序章-3 夢の果て15
殺せ。
人使いの荒い主は、例え相手が信仰する神が違うだけの、善良といえる民であっても。
その民が強力な化物になったとしても、簡単にそう告げるのだから大変だ。
一応、主人の忠実なる奴隷をしているフィラキは、目の前にいるギョルド。
正確に言えば、元ギョルドの化物を見て、少しため息を零す。
「意志様がガッガがガがガガガ!我ら悲願の、ポートンのポートンの偉大偉大偉大アガガガガガガガガ!素晴らしき新天キーナァアアアどこだぁあああああああああ!!」
「何が起きてるのかしらねまったく……」
フィラキの言葉は、意味を成さない言葉を話す。そんな、ギョルドに当てた物ではなく。
根のような物が生えて、変化していく軽戦艦に対してだ。
ギョルドに対する感想は、ライを殺せという。ヴェッセによる、肉石の命令が何故か解かれ。
大いなる意志。
化物だけが聞くという、超越的な存在らしいものから。
人を害せよという支配と、元となっているギョルドとしての記憶が、混濁しており。
要するに、話が通じない程度に狂っている。ぐらいだ。化物になったばかりだと、まだ現象であり。
決して。フィラキが蹴飛ばした結果、こうなっているのではない。
「万が一……はないわね。ライだから」
その、万が一の不可思議な現象が起きた結果が。軽戦艦の変化であることを、フィラキは知らない。
そして、それから数分と待たずに。吹っ飛ばされた錆びた甲冑、つまりライを見たので。
フィラキは安心して。
出し惜しみはなく、最初から出す物を出して、ギョルドとの戦いに集中することにした。
フィラキは黒いマフラーを脱ぎ取り、刻印が刻まれた黒い首輪が、晒される。
どちらも、高名な術師から貰った特製だ。
そうでなければ、マフラーは一人でに右肩に巻き付かない。
血赤の獣を発動した瞬間に、首輪も光らない。
だが、共通しているのは。フィラキの内に秘めた力を、過剰に出させない為の封印だ。
「古き言葉を以って、内なるテロスを解き放つ」
赤と白の色をしたテロスが、フィラキの体から解き放たれる。
世にあるモノ全て。
己が持つ、テロスの性質や純度やら量。
とにかくテロスによって、力関係に大きく関わる。
テロスは本来の意味では、完成や目的を意味するが。
この世において、各個人が持っている力の名称以上の意味はない。
テロス・プル・テロス。という言葉がある。
つまるところテロスとは、何を完成させるか、何の目的を達成させるか。
という考えであり、手段でもある。
テロスの一言で、各地にあったという力の代名詞。
エーテル、オド、気、魔力といった。何らかの力を発動させる、大元の意味も成す由縁だ。
「アル・アイドラ・レシゼウス・レフセス・エマトロス!」」
慣れたリズムでフィラキは唱え。
唇に隠されていた、牙が伸び始め。
右目の下に、奇妙な獣の似た赤色の紋様が浮かび上がり。
そして、右腕が赤い殻で包まれた。
見た目の変化と、解き放たれた力を思えば、もはや変身と言っても差し支えない。
フィラキが持つテロスによって、血赤の獣を発動させる目的を達成させた。
血赤の獣とは、フィラキの内で抑制してあるテロスを開放させて、戦闘の場に相応しい状態へ完成させる技。野暮ったいが正確に表すなら、血赤の獣による変身を、そう表現するしかない。
「……行きますか」
相手は化物。
放っておけば、周囲にいる人々に、ただ害を齎すだけの存在だ。
害虫駆除だと思えば、普通の人を殺めるよりは、心にかかる負担はまだ軽い。
しかし、それでも化物の元は人だ。
その人なりに、意志があり、喜怒哀楽があり、未来があり、可能性があった。
化物になった以上、人の社会において、それはもはやないと断言出来るかもしれないが。
それらを全てを飲み込み、真っ向正面から暴力で叩き潰し、正しき死へ還す。
正義や、潰す為に必要な力どうこうの前にある、倫理。
それを踏み越す。意志と覚悟なくして、元であれ現であれ。
軽々しく人の命を奪うという事は、到底出来るものではないのだ。
それが出来る人間と言うのは、意志と覚悟がある人か。どちらもない人。
その二種類だけだ。
「はぁっ!」
「ぐぅおぉおおお!」
戦いの基本は、先手確殺。
嫌ならば、先に敵の行動に気が付き、攻撃に備えよ。
そんな考えが身に染みているフィラキは、未だ混乱しているギョルドに先手を仕掛けた。
やることはただ一つ。脳か心臓。どちらかを壊し殺す。
あつらえ向きに、肥大化して狙いやすくなったギョルドの頭に、フィラキは取りつき。
並みの棍棒よりも堅い、赤腕で叩き。
並みの剣よりも遥かに鋭い、指先の爪で、眉間を斬る。
その際に、ギョルドからあふれ出す血の色は、赤ではなく、黒。
改めて、ギョルドが化物になったという証明だ。
そして、血だけが出るような一撃程度では、化物相手にはまだ浅い。
混乱している中で、気が付かなかった。
命を奪いかねない、脅威に気が付いたギョルドは。
肥大化した頭の、代償のように。手が頭に届かない為、頭を振り回したり。
顎を地に叩きつけて、取りついたフィラキを落とそうと揺さ振る。
だが、フィラキは赤腕を貫手のように構え、ギョルドの眼に突き刺す。
「ガァアアアアアアア!!」
咆哮を上げるギョルド。
その、眼の感触を、フィラキは意識外に放り出し。
フィラキは左手から、腰鞘より抜き出した小剣で。初撃に与えた傷に刺し込み。
抉る。
その際の、ヘドロを突いたかのような感触だけは、小剣越しでもフィラキはさすがに無視出来ず。
心の中でフィラキは、うげぇと零した。
「うわっ」
そして脳に刺さった小剣が、スイッチであったかのように、ガムシャラに走り始めたギョルド。
幸か不幸か。
走る先にあるのは、ポート族の誰かの家、例に漏れず主な材質は石。
石と全速力で走る化物に挟まれる、冗談では済まされない。
一度離れるべき、そう判断したフィラキは、さっと小剣を抜き。ギョルドが家にぶつかる直前。
跳躍。
「空出血!」
同時に、ギョルドの頭上にて。
フィラキは、自らの体に宿る血のテロス。
それを、赤腕に込めて振るい。
爪の刃によって空が体を持ち。
斬られ、出血したかのように、赤い刃をギョルドに向かい。
ギョルドの後頭部に、相手の体を破壊する力を持つ、血が付着した。
「ギャァアアアアアアアア!!」
そして、付着部位から急激に。
フィラキの血のテロスの力により吸われ、壊死し。
それとはまた別に、爪で切裂かれたような痛みに、苦悶の声を上げるギョルド。
地面に着地したフィラキは、追撃を加えようとして、動きが止まった。
「私は……キーナ。あぁ……キーナ。キーナ……」
片目がつぶれ、脳に至るまでの傷を負い。空出血の激痛が走っている中。
ギョルドは半壊した家で、死にかけの朦朧とした意識の中で。
瓦礫を、大きな頭でかき分け、キーナを探していた。
その姿は、傷ついた体を早急に癒すべく。生前の記憶にある、最も弱い獲物を探しているよりも。
大人が不注意で、壊してしまった大切な宝箱の中から。とてもとても、思い入れのある。
大切なモノを、探しているように見えた。
フィラキはキーナは知っている。だが、ギョルドについては、何も知らない。
何も知らないが、その行動からギョルドと、キーナの関係は、それとなく把握できた。
父親と娘、親と子。
フィラキには知ることがなかった。
親が子に与えるという、無条件の愛情。
化物になり、大いなる意志という。意味不明な支配からくる殺人衝動を抑え。
瀕死の重体で、娘の生存を確かめるべく、必死に探す。
父親の姿、他ならなかった。
「……聖餐集血」
フィラキは赤腕の手の平に、血のテロスを放出し、集結させる。
元より、化物を必要以上に苦しめる趣味は、フィラキはない。
決められる物ならば、最初から殺している。
ライとは違い。
生粋の戦士ではないフィラキの力量と、血赤の獣を解放し、戦う上での諸事情。
それと、化物が誇る生命力が、そうすることが出来なかっただけだ。
だが、傷によってまともに動けず、意識が向いていない今ならば。
躱される心配なく、強力な一撃を持って殺せる。
赤腕の爪で斬り裂いた方が、はるかに消耗が少ない。
聖餐出血の一撃ならば、何度も斬り裂いて、下手に苦しませることなく殺せる。
娘を探しているギョルドを、殺す事には変わりない。
生きていれば必ず、傷は治りやがて、化物になる前の記憶すら失い。
ただ、人に害を齎す化物の生存を許してはいけない。
それでも、殺すならばせめてもの慈悲は与えるべきだ。
相手が、善良であるならば猶更だ。
「これで、決め――ッ!」
フィラキは、聖餐集血。
その血のテロスにより作られた、強大な力をギョルドに向け。
放つ、その瞬間である。
パァン。と、フィラキの意識の外から放たれた銃弾が、フィラキの頬から被弾し。
フィラキは、頬を殴られたかのような衝撃と共に、口内から血と鉛の味を感じた。
「うぐっ……」
だが、倒れはしない。
衝撃で少しよろめいたものの、すぐに両の足でしっかりと地を踏み。琥珀の目をギロリと銃の持ち主に向けた。残念ながら、縛眼の範囲外だった。
その女は、撃たれてそのまま倒れるだろうと思っていたからか。
未だ立ったままであるフィラキに、怯えた表情を浮かべる女。
ライが軽戦艦を襲うよりも前。
海側、海、つまり水のテロスの水面を、自らのテロスの力で反発させ。
あからじめ、軽戦艦の海面側の側面にいたフィラキには。
会話の内容からして、ヴェッセという男の、たぶん恋人だろう程度の認識のルマだった。
「行けギョルド!」
運よく。ヴェッセが持っていた肉石を、根に巻き込まれた中、手に入れた事により。
操り、ヴェッセの根から解放されていた。
恋人であった、ヴェッセからの寵愛により。多少は他の信徒達より、良い立場であったが。
地位自体は他の黄金教団信徒と、大きく変わらず。
化物を初めて操るルマからして。
化物と対峙する、異形の赤い腕。
銃弾を頬に受け。立っていられるフィラキが、どう映っただろう。
少なくとも、常人ではないとは思っただろう。
ギョルドを操り、フィラキに向かわせる。命令は一つ。
殺せ。奇しくも、命令はフィラキの主人と同じだった。
「意志様の仰せの通りいにぃいいい!!」
肉石に操られたギョルドは、キーナを探すことを止め。
潰されていない目から涙を、潰された目から血涙を流し。
大股で走りながら、フィラキに突進し。
「くっ……」
その大きな頭に生えた、ギザギザとした牙が生える口で。
フィラキの赤腕に喰らい付き。
ぶちぶちと、肉が純粋な力で、無理矢理裂かれる音を。
周囲に大量の血をまき散らしながら、千切り取り。
後先考える頭がない化物らしく、自らの突進の勢いが止めれず、どこかにこけた。
一方で、腕が取られた衝撃で、倒れはしたもののフィラキは冷静に考えていた。
何だ、腕が取られたくらいか。
それより女が、女の顔に傷づけるとは腹立たしい。
だけれど、自分も化物相手とはいえ、顔は普通に狙うから仕方ない。
許す。
フィラキも、ライと共に、戦いの中で生きる身。
戦いの中で押し付けられる。
避けようがない理不尽は、起きたならば抵抗するが、出来なかったら受け止め、そして反撃する。
それぐらいの考えと、貫く意志と覚悟を、フィラキは持っている。
生温い考えで、戦いの場にいるのではない。
どんなことが身にあっても。
フィラキは、怒りもするし、悲しみもするし、恨みもするし、抵抗もする。
だが許す。
「あっははははっ!ざまぁみろ!私達の邪魔をするからだ!あの冷酷な、錆びた悪鬼め!私の様に、愛する者を失え!化物に変えて、ズタボロになるまで使い潰してやる!!」
許さん。
形勢有利と思ったらしい。ルマの口から出た言葉を聞いた瞬間。
冷静だったフィラキに怒りが、ふつふつよ湧き上がる。
自分が何をされても、フィラキは別に構わない。何故なら自分も、大概の事を相手にするからだ。
相手にも立場がある。
益を潰した自分達が憎いというのも、フィラキには理解できる。
だが、この場にいない人間の誹謗をするとは何事か。
フィラキの怒りは、腕を取られた痛みより、自慢の顔を傷つけられたことより。
ルマが発した。この場にいない、ライに対する誹謗その一点のみであった。
ただ、一つだけ気になったのは。
どれだけ共に過ごす時間を積み重ねても。
歩き続ける背に、必死に追い縋っても。
決して、捨てた名を明かしてくれない。
苦悩も、悲しみも、もっと根源にある闇を。
本来は、豊かだった優しさを捻じ曲げ。怒りに変えて、口では糞という義の為に、敵を喰らう。
そして自分はもっと、喰らった者達の価値に、似合うほどの価値ある者で、なければならないと。
自分で自分を無理強いさせ続ける。
どこでまでも不器用で、孤独で、一人闇の中。
闇を払う救いはどこだ、救いをくれる神はどこだと。
もがいて歩くライにとって。
奴隷としても、友としても、仲間としても、女としても、半身としても。
ライを救うまで至らない。寧ろ、救われてばかりのフィラキ・ピュラーは。
ライにとって、何だろうか。
それくらいだ。
「……デウテ・レフセス・エマトロス」
フィラキは唱え、血赤の獣。自らの体に宿るテロス、その更なる解放をさせた。
その瞬間である。
「――ッ!?―――ボゴボゴゴゴゴぉ!」
「――は?」
ギョルドの体が爆ぜ。
大量の黒い血を飛散させながら、微塵と化し、例に零さず黒い石を落として消えた。
何が起きたか分からない。疑問と言うよりも、混乱と言う表情を浮かべるルマ。
傷を負っていた。とはいえ、化物は死んでいない限り、その回復力は折り紙付きだ。
秘儀によって化物を生み出す、黄金教団の一人であるルマが、その回復力を知らないはずがない。
だからこそ、唐突にギョルドが微塵に消えたことに、混乱するしかなかった。
しかし、その混乱も長く続かず、また恐怖することになる。
チキキキキキキキ――
ギョルドがまき散らした、大量の黒い血。
そこから、蝙蝠に似た鳴き声が響く。
フィラキから目を逸らし、それを見たのが、ルマの失敗だった。
「む――――」
ルマは絶句するしかなかった。
色々と化物や腐物と言った、気味の悪い物を見てきたルマであったが。
基本は人であり、何かが合わさったような姿だった。
だが、そこにあったのは、昔から存在自体は認知されているが、もっと先の世にしかはっきりと姿形を見ることがない。
つまり、まったくの未知に近い存在である、本来は小さな小さな虫。
シラミ。
蝙蝠の翼と口を持ち、小型の蝙蝠と同程度の大きさを得た赤いシラミ。
その群れが、一斉に飛び上がり。
脅かすように、ルマを横切ると。
主であるフィラキの元に集い。
フィラキも、右肩から赤い殻で出来た獣の口を生やし。
使い魔のように見えて、実際は自身の体の一部であるアカシラミ達を、その獣の口から飲み込み。
右腕を再生させる。当然、赤い殻を纏い赤腕の状態で。
(化物の血は、相変わらず苦くてまずいわ)
アカシラミが、ギョルドを内部から食い破り。
吸い取った血の味に、フィラキは少し顔を顰めるが。
同時にこうも思った。それでも黄金教団達よりも、ルマよりも、マシだ。
人を平然と化物や腐物に変え。
罪のない混ざり者の、あの姉弟含めた人々を誘拐し。
一晩泊まっただけの、まったく戦いと関係のない。ただその場に偶然いた人々を、戦いに巻き込み。
根は善良と言える人々を騙し、一切の区別なく焼いた。
畜生の屑の血だ、臭くてとても吸えそうにない。
そう、立ち上がりながら。理由を、色々と考えていたフィラキだが。
小難しく面倒な題目は、やはりどうでもいいと思い改め。
これからルマを痛めつける。
フィラキはただ、そう決意する。
その際に、第二解放した血赤の獣の力は、本来は不要だ。
見るからに、戦士ではないルマならば。
近づいて、相手の動きを拘束する縛眼だけで足りる。
だが相手に苦痛と恐怖を与える為に、後にライに怒られることを承知で使う。
その理由は、実に単純にして。大人と言い切れない歳の女性の、未熟な精神に相応しい。
幼稚な理由だ。
「キレた」
手に入れるまでに、どれだけライに負担させたか、分からない顔を傷つけた。
そんなライのいない場で。目の前で、ライを誹謗した。
それだけでフィラキには十分だった。
そう、見た目が良くなり。
誰もが見ても、嫌悪せず。むしろ言い寄る人が増えるにつれ。
出来る限りは、隠すように振る舞っていたからフィラキは忘れていたが。
自分はもっと、残酷で自分勝手な人間なのだ。
フィラキは、そう心の内で答えを出し。
発動後勝手に変化していた。左腕の赤い殻を溶かし、アカシラミを出現させ。
それらに意識を送る、死なない程度に食い散らかせと。
「ひっ――化物ぉ!!」
ルマがフィラキに対して、そう吐き捨てたのは。
アカシラミという気味の悪い生き物を操る様よりも。
カラリ・ゴーン。と鳴き声上げて。
第二解放をしてから、様々な物が生えていき、顔も身体も、見た目が人からかけ離れていく。
そんなフィラキに対してだったのかも知れない。
もっとも、それに対するフィラキの感想もまた単純だった。
「よく、言われたわ」
「嫌、いやぁああああああああああ!!」
血は、嫌忌されるものである。
蟲もまた、嫌忌されるものである。
集合体というのも、嫌忌されるものである。
「ふふふ……」
それらが合わさった物に襲われる不快感と苦痛は、尋常ではないだろう。
無様に転げまわり、血まみれになり、悲鳴を上げ続けるルマを。
わざわざ無抵抗にさせるよう、近づき縛目で見る。
フィラキの琥珀の眼には、微かに悦が入っていた。




