序章-2 修道院の朝にて4
食ったら寝る。それは至極当然の行いである。
食事を終えたフィラキは、そう主張するかの如くベッドに倒れ。
睡魔に誘われるがまま、眠りに落ちるが。生憎、風が強く鳴る夜には、その眠りは深くなかった。
目を開けると、まだ夜であることを示す暗い部屋。
けれども、微かな明りが部屋を照らしている事気が付く。
だがそれをフィラキは、不思議と思うことはなかった。これも、普段通りだった。
肉と血を持たない骨人であるライには、肉体にテロスを補充させる食事が不要であるように。
テロスを安定させる睡眠もまた、ほとんど不要だった。
その為、ライが長い夜を過ごす方法は、大体は剣の訓練をするか、読書に費やしているのだ。
「明りが強かったか」
「風の音がうるさいだけよ」
僅かな布擦れ音で、フィラキが起きたことに気が付いたライは、蝋燭の火を握り消そうと手を伸ばすが。
今もガタガタと木枠窓を揺らす。風の音のせいという声を聞くと、手を止め。
読み進めていた本を再び読み始めた。
「朝には収まるさ」
「そうね……」
二人の会話が一度途切れ、ライが本を捲る音だけが部屋に流れる。
決して、心地悪い沈黙ではない。
だが、読書の邪魔をするのも悪い、さっさと寝てしまおう。
フィラキはそう考えたが、無心に本を読むライの姿が、フィラキは少しばかり不安気な顔を浮かべる。
ライは神様が嫌いだ。
だが、その神。白竜に選ばれた始祖聖王の言葉や、聖王の弟子達、幾人かいた聖人達が書き残した聖典を丸暗記して、自らの解釈、他者の解釈全て飲み。
真に神と言う物を理解して、意味に迫ろうとしている。
それを白竜騎士と言う仕事柄故であると、割り切っているのならばともかく。
ライの行いは、フィラキから見れば病的だった。
白竜教会は白竜を指して神という。
黄金教団は古き時代を神という。
また、神が残した言葉に、聖人が残した言葉に、神を見る者もいる。
滅多に見ることの出来ない光景を、神と認識する者もいる。
そもそもフィラキには神なんてものはどうでもいい。
だが、そんな中で、ライが神に求めていたのは、もっと本質的で超越的な何か。
神とは何ぞや、救いとは何ぞや。
あるかないかで、万人が万人の解釈を持つであろう運命だとか、真理だとか。
どうしようもない事を、どうしようもないで済まさず。ライは理解しようとしている。
それによって、白竜教会の教えに従い。
徳と立場を高めるだけならば。現実的な理由であり。
それならば、ライの努力の意味をフィラキは理解が出来る。
そして、つまるところ、ライが実感できる利になるならばフィラキは不安に思うことはない。
だが、ライはそれすら違い。理解せねばならない。理解せねばいけない。
本人は意識していないのか、決して口には出さないが。無意識に、ライは超越的な物に迫ろうとしている。そんな雰囲気を、常々感じているフィラキはどうしようもなく。
ライと言う存在が、いつしか消えてしまいそうで、危うく見えて仕方ないのだ。
「何、読んでるの」
フィラキがふいに出た言葉は、ありきたりだった。
だが、これならば悪意がない限りは、応えてくれるだろう言葉だった。
ライは、僅かな金属音を立てながら、無い目の視線をフィラキに向け。
「亜人達の神集という本だ。これによると荒れ狂う強風の神もいるが、そよ風の神もいるらしい」
語るその口調は、成人した女性相手にするには、いささか。
子供に童話を聞かせる親に似た、馴染みやすい温かさが込められていた。
だが、仕方のないことでもあった。
普段は、心の余裕が表に出たかのように両の口端をうっすらと上げ。
ライがいつ見ても。信頼を視線に乗せて、ただ真っすぐに力強い琥珀の目が。
今この場だけは、女がする媚びよりも、子供のように甘えくすぐる様な上目遣いをして。
口端が不安げに下がっていたとなれば、ライもついその甘えに応じたくなる気分になる。
「どんな、神様?」
「そよ風で、女のスカートをはためかせる男神」
「変な神様」
そよ風に意味を持たせるならば、風で頬を撫でるとかでいいではないか。
そう思ったフィラキは変と称したが、不潔という意味ではなく。
純粋に不思議な神もいるものだと、思っており。
それ以上の興味はフィラキは抱かなかったが、ライは補足し、自身の感想も添える。
「だが同時に、そよ風で春の芽吹きを告げる神でもある。芽吹きと言えば、大地の女神。所謂地母神ってのは正亜大戦以前の正人が信仰した神や、他の亜人達の神でもよく聞くが。
地父神ってのはあまり聞いたことねぇな。春の芽吹きに男の神を見る。森人ってのは面白い神を知ってる。そう思わないか?」
「ふぅん……」
「真面目に聞いてないだろ」
「まぁね」
「認めんなよ」
あまり真剣に聞いてない為か生返事をして、挙句認めるフィラキに。
ライは不満を口にするが、大して本気ではなかった。
ライにとってはこの時間は、フィラキが再び眠気に落ちる前の暇潰し。
朝になり起きてしまえば、聞く側はきっと忘れているだろう。仮初めの時間に過ぎない。
「ん……」
それ故に、フィラキから差し出された右手をライは見て。
随分と今日は絡んでくる。そう思いながらも、ライは本を持つ手を変えて、フィラキの右手を握り返す。
だが、恋人の様に、夫婦の様に指を絡めたりはしない。
ライとフィラキはそういった関係ではない。あくまでも、そっと乗せる様に触れるだけだ。
「何甘えてんだお前は」
「でも、ちゃんと握り返してくれるのは好きよ?」
「うるせぇ」
ガントレットを嵌めたライの手では、お互いの手から温もりは感じられない。
例え外したとしても、肉のないライには、人並の温もりは持たない。
だが、ただ互いの存在を感じられる程度の感触でも、手ではない別の場所から、不思議と温もりは感じる物なのだ。
「おやすみ」
「あぁ」
手を繋ぐ為とはいえ、体を横に向けて寝るのはあまり好きではないフィラキは、寝にくさを感じているが、ライが隣にいる。
そして、手に届く範囲にいてくれていること、笑みを浮かべながら確認し、再び眠りに落ちるために瞼を閉じた。
一方のライは利き手ではない手で捲る本は、随分と読みにくいと思いながらも。
決して、この姿勢とこの時間が、不快だとは思わなかった。
二人は、片方の力がするりと抜け落ちるまでの間。
手を繋げたまま、風がうるさい夜を過ごした。




