序章 錆の騎士5
酒場に響いた幼い声に、場にいたほとんどの人がその声に振り向く。
だが、大半の人物は声の主を見た途端。軽い侮蔑の視線を向けた後各々の楽しみに戻った。
その理由は、声の主が亜人の血が混ざった混ざり者だからだ。
何故亜人の血が流れているというだけで侮蔑対象にされるのか。
それは、見た目の差別や、亜人の中にのみある文化による価値観の違いだけではない、より単純な物だ。
かつてあった大きな戦。
正式な戦の名を人亜大戦。
文献によって詳細こそ異なるのが、大まかな内容は変わらず記録されている、正人と亜人。
二つの陣営に分かれ戦を始め、いつの頃からか骨人と化物の乱入があり。
個々の肉体は屈強だが、亜人の中でも価値観や信仰する神の違いからまとまりがなく。
もっとも骨人と化物から被害を被った亜人達から。
白竜の加護を一番受けることとなった正人達終戦を持ち掛け、人側の様々な条約の元。
つまるところ、亜人達は敗北という記録が明記された戦で。
亜人というのは先の大戦の敗北者なのだ。
そして、敗れた者達の例え本人達が血で血を争うような関係でなくとも、子孫であるならばその扱いなど。
どんな世であっても、貴族が人を支配し、人が家畜を支配し。
また、神を信仰する世ならば、大きく変わらないということだ。
混ざりでもすれば、余計にその扱いは難しい物となる。
それでも尚、生存が許され。
悪事を働かなければ、よっぽどの悪意がない限りは犯罪奴隷等に落とされない点は。
かつてあった戦で、正人と亜人関係なく。
ある種平等に混乱と悪意をまき散らした骨人と化物よりは扱いが良いとは言える。
骨人に対する意識は、皮肉なことに正人も亜人も大きく変わりないのだ。
「何も違くはないだろ、なぁ」
「そうだ違くねぇ」
強面な男達四人組は、顔つきこそそれぞれ異なるが、口から発せられる内容は同じだ。
さて何が違うのだろうか。
その場にいた人々は、混じり者の男の子と強面の男達の会話動きを一言一行見逃さないよう。
あたかも無関係を装い、騒ぎが起こる前と同じように話をしながらも、ちゃっかりと見て聞いていた。
ライとフィラキも、そんな彼らと同じで見て聞いていた。
少しだけ違う点を挙げるならば、お互い無言で。
つまらないものでも見る様に、ジョッキを傾けていることだろう。
「頼みを聞いてくれるって言っただろ!聞かないなら金返せ!」
「おっとおかしなことを言われちゃ困るな。俺達はてめぇの話を聞いてやるとは言ったが、頼みまで聞くとは言ってないぜ」
「勝手に勘違いしたのはてめぇだろうが混ざり者!」
この時点で、ライ達含めて幾人かは彼らの状況を察した。
頼みを聞くと、話を聞く。
言葉遊びをみたいなものだが、男の子は男達に騙されたのだ。
しかし、当の本人は幼さゆえにそれに気が付いていないから、まだ男達に食いついているのだろう。
これでは、いつから男の子が食いついているかによるが、男達の方がまだ情がある。
そもそも数は男達の方が上。
そして数が同じだとしても大人と子供の絶望的な体格差なのだ、問答無用でねじ伏せればいい。
酒場で、さっさと馬鹿な子供から巻き上げた金銭で、一杯楽しみたい男達がそれを知らないはずもない。
「しつけぇぞ混ざり者!」
「うわぁ!」
男の内の一人が、男の子を小突き、その力に押された男の子は尻もちをつく。
大の大人が、子供を小突く。
それは同年代の者が本気で殴るよりも、子供には響く。
拳の皮膚と肉の大きさと厚みの違い、その根底にある力の違い。
どれも子供にはないものだ。
しかし、状況を理解している者には、これでもまだ男達に情があるように見えた。
これ以上食いついたら、その小突きよりも痛めに合わせるという最後の警告をわざわざしているのだ。
どれだけ鈍くても、これで諦めたら男達はこれ以上男の子になにもしないだろう。
男達と一言も言葉を交わしたことがなくとも、それが見て分かる立ち振る舞いだった。
男達にとって酒場とは飲み食いする場であって、幼気な男の子をいじめる場ではない。
騙しはしたが、さっさとどこかへ去ってほしいのだ。
「返せよ!」
だが、尚も食いつくように、男の足に抱き付いた。
本人にとってはおそらく、精一杯の力を出したタックルだったのだろうが、力の差は非情にもそれをタックルとは言わせなかった。
「どけよ」
片手で男の子の服を掴み、酒場の入口に投げ捨てる男。
がたりと床を鳴らす音には、さすがに見て見ぬふり、聞いて聞くふりはできず、酒場は静まり返った。
誰か止めろよ。警らを呼べよ。
その一言さえあれば、実際に誰かが動いたかもしれない。
しかし、誰も動かない。何もしない。男達へ非難の声も上がらない。ただ見るだけだ。
巻き込まれて、怪我をしたくはないから。口論で余計な気を使いたくないから。混ざり者の子供だから。言い訳ならばいくらでも出せる、だから動かない。
それが、幼い男の子にとって周囲が、どれだけ悪意に満ち溢れているように見えることとなろうが。
誰も気には留めないだろう。所詮見知らぬガキなのだから。
所々擦りむきながらも、男達にとっては、殴られているとは感じない、意味のない殴打を繰り出す男の子。
次は蹴飛ばされた。尚も立ち上がると。
今度こそ殴られてた。蹴られた。
「げぇ……」
「…………」
痛む場所を抑えて、開いた口から涎を垂らしながらも、涙を零すことなく尚立ち上がる男の子に、周囲の反応はその勇気を讃えるのではなく無言の呆れだ。
同格の相手の喧嘩ならば、まだ見ごたえがあり酒場の刺激になるが、一方的だと白ける。
周囲の意見は、敵う訳がないから、さっさと諦めて帰れと、一致していた。
実際、さっさと諦めた方が男の子の身にもなっていた。
男の子は頭が上にある為か、男達の表情の変化に気が付いていなかったが。
最初は少しからかってやる程度の笑み。途中からは、しつこさからくる嫌悪。
今は、つまらない下らないどうでもいい。そういった無表情を男は浮かべていた。
とても危険な表情をしていた。
「クラナス村に、姉ちゃんを黄金教団の奴らから取り戻さなくちゃいけないんだ!」
誰に対して言ったわけではない、男の子声にようやく酒場の人間全てが、彼らの事の経緯を悟った。
黄金教団は、怪しげな秘儀を使い化物生み出す輩だ。
しかも生み出すだけではなく、ある程度ならば使役できる。
つまり、男の子の話に乗って手伝うということは、その化物と戦うということだ。
誰だって、名誉ある戦で、家族を国を財を守る為に名誉ある戦死するならばともかく。
箒で掃いただけで飛び去る落葉のように、危険な化物と戦い、無意味に呆気なく、ゴミの様に首を飛ばされたくないのは当然だ。
ここにきて、痛めつけられた分男の子に寄っていた同情票が全て、男達に向けられた。
ただ例外はいた。
「ライ。クラナス村だ……ってもう行ったか」
すでに騒動の中へ向かうその後姿を、フィラキは何も呆れながらも見送り。
落ち着いて食べる最後のチャンスとばかりに、まだ食べきっていない盆の上の料理に意識を向けた。
一方で、男の子はピンチだった。
目の間にある男が取り出した小剣の刃先に対して、恐怖で体を震わしている。
そして、据わった目をしている男と目が合った瞬間。
幾度かあった、金がだまし取られたままだが。
怪我無く、もしくは命の危機なく事を終われる機会がもう訪れないことを悟った。
「死なないと分かんねぇだろうな。亜人の血が混じった混ざり者は馬鹿だからよ、亜人の血が流れ出たら俺達みたいにまともになれるかもな」
男の子以外には、実際に男達が殺す気などないことくらいは分かった。
亜人の血が混ざっているからといっても、殺したら死体を処理をせねばならないし、酒場は間違いなく出禁になり。
男達よりよっぽど高位の力と立場を持つ者達に問われ、今の男達程度の事情では殺しは相応の罪となる。
そんなリスクを男達が背負う訳がない。
だが、言われた本人である男の子には、人を騙す悪人達による死刑宣告にしか聞こえず。
迫りくる刃に、本能的に目を閉じ両腕を盾にした。
しかし、痛みが来ることはなかった。
「おいガキ」
男の子に刃を伸ばす男の腕を握り、そう声を掛けた騎士は、男の子に手を差し伸ばしていた。
それを救いの手と思った男の子は、手を伸ばして握り返そうとしたが、手は当の騎士によって弾かれた。
「ちげぇよ。お前の有り金全額。前払いだ」
「え?」
「それでお前を"助けてやる"」
今この場、それよりもずっと前から聞きたかった。
そのセリフを、自身に満ちた声で言い切った騎士に男の子。
名前はティクという混ざり者の男の子は、幼い目を見開き。
錆びた甲冑の騎士、錆の騎士ライをティクはその瞳に映した。