序章-3 夢の果て7
先ほどまで話していた、ギョウとキーナの二人組とは違い。
片目に古傷がある来訪者を、ライはじっと見つめる。
正人と亜人を比較すると、種族として明確な違いは出るものだが。
顔つき体つきで、多種の人模様を見せる正人と違い。
亜人は同種族の間では、ほとんど全員血の繋がった兄弟に見える程度には、そっくりだ。
うかつに兄弟ですか。などと尋ねるのは禁句であり。
そしてそういった時は、相手が名乗るのを待つのが賢明な判断だ。
「どーもどーも。ギョウの友人のギョームと申しやす」
先ほどは弩を向けた相手に、まったくもって、敵意と言う物を感じさせない演技を、ギョームはしてみせた。演技が通じたのかどうかは、ギョームには分からないが。
来訪者の言葉に、ライとフィラキもペコリと小さく礼で返す。
「ギョウはどうした?」
「あぁあいつは、飯の方を用意してましてな、客人をただ待たせるのも悪いって言うから先に酒でもと」
「魚の酒のことかしら」
「えぇそうですそうです。一夜漬けの方みたいですから、香りが強く出てますぜ」
「見慣れぬ酒器に、それに……良い香りだな」
ことりと置かれた徳利、そのあまり見ることのない形の酒器にライ達は目を楽しませ。
焼いた魚が、たった今出されかのような香りに鼻を楽しませ。
同時に、元より気分が敵地にいるという物だった為か。
直感で確かに感じた死の気配に、ライはすとんと沸き上がる感情を、一度奥底にしまい込んだ。
「さーどうぞどうぞ。ラタン村自慢の酒ですぜ」
へりくだった態度を見せるギョームに、さて目と鼻で酒を堪能したライはさて味を確かめようと。
焼魚の彩が染み込んだ、酒の入る盃に手を伸ばし。
バイザーを僅かに上げて、ゆっくりと口元へ運ぶ。
途中で、ピタリと動きが止まり。
悟られたか。
その様子を台所で見ていた、キーナの口を封じるギョウは冷や汗を流し。
ギョームは心臓を握られたかのような、感覚を味わう。
そして実際にライも、盃を持つ手の指で、まるで調べるかのように。
トン、トンと叩いて、何か合図を送っているかのようにも見えた。
「そうだ、こいつの飲み方とか……あるか?」
だが、ライはここでもあくまでも相手の流儀を尊重する体で。
飲み方一つでも色々と作法がある、酒の楽しみ方をギョームに尋ねる。
驚かせやがって。
ギョームは決して口には出さないが、頬から嫌な汗が流れていることを、正人とは違う青い肌で感じていた。背中もっと悲惨だった。
「あ、あぁえぇえぇ。ぐいーと一気に酒を飲んでくだせぇ」
「何だって?」
「いやいやぐいーっと」
「悪いが、もう少しこっちに来てくれ」
兜着てるから聞こえてねぇんだろうが!錆野郎!
ギョームは決して口には出さないが、焦りが多量含んだ感情が、蠢く中それでも尚。微塵も態度に表すことがなかった。へりくだった態度のまま、ギョームはライに近づき。
ごほんと大げさに喉を鳴らし。
「んじゃ、改めて――」
ギョームの言葉の途中で、ライの腕がギョームの顔を掴み。
無理やり開かれたギョームの口に、酒の入った徳利。
そう、ギョームが用意した毒入れの酒が入った徳利の中身を、ギョームに注ぎ込んだ。
「―――――――ッッ!!」
魚人というのは、その名の通り水中でも多少息が出来る生き物だが、陸にいる以上人とまったく同じ生き方をする。
そんな彼らが、鼻を指で塞がれ口に液体が注ぎ込まれた上で口を閉じられたらどうなるか。
答えは簡単だ。息をするために液体を飲む。例えそれが毒であろうと、毒で死ぬ前に息が出来ずに死ぬから飲む。
止めてくれ、助けてくれ。こんな所で死んでたまるか、死ぬのは嫌だ!
そんな命乞いを、もがく両腕でギョームは主張するが、ライは許しはしない。
ギョームが酒を飲んだのを見た、体が死への恐怖と関係なく震わすのを感じた、口から零れだす血の匂いを嗅いだ。
「ゴォオ……カァ……」
ライがギョームを手放す頃には、最後の言葉をろくに紡ぐことが出来ず。
白目を剥き、口から血の色の泡を零し、ピクリピクリと体を痙攣させたが。
すぐにそれすら止まり。ギョームは死んだ。
「「…………」」
酒を飲み交わし、食事を楽しみながら。本当に下さらない話や、明日への思いを語る。
そんなささやかな食事は、一人の亜人の男の死によって、永遠に訪れることがないことを、沈黙の中語っていた。
代わりに訪れのは戦い。ライはサーベルに、手を伸ばしていた。
「ギョォオオオム!!」
慟哭。
激しい感情の憤りの声が、ギョウの家どころか外まで響く。
何故。
まったく、疑うような素振りは見せてはいなかったライ達が何故、毒に気が付いた。
憎悪。
筋違いであることは、分かっていても。
ギョウは友を殺したライを、殺意に塗れた目で、睨みつけるしかなった。
返答。
ライの首から曝け出された証、七色に輝く白銀皇石の第三の目。今ラタン村に起きている全てを知っていても可笑しくない。白竜教会の力の象徴。
「白竜騎士ッッ!ライ……お前も同じかぁあああ!!?」
銛を手に取り、ギョウはライに立ち向かう。
まさかと話していた、白竜騎士が。
どうしてここにいるのか、そんなことは、今のギョウにはどうでもよかった。
初めて理解をしてくれる。そう、思っていた他人が。よりにもよって嫌う者達の、最も真摯な犬だった。
語った言葉は、思いは、考えは、ポートンへの祈りは、すべてまやかしだった。
そうで、あってくれライ。
頬から流れる涙の意味を、ギョウは知らず。
ギョウの憎悪は、冷静な判断を失わせた。
「いやぁあああああああ!」
キーナの悲鳴を隠すように、ライのサーベルとギョウの銛が交差する。
一閃、さらに一閃。
ギョウが銛を振らるたびに、家内の飾りが無残に散らされる。
だが、的確にサーベルの刃で受け止めるライには届かない。
ならば突きとギョウは繰り出すが、半歩ずらしてライは避ける。
強い。
ギョウは多少なりにも戦った者として、途方もなく感じざる負えない。
ライの実力差からすでに、敗北を予期していた。
それほどまでに、ライは生物として強い。
無手の虎の亜人と虎が戦い、虎が勝つように、どうしようもなく強い。
どれだけの修練と積めば、どれだけの修羅場を生き抜けばここまでたどり着ける。
少なくとも、理屈ではたどり着けない境地に、ライは足を踏み入れていることだけは確か。
所詮寂れた村の勇者と、世界を渡り歩く戦士では、本来勝負するにも値しないのだろう。
一合を重ねていくたびに、押され近づく壁に、ギョウはその事実が背に圧し掛かる。
だが、ギョウはもう勝負にでた。例え蛙だとしても、強者に挑む権利を主張した以上。勝か死だ。
そこだけは譲れない、蛙の意地。
ギョウは培った全て勝を得るために、ライにぶつける。
「おおおおおおおお!!」
攻め手を緩めるな!ギョウはそう自身に念じる。
名からして、亜人らしいライではあるが。
亜人の中でも、穏やかな顔ばかりでない、荒れる海とも共に生きる為。
比較的に優れた身体能力と魚人が生まれながら持つ力と、他者よりもライよりも、少しばかり大きな体だけがギョウの持つ札だ。少しでも攻め手を緩めれば、待つのは敗北。
こんな考える暇すら、ギョウには惜しい。
ただひたすらに押す暴力で、ライを飲み込む。
それしか、ギョウには手がないのだ。
考えなし。けれども一本筋なギョウの意志を、海の神ポートンが汲み取り、掟を守り続ける勇者の銛に、反映しているかのように。
ギョウのテロスが宿る銛は、折れることなく。強者であるライのサーベルに喰らい付く。
今だ!今しかない!!
そして訪れるギョウの千載一遇。ライがわざと生み出したのではない、もぎ取った好機。
サーベルを振るうライの腕が伸び切ったその隙。
ギョウは銛をライに突き――ダン!
「ぐわぁああああ!」
損ねた。
ギョウはライから重い一撃を先に受けた。
それは、予備動作なく、ライが放つショルダーチャージ。
ギョウが銛を放つよりも、さらに早い。
助走はなし。けれども威力は、錆びた甲冑の重み全て乗せた、爆発的な威力。
体格だけは勝るギョウを吹き飛ばし、壁に激突させるほどの威力を持つ、ライの一撃。
骨が折れるような音がギョウの体内から鳴り、臓物が傷ついたのだろう。
ギョウは口から血を吐いた。身体が悲鳴を上げている。
けれども、意志は折れてはいない。動けるならば、動くまで。
否、動かなければならない。
ギョウは、己を奮い立たせる。
井の中の勇者であろうとも、ギョウはポート族の勇者でなければならない。
例えもう二度と、口を開かぬ友であろうとも。汚名を被る覚悟を見せた、友の誓いに応えねばならない。
裏切ってしまったポートンへ、白竜の犬を討つことによって詫びねばならない。
ギョウは、歩みを止めるわけには行かない。
「がぁっっ!」
だが、どこまでも現実は非情で、冷酷だ。
立ち上がろうとするギョウを、隙だらけの敵をライが見逃す道理はない。
ギョウの右肩を、ライのサーベルが貫いた。
「「…………」」
荒い息を零すギョウと、まったく乱れのないライ。
戦いという意味での勝負は、決していた。
だが、ギョウはまだ負けていないと、ライを睨みつける。その意志はやはり折れていない。
一方でライも同じだった。ライはまだ勝っていない。
ギョウの肩に刺したサーベルを引き抜き、すぐさま首元へ刃を向けた。
ライにとって、勝つというのは相手の命を奪った時か。
「……祈りの言葉は?」
ギョウの意志を砕く、その時までだ。
「愚弄する気か!?俺はポートンを裏切らん!」
だが、殺される直前であっても、ギョウのポートン信仰の意志は変わらなかった。
変えられる訳がなかった。何があっても、そこだけはギョウは変える訳にはいかなかった。
それを裏切ってしまったら、自分が自分でいなくなってしまう。そのことはギョウ自身よく分かっていた。だからこそ、それを貫いて死ねるのならば、ギョウには誇りなのだ。
「そうか……」
一方でライは淡泊に、想像していたからこそ、そう返した。
忠告はしたが、命の危機程度で。信仰心を変えられる人間が多いならば、どれだけ仕事が楽だろうか。
ライにも分かっていた。
ギョウにとってポートンという存在がどれだけ重要なのか。
そして。そのポートンの文化を守る為ならば、彼。
いや、ポート族の彼らは、白竜を信仰する白竜教会でも、黄金時代を信仰する黄金教団でも関係なく。
他の文化を排除することを。決して、止めることはしないと、分かっていた。
何故ならば、ポートンという神は、彼らの心の在り方が始まった時から、共にそこにあった存在。
親の親の親の親、名も分からぬ程先にある親と共に、きっとそこにポート族の神がいた。
だからこそ、神を裏切るのは、先の親達を裏切る事と同意。つまり、親達と血の繋がった自分達まで否定することになり、恥なのだ。
そしてそれは、白竜を信仰する白竜教会も、黄金時代を信仰する黄金教団も、根底の所には必ず似ている所があるはずだ。
だからライはそんな考えを、過去だ過去だ過去だと、自然と過去の重要視ばかりさせる神共が嫌いなのだ。今を生きる者達は、今と明日を見ればいい。
明日を見る為に、死んだ後に神を見るならば、ライも許容できる。
神の為に過去を見て、何が変わると言うのか。
そんなものより、今を生き、明日を見た方が何億倍マシだ。
だが、ギョウの言う通り。
所詮今は、白竜の犬でしかない身。神だ何だと、真摯なギョウに語るべきではない。
ライは口を固く閉ざす。
第一、今回の件の切っ掛けは、そもそも白竜の教えを広める為という名目で。
以前よりポートンの信仰をしていた、ポート族に。押しつけがましい文化をねじ込んだ。
自分達であり。
無理にねじ込んだ隙間に、余計な物が混じってしまった。
誰が加害者と言える?
誰が被害者と言える?
そんなもの、どっちもこんな仕事をしている俺だ。
ライは心中、白竜教会や、神なんてものの為に戦うのは。
嫌で嫌で仕方ないが、仕事はやる。時にはどこまでも非情になり、力を振るえる人間だからこそ。
大金を得て、権力振るえ。白竜教会にとっての正義を名乗れる白竜騎士になれたのだ。
ライはギョウの首元に当てたサーベルを、ゆっくりと動かし始めた。
「アンクフィ!」
だが、白竜教会における祈りの言葉。
それを口にしたキーナの言葉に、ライは動きを止める。
「キーナ止めてくれ!お前まで……!」
「アンクフィです……祈りの言葉はアンクフィです」
静止を呼びかけるギョウではあるが、キーナはギョウの口を抑えるように抱きしめる。
奇しくもギョームを死に追いやる為に、口を押さえつけたライとはまったく逆の形。
ギョウを生かすために、キーナはギョウの口を押さえつけている。
それは、命乞いにしてはお粗末だ。
ギョウが口にしていない以上、ギョウが白竜に信仰心を見せるとはライは思っていない。
だが、ライは甘い考えであることを自覚しながらも、サーベルを鞘に納め。
「……ここに異教徒はもういないようだ。いくぞフィラキ」
少なからず、命が助かったことに安堵したのだろう。
崩れ落ちたギョウを余所に、ライは部屋の隅に置いてあった荷物を拾い上げる。
一方でギョウは、荒い息で呼吸しながらも。
ごめんなさい、ごめんなさいと。泣きながら謝り。それでも、死んでほしくないギョウの為に、必死で肩に包帯を巻くキーナでも。何故か剣を収めた、白竜騎士のライでもなく。
今の今まで沈黙を保っていた。ライの連れた女程度の認識だったフィラキに、目が奪われていた。
「そう、ね……」
手に持っていた盃をそっと机の上に置くフィラキに、ギョウは目を奪われてしまった。
楽しみね。
そう口にして、楽しみにしていた酒が、飲めないことを。
目を伏せ、本当に残念そうな表情を見せる。
毒が入ってなければ、飲む気でいるフィラキを、ギョウは見てしまった。
そして、徳利は無残に飛散したが。
フィラキと同じく、ライが一度手に持った盃は、机の上に置かれたまま。
つまり、白竜の犬と揶揄した、白竜騎士であるライも。
毒がなければ、異教徒である相手の酒を、受け入れ飲むつもりであった事。
ラタン村に取り巻く状況を知れる立場であり。それを滅する立場であって尚、敵が寄越した毒入りの酒を一度手に持ち。わざとらしく指を叩いたり、聞こえないふりをしたりと。
ギョウが思い直し。
ギョームを静止させるに、十分な時間を与えていたことに、ギョウは気が付いてしまった。
勘づいてしまった。
「俺は……俺は……」
有ったかもしれない。
自分達だけでなく、ギョームも、他のポート族の皆と、明日の出立前の祝いと酒を飲み交わし、食事を楽しみ。
迎える新たな希望を、語り合う未来を、よりにもよって自分が潰してしまった。
あの嫌った白竜教会や領主達のように。
自分達が悪意を、故意に相手にぶつけたことに、気が付いてしまった。
別種の意味で崩れ落ちてしまったギョウ。
そこにあった強固な意志は折れはせずとも、融解してしまった。




