序章-3 夢の果て14
ライは死にかけて、思い出が脳裏に過るたびに述懐する。
自分はすこぶる運が悪い、だが女運は悪くない。
なぜならライは、人生において重大な選択をする時には。
目にかかるだけでも幸運な、素晴らしい美女がそばにいた。
『お願いしますね、小さな騎士』
一人目は、白色の髪に、一等星のような輝く瞳をした。
天の使いかと思うような。美しくもあり、優しい女性だった。
『私の知ってる君なら、殺ってくれる。どうか私を――』
二人目は、藤色の髪に、澄んだ瞳をした。
月光のような、美しい斧槍を持つに相応しい。凛とした女性だった。
『アンタの敵は、私の敵よ。相手が聖王でも、黄金教団でも関係ないわ。アンタが優しくする人には、私も優しくする……アンタが憎む人には、例え私の恩人でも私は憎む。
だから……私も連れて行ってよ』
三人目は、赤色の髪に、不可思議な力が宿る、琥珀の瞳。
我儘で小煩い。よく嫉妬し、よく怒る。
挙句ちょっと突き放したら、壊れてしまいそうな脆い所もある。
けれども、何があっても、決して離れることなく。
ただ隣で、信頼しきった笑みを浮かべてくれた。
意志を共有出来た、唯一無二の半身。
そして、その女に今の状態を見られたら、きっと笑われる。
だからライは、歩き出すことにした。
ライは密閉され、動きにくい中。
不思議と沸き上がる力の、赴くがままに腕を逆十字に構え。
何かをぶちぶちと千切りながら、両腕を広げ。
技を唱えた。
「暴食の破剣!」
全てを喰らう赤黒い光の、頬張り飲み込む一閃で、ライは周囲を斬り裂き把握する。
密閉していたのは、化物となったヴェッセから生えていた。
根のようなものだった。
根を傷けられた植物がどうなるか。知らないライではあるが。死んでほしいので、お構いなしとばかりに。暴食の破剣の赤黒い光で、周囲の根を叩き切る。
だが、ただの植物と違う化物の根は、すぐに再生を初め。
再びライを取り込もうと、うねうねと覆いかぶさろうとしてきた。
ライはこのままでは、何も解決しないと判断し、再び根を斬り捨てると、その場から動き出した。
「…………」
空中で、ライはあるはずのない心臓をちらりと見る。
そこには、普段通りの青い心臓も光もしない、錆びた甲冑しかなかった。
ヴェッセの根に、飲み込まれることになったが。
逆に、無理やり青い輝石から離れられる事ことなり、それが功をなしたのだろう。
突然発生していた。
頭痛は収まり、熱く青い光を放っていた心臓も元に戻っていた。悪夢のような記憶は、もう見ていない。
ライには好都合だった。
そして、空が見えた、海も見えた。
「アァアアアアァアア!!聞こえるぞぉおお!大いなる意志がぁ!私の中にぃいいい!!」
そして、両腕がやたらと長くなり。
右腕には、軽戦艦でも斬る事ができそうな、やたらと強大な剣となり。
左腕には、軽戦艦に積んでいた32門の大砲を取り込み。
まるでふじつぼを生やしているかのような姿。
上半身が、軽戦艦と同化した下半身に、くっ付き。
合わせるように巨大化した。
化物になり、大いなる意志の傀儡となり果てた、ヴェッセがいた。
さて、飛び出したはいいものの、生憎ライは空にいた。
剣を振るうことは出来ても、単身では飛ぶことが出来ないライは、どうしたものかと悩んでいたが。
「逃がさんぞ!破戒者ぁあ!!」
ヴェッセは右腕の巨大な剣を、ライに振り回す。
その動作は、無理やり巨大化した影響か鈍い。
だが、身動きできないライにはあまり関係はない。
迫りくる刃を前に、ライは空いた左手を伸ばし。
「来い、セレネス!!」
今は亡き、藤色の髪をした女性の名を叫び。
持つべき主は失った、けれども今を生きる者と、結ばれた縁は未だ切れることなく。
特殊な力を、内包するまでに至った。
セレネスの月光色斧槍が、ライの求めに応じて、軽戦艦から飛び出し。
その手に収まる。
そしてヴェッセの腕剣と、ライが持つハルバード。
ぶつかり、今日一番の轟音を奏でた。
「チィッ!」
その力はのぶつかり合いは、拮抗。
いや、空中という悪条件であるにもかかわらず、ライがヴェッセの腕剣に拮抗するだけでも本来は異常だ。それどころか、白竜騎士。
化物を屠る力を持つライには、ヴェッセの腕剣を、押し返すまでの余力があった。
だが、押し返した所で追撃が出来ないと踏んだライは、仕切り直す為に力を抜き。
吹っ飛ばされることにした。
空中、大よそマストの半ば。つまりそこらにある家が、そこそこ小さく感じられる程の高さで。
吹き飛ばされる勢いは、少なくとも人体くらいは簡単に千切る化物の怪力。
つまり、叩きつけられる勢いは、半端ではなかった。
誰が作ったかはライは全く知らないが、石作りの家を壊滅させる勢いで、ライは地に叩きつけられた。
「あー……いてぇ」
土煙やら、未だラタン村を焼く炎による黒煙やらが舞う中。
全身の骨という骨に入ったひびを、右腕にある。
初代聖王の、古い言葉が刻まれた赤い腕輪。
アインの聖刻具に、自らのテロスを込めて流し。骨だけを治す神術あるいは魔術。
ライには名は、どっちでもいい術を発動させ。せっせと全身に、癒しの火を灯して、骨の修復にあたる。
「何だったんだ……あの青いの……」
そんな中で、ライは少し考える。
青い輝石に近づいた瞬間。
ふと悩んでいる時には、起きたことのある頭痛はまだしも。
ないはずの心臓部から、青い光を放つ。
そんな不可解な現象については、ライも首を傾げる他なかった。
骨人。それは血も肉も皮もない存在。
だが、息をしているわけでもないのに、息苦しさ特になく。
飯を食べているわけでもないのに、特に腹は空かない。
骨人であるライ自身、分からんだらけの。
生存の一点のみではほぼ同条件で、存在を保つことが出来る。
腐物と化物と同じく壊れた生命、骨人。
それが、心臓がまるであるように感じ、燃えて熱く痛いなどと言うことが起きたのだから。
それを引き起こした青い輝石を、ライが不思議に思うのは仕方なかった。
しかし、ライは考えるだけ考えて、一旦はすっぱりと考えを切り捨て。
骨を治したライは、ざっと立ち上がる。
「どこだぁあああ!どこだぁああああああ!?」
ヴェッセがライを殺すべく。ミシミシと船の材質である木材の、軋む悲鳴音を奏でながら。
異形の化物の一部と化した軽戦艦を、無理矢理陸に乗り上げて来ているのだ。
考え事は、戦い終わった後にすればいい、ただそれだけの理由だ。
もっとも、化物になった以上。
もはやヴェッセから情報源としての価値は、ライは期待していない。
そして、例え放っておいたとしても。
被害が出るのが、異教徒狩りの許可がでた。白竜教会から、生きる価値無しと、切り捨てられた人々だとしても。ライはヴェッセを放って、ラタン村を去ることはできなかった。
何故と、問われることがあったとしたら。
ライはきっとこう返すだろう。
うるせぇ、と。
そして、目の前にすぐ助けることのできる命があるならば。
「ぐぅ……おぉ……!」
「あいつは……」
出会った直後は険悪だった。
だが、少ない会話の中で、十分話が通じる相手だとライも思っていた。
軽戦艦の砲撃が直撃し、崩壊して燃えるギョウの家。
瓦礫と化した、家の下で大量の血を垂らし。
火によって熱され。触れるのも憚れるほどの熱を持つはずの、瓦礫を火傷を厭わず全身で支え。
気を失っているキーナを見捨てず。懸命に瓦礫を支え、熱さに耐えるギョウがいた。
つまるところ、ただ共倒れするまでの時間を伸ばしているに過ぎない、ギョウがいた。
「……ライか」
ポート族には身に着ける者がいない。
甲冑の金属音が擦れ、ガチャガチャと近づく足音で。
ライに気が付いたギョウは、今のラタン村の惨状の中で。
あろうことか、仲間であるポート族よりも先に。
敵であるライに、再び会ってしまったことを、ただ認識した。
同時に、ライの両の手に持つ漆黒と、月光の武器を見ると。
「……殺せばいいさ。ほかの皆もそうしたのだろう……」
恨みよりも、怒りよりも、怯えよりも。
助けてやれなかった、キーナへ。
申し訳ない気持ちと、不甲斐なさを含めた、諦めの表情を浮かべた。
それどころか、この苦痛から解放しにきた。
慈悲深い、死の使いとすらギョウはライを見て思ったのだ。
それに、黄金教団の悪意に殺されるより、ライ殺される方が、悪い気はしない。
ギョウは、そう思いながら死を認めた。
「キーナを引っ張り出せ」
だが、死の使いであるはずのライは、死の象徴たる武器をさっさと背の鞘にしまい。
ガントレットの革の部位に、微かな焦げ煙を上げながら、瓦礫を持ち始めた。
「……は?」
「早くしろ!」
一瞬、ギョウはライが話した言葉と、その行動を理解できなかった。
ライは白竜騎士。異教の信徒と化物を討ち滅ぼすのが、ライの使命であり。
それを実行できる実力と、冷酷さがあるからこそ。
ライはラタン村に来て。
実際に白竜教会にとっての、異教の神であるポートン信仰をする。
ポート族を斬り殺した。
それなのに、改宗の意の言葉を口にした、キーナはともかく。
ライには、毒殺を見過ごしたギョウを助ける義理は、どこにもないのだ。
しかし、現実としてライは、燃える瓦礫を持ち。
ギョウの代わりに、例え無防備となるとしても、燃える熱の苦を、引き受け支えた。
「うぉおおおお!!」
そして、ギョウへ発破の言葉をかけた。
ギョウに、キーナを救う機会を与えた。
ギョウは、全身の痛みも。ライへの怒りも、恨みも今だけは全て忘れ。
キーナを抱きかかえ、瓦礫から飛び出した。
同時に、ズズンと音を立てて。
ライの支えを失った瓦礫が、地面とぶつかり合った。
「あぁ……キーナ」
だが、そんな音は、最愛の女性を命の鼓動と、火の熱さと違う、暖かさを確かめるように。
強く抱きしめ、泣きじゃくるギョウには、聞こえていなかっただろう。
それは、ライも同じことだった。両手に再び武器を握りしめ。
鞘から取り出し戦いに赴く為に歩き出す。
「ライ。俺は――「消えろ、俺はあの化物を殺さねばならん」
ギョウが、さっさと立ち去ろうとしたライを呼び止めようとしたが、ライは簡潔にやるべきことを告げ。
今まずっと瓦礫を支えていた為、ギョウは気が付かなかった。
海から近づく、化物となった軽戦艦。
ポート族の、夢と希望を乗せ、新天地へ行くはずだった箱舟。
「……船が」
夢の果て。
余りにも残酷な現実を見て、改めてギョウは絶望に表情が塗られ、がくりと両ひざを着く。
「…………」
そんなギョウに、ライはかける言葉はない。
例えかけたとしても、知ったことか。と言うだけだ。
ライは使命の為に来た。
自身の社会的価値と、それによって齎される権力の維持と、自らの手にある財産を守り、権力と財によって、自身の呪いか病かも分からない骨の体を治す手を、探すあるいは残す為に来た。
そう言って相手が納得できるならば、ライはいくらでも、培った知恵を巡らせ言いくるめるだろう。
だが、相手は絶対に納得しない。
しないならば、言っても意味がない。
ライが出来ることは、図々しく堂々と立ち去るだけだ。もっとも、積極的異教徒狩りの許可が出ている以上。武器を持って立ち向かうとならば、ライは相手をせざる負えない。
「何のつもりだ?」
背後にいるギョウが、そこらにあった誰かの銛を持ち。
自身に向けている気配を感じたライは、漆黒のバスタードソードを、ギョウの首の皮を掠めるように斬った。だが、もはやこの程度ではギョウは怯えることはない。
絶望と憎しみ、怒りと悲しみと、様々な負の感情が渦巻く目で。
ギョウは真っ直ぐ、ライを睨む。
「ライ……お前がギョームを、友を殺した!皆を殺した!俺達の夢を!希望を全て壊したッ!」
全部ライが原因だ。
口にしておきながら、ギョウはそんなことは微塵も思っていない。
最初から騙すつもりで寄ってきた黄金教団が悪い。
亜人だからと、虐げてきた領主も悪い。
領主にこれといった抗議もせず、ポートンを否定した白竜教会も悪い。
白竜教会の貨幣や交通路を利用しておきながら、よき白竜信徒とならなかったポート族も悪い。
それに比べ、ライが何をしたというのか。
ライは異教徒を狩る立場でありながら。身分を隠したが、最初に戦いではなく、対話を求めた。
よそ者が一度として、祈りを捧げることがなく唾棄してきた神に。
立場有る人間でありながら、初めてライ達だけは、祈りを捧げた。
毒で殺されると感づいても尚。穏健に済む機会を、ギリギリまで与えてくれた。
そして、斬り殺された者を見れば分かる。
黄金教団と違い、ライは無差別ではなく。
ポートンへの信仰と、誇りをかけて戦いに挑んだ者のみを。
ライは選んで殺した。
もしこれらがなくとも、少なくとも今。
ライは、ギョウの最愛の女性を、1亜人に過ぎない、キーナを助けた。
口にしたこと、一部は事実だろう。
しかし、新天地への計画の失敗は、最初から頓挫しているので、ライに言うのは、言いがかりも甚だしい。だがそれでも尚、ギョウは口にせずにはいられなかった。
口にしなければ、伝えなければ、もう二度とライと話す機会がない。
ギョウの直感がそう囁いていた。そして、ギョウの告げたいことは、ライへの恨みだけではない。
「だが……だが……もっと早く。お前達と出会いたかった。出会っていれば俺達はきっと……」
まったくのよそ者であっても、異なる神に祈りを捧げ、酒を飲み語らえる。
そんな、話が通じる奴もいる。
今の領主と、今の白竜教会は話は通じないが。彼らの存在を語り継ぎ。
いつか後の世ならば。領主も、白竜教会も話が通じるかもしれない。
儚い夢に、とても薄い希望。
だが、夢は確かな輝きを持ち、希望は明るい道を示す。
その輝きと、暗いだけでない道を、見ることが出来たならば。きっと黄金教団の誘惑を、断ち切ることが出来た。そう、ギョウは言いたかったが、ライはギョウが言い切る前に。
「変わらんさ」
そう、確信しているようにライは断言し。
「変わらんから。お前の友。ギョームは俺達の酒に毒を盛った。お前は毒を見過ごした。お前達ポート族は夢の為に、希望の為に、神の為に。俺に、白竜教会や治める者達に挑んだ。違うか?」
ギョウはきっと、気が付いていない。ライはそう思いながら言葉を紡ぐ。
恨み辛み口にして、変われるだろうかと口にして。
ギョウの右手には、未だポートンの信仰を意味する銛を。
そして大事そうに。左脇に抱えるキーナを、どちらも持っている。
どちらも大切だ、どちらも欲しい、どちらも捨てられない。
だからギョウは、ポート族の復讐の使者として。
僅かばかりの勝機を得るために、両手で銛を持ってライを襲わない。
だからギョウは、愛する女性を両手で抱きかかえ。
生き恥を晒すことになっても、生きる道を選ばない。
こんな欲に素直で、実直な奴らが。俺程度に会って少し話したくらいで変われるか。
ライは、人を変えられるまで。徳のある人に、なれたつもりはないのだ。
幼き頃に抱いた闇を、未だに抱え、捨てられずにいるのだから。
「……ならば教えてくれ。異教の神を信じる騎士よ!!俺は……俺達はどうすればよかったのだ……領主に、白竜教会に、虐げられたままでいろと言うのか!?神を裏切り続けるのが正しいとでも言うのか!?立ち上がる勇気は、愚であったとでも言うのか!?」
「知るか、第一俺は神が大嫌いなんだ」
「……ッ!」
ばっさりと切り捨て、尚且つ自身の根にある、神嫌いの姿勢を変える気は微塵もないライに。
さすがのギョウも、感情が怒りに傾き。銛をライに突きそうになったが。
ライは微動だにすることなく、言い放った。
「それでも知りたいなら俺ではなく、やはり神に聞いてくれ。まぁ、俺も一度聞いてみたが、神は何も教えてくれんかったよ」
「…………」
神嫌いを語る者が、一度神に問うた。
そこに至るまでの事情を、ギョウは当然知る由もないが。
ライの言葉の端から、隠しきれなかった、ライの秘めた悲しみが。
激情したギョウの口を、閉じさせた。
「だから俺は……とりあえず歩み続けることにした。俺の中にその意志がある限りな」
語るべきことは語った。
そう告げるように、ライはバスタードソードを下ろすと、再び歩き出した。
目線の先にいるのは、軽戦艦と混じり合った化物。
それでもライは、歩き出した。歩み続ける意志がある限り。
「…………」
一方で、ギョウは止まった。
何も出来ず、立ち止まるしかできなかった。
そして、ギョウの直感通り。
これが二人が言葉を交わした、最後の時だった。




