序章-3 夢の果て5
「それで、女の子の背からお化けの犬が現れて……何だっけライ?」
「お前知ってるだろ……ったく。うぉんこらうぉんこら!うぉんうぉんうぉん!わんぱぁあああ!」
「フフフ……」
ギョウが知らぬ土地の、犬にまつわる怪談を話をし。
相変わらず、距離は離れているが。いつの間にやら、フィラキとキーナとの会話に混ざったライは、あの強者然とはかけ離れた。
どこにでもいる、調子のいい若者のように。
両の手を頭の上に当てて犬の耳の形をし、その犬のお化けになりきって、その場で片足飛びをして真似をするライの姿。
そしてそれを、船の件から、特に殺害を実行するまでに至る頃から。
笑うことが少なくなってきたはずのキーナが、心から楽しそうに笑っていた。
「…………」
ギョウは思わず。新天地に着いた夢でも見ているのかと思ってしまった。
よそ者は、ポート族、魚人の亜人に対して誰もがあまり良い顔をしなかった。
出会った正人曰く。
人の形をしておきながら、肌やら鰭やら、正人から外見が離れ過ぎているから、余計に気味が悪いと、ギョウ達は言われてきた。
匂いもまた、正人達には生臭いからと言われ嫌われてきた。
だが、フィラキとキーナは臭いはまったく気にしていないようで、極めて近い位置で、会話をして笑っている。始めはライを恐ろしく映っていたらしいキーナであるが、ライの会話を、交える動作を、世辞ではなく本当に楽しそうに見て、笑っている。
ライもまた、フィラキに文句を言いながらも、時折静かに笑い声をあげている。
新天地でなければ絶対にない。そう思っていた光景が、ギョウの目の前にあった。
「ギョウ!」
ギョウの帰りに気が付いたキーナは、一度会話と止めてギョウの元へ駆けよるが。
あり得ないものを見たかのように、目を見開くギョウを見て、はっと笑みを浮かべたままだった表情をキーナは暗く沈めた。
キーナも知っているのだ。
今楽しく会話をしていたライ達は、ギョウ達には殺さねばならない相手。仲良くするなどもっての外なのだ。だが、そんなキーナにギョウは、努めて口調を柔らかくし、優しく問いかける。
「楽しかったか?」
「えぇ……えぇ!」
真っ直ぐ見つめる瞳に、やはり一切の嘘がないキーナに。
「そうか……」
そう返すのが、ラタン村の勇者であるギョウの精一杯の強がりだった。
「罠に鳥はかからんかったようだな」
「あぁ残念だ」
そう言えば、そういうことになっていたな。
ギョウは思い返しながら、曖昧な返事をライに返し。
「明日にはかかると良いな」
「……そうだな。行こう」
その明日は、ライ自身の命がないこと、もう自分達は新天地に向かっていること。
二重の意味でないことはライは分かっていない。と思っているが故に、ギョウの返事はどこまでも淡泊だった。
最も、白竜教会の情報網によって、彼らのやろうとしていることを、ライは全て理解していることを、ギョウは知らなかった。
その後。塀がなく、潮風による被害が木よりも早急ではない。
石を主として造られた家が、一か所に寄り添うように立ち並ぶ。
ラタン村の住宅地を4人は歩きながら、ギョウの家へ向かっていた。
「魚を浸した酒ねぇ」
「焦げが少し着くまで焼いた魚を、米酒に浸して飲むのだ。エールやら、ぶどう酒よりも、我らにはこっちの方が口に合っているのだ」
「米ってのは、あの麦に似た奴か。米を育ててるとこはあまり聞かんが、あれ酒にもなるんだな」
「そうだ。パンも時折口にすることがあるが、ラタン村の皆はあまり食べんな、我らが口にするは魚や貝。大いなる海から捕れる物が主で、米も酒にしか使っておらん」
「何にせよ、ここにしかない珍しいお酒があるのね。ぜひとも飲んでみたいわ」
「俺の家に貯蔵がある。口に合うかは分からんが、馳走しよう」
「やった!楽しみねぇ」
いつからか話の内容は、どんな地域でどんな人がいようとも。
日々の楽しみの一つである食事や、酒の話となり、飲酒者達は好みの酒の話で盛り上がる。
ライは安いからエール、フィラキはぶどう酒でも赤く重い方。
ラタン村で暮らす、ギョウとキーナはどちらもラタン村作られた米で作る酒。
好みはそれぞれ分かれているが、だからといってそれ以外は飲まないという訳ではなく。
ラタン村の郷土酒を振る舞って貰えることとなり、フィラキは頬を緩ませる。
こういった、その土地にしかない食べ物、飲み物を口にするというのも、旅をするうえでの楽しみの一つなのだ。
「それにしても、静かだなここは」
「そうねぇ」
「…………」
ライはふと周囲を見回し、そうラタン村の住宅地の感想を零すと。
ギョウは無言で頬から冷や汗を流し、キーナは顔を沈ませた。
(ま、後ろや周囲の視線は盛り上がってるけどな)
理由の一つ目に、家の中からより遠慮なく送られてくる視線だ。
ライ達への好奇心と言うよりも、完全に敵対心が多量含まれており。歓迎する気でないのは明らかだ。
そして二つ目に、ライ達の後方より付いてきている群衆だ。
彼らは皆、手に銛と松明を持っており、フードを被って顔を隠しているとなれば、やはり歓迎する気でないのは明らかだ。
ラタン村の勇者であるギョウが、ライの傍に付いているので。彼の面子の為、まだこれといった行動は起こしていないが。事の次第によっては、それを捨てライとフィラキに襲い掛かるだろう。
諸々事情は把握しているライは、視線の理由も後方にいる存在の理由を、理解していながら、わざとすっ呆けているし。
フィラキも同様にすっ呆けて、呑気に同意している。
一方でライの実力を、まだ完全に把握していないギョウは、はっきりと周囲の仲間達に、まだ何もしないでほしいと言いたかったが。
言ってしまえば、村ぐるみで何か企んでると言っている。そうライは伝わってしまう為言えず。
かといって、一人でなんとかできるような状況でないのだから、助けが欲しいという矛盾状況に苦しみ。
キーナは、長の娘であるが。
ラタン村の住人が、税やら何やらと苦しむ中、解決に導いた等。
ギョウの様に、荒れ狂う海に飛び込み、動けぬ者達に課せられた税の魚をとったり。
近場の高い崖から海へ飛び込み、勇気を示した。
亜人狩りを生業とする、人攫い達と戦い撃退した等。
長の娘であるが、だからといって、これといった実績がない為。
立場はあるが、個人としての住人からの信頼はなく。彼らに対して口にした所で、聞いてもらえる立場ではない。だが、他のよそ者たちと違い、悪意をまったく感じられない。
ライとフィラキだけでも、何とか逃すことは出来ないかと考えていた。
もしも、群衆が襲おうものならば。
正当防衛の名のもとに、襲った者は皆殺しを考慮している。ライとフィラキ。
何とか二人を、無力化出来ないものかと考えるギョウ。
何事も、穏便に済ませたいキーナ。
新天地へ向かう夢、その障壁になりかねないよそ者を、排除したい群衆。
四つの疑惑が蠢く中。触れれば大爆発を起こしてしまう信仰の問題。
領主や白竜教会の圧力がなくなったことで、かつて取り壊されてしまった。
ポートンに海の豊穣と安寧を祈る、真新しい像を祀られた祭壇を通りかかった際。
ライはわざと、指を差し周囲に聞こえるような声で言った。
「こいつの変な像は何だ?」
「貴様!!」
「許さん!」
「我らの神を愚弄するとは!!」
自分達が信じる神を、指差しこいつ呼ばわりした。
群衆は、直ちに不届き者に制裁を加えようと動き出す。
キーナも、ライの言動に、さすがにむっと顔を顰め。
フィラキは、あきれ顔でよくやるわと感心し。
「待て!!」
ギョウは、ライに怒りを顔から滲ませながらも、群衆に対して静止を呼びかける。
どれだけライが鈍くても。群衆が、ライ達を目の敵にしていることは、バレているだろう。
ギョウはそう、思っているが。だからこそ、止めなければ。
まったく実力が見えないライが、ついでにいえば、そんな男が連れ回し。武器を持つフィラキが。
正当防衛の盾にして、どんな惨劇が起こすか、分かったものではないからだ。
ポートンに対し、無礼を働いたライを、ギョウも本心は、怒りをぶつけてやりたい。
だが、冷静に思考を巡らせれば。
ポートンを知らないライが。同じラタン村でポート族として生まれながらも、ポートンを知らない赤子と同じく。最初はまったくポートンを理解しなければ、尊敬もしないのは、当然であるのだ。
ライから見れば、誰かが作った像程度の認識であるかもしれない。
それにも関らず、偉大だ尊敬しろと、ポートン信仰をまるで押し付けるようなやり方は。
父親から聞いてきた。
ポートンの神話や、ポート族の伝統をただただ全て否定だけして聞きもせず。
ただ白竜のみを信じ、それ以外の神はあり得ぬと言い放つ。
今まで圧制してきた白竜教会と、何も変わらない。
その考えが、高潔な勇者であるギョウを冷静にさせた。そしてギョウの静止がなければ。
襲い掛かる群衆に対し。
悪性な神を信じる、同じく悪性な異教徒である。そう改めて大儀を得た、ライとフィラキが身に付ける。
鋭き剣の刃は、直ちに鞘から離れていた。
「我らポート族の、偉大なる海の神ポートンの像だ」
「おやぁ。偉大とは正亜大戦を集結させた、白き竜と聖王ではないのか?像を据えるのであれば、海所か、天も地も支配する。白竜こそ相応しいだろう?」
「…………」
結局、ライも同じか。
そうギョウは、典型的な白竜を信仰する者達と、まったく同じようなことを口にするライに。何かが違うと思っていただけに、失望した。
だが、それでもギョウは冷静に、けれども譲ることの出来ない信念を、言葉にして伝える。
明日の新天地へ向けての決意を改めて、群衆に伝えるように。
「……家族を信じるように、友を信じるように。我らが信じるのは、先祖より見守ってくださった。海の神ポートンに置いて他にない」
「では、白竜はないがしろにすると」
先祖から大切に受け継がれ、信仰してきた神ポートンを取るか。近年になって表面だけは、信仰を始めた白竜を取るか。どちらと言われれば、ギョウは迷うことなくポートンを選ぶ。
しかし、そういった場面があればの話だ。ギョウはわざわざ、白竜を崇める教会へ赴き、信徒達の前で。
こいつはただの白いトカゲであると、醜悪で挑発的で、馬鹿らしい行いをする気は微塵もない。
そしてこれは、ギョウ含めたポート族全員に言えることだ。そうでなければ、ラタン村に閉じこもることなく。各地で白竜と聖王の偉大さを宣伝して回る、白竜教会の真似事をもっと以前からやっていたはずなのだからだ。強いてポート族の皆が口をそろえて主張する事があるならば。
どうか、そっとしておいて欲しい。それだけなのだ。
「それは違う。我らがポートンを信じるように、他者が白竜を信じるのであれば、それは否定すべきではない。彼らには、彼らの信じる者があるように、信じる神がおられるからだ。ただ彼らがポートンを否定するのであれば、我らは反発する」
「そのポートンが、白竜を世から排除し、広く伝えろとギョウ、お前に啓示を授けたら。お前はどうする?そうするか?」
「あぁ……排除するだろう。広めるために各地へ旅立とう。それがポートンの意志ならばな。
だが、ポートンは過去も、そして今も、そう授けなかった。故に俺。いや、俺達は白竜を信仰はせぬが、ないがしろにする気はない。押し付ける気がないかぎりは、俺達だけでポートンを、ただ信じ続けるだけだ。俺達が海と共に生きる限り」
旅人を名乗る割には、妙な事を尋ねるとギョウは思いながらも。ライの質問にギョウは肯定した。
教えがあるから、ギョウは銛と矢は特別な物だと思っており。
これから何があったとしても、何かの命を断つ際には教え通りに、銛と矢をギョウは使い続けるからだ。
ポートンがせよということをして、しなくてもよいことは、無理にはしない。やるなということは、やらない。
これがギョウの考え、ポート族全員が共通した考えだった。
そしてここまでポート族の、ポートン信仰への想いを言って尚。ライがポートンに無礼を働くのであれば、群衆と共にライをギョウは襲うつもりだった。
そして出来る事ならば、ギョウはライに、無礼を働いてほしいという気持ちが、やや強かった。
そうすれば、キーナと笑いあっていた先の光景は、やはり偽りであり、心置きなく戦える。
戦って神の為にギョウは死ねる。
「なるほど。教えを一方的に否定されたり、一方的に押し付けられれば怒る。当然だよな……」
だが、ライの反応は典型的な白竜信者とは違い、怒るどころか穏やかで。
寧ろギョウの考えを、賛同しているかのような口ぶりだった。
ギョウは知らないが、ライは神が嫌いだ。
呼び方が白竜だろうが、ポートンだろうが関係なく嫌いなのだ。
そこに大きな違いはなく、同時にだからといって。自らの嫌いという考えを、ライはギョウ達に押し付ける気は微塵もなかった。
「偉大なる海の神ポートンは。よそ者の陸路の旅をする者の祈願を、受け入れてくれるだろうか?」
だからこそ、ライが行ったのはポートンへ祈ることで、ギョウ達ラタン村の、ポート族の人々から。彼らの信じる神への無礼の、許しを得る事だ。祈る程度で許して貰えるのならば。嫌いな神にいくらでも祈ってやろう。利用してやろう。
そんな傲慢に満ちた、ライの考えだった。
「あぁ海の神ポートンは、偉大であり寛大だ。例え、よその土地の者であろうと、陸路歩く者であろうと、水を通し、祈りを捧げる者に、加護を授けてくださるだろう」
「ならば、祈りの捧げ方を教えてはくれないか。先の無礼の非礼もせねばなるまい。その時によそ者の異なる祈りでは、海の神ポートンも、良い顔はせんだろう」
「……祈るのか?ライ、お前は白竜信徒ではないのか?白竜以外の神に祈りを捧げるのは……」
「旅をしていると、ひっそりとしているが。海にも色んな神様がいて、色んな名前があって、それらの神様を信じている者達がいる。いくら万能な白竜様でも、この世の全部を司っているとは、俺は思っていない。変わり者ってだけさ。こいつもな」
「私まで変わり者にしないでくれない?」
「えぇ……」
「そうか……」
そして、ギョウとキーナと、物騒な物を持ったままの群衆が見守る中。
ライとフィラキは、先に見本で祈りを捧げたギョウから見て、聞いて教わった祈り。
両の手を像に向けてから、合わせ指先を鼻に当てる。
たったそれだけの動作であるが、二人は真剣に執り行い。ポートンへ旅の安全祈願をした。
「…………」
ライとフィラキを見て、ギョウはここでも、また夢を見た気分になった。
ギョウが生きてきた中で、ポートンを否定するよそ者はしかいなかった。
黄金教団も、ポートンの信仰を許しはしたが、祈りを捧げることはなかった。その点、祈りを捧げた者はライ達が初めてだった。
ギョウが夢にまで見た、ポートン信仰に、明確な理解を示し、価値観を共有した他人だった。
「すまんな。時間を取ってしまった」
ギョウと同じく、ライ達を他のよそ者と同じく、敵と断言するには悪意がなく。味方と言うには不透明で底が見えない。
そんな苦い魚を食べたかのような、微妙な顔をする群衆を。まるで、見えていないかのような振る舞いをするライに。ギョウも少なくとも、ライ達を殺したくはない。
寧ろいっそ全て話してみて、新天地に共に旅に、来てくれないだろうかと、一瞬思ってしまった。
「気にする必要はない。家はこっちだ……」
ギョウは群衆に向かって、今は何もしないで欲しいと視線で訴え。
道を塞いでいた群衆は、ギョウの思いを汲み素直に開けた。
道の両端に人が並ぶ。そんな奇妙な状態になってはいるものの、変わらずライは気にすることなく、ギョウの家に向かった。




