本章-1 旅の準備2
少し高い位置に、展示されている服を見るネージュの、一等星の眼は。
憧れる物を見る子供でも、値踏みする大人でもなく。
無をそこに漂わせていた。
ただ、それが無垢なのか、無知なのか。
議論を始めれば、おそらく日が暮れるだろう。
何故なら、古着屋にいる誰もが、一目その姿を捕らえれば、少し足を止めて。
古着屋へ注ぐ陽光により、輝く青と白の髪と白い肌。
見上げる彼女の星の耀きに。
フィラキのような色香とは違う、崇高な物を見た時のような感動に見惚れ。
そして、無意識に彼女を抱く気持ちを考えるのだ。
あれは、己が着る。つぎはぎのある、みすぼらしい襤褸服と。展示されている服を比較して、憧れを抱いているのだ。
いやいや。あれは、嘆いている。そう、己が服があまりにもみすぼらしく、その服を着るような境遇に、嘆いているのだ。
違う違う、あれは計算高く。どの服が一番価値があるか、分かっているから見ている、誘う視線だ。
いやいやいや……。誰もが悩み、そしいっそ本人に、聞けばよいではないか。
そんな考えが思い浮かぶが、誰もが首を振る。
それこそ、無理難題なのだ。
少女においそれと問いかけるには、場違いに安い服であっても穢すことの出来ない。
場違いなまでに、高い気品を少女は持っているのだから。
恐れ多くも声をかけることなどできはしない。
「どうしたネージュ」
しかし、先ほどの赤髪の美人の女と痴話喧嘩していた。
錆びた甲冑の男の連れと分かると、場は一瞬慌ただしくなった。
少女は何か騎士に弱みでも握られて、連れ回されているのではないか。
実は少女は、お忍びで古着屋に来た貴族で。錆びた甲冑の騎士とは、本来立場が逆ではないのか。
あることないことを、周囲の人々は色々と考えだしたが。
結果的に、不吉そうな錆た甲冑から発する威圧感が、人々にこれといった行動をさせない。
そして、人々の考えを露も知らない。
また、知る気もないライはネージュの視線の先にある服を見て、指を差して問いかける。
「あの服が欲しいのか」
「ううん」
「何か、気に入った服はあったか?」
「……分からない」
「ないじゃなくて、分からないか……」
だが、ネージュの返事にはどうしたモノかと。
腐物化物黄金教徒を屠る、白竜騎士ライが思わず白旗を上げたくる程の難問が立ちはだかる。
ライには、フィラキのように、分かりやすい嫉妬や物欲をぶつけてくる方が遥かに可愛く見えた。
それほどまでに、ネージュは表情から、考えが読み取れないのだ。
ライは、それでも何とかネージュの好みを聞き取ろうと試みる。
それなりに料金がかかる服を贈るのだ。贈る相手の好みに合った物でありたい。
それが贈る人としての心情としては、至極当然だった。
「何か好きな色とかあるか」
「好きな色?」
「あぁ例えば……俺は赤色が好きなんだ。夢物語に出てくる英雄達は、皆決まって赤いマントを着て。それを翻しながら戦い、活躍するんだ。
幼心にその姿を夢想して、憧れたものだ。まぁ色々と理由あって、俺には着れなかったけどな……なんにせよ、そういった好きって色だ。俺のように大げさな理由なんていらない。これだって思う色はないか?」
「……分かんない」
しかし、熱心にネージュの理解を深めようとするライに対して。
ネージュの反応は、淡白であり。何より心躍るようなものではない。
肩を落として、ライは心中ため息を吐く。ライとて、会ってきた者全員、むしろ過半数は馬が合ってきた訳ではないが。
ネージュは特殊過ぎた。
石から生まれた出自故なのか。
合う合わない以前に、別の問題。
まるで知識だけはもっているが、好みも嫌いも明確でない赤子を相手にしているような気がして、ライはならなかった。
ライは、アーメットを拳で叩き、チンチンと音を立てる。
そして、色関連で問題を取り上げるのならば、ネージュの眺めていた展示品の服の色は、紫だ。
紫に染色された布は、古くから特権階級のみに許された。
或いは特権階級にしか、着ることが出来ない程。手間暇がかかる為に値が高く、貴重だった色だ。
名残で錬金術師が、人工染料が生み出された後でも、天然物で染められた紫は高い。
古着屋では天然染料故に、最も高いのだろう。だからこそ、目立つ位置に、置かれているのだ。
ライの懐事情では、展示服を買うのはまったく苦ではない。
何故ならライも、見た目こそ放浪騎士だが一応は白竜騎士と言う、特権階級側の人間だ。
特権階級であり続けるための仕事をしなければいけないが。
支配される側の人間の、恨みと労働を引き換えに、金はたっぷりと貰っている。
だが金があるからといって、使う人の感覚がまるで駄目とあっては、金は勿体ないものだ。
ネージュ白と青の髪に、濃い紫布の服。
薄ければまだ考慮するに値するが、濃い紫はライの感覚にはピンと来なかった。
「まぁ、あの色はお前には合わんだろうな」
「そうなの?」
(なんでそこは食いつくんだ)
何気なく呟いた言葉に、想定外にネージュが食いつき。
ライは心の内で焦りを瞬く間に噴出させていたが、一度言ってしまった言葉を取り消すのは。
騎士として、男として格好付かない。
何より自身の規則に反する。だからライは、思ったことをそのまま口にした。
「あぁ。お前の髪色を思うと似合わん色だ。アレは」
「そっか……」
だが、それでもなおネージュの反応がこの始末だ。
否定されて、共感している訳でも、むくれている訳でも、悲しんでいる訳でもない。
ただ無だ。無感情だ。
強いて言うならば、他の服へ視線を動かしたくらいだ。
ライも困惑が勝る苛立ちを覚え。
「はっきり好みを言え!」
そう、怒鳴るような強い言葉を言った方が。
上品ではないがネージュ自信に行動を起こさせるには、存外良いのだろうかと思ったが。
言った所で、フィラキのように。
「こっちだって色々と見て考えたいのよ!少しは気遣いとか出来ないかしら、アンタは!?」
そう、殴ったら殴り返すような気があるならまだしも。
きょとんとした顔をして。
「ライ、どうしたの?」
意味不明とばかりに。疑問符を浮かべた顔をして流される。
そんな光景を、ライは容易に想像出来てしまい。
ライは、アーメットを拳で叩き、チンチンと音を鳴らした。
「どうしたものか」
「ライ、どうしたの?」
「……何でもない」
そして、想像通りの表情と答えが、己の癖によって現実となったことに。
ライは苦笑いを、一つ。
骨の顔では笑みという物はないが、それでも浮かべるように努めた。
ネージュに、確固たる意志が感じられない。
人として形成するナニかが、あまりにもふわりとしている。
とてもあやふやだ。
きっと何かの形にはめ込めば、ネージュはその形になりかねない程に。
だが、ライが嫌う。
大いなる意志なる存在に、操られている。化物腐物のような、腐った意志のない目ではない。
ただ漫然と川に浮かぶ葉のように流されるだけの、つまらない者たちの腐った目でもない。
腐っているとは、少女が持つ一等星の輝きの前には、骨が裂けたとしてもライには言えない。
だからこそ、ライにはネージュが分からない。
人がそれぞれ持つはずの、色がネージュから見えてこない。
ライは考える。
いっそのこと、本当にネージュは赤子とまで認識すれば解決するのではないだろうかと。
体と知恵は少女、心は赤子。
それを育てる自分は兄か、叔父か、父親か。
ライは、そこまで考え。
血肉がない骨人が、血に繋がる者達のみ許される特別な呼び名を使うのか。
血の通わない骨如きが、馬鹿馬鹿しい。
ライは強く首を振る。あってはならない、そう思い込むように。
「仕方ない。俺が選ぶか」
最初から、女物を探しているのだから。
文句を言われることは間違いないが、素直にフィラキに頼んでおけば良かったかもしれない。
採寸を勧めたのは自分自身とはいえライは、少しばかり後悔しながらも。
「ネージュ、来い」
ライはネージュを手招きして。
小首を傾けるネージュの前に、ガバリと掻っ攫った服を手にし。
「お人形遊びはしたことないが、やるだけやってみるか」
ネージュの、うんともすんとも言わない、まったく反応がない反応にライは苦心しつつ。
ライの好みや実用性を兼ねて、そして納得いく。
ネージュの服装が決まった。
やや灰味の白色の長袖のシャツに、薄い茶で短いズボン。
そして、一度細いベルトを腰に巻く。
動きを阻害することがない、これがネージュが室内で過ごす軽装だ。
さらにこの上に、一年通して着ていられる。
着脱しやすく、生地が厚く丈夫なので、気持ち程度の防具にもなる。
銀の無地ボタンが二列並ぶ、武門の名家の女性が着ていただろう。
フリルがついた服にはあるような可愛さはないが。だからこそ、佇むだけでも十分凛々しさを感じさせる。
銀糸で仕立てられた、深い青色の軍服意匠の落ち着いたワンピース。
首元には、ワンピースの襟を通して、白いスカーフを巻き。
最後に、華奢なネージュの体には、まだサイズが合ってないワンピースを留める為。
内側の細ベルトの位置に、ワンピースに元から付属されている。
可愛げの欠片もないベルトに被せるように、純白の布でリボンを結び。
適当な靴下を選んで完成だ。
元々、ネージュと言う素材が良いだけに。
衣服が多少だぼついても、ネージュの持つ気品は損なわれていない。
その証拠のように、着替えを終え。
周囲の反応を見るべくネージュの新しい衣装をライはお披露目すると、周囲から感嘆の声が上がった。
ネージュの気品と纏う服が、完璧とまではいかずとも。釣り合ってきたのだ。
もはや古くからある良家の令嬢と言っても、見た目のみならば騙しきれる程だ。
しかし、これではまだ防寒は不十分だった。
本格的な冬を向かえ、空気の流れを知る農民達が鎌を持ち始めた頃には、ネージュの体は寒さで震えるだろう。
骨人故に近年は暑さ寒さにやや鈍感になってきたライではあるが、最初から冬の寒さを知らぬ身ではない。
ネージュの為にも、防寒具が必要だとは思っているが。
あくまでも今ライ達がいる店は中古店。どうせ用意するならば新品がいいだろう。
もっと良い生地から服を取り添えられる。エーリスに戻り、体に合ったものを作り着せてあげよう。
ライはそう思って、フィラキと同じく。ネージュの採寸をして貰い、後日に改めて服を贈ることにした。
「新しい服はどうだ?」
ネージュの服とは別に、新しい毛布も購入して。
銀銅と同じく、始祖聖王アインの三弟子の一人。聖賢人ラトニグスの大、小金貨合わせ15枚程を一括で支払い。
ライはネージュに恩を着せるつもりはまったくないが、それなりに金は積んだ。
きっと、喜んでくれるだろう。
せめて、ネージュが少しでも、反応してくれればいい。
ライは思いを逸らせて言葉を待つが。
「服?」
首を横へ傾げるネージュに、ライまでかくりと首を前へ傾げる。
服を買う前と買った後、まったくといって、見た目以外の変化がないのだ。
苦心しながら選んだだけに、ライは怒りはしないが落ち込んだ。
「新しい服の感想はどうだって、聞いたんだ」
そして、改めてネージュに服の感想をライはネージュに尋ねる。
可愛いだとか、綺麗だとか。何ならいい感覚と返してもいい。
そういった短い感想で欲しい、何かしっくりくる言葉をくれ。
ライは、深い青色の袖を、白く細い手で。
なでなでと服を触るネージュを見て、期待しながら待っていたが。
「ごわごわしてない」
違う。そうじゃない。
ライは再び、頭を前へ傾けた。




