序章 錆の騎士4
日が昇った。
人々は、明日を迎えられたことを、白き竜と始祖と現聖王に感謝の祈りを捧げ。
それぞれの相応の朝食をとり、それぞれの勤めを始める。
あえて普段と違うところを上げるのならば、どこかの袋小路に死体のないにも関らず。
大量の血痕が残っていることを不思議に思う警らがいるくらいだろう。
「結構日が昇ってるわね、これは朝食というよりは朝昼食ね」
「お前が起きるのが遅かったからな」
「起こせばよかったのに」
「洗濯して、昨晩の報告してたんだよ!」
どうしても洗い落とせないしつこい汚れはあるが、昨夜の血に濡れた状態に比べればマシになったマントを身に纏うライ。
これといってやることなく、酒飲んで寝た為か、昼前まで熟睡していたフィラキ。
二人はあれこれ荷物を背負い、忙しなく動く人々の中に混じりながら歩き、酒場にたどり着く。
その軽い木扉を開けると、漂うのは男女比率ゆえの若干の野郎臭とその中でも、しっかりと鼻孔をくすぐる酒と料理。
がやがやと騒音を奏でるのは、手の空いた農民、労働者、商人、冒険者、傭兵はたまた盗賊。
様々な職種の人々が、豪勢に酒と料理を楽しみながら会話をし。
或いはズボンのポケットの底にある端金を握りしめ、同種の人間と日々の愚痴を零す。
「どこかに席空いてないかな」
入口付近にいた者達は、フィラキの容姿と恰好を見て上から下まで三度四度と視線を忙しなく動かす。
フィラキの格好は上からマフラーと総丈が脇下までしかない短いジャケット。
赤い髪が映える様全体的に黒色で統一しておきながら。
唯一白色で、胸元を大きく開けたデザインをし。胸下までボタンのない襟の高いワイシャツ。
へそを晒す程これまた短いコルセット。
ミニスカートから伸びるガーターベルトは、内ももを魅せる為に、わざと非対称にさせた、オーバーニーソックスを吊り上げ。
靴には、シンプルながらも素材の良いブーツを履いている。
そんな、胸元を開き。ヘソを出し。肌着が頑張って覗けば見えなくはない。
そんな並みの容姿の女性では下品と言われかねない恰好が、女性的魅力を解り。
それを武器として、惜しげもなく美貌を晒せる気合いを持つ女性が着ると。
美としても性としても魅力の塊でしかなく。
証拠に視線に入れた途端、男達は鼻の下を緩め。僅かにいる女達は羨望の気持ちを抱かせた。
しかし、隣に立つ。
ただでさえ女性にしては高めの背丈を持つフィラキよりも、さらに二回りは上回る背丈を持つライの姿を見ると一斉に視線を外した。
どこの世界に、不吉そうな錆びた甲冑と、物々しい武器を多々持つ騎士の女に。
隠れてやるならともかく、男の目の前で堂々とナンパを吹っ掛ける男いるだろうか。
いたとしても、余程力含めて騎士に匹敵する程の魅力があるという自信があるか、騎士を納得させるだけの交渉手段があるか、馬鹿のどれかだ。
そして、この場ではそれに該当する人間はいなかった。
フィラキが席を確保する間に、ライは酒場のカウンターにいる店員に向かい。
水筒にしている革袋を、カウンターの上に白竜を唯一神として信仰している地域ならば、余程の事がない限り使える。
始祖聖王アインの三人の弟子の一人、聖女リーフェの肖像が彫られている。
大小の二種ある銀貨の、小銀貨の方を数枚と共に乗せる。
「こいつに水を満杯で頼む。あとエールを二杯と食事を一人分。肉があったら付けておいてくれ」
「まいどー」
銀貨を受けとると、店員は逆さまに吊られていた木樽ジョッキに。
これまた木製で、酒を貯蔵している大樽の栓を引くと、粗雑ゆえに飛び出る勢いを調整できていないが、ジョッキにエール注ぎ。
かすかに泡発つ、注ぎたてのエール入りのジョッキを店員はライに二つ差し出す。
受け取ったライは、目立つ赤い頭を背丈が高いことをいいことに、軽々と見つけると。
男が戻ってくる前に、夜の約束を取り付けようと、フィラキを口説こうとした者が。
逆に、フィラキの言葉巧みに乗せたり乗せられたりして、そして直接的にはたまた遠まわしに撃沈した。
そんな者達をライはどいたどいたと、かき分け。
フィラキの正面の位置にある席に、座る権利がある者として、堂々と腰を下ろし。
あわよくばまたタイミングを見つけて。再挑戦できる位置までフィラキ目当ての男達は、一端は去った。
「ほれ」
「ありがと」
エール入りのジョッキ、ライはその片方をフィラキに渡し。
「「よきかて」」
良き糧をお与えいただき、我らを完成へと導く偉大なる白竜に感謝いたします。
もっと長い口上を略したものを、さらに略した言葉をライとフィラキは、互いのジョッキを軽くぶつけながら言い放つ。
聖職者がいたならば、説教の一つの二つが飛んできそうだが。
中身は化物とはいえ、袋小路で娼婦にチンピラがナイフを向けるような街。
しかも、時期によっては盗賊をしているような者達がいる酒場だ。そんな信仰心溢れる者がいるわけがなく。
当の本人達も、感謝の対象はせっせとエールを作ってくれる職人達であって、白竜や聖王に対する、信仰心とやらは持ち合わせなかった。
さて、ライは骨人だ。
肉も血もない、骨だけの体でありながら、その体を動かすこと出来る。
食物を食べることで生き永らえる生命という枠から完全に外れている、食事が必要がない体だ。
当然、飯が食べられなければ、酒も飲めない。
そんな中、どうやってライはエールを消費するのかというと。
ライは首元にある、ねじを回し喉を開ける。
アーメットのバイザーを、周りに見えないよう本当に少しだけ上げると、そのままジョッキを傾けた。
このままでは、甲冑を纏った騎士が酒場で黄金色の水を垂らす悲惨な光景になりかねない。
それを防ぐ為に、ライは喉元に口を開閉できる革袋を仕込んでおり、エールはその中へと注ぎ込まれる。
後は人知れず中身をどこかに捨てるだけで、ごまかせる。
わざわざ、回りくどいことをする必要がない場面。ではないかもしれないが。
人として生きていく中で、何らかの付き合いという形で飲食を共にするという場面は必ずといってもいいほどあり。
数日間同じ場所に滞在する時に、何日も飲食を取らないというのは。
どれだけ鈍い人物であったとしても、それは不自然に映る。
いつまでも飯を食わない、飲み物は飲まない人は不気味に映り信頼しにくい。
そして、普通の人が日常的に行う行為を自然に行うためには、普通の人同じく自然と行えるように、日常的に繰り返す他ない。
飲食物に必要な代金を惜しんだ結果。
忌み嫌われる骨人とバレてしまい、命を狙われ。追われる事態になるよりは、多少金払って周囲に合わせた方が、遥かにマシで楽なのだから。
「お待ちどうお客さん」
料理を乗せた盆と、水が入った水筒を持った。
カウンターの店員とは別の店員が、ライ達が座る机に注文された物を置き。一言声をかけるとそのまま、次の酒や料理を待ってる人達の元へ向かった。
昼時故の忙しさで、客一人一人に対する礼儀が欠けてはいるが、所詮はただの大衆酒場。
相応の金額以上の過剰な奉仕を要求する方が、場違いというものだ。
フィラキの意識は店員よりも、盆の上にある料理に向けられ。
ジョッキを傾けるライも、店員に感謝の意を片手を上げて伝えたが、意識自体は周囲の人々の会話。
特に黒いローブやら黄色の布を身に着けた人々が、馬車で大急ぎで移動するのを見たという話に、無い耳を集中させていた。
「お、肉がある」
「頼んだからな」
「ライにしては気が利くわね。明日は雨か」
「お前が言ったんだろうが俺が食うぞ」
「止めてご主人様最高っす」
ご主人様という言葉に、ライは呆れを混ぜながら、まるで鼻があるように鼻で笑うが。
大口でがぶりと骨付きの肉に噛り付くフィラキには、まったく聞こえてはいないだろう。
ライのジョッキの中身がほとんど尽きた頃には、多少温め直されたパンと、クズ野菜が入ったスープ、骨付き肉の半分程度はフィラキの胃の中へ消えていた。
「鳥も悪くないけど今度店で食べるなら、牛のステーキ食べたいわね。もっとこう……分厚くて香辛料たっぷり使った奴」
「…………」
「食べたいわね!」
「うるせぇ」
骨に肉片一つも残らないよう、丁寧に食べるフィラキの言葉を無視して。ライは真面目に話を始めると、断りを入れ。
フィラキは脂のついた口元を拭うと、ライが話したい内容を予期していたので、先に口を開く。
フィラキも、酒場に来てから。様々な情報が飛び交う場所に来た以上、しっかりと少し尖った耳を立てていた。
「化物がいるかもだから、クラナス村に行くのはいいけど。私達当初の狙い。黄金帰教団のこの近辺を仕切っていた二人組いると思う?」
「いてくれなきゃ困るし、逃げたなら追うだけだ。あの屑共」
肉体があったら、唾を吐き捨てかねない程の嫌悪感をたっぷりと含んだ口調には、フィラキは薄ら笑いを浮かべる他なかった。
勿論その侮蔑を意味がある笑みを向ける相手は、目の前のライではなく黄金教団に対してであった。
黄金帰教団。
かつてあった大きな戦を終わらせた、救世主である白竜と始祖聖王アインを信仰するのが聖白竜教会。
それに対して、戦前にあったという究極の完成による、黄金時代。
それを秘匿し消失させ、戦を起こした邪悪として白竜と聖王を唾棄し。
失われた究極の完成を追い求めるのが黄金帰教団だ。
もっとも、その究極の完成という物がどういうものなのか、白竜をそのまま究極の完成を決めている白竜教会はともかく、黄金教団は分かっていない。
ならば、ライ達がなぜ黄金教団を嫌悪するのかというと。
非道。その一言に尽きた。
資金稼ぎに、罪なき人々を襲うのは日常茶飯事。
それ以上に問題なのは、その襲った人々を黄金教団にのみ伝わる。究極の完成に至るための秘儀に使う。
要するに贄だ。
そして、その秘儀の果てにあるのは、昨夜ライが斬り殺したような人を、無意味に襲う化物という末路。
飯を食わずとも生きられるにも関らず、人々を痛めつけ犯し、食い殺す化物達にライ達は容赦しない。
だが、一つだけ同情する点があるとするならば、化物の元は罪のない人だったかもしれない、という点だけだ。
そんな化物に変えてしまう黄金教団の目印は、黄色または黄金の布を身に着け。
体のどこかに、蝋を一滴垂らした跡のような、無定形な刺青をしている。
そして、その目立つ黄色の布を身に着けた者達を、街で見たという話が、酒場の中にあったのだ。
会話をする種としては十分だった。
「まぁ馬車の真偽はここで聞いただけで、裏付けはないけどな」
「そうね。いなかったらいなかったで……」
「残党共は殺すだけだ」
アーメットの下に肉があるのならば、冷酷な表情を浮かべながら言ったであろうライの言葉に、フィラキは同調するように頷く。
それはフィラキもまた、例え元が善良な人物だったかもしれない化物は当然の事。
黄金教団の信者の中に例え女子供がいようとも、他者を平然と傷つけ、贄とすることを肯定。
あまつさえ究極の完成に至る為の栄光と、ほざく相手ならば。
その相手を傷つけ、殺すことも一切厭わないという意志の表れだ。
「食い終わったら、買い物して出発だ。頼んだぜ荷物持ち」
「えー」
「えじゃねぇだろおま――」
「話が違うだろ!!」
いくら騒々しい酒場であっても、各々が少しでも快適な空間に過ごせるように、声量はある程度抑えられている物だが。
その声は大きく、そして高かった。
それもそのはず、その声の主は酒場に来るにはまだ幼い。
横にあるはずの耳が上にあり、鼻と口が普通の人。正人より真っ直ぐに伸びている。
そして、背は同じ年の正人である者達と比べれば、曲がっているので小さく見え。
純粋な亜の者達程ではないが、服で覆われていない一部の肌からは、人にはない太い毛が生えている。
犬らしい獣と人の混ざり者の男の子がいたからだ。