんな化物達をライは救う術はない。
ただ殺すことによって、化物を正しき死へ還すしかできない。
「あれが、あれらが殺さないで済むような物だったら。死に還す必要がない者なら、どれ程よかっただろうな……そうだ、あいつらが苦しんでいようが殺す。見たくないなら目と耳を閉じてろ」
今回ばかりは一切譲る気のない、有無を言わさないライの気迫に、ネージュは一度化物へ視線を向けるが、頭をうなだれ。
両の手で耳を閉じるが目は開いたままで戦いを見守ることは決めたようだ。
そして、これ以上何一つとして言葉は発することはなかった。
ライは今度こそ自らの体の全てを戦に没頭させる。
すると、目に映る周囲の光景が少しぼやけ始め、代わりに目標。
化物の動きの一つ一つ、縮れた毛先の一本一本の動きすらも読むほどの集中力を発揮させ。
化物の胴、どこかに当たれば確実に損傷を与えられる部位に、短銃の狙いを定め、邪魔のなき引金を引く。
ドゴォと、爆音が鳴る。
同時に、火薬の衝撃がライの全身を走り、ネージュも少しばかり苦し気な声を漏らす。
「んがぁあああああ!!」
飢えた猟犬の狂奔のように、空を穿ちながら飛翔する職人達の魂の結晶は。
人を愉快に喰らう化物の体内の肉を破裂させ、出血させ、そして燃やす。
その苦痛は化物であっても、悲鳴を上げさせるには十分だ。
だが、それまでだ。
普通の人間ならば、胴に大穴空いたら、瀕死に追い込まれるが。
化物はその程度では、まだ倒れない。
それどころか、今までは前座に過ぎないとばかりに。
化物は四つ這いになると。
両腕がさらに肥大化すると同時に、前腕は金属のような光沢放つ鎧に包まれた。
そして、化物は突進を始める。
ライが壊した机の破片を吹き飛ばし、石畳を粉砕し。
真っ直ぐ、真っ直ぐ。ネージュが指差す方向。
「ライ、人が!」
「これで分かったろ。だから化物なんだ。あいつらはッ!」
広場に起きた最初の騒動で逃げ遅れていた、親子の元へ。
理由は、弱き親子の血肉にもある。
あらゆる生きる者が、必ず微量は持つテロスを喰らい取り込み。
銃によって傷ついた体の傷治りを早くするためだ。
姿形を変えて、食事をし、その後改めてライと戦う算段なのだ。
一切の悪びれることなく、無知で罪なき者を、己の利益の為だけに喰らい殺す。
あまりにも分かりやすい化物像だ。
そんな化物相手に、情を移す必要は一切ない。
「うわぁあああああああ!!」
「お父さん!」
幼い子を庇う様に、父親は化物に背を向ける。
その命を賭した行いは、親が子に与える愛の中では、最上の自己犠牲であるかもしれないが、無意味だ。
化物がその程度で止まるはずがないのだから、親も子も食われるのがオチだ。
化物を止めるには力が必要だ。
(間に合え!!)
ライは抱えていたネージュを置いて、地を蹴り飛び出した。
親子を見捨てて、周囲にいる人々を撒き餌代わりにして、ネージュと共に逃げ出し。
あとは街の兵や、白竜教会が抱える白竜爪兵に後を任せる。
そんな選択肢をライはする気はない。
助けられる力がライにはある。力がないなどという言い訳はできない。
助けられる時間がライにはある。時間がないなどという言い訳はできない。
言い訳して、逃げることができないならば。
必要なのはせいぜい、ひとかけらの勇気ぐらいだ。
ライは駆け、たどり着いた。
親子を喰らおうとする化物、その前に躍り出る。
「おおぉ!」
引き抜いたサーベルで硬質化している右腕を、同じく引き抜いたハルバードで同じく左腕を迎え撃つ。
「死ねぇい!!」
そして、親子狙う尻尾の毒針を、どうぞとばかりに顔面を向かわせ受け止める。
「――ッ!」
頬骨に針が勢い良く刺さり、頬を拳で殴られたかのような痛みが走る。
だが、骨人の体はたったそれだけの痛みで済ませた。
アーメットの中で毒液は収まり、親子達に一切被害がない。
そして、骨しかない骨人には、毒の効果は表れなかった。
「騎士様……!」
呆けている親子に、ライは間に合ったことに僅かに安堵するが。
すぐに、ガチンと金属板同士がぶつかりあったと錯覚する程の音を立て。
ライは歯を食いしばる。
すでに目の前には、化物の尻尾が振り下ろされていた。
狙いは、ライの頭。
本来のライには避けられる一撃ではあるが、避けたその先に、まだ腰を抜かしたままの親子達がいる。
受けて立つほか、ライにはない。痛みの覚悟を決めるには十分だった。
「……かかってこい!」
「邪魔だぁあああ!」
今度は拳ではなく、太い鈍器で殴られたような痛みが走る。
だが、痛みを覚悟をしていたライの骨の体には、少しヒビが入っただけで大きな損害はない。
右腕の赤い腕輪。アインの聖刻具にライの中に流れるテロスを流し込めば、治癒の炎が発動し、骨の傷は癒せる。
(こんな時に飛びやがって!)
しかし、ライにはそれ以上の問題が起きた。
尻尾の攻撃を受けた際に、ライの視界が"晴れた"。
化物とライの戦いを、食い入るように見ていた衆目の前に、ライのアーメットの下にある。
骨の頭が晒された。
「骨人だ」
誰かが、そう呟いた。
それが切っ掛けで、再び混乱が始まった。




