本章-1 旅の準備
天と地もない、温もりの中で。
微睡みを振り切り、誰もが光を目指し。
祝福を願う様に産声を上げ。
光を掴み取るべく、生まれ落ちた。
けれども、その骨人は。
血縁が眠る、冷たい土中から。
砕けた骨で掘り上がり、胸には青い光を宿し。
二度目の産声を、怨嗟の唸り声に変えて。
その手には、溶け落ちた血肉より形成された。
漆黒の剣が握られていた。
一方で少女は。
見知らぬ船室、見知らぬ光景。
そんな中で、見覚えのある少年の姿を見て。
暖かくて、安心して。
少年の名を呼び。
そして、怒られた。
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1章:無色の天使
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ある昼下がり。
帰るわよ。
そう言って、手を繋ぎ帰る親子がいた。
その後姿を、青と白の髪持つ少女。
何の悪戯か、はたまた因果か。
一部だけ抜け落ちたかのような記憶の中で。
ポツリと取り残された名、ネージュ。
神。すなわち白竜により、死すべき敵とされている骨人でありながら。
白竜の代理人である聖王。
その直属である、白竜騎士を名乗る事が許される矛盾した存在、骨人ライ。
そんなライが、どこか願う様に付けた偽りの姓、ルクリア。
よってネージュ・ルクリアとして、青色の輝石から生まれた、或いは出てきた少女は。
親子を立ち止まり。じっと見つめていた。
「どうした?」
そして、そんなネージュを、何を見ていたのかは分からないが。
後ろからピッタリと付いてきていたネージュが、突然立ち止まり。
何かを眺めていた事には気が付いたライは、そう声を掛ける。
その声音は、たとえ子供であっても刺々しい態度を平然と見せる普段のライとは違い、多量のつるりとした柔らかさを持っていた。
「……何でもない」
だが、何でもない。そう言ったと通り。
ジロジロと見て楽しむような物ではなかったのだろう。
ネージュは首を振り。
テッテッと次の興味の対象へ、再び歩き出すとライも合わせて歩き出す。
「何でもないか」
しかし、ライは意味を見出すべく考える。
ネージュが見ていた物は何だろう。
菓子や、異国の物産を売る露店だろうか。
少し変わった形をしている、街灯だろうか。
手を繋いでいる、親子だろうか。
もしそれらを見ているのならば、見て何を思っているのだろうか。
向ける意識、考える内容はどこか、恋する乙女の思考に似て。
あまりにもらしくなく、困惑を誤魔化すように。
ライはアーメットを拳で叩き。チンチンと音を立てた。
そして、ライは思うのだ。
(どうして俺は、ネージュに心が惹かれるのか。どうして……何か、ネージュと深い繋がりのような物を感じるのか)
ネージュは黄金帰教団が持つ。
人を化物や腐物へと変える力を持つ白い輝石と、似た力を持つ青い輝石。
それが、どういう訳か人の形、しかも見眼麗しい少女へと変わった存在だ。
迂闊な事をした結果、何が起きるか分からない危険性があり。
また、ライ個人として、ネージュという少女に思うところがあり。
本営である白竜教会には適当な理由をつけて、ライはネージュを引き取り。
そして、すでに四日経っている。
黄金教団による。亜人が住まう村民達への扇動から始まったラタン村の件もあり。
ライは事後処理に忙しく。初日の除いて、三日間はネージュの相手をする暇があまりなく、目を合わせることもロクにできなかった。
だが僅かな時間とフィラキからの調査結果で、一つだけライには分かったことがあった。
ネージュは異常だ。
白竜教会や、その教会が伝えるテロスという考え、そして骨人。
読み書きや、簡単な計算に善悪の判断。
それら、白竜教会圏内で生きていく中で、大人達によって見て聞いて教わり、身に着ける。
大よそ同年齢の者達と大差ない一般的な知識を、ネージュは備えている。
つい最近石から生まれたにも関わらず、何故か備えている。
そして、この前提で。
ラタン村の混乱の中。人攫い同然な行いをした。
一般的な知識としては、危険とされる骨人相手に。
「なぜ大人しくいられるのか、家族は知らないのか、骨人は怖くないのか、自分は何者なのか分からないのか」
骨人であることを隠す、アーメットのバイザーを上げ。
骨の顔を晒し、強調するように骨人であることを示すライ相手に。
「家族は分からない。骨人は怖いって、どこかで聞いたことがある。でも、ライは信じられる」
そう、骨人であるライに、脅され怯えたから出た出まかせではなく。
確固たる意志をその一等星の瞳に宿し、ネージュは強くそう発言した。
故にその瞳を見てしまった。信じられてしまったライは、口をあんぐりとしてしまい。
何言ってんだこいつと、不快感を隠そうとしないフィラキはお互いに。
ネージュは異常だ。そう互いに判断した。
生まれてすぐに、親を追うアヒルの子でもあるまい。
11か12の、少なくとも一般的な、ある程度の判別のつく知識を持つ年頃の娘が。
見知らぬ錆びた甲冑の男、しかも忌み嫌われる骨人に、襲われると思う前に。
何を根拠に、信じられるなどと言えるのだろうか。
一応は同族と言えるライですら、骨人を見たら警戒するというのに。
だが、もしネージュに信じるだけの根拠があるとして。
それが、ライがかつて捨てたはずの名を。
もう知る人間は、誰もいないはずの本当の名を。
ネージュが知っていることに、関わりがあるのか。
関わりがあるから、つい引き取り手元に置きたくなるほど、心惹かれてしまうのだろうか。
思考するライから、ため息が不安と共に零れ出た。
「はぁ……」
思えば、ネージュの面倒をフィラキに押し付け。
ラタン村の件で奔走していたのは、ネージュのことを深く考えないように。
あるいはネージュを、見ないようにしていたかも知れない。
今となって、衝動的にルクリアという姓を付けたことに、ライは少し後悔していた。
だが、ライそう姓をつける程度には。
今は亡き。ライにとって初恋にあたる女性に、ネージュから縁を感じずにいられない程に、似ていた。
力と高貴の象徴、意味のある白色の強い髪と、輝く一等星の眼。
その特徴に、髪が青色が混じり。幼くなっただけにしか見えないネージュ。
幼少の記憶を、ライは全て覚えている訳ではないが。
ネージュの年齢を考えていたら、過去に出会っていた可能性は、確かにゼロではない。
だが都合よく。通りがかる者誰もが目に惹くような二色髪と、天にて燦々と輝く星に似た目を持つネージュだけを。
綺麗さっぱりと記憶から抜け落ちることが、あり得るだろうか。
それはない。
記憶力に自信がある訳ではないが、ライはそう思いたかった。
そしてここまで、女々しく。ネージュと、ライの初恋の女性、ルクリアとの繋がりを求めていながら。
どうかそのルクリアと、血は繋がっていてくれるな。
矛盾をライは自覚しているが、そう願った。
なんにせよ、ライには出生含めて、あるのかないのか分からない過去含めて。
ネージュには、色々と謎は残るが。
ライ達は一度エーリス戻ることには変わらない。
またその準備をしなければならない。
ライは一人悶々と悩みながらも歩いている内に。
懐が温かい商人や、ある程度大きな組織の親方、名うての職人といった層が良く使う。
彼らよりもさらに裕福な者達が。贅沢にも、たった数回着て売られ、流れてくる古着屋にたどり着く。
古着屋と言っても、物によっては、ほとんど新品と変わらない品揃えの店だ。
そこで購入するのは、これからネージュが旅をする為に、必要な旅装束の調達だ。
襤褸のような服で旅をするのは、防寒という意味でも。
他者から受ける評価という意味でも、幼い少女には酷という物だ。
何より、ネージュという素材が良すぎるだけに、襤褸服のままでは勿体ないという物だ。
ギッと重い古着屋の木扉を開けると。
目に飛び込むよりも先に、天然染料か。
或いは、錬金術により作られた錬金染料で染められた。
染色剤の多彩な香りが飛び込んだ。
「さーて何にしようかな」
「お前は後日な」
古着屋に入ってすぐ、自身の服を探し始めたフィラキを窘め。
ライもいくつか、同年代よりも全体的に線が細いネージュの体に合う。
服を手に取り。生地を見て、引っ張りと物色し。
「うーん」
手に取った服を棚に戻す。
元々は、社会でも上層階級に当たる人物達に売っていた為か。
服の元となる材質も、仕立ても、所謂職人の技術の賜物か良い品ではある。
だが、なんとなく手に取った色、黒色というのが気に入らなかった。
黒マントのライ、黒ジャケットのフィラキ、そこにネージュまで黒を着れば。
ものの見事に、黒ずくめの集団の出来上がりだ。
そもそも、黒と言うのは、白を尊く思う白竜教会において。
特別な状況以外は、普段着として選ぶ色として、黄金教団を象徴する黄色と同じく。
あまり良い印象を受け付けない。
ライのように。神嫌い故に、好き好んで黒を選ぶならばともかく。
一応はネージュへの贈り物として服を買うのだから、個人趣味の黒は避けたいと、ライは思っていた。
「ライ、これどうかしら?」
ネージュの服を、云々と考えているライはさておき。
窘めた意味はどこへやら。
サイズを見たら、自分用の服であることを隠そうともしない。
服を幾つか持ってきたフィラキは、ライの前で、取っ替え引っ替え服を体に当てる。
白や、茶、緑、赤。
色はいくつもあり。丈の長いコートや、マントのような、全身を包めるような物から。
前開きの上着といった、重ね着する物まで。
どれも、フィラキの女らしい曲線を隠すが。
同時に厚着の上でも隠し切れない、女らしい肉感は見る男の期待感を煽り。
己が手で厚着を開かせた日には、その男は多幸感で、身を滾らせることになるだろう。
そういった服の選択だった。
もっとも、純粋にフィラキはライの好みを聞いているのだ。
買う機会も、出番はもう少し先かもしれないが。
ほとんど毎日見られ。時には触れることになる相手だからこそ、今の内に意見を聞いておきたいのだ。
「今の上着の色と被るから黒以外だな」
「あら。色の被りとか、気にする程度には洒落っ気はあったのね」
「うるせぇ、騎士とて武勇ではなく、洒落で気品を見せる時はあるだよ」
「で、好みは?」
「あー……」
面倒などと言った瞬間、もしくは適当に言った瞬間。
間違いなく。面倒で、適当では済まされない状況に陥ることが。
この頃、ネージュ関連で目に見えて機嫌がすこぶる悪いフィラキの姿から、容易に予想出来たライは。
白い肌、普段着の黒と内の白、赤い髪。
フィラキが持つ色を見て、その手に持つ服の中から一着選んだ。
「こいつはどうだ」
「茶色のコート?」
「そいつも悪くないが。もう少し、明るい色がいいだろう。生地もバリっとした革より、羊毛や綿とか、もう少し柔らかい生地の方が、お前に合ってる」
「ふーん……」
後が怖いから、真面目に対応してみたライのその具体的な言葉に。
ネージュに出会い。殊勝にも、女を愛でる感情が、熱したのだろうか。
もしそうならば、それが自身だけに向ければいいのにと、フィラキは少しばかり唇を尖らせるが。
何はともあれ、好機と言う物だ。
にやりと口の端を上げると、フィラキはライに強請ることにした。
「それじゃ、後日の参考にしたいから。これを買って貰おうかしら」
「駄目だ」
フィラキに、有無を言わせるつもりがないのか。
その背にある漆黒のバスタードソードで、一刀両断するかのように。
即座に帰ってきたライの言葉に、フィラキは諦めず。
浮かんだ選択肢の中から、泣き落としを選んだ。
「寒いわ。凍えてしまいそう」
フィラキは両手で自分を抱きしめるように、二の腕を擦る。
その際に、腕で胸を寄せて、出来上がる深い谷間を、ライに見せつける。
泣き落としだけでは、ただの子供の地団駄と変わらない。
色気も使って、男を陥落させてこそ、女の武器を使っていると言えるのだ。
胸は当然の事。さりげなく近づき、足を交差させながら立つことで。
鍛えられ張りを持つ、しなやかな内腿への、視線誘導を忘れない。
そして、決め顔は伏し目だ。
暖かな部屋から、急激に寒い部屋に移動した時の様に。
普段明るく振る舞っている女性こそ、たった数瞬でも見せる。
脆く儚い雰囲気を纏わせた顔は、男の心に効く。
その際、無理した笑みではなく。
薄く窄め開いた唇から、桃色に染められているかのような吐息が。
零れ出せているような形ならば、尚良し。
「私の主は、冬の夜に。無邪気に走る風のよう……冷たい甲冑の奥底の。
氷のような心で、周りを気付かず凍らせてしまうのね。あぁ、冷たき貴方。
私はただ。寒さに震え、耐えるしかないのかしら」
「耐えてろ」
もっとも、通用しない相手は、何をしてもとことん通用しない。
ここまで来たら取れる手段は一つだ。地団駄だ。
「何でよ!?新しい女がそんなに大事なの!?」
「言い方ぁ」
「あの夜の言葉は嘘だったのね!?」
「いつの夜だ」
「あの女のどこがいいのよ!?」
「お前よりうるさくない所だな」
客が他にいるのならば、地団駄は決して悪い手ではない。
ライ達がいるのは女物の棚。
しかも、フィラキの服は少々露出が多いが、それ含めても魅力のある女性であることは間違いなく。
店の品格に相応しい女性であることは、誰も疑わない。
一方でライはどうだ。
不吉そうな錆びた甲冑に、黒いマント。
武器武器武器を身に着けた姿からして、近寄りがたい粗暴そうな、荒くれ者。
粗野という意味合いもある、放浪騎士と見られても仕方ないライと。
少し派手な出で立ちをしたが、良家の子女と言われても通じる程、麗しいフィラキ。
どうして彼と彼女が共に買い物をしているのか。
釣り合っていない男女を見て、二人の立場を知らぬ者達が。
ライには、金のない情けない男と棘のある視線を。
フィラキには、貧乏男のせいで自由に出来ない憐憫な女性という視線を向ける。
だが、残念なことに。ライはとことん我が強いので、どうでもよいと思っている者達からの視線程度ではまったく意に返さない。
ライに意見を通したければ、意志ある言葉や力で通すしかないのだ。
「あーあ。そこら辺でむくれているわ」
フィラキも、ライの性格は重々承知しており。
そして、そんなトラブルを起こしやすいライの傍にいたから周囲の空気の流れにも敏感だ。
ライにはまだ、ネージュの件含めて文句があるとは言え。
欲しくもない物に、少しふざけ過ぎた。
地団駄は、効果的かもしれないが。
強請るにしても、やり過ぎたならばそれはそれで、面倒を呼ぶ。
例を挙げるなら、代わりに買ってあげようなどと、出しゃばる輩だ。
フィラキが欲しいのは、服ではない。ライが買ってくれた服なのだ。
「後日改めてと言ってるだろうが、暇なら採寸でもしてこい」
「へー。じゃあ、ライが測る?」
「ほざけ」
片腕で豊満な両房を抱き上げ、口角の片方をにまりと上げ。
ライに改めてアピールを試みるフィラキだが。
残念なことに、ライは堅物だ。
見っともない真似をするなとばかりに、語気を強めるライに。
「むー」
もう少しくらい慌てたり、言葉を交わしてくれてもいいではないか。
ただでさえ、この頃相手をしてくれなかったのだからと、フィラキはそんな不満を込めて頬を膨らませる。
そしてそれが功をなしたのか、そうでないのかはフィラキには分からないが。
ライは頬を膨らませるフィラキを見て、一拍置いた無言の後。そっとフィラキの頭に手を乗せ。
人差し指の先を、真紅のバラを思わせる。フィラキの赤髪を痛めないよう、ガントレットの革部に乗せ。
すくうように、髪を撫ですれ違った。
フィラキの立つ位置よりも、先にあるネージュに、ライは用事があったからだ。
「…………」
だが、なぜを髪を触ったのだろうか。
フィラキは撫でられた髪を、指先で触れて考える。
ライに髪を触られたことは、フィラキは嫌ではなく、寧ろ嬉しいとすら思う。
その証拠に、たったそれだけの動作でフィラキは白肌の頬は、恥じらいを含んだ色に染まっていた。
だがそれでもやはり、冗談で口にすることはあっても。
男達にとっては垂涎するような。
魅力的な四肢に、いくらでも触れる権利があったとしても。
滅多に触れようとしない堅物、もしくは干物のようなライが。
何故今この時、どこか女に癒しを求めるかのように。
甘えるかのように触れたのかと、フィラキは考えてしまうのだ。
そして、そういった考えが思い浮かぶ時点で、フィラキの予感は的中しているのだ。
それもあまり良くない予感が。




