序章 錆の騎士3
とある街の、とある宿屋の一室に、若い女が一人。
備え付けてある椅子に、背ごと体を預ける様に浅く腰かけ。
鍛えられてはいるが、見る者に情欲を掻き立てられる程度には柔い。
女らしい肉付きを持つ、白く長い足を、ベットに乗せている。
だらしないと揶揄される姿をしているが、結局の所見る人がいないのだから。
女の姿は寛ぐという意味では、十分果たしているだろう。
ただでさえ、蝋燭の僅かな明りしかないほのかに暗い室内。
その中であっても場違いなまでにサンサンと輝く、女の琥珀の瞳には。
見ても見ても変わることない部屋の壁しか映らないず。
手に持つ物は、携行食の味気のない棒状の堅パンだ。
安宿に相応しい、光景に食事。
女は暇を持て余していた。
ギィ……
そんな中、響く古い木の床の小さな悲鳴。
それは、部屋の付近に来訪者が来たことを意味した。
招かざる客、か否か。
椅子に立てかけて置いた小剣の柄を握り。
琥珀の輝きは一瞬鋭いものに変わるが、ガチャリと鳴らす扉と共に、その来訪者を目にすると。
柄の手を離し、堅パンを咥える口の端を上げた。
「ライじゃーん、おっかえりー」
「あぁ」
ライ。
そう呼ばれた人物は、赤い腕輪と錆びた甲冑、目立つ背の二本の武器とその他を身に纏っていた。
そして、ぶかぶかとした黒マントは所々血に汚れており、一目で何があったのか、女には理解できた。
最も、女が気にしたのはライの血に汚れた姿ではなかった。
「ただいまくらい言ったら?」
「あーん?」
その曖昧な態度は、暗にどうでもいいと言っているライの反応に、女はムッとした表情を見せる。
だが、ライはそれを無視すると、部屋の隅に置いてあった大きなリュックから小箱を取り出し。
中に入っていた着火道具と鉄の灰皿、すでに幾度か切られた短い葉巻を一本取り出す。
そして、部屋の扉窓を全開にした。
夜の中に輝く白い月、万物見通す白竜の片眼とも言い表されている光源が部屋を照らす。
「葉巻の臭い嫌いなんだけどー」
これからライが何をするのかは、誰が見ても明らかだが、それでも抗議する女にライは選択を突きつける。
「血生臭いのとどっちがいい」
また、女はムッとした表情をするが押し黙った。
それを合意と勝手に捉えたライは、葉巻をある程度の長さにナイフで斬り落とすと。
灰皿の上でそれをほぐし、着火具で火を灯す。
立ち上る白い煙にライは包まれ、その香り嗅ぎ、月を眺めながら一言呟く。
「あー……臭ぇ」
「だから匂い消すなら、香水とかにすればいいじゃない」
「嫌だよ女々しい」
「そういう考え良くないんだ」
「うるせぇ」
マントの血がついた部位を重点的に煙を当て、日が昇った後の本格的な洗濯する前の一時凌ぎを終えると、ライはガントレットを嵌めた手で葉巻の火を握り消し。
残った灰を、持参しているゴミ箱用の鉄箱に入れた。
「で、どうだったの」
女の問いかけに、ライは無言で女の方に黒い石を投げ渡す。
女は石を目視することなく、掴み取り。
その黒い石、小指程度の大きさしかないそれを、ヘソの上に置き感想を述べる。
「雑魚ね」
「あぁ、だが情報は聞けたぜフィラキ」
フィラキと呼ばれた琥珀の瞳を持つ女は、ようやくまともにライの話を聞く気になり。
腰まで伸ばした所々ハネてはいるが、丁寧に手入れされた証。僅かな光源の中でも、艶を出す赤髪。
それを手でかきあげながら、椅子に預けていた背を起き上がらせ、足を乗せていたベットと一時の別れを告げて立ち上がる。
その際に、揺れる豊かな双丘とそれに反して細い腰、そして再び豊かになる肉付きは。
女性として最上位に部類される、整った線を描いていた。
「情報って?」
黒い石を机の上に置き、同じ机の上に置かれた木製ジョッキに、度数が低い安酒のぶどう酒を注ぐフィラキ。
そして、濡れ光る薄い唇をジョッキのフチに付けると。
グイ、グビグビ、ゴキュ……
いっそ、気持ちの良く感じる程の音を鳴らしながら一気に半分飲み干し。
極めつけに、叩くようにジョッキを机に置いたことにより、ジョッキから僅かばかりぶどう酒が零れだしていた。
「ったはー!」
「お前な、もうちょっと上品に飲め上品に」
「いいじゃないの今更ぁ」
指摘するライに、ケラケラと笑うフィラキ。
かつてどこかの誰かが言った。
美人は何にでも似合う。
最上位の肉体を持つフィラキは、その顔立ちもまた最上位だった。
目尻が少し吊り上がった、猫を思わせる。
縦に長い瞳孔を持つ瞳には鮮やかな琥珀の色、高くすっきりとした鼻筋と小さな鼻。
唇は紅なくとも桃色の光放ち、そしてすっきりとした線を描く頬。
白い肌は触れるまでもなく、張りが見え、そこにはシミの一つもない。
耳が少しだけ人より尖ってはいるが、あとは口を閉じておけば知的で、冷静に見える美人だろう。
そんな、フィラキが雑に酒を呷った所で、絵になってしまうのが美人や美形という者達の罪だ。
最も幾度か見る機会のあるライには、すでに見慣れた光景であるので。
フィラキの今更という言葉には若干の諦めを感じながら、ライは聞き出した情報の話の続きをした。
「クラナス村に目標の二人組がたぶんいるかもしれん」
「どの辺?」
「ここから俺達の足で半日って所にある。数年前に廃村になった村だ。貴族達の下らん小競り合いに巻き込まれた後捨てられたらしい」
「誰から聞いたの?」
「そいつ」
ライの指差す所にあるのは、フィラキが机に投げ捨てた黒い石。
数時間前に、ライが斬り伏せた肉の槍を放つ化物の成れの果てだった。
情報の聞き出すまでに何をされたのか、フィラキは察することができたが、同情はしなかった。
今日まで自分より弱き者達を、何十人も虐げ殺してきたから、より強い者に虐げ殺された。
それだけなのだ。
「明日、準備を済ましたら。発つ」
「それなら行く前に、景気づけに肉食べたいわね」
「考えておく」
「期待してるわ」
曖昧な返事ではあるが、ふわりとした笑みを浮かべたフィラキは、再び堅パンの消費を行う作業を始め。
ライは、今日使用した武器の手入れを始めた。
布や砥石が刃を擦る音は、音楽としては落第だが。
目に映る壁の光景と味気ない食事が、一人でいるよりも遥かにマシと感じていることに。
フィラキは一人、くすぐったい気持ちを感じていた。