序章 錆の騎士26
ぐぅすかと、眠りに落ちているティクに。
多少は勇敢になったかもしれない、度胸も身に付いたかもしれない。
だが、根本はそこまで大きく変わってないのかもしれない。
ティフィはそんなことを思いながら、愛おしそうにティクの、正人とは少しばかり毛質が異なる髪を撫で。
もう片方の手で、強くティクの手を握る。
「「…………」」
言葉を交わす者がいなくなり、ティふぃはライとの気まずい沈黙を味わっていた。
ただ、ティフィはライに言わなければならない言葉があった。
あの恐ろしい化け物に、ライが傍にいなくて立ち向かったティクを思い出し、数回息を吸って吐いた後。
ティフィは、ライに話しかける。
「あの……」
「何だ?」
「いつから、起きてました?」
「……少しは気を失ったさ。だが、全部聞いていた。そいつが格好つけるもんだから、起きようにも起きられなかった」
懇切丁寧に説明するまでもなく、ティフィの意図を把握したライは、事実をありのまま伝え。
なんとも都合の良い時に、ティクを短銃で助けることが出来た理由を告げた。
ティフィ達にとっては、死んだと思うほどの攻撃だったようだが。
ライにとっては、化物の槌は少し。
本当に一瞬気を失うだけで済み。骨折したとしても、ライに宿るテロスと、アインの聖刻具の力ですぐに治せる程度の傷でしかなかったのだ。
「ごめんなさい」
だが、何にせよ。ティフィは深々と頭を下げ。
「あなたを信じ切れずに、ごめんなさい」
そう謝罪した。
仮にも化物から、殺される寸前で助けに来てくれた相手が、骨人であるというだけで、信じることを止めて。
心中で、理不尽にライに恨みを向けたことを。
ティフィは謝らなければならなかった。その理由は。
「俺が、白竜騎士だからか?」
「…………」
ライが、少しばかり威圧するように語った。
何故忌み嫌われる骨人が、白竜教会において排すべき相手と教えられている骨人が。
聖王と知りえないと成ることの出来ない白竜騎士になったのか。
コネで成ったとライは言ったが、そのコネとやらを得るまでどんな経緯を得たのか。
ティフィには知るところではないが、ライが白竜騎士であり、貴族であることには変わりなかった。
ティフィのティクを握る手が、強くなる。
「悪いな。どうにも性格が歪むと、口も考えも意地悪くなるみたいでな。つい気になってしまうんだ。で、どうなんだ?」
だが、次にライから発せられた言葉の、口調自体は怒りを含んではいなかった。
ただ、試すようにライはティフィに問いかけた。
「……ないとは、言いません」
そして、ティフィは、ライを見つめて正直に答えた。
化物は身震いするほど怖かった。
しかし、死んでしまった以上、化物はもうティフィとティクに、何かしてくることはない。
そうなると、ティフィが次に恐ろしいのは骨人であり、白竜騎士でもあるライだ。
結局のところ、現状とその後しばらくは。
生殺与奪の権利が化物から、貴族様であるライに移ったまま、握られている。
それが、ティフィには恐ろしくて仕方がなかった。
白竜騎士でなければ、骨人であるライに話しかけようという気もなく。
ただ、息を吸って吐くだけの像になっていたことは、ティフィ自身が思っていたからだ。
「だろうな。お前の態度に気分を悪くした俺が、地上に戻って白竜教会に……」
だが、ライはその、貴族だからこそ謝罪したという本音を聞いても怒ることはなかった。
寧ろ同意するように、頷いた後ライがティフィを指刺し、芝居がかった口調。
けれども寝ているティクを起こさない様に、少し声量を抑えた声で。
そのティフィが恐れている内容を伝え始める。
「こいつら姉弟は今回の遺跡にて、秘儀の贄を募らせた黄金教団の手先だ。聖王の法と力の代理人。白竜騎士の名を持って、しかるべき処罰を与えなければならない。
と白竜騎士証明のネックレスを掲げながら告発したら。
お前らの弁明は絶対に聞いてもらえんだろうし。少なくとも、俺の気まぐれで無罪放免になっても周囲は良い目を向けんだろう。お前の懸念はもっともな考えだ。間違ってはいない」
ライは、白竜騎士の証たるネックレスを取り出す。
七色に発光する不思議な銀。
白竜教会の中でも相応の位を持つ者でなければ。教会の教えの圏内である王国の、例え王族であっても。
それを、身に着けることが許されない白銀皇石。
その加工品であるネックレスを前に、ティフィは神秘を目にしたかのように、惹かれるが。
「俺は貴族様中でも結構偉いらしく。同じ貴族相手でも、やり方次第では首を撥ねてもお咎めなしだ。
それだけの信頼って奴がこのネックレスにはある。不思議なもんだ。これ自体あらゆる神術の触媒である、アインの聖刻具ではないというのにな。まぁ便利だから必要になったら、存分に権力を利用させて貰うがな」
あくまでも道具。権力を振るう為の武器。
白竜騎士は、現聖王が直々に叙任して貰わなければならない誉れ高い称号だが。
ライは、聖王に認められた、七色の神秘の輝きではなく。
それ自体が持つ効力のみしか見ていないと、ライは断言した。
その言葉を聞き。
とても、白竜騎士の名誉を受けるほどの人間には、ティフィには見えなかった。
だから強力な人物のコネで、白竜騎士になったのだろうか。
とも思ったが、ティフィにはとてもコネだけで、白竜騎士になれるとは思えず。
また、ライがそのコネを運や卑屈な手だけで手に入れた人間とは、ティフィには思えなくなりつつあった。
「そして……」
「きゃっ……」
ライは唐突にバイザーを再び全開に上げて、骸骨を晒してティフィを覗き見ると。
ティフィは思わず驚き。
顔に、その表情と声が出てしまったことを、取り繕う間もなくライに見られ、聞かれ。
罰が悪そうに、顔を暗くする。
だが、ライはそれでも尚、怒りと言う怒りを見せることはなく。
ティフィにとっては、良くも悪くも淡々として、そのライの思考が読み取りにくかった。
「骨人を見て恐ろしいと思うのもまた、普通なんだ。怒る気もねぇよ。会ってから今までの事情を加味したとしても……俺が骨人だと分かって尚、あんな態度を見せたこいつの方が変わってるくらいさ」
ティクに、ない目で視線を向けるライ。
変わっているとライは言った。
つまり、散々変わってない方を見て、体感してきた故の言葉であることが、ティフィには。
自身も混ざり者の子供として、奇異な目と態度で接せられた経験があるが故に、理解できてしまった。
そして、理解するだけの経験がありながら、骨人であるライを信頼できないと断じてしまったことが、より深く心に重く圧し掛かった。
「何にせよ、賢い良き姉をしてるよお前は。世の生き方をよく分かっている」
だが、そんなティフィをライはむしろ褒め。
皮肉は一切なく、それでいいと肯定した。
「何故、そんなことを言うのですか?」
それが、ティフィが初めてライに尋ねた質問だった。
圧倒的な力と権力を持っていながらも、決して乱暴に振るわないライの方が立派ではないか。
圧倒的な力を暴力として振るう相手に、決して折れずに立ち向かうティクの方が立派ではないか。
それに比べて自分はどうだ、助けてに来てくれた相手の世の立場が下と分かったら、さっさと信頼を切り捨て。
逆に立場が上だと分かったら媚び始める。
それがなぜ良いと言い切れるのか、ティフィには納得ができる理由が欲しかった。
ライは困ったように、拳でチンチンとアーメットを叩き。
顔を隠すようにバイザーを閉じると、静かに語り始めた。
「10年ほど前だ、こいつと同じぐらいの年の頃には、俺にはまだ妹がいた」
「えっ……」
いた。という言葉だけで、もうその妹はいないということは、語るまでもティフィには分かった。
そして、本人だけではなく。その家族までもが巻き込まれるような出来事。
ライがティクと同じぐらいの年に起きた10年も前の出来事。
つまるところは、9歳であるライという少年の骨人化。という出来事が起きたと、ライは暗に告げていた。
ティフィはライが、若いとは思っていたが、それでも19か20というのは、想像の10歳以上若く。
そして、その半生を周囲からの理不尽なまでの悪意を、簡単に集めてしまう骨人として。
今まで生き抜いてき、それどころか、世に名が広く知れ渡っている白竜騎士に成ったと言っているのだ。
ティフィは、驚いてつい口を開いてしまったが、以降。再度固く口を閉じて聞き入るしかなかった。
「たぶん、お前の様に。妹を思いやることの出来る、良き兄ではなかったし。これは今でも思っているが、良き息子でもなかった。
時折ふと、父と母を口汚く罵倒したくなる時がある」
父親と母親に、何か確執あったのだろうか。
いや、あったに違いない。骨人が家族内で出たら、真っ先にその家族が、白竜教会に身を差し出さなければならない。
そうしなければ、骨人を匿う不心得者として、白竜教会から神罰として、巻き添えを食らうからだ。
きっと、殺そうとする親と生きようとする子で争いがあった。
ティフィはそう考えたが、次に出されたライの言葉に、その考えは両断された。
「何故、俺を見捨てなかった……」
「…………」
「見捨てていれば、たかだか骨人になった糞ガキ息子の一人だけの恨みだけで済んだ。
それより多くの人々の悪意と恐れを身に受けずに済んだ……」
ライの口から出た事実は、ティフィの考えとはまったく逆だった。
ライは、両親から見捨てられることはなく。ライの両親は息子を救おうとして、そして息子だけ残して死んでしまった。
ライよりも幼い娘を巻き添えにする、そんな結末だけを残して。
なんとも、救いがない話だ。
だが、世の人々は彼らの家族をこう罵るだろう。
白竜の教えに従わない、不心得者一家と。救う必要がない、魔に魅入られた家族だと。
ティフィはライの伝えたい事を理解した。
大衆や権力に従う事がもっとも賢い。下手に勇気を出して諸共失うくらいならば、身内であろうと切り捨てる勇気を持て。
何故ならライは、大衆に従わない両親によって、家族を失った。
測るまでもない事を天秤にかけ、取るべきでない方を選んでしまった家族が残してしまった人なのだから。
「そしてもっと早く俺が、俺自身の意志で、歩くことが出来ていたら。あんな……」
そして何よりも、測った物は物ではない。
天秤にかけるものを助けるべく、天秤から抜け出すこともできる人だった。
それにも関らず、最も重要な場面で、自らの意志で選ぶ勇気が持てず。
ティクの様に、誰かによる救いがないまま、生き残ってしまった結果がライなのだ。
その証拠の様に、両親以上にライは、自分自身に。怒りと恨み、後悔を入り混じりながら呟き。
ライの口から、それ以上のライの家族達に関する言葉、末路は出ることはなかった。
ティフィはそれに対して、これ以上聞くべきではない。
そして、何も語るべきではないと思った。
ライはティフィの質問自体には答えていた。
長い物には巻かれろ、大衆と権力に従え。
少数の中に身内がいても切り捨てろそれが、最も賢い生き方なのだと。
自身は大衆を動かさずほどの権力を持ちながら、少数側であるティクの願いを聞き入れ、自ら切り捨てることを選んだティフィを救いに来た。
口にした考えと、今までの行動が、どうしようもない矛盾しているライを。
そのどうしようもない生き方をする人を、救うだけの言葉をティフィは持たず、また救うという意志を持つには。
余りにもライは、大きく重い存在だった。
どれだけライとの知己を得た際の恩恵が大きかったとしても、ティクの為にもこれ以上関わるべきではない。
そんな人間、そんな骨人が。ティフィにとってのライと言う存在だと、この少ない会話で決定付けさせた。
「揺れも大分収まったな。その悠長に寝てるガキを起こしてくれないか。そろそろここから出る」
随分と重い話をしていたが。
ライは一瞬で払拭するように、重たさを感じさせない。
雄々しくきっぱりとした口調で立ち上がる。
こういった切り替えの早さもライの強みなのだろうか。
ティフィは、そう思いながらライの言葉を聞いてティクを、軽く揺さぶって起こす。
「ん――……?」
眠そうに、目を擦るティクに、もうすぐ当たり前だった日常に戻れる。
そんな希望が、見えてきてティフィも、穏やかな笑みを浮かべるが。
「来い、デロス!」
ライは空を、黒い剣で切り裂き。
そこから出てきた物を見ると、ティフィは驚き、ティクも跳ね起きた。




