序章 錆の騎士24
フィラキが向かった道よりも、さらに長い道だったが。
目的地は、そう遠くはなく、ライとティクは部屋にたどり着いた。
そこは、最初にティクが見た人々が捕らわれていた部屋よりも、さらに広く。
中心部には、元々は何かを置いていたような跡がある祭壇があったが。
代わりに鎮座していたのは、化物だった。
先の化物が馬面の細身ならば、こちらは大男が三人積まれているかのような高さを持つ、巨体にして。
首と胴体が同化した肥満の化物。
その太い腹を支えるは、八本の足。
片腕に握られるは、部屋を支えている四本の柱の一つをそのまま無理矢理抜き取った即席槌。
そして、それは今まさに振り下ろされようとしており。その槌の下には。
ティクが見間違えるはずのない。槌と化物の影で怯え震えながらも、生きた姉の姿だった。
「姉ちゃん!」
もう聞くはずのない、こんな場所で聞いてはいけない声。
ティクの声に、ティクの姉ティフィは目を見開きながら、ティクを見た。
だが、そんなティフィの頭上に影が落ち始めた。
化物が槌を振り下ろしたのだ。
「姉ちゃぁああああん!!」
悲鳴にも似たティクの叫び。
ようやく会えた姉が今まさに、死を迎えようとする姿に叫ばずにはいられなかったのだ。
だが、それよりももっと早く。
ダッと地を蹴り、ライは動き始めていた。
ギィン――!
そして、大きな音が鳴り。
槌は止まった。
「…………」
「……んぁ?」
振り下ろされた巨大な槌を支えるは、ライの片手に握られしサーベル。
その細身の刃と、化物と比較したら小さな体をしているはずのライが、どうやって槌と化物の力から無事支えているのか。ティクには想像の出来ない力が、せめぎ合っていた。
「いい時に来たなぁ、その女追って遊んでたけど飽きてきた所だぁ」
先ほどの化物とは違い、言葉を話していることに驚きを隠せないティクだが。
ライは気にすることなく、ティフィを脇に抱きかかえると。
槌をサーベルで押し返し。後ろに跳躍して、ティクのすぐそばにティフィを置いた。
「「…………」」
ティクとティフィ。どちらも、一瞬。時が止まったかのように、見つめあった後。
「姉ちゃん!」
「ティク!」
どちらも涙を浮かべて、破顔させながら。お互い存在を確かめ合う様に抱きしめ合う。
もう二度と会うことはないと思っていた姉弟の感動の再会。
実に美しい光景である、だが場所と時は選べとライはティクの肩を叩き。
「再会を喜んでいる所悪いが逃げ……られんか」
さっさと退散して貰いたかったライだが、ティフィが槌を振り下ろされる際。
一切逃げる素振りなく無抵抗だった理由。
重症ではないが、今まで化物の悪趣味な遊戯に付き合わされていた結果であろう、足が捻挫をしていることを見ると。
ティフィを再び抱きかかえ、化物にライは威圧するようにサーベルを向けながら、部屋の隅まで運んだ。
指示を受けるまでもなくティクも、ライの後ろに引っ付くように走る。
その間化物は動くことはなかった。ただ不気味な笑みだけを浮かべていた。
「茶菓子は出せんが、まぁ見てな」
軽口を叩くライに、ティフィはまだいまいち実力が分からないライに対して、不安げな表情を浮かべていたが、ティクは頷き返す。
化物を倒したフィラキよりも、さらに強いというライ。
あのどこまでも英雄的な背がティクに絶対的な信頼を植え付けた。サーベルを突き出す構えはそのままに、悠々と歩を進めるライ。対するは槌持つ肥満の化物。
さぁ開戦とはならず、化物はにたりと顔を歪めたままライに、話しかける。バッタの四肢を千切って遊んだ幼子が、自覚なき残虐な行為を自慢するように。
「な、なぁ、混ざりの子供連れてきた騎士さんよ。知ってるか?体を動かして、恐怖に怯えながら死んだ人の肉って、程よく硬くて歯ごたえがいいんだぁ。特に女と子供はな!」
「…………」
ごくりと、ティクは唾を飲む。
良い生まれの子供が、菓子を頬張る姿を見た時の羨ましさ、そういった気持ちで飲んだのではない。
人の肉の食感なんてものは聞きたくなかった。
あと少し、たどり着くのが遅かったら、その肉は姉だったのだから。
一方でライは静かに、サーベルを握る力をより強くさせるのみ。
その反応が、化物の反感を買ったようで、ただれた顔で唾を盛大にまき散らしながら怒り始める。
「き、聞こえてんのか!オラァが気分がよくて話してやってんだぞ!」
「黙れ」
「誰に向かって黙れ言ってんだぁああああ!?オラァは大いなる意志様に選ばれたんだぁ!意志様は!人を殺して完成を高めろって言ったんだァ!お前も殺してやる!ぐっちゃぐちゃにして殺し――」
怒る化物の言葉は、遮られた。
重ねるような言葉ではない、ライのサーベルの一振りよって。
地下であるはずなのに、一陣の風を起こす程の音を鳴らし、文字通り黙らせ。
「大いなる意志だ?」
ライの明確な怒りが、その口から発せられる言葉の単語一つ一つから滾られていた。
大いなる意志。
それはティクには分からないが、ライには激しく怒りを抱く存在であることは、理解せざる負えなかった。
「お前最近化物になっただろ」
「そんなことお前に関係ないだろぉ!オラァが下男だったことなんぞ関係ないだろぉ!」
ライの指摘通りなのだろう。
化物が突拍子もないことだがずばりと言い当てられて、狼狽える姿を見てティクは、別種の意味での衝撃を改めて受けた。
目の前にいる化物は、先ほどの馬面の化物と違い。ティク達が乗っていた商団にいた誰かという事実。
即ち、つい最近まで。
真面目か不真面目かは分からない、扱いもどんなものかは分からない。
だが、普通に生きて、普通に暮らしていたはずの。
名は知れぬが、そこにいた人達の誰かの成れの果てなのだ。
しかもたった数日で、残虐に殺すことを厭わない、そんな残虐なモノになったのだ。
ティクとて、この十日間ほどで、荒れた心は持った。
目に見える全てが敵に見え、攻撃的な思考になることはあったが、それでも誰かを殺そうと思ったことは一度もない。だが化物になるということは、こうまで変わってしまうものなのか。
こうなってしまったのは、ライが怒る大いなる意志と言う存在によるものなのか。それとも黄金教団のせいなのか。ティクは理解の範囲を越えた畏怖に、自然と体を震わした。
「歪んだ秘儀で力を手に入れ、生まれ変わり。黄金教団の命令がなければやることは、意志様とやらの傀儡かね」
「傀儡?ちがぁあああああう!オラがやりたいからやってんだぁ!お、ぉぉお前を立場分かってるのかぁ!!?
オラの力を分かってるのかぁ!!?旨そうな子供を連れてきたから、最後に殺そうと思ったけど、今殺してやるぅ!!」
地団駄を踏む子供の様に、その八本の足で遺跡を揺らす化物。
その力は確かに、化物としか言いようがない。
だが、ライはどこまでも悠々とした態度を崩すことはなかった。
「やってみろよ。だがなこれ以上、意志なき物が語るな化物が……死へ還れ!」
人から物へ転生した。
即ち、化物は人として死を迎えている。
挙句歪んで生まれたその生は、食眠性すべてにおいて意味がなく。
独りよがりで空虚。故に、別の意志や作られた意志に唆される。
だからこそライは還すのだ。化物と腐物達を元の正しき死の形へ。
ライは駆け出す。
甲冑は重いという想像を、蹴飛ばすかのように。
ガチャガチャと金属板が擦れる音を、盛大に鳴らしながら。
例え並みの大人が裸一貫で同時に走り出しても、永遠にライには追い抜けない。そんな圧倒的な速さを持って走る。
「おんりやぁあああ!」
振り下ろされる槌、ライは踏み込み足を強くし、さらに加速。
槌を回避して。
槌の先端を砕くが同時に凹む、石床の悲鳴を後に、ライは化物股下にもぐりこむ。
途端に、訪れるのは、ライを踏みつぶさんとする肥満巨体を支える八脚。
一足一足が踏まれよう物ならば、岩が人を潰すように、巨体と肥満の重さに、すぐさま致命的な死に繋がる足だ。
だが、ライはここでも、もはや甲冑を着た人間の動きをしてはいなかった。
フィラキが、肉体が持つ柔らかさを活かした動きと言えたが、ライはその人間らしさの範疇を超えていた。その俊敏な動きを、ただ純粋な力のみで成立させていた。
踏み込むたびに、石床にヒビを入れる。その絶技と称するには荒い動きで、ライは化物の足を回避していた。
そして、隙をみては的確に脛をサーベルで斬り、斬り、斬り裂き。化物の血を遺跡に散らし。
翔と共に、重ね刃の一閃で化物腹を、斬り上げ。
ライは空中で背に、手を伸ばす。
掴むは、月光のように美しい光放つハルバード。
引き抜き、そしてハルバードの斧頭で化物の頭目がけて、振り下ろした。
ドガァン―――――!!
瞬間鳴り響いた音は、そんな音で肉が裂く音ではなかった。
化物が、槌でハルバードの一撃を防いだのだ。
どうだと、嘲笑うかのように化物は口を歪め。
空中でろくに動けないライを、その太い手で掴む。
「ぶがぁあああああ!!」
はずだったが、ライはせめぎ合うハルバードと、槌。
そこを支点として、片腕で甲冑を纏う自らの体をさらに高く持ち上げながら、化物の掴み手を避け。
右足を甲冑の留め具や蝶番の融通の効く最大の範囲まで持ち上げると、そのままハルバードの柄を。
蹴るのではなく、足で踏み抜いた。
ライの動きは、甲冑が軽いのではないかと錯覚させる。まさに、幻想的だが、甲冑というのは本来重い。
それを振り上げて下ろすだけで、威力というのは骨は砕け、肉を潰すのも容易い程だ。
それ故に、ライの行動の結果は、ハルバードに再び、強い勢いつまり、力を与え。
化物の槌は粉砕し、そのまま化物の顔から腹まで斬り裂き。
そして、ライはハルバードの穂先で、化物の分厚い胸肉に包まれた心臓を貫く。
「ぼぁ……」
でろりと口から垂れる、血に塗れた吐瀉物。
化物に喰われた人々が解放されたかのように、溢れ零れるが、見ていて二重の意味で気分が良い物ではなかった。
だが。
「やった……!」
安堵したような声を零すティフィに。
「まだだ……!」
と、ティクは警戒心を強める。
化物は簡単には死なない、そういう物だからこそ、化物なのだから。
ティクはもう、一度見ただけで嫌と言うほど理解していた。
「んんおおおおおおおおおおおお!!」
化物の地団駄、血をまき散らしながら行う地団駄。全力で行う地団駄。
遺跡がまた、大きく揺れに揺れる。
天井から、少しばかり振ってきた小石をティクは、咄嗟に小さな背で姉を覆い。
ライは、例え動きに動く足であってもサーベルとハルバード。
二つの得物を振るって、化物を冷静に斬っていく。
だが突如。化物は、その巨体の腹で体当たりを繰り出す。
「おぉ――らぁ!」
ライもまた、肩の金属板を突き出すようにして、抵抗した。
化物がでっぷりとしたを腹を持つ、巨体を活かした力の攻撃ならば。
ライは足腰をしっかりと地に付け、一本の軸として支える技の攻撃だ。
それによって、体格差が倍であるにも関わらず、化物の体当たりの勢いを殺した。
しかし、そこからは体格の差は顕著に表れる。
どれだけライが技を持って巨体に抗おうとも、自重の差は誤魔化し切れず押され始める。
「ぶわぁああああああ!」
だが、そこで意地を張って抗うのは愚か者がすることだ。
ライは、押して駄目ならばとばかりに、サーベルで腹を斬りながら引き、距離を一度取り。
右手に握るサーベルの刃先は化物に、突き出すように構え。
左手に握るハルバードの穂先は、広げる様に左へ構え。
「……ったく」
面倒そうにつぶやくライの乱舞が突然始まった。
「死ねぃ死ねぃ死ねぃ死ねぃ死ねぇえええい!!」
化物はライが離れた隙に、部屋にあった祭壇を破壊すると、その瓦礫を次から次へと、絶え間なく投げ飛ばす。古来より投石と言うのは、見た目こそ地味であるかもしれないが、殺す目的としては十分に果たす威力を持つのだ。
「うぉおおおおお!」
ライは、サーベルとハルバードを絶え間なく振るい。
斬り塵へ、払い塵へ、そして突き塵へ。
飛んでくる瓦礫を、次々と塵へと粉砕していき。
そして、舞うに飽きたライは、再び化物へ向かい。
両の腕を忙しく振るいながらも、二、三の歩の跳躍で近づき。
ハルバードで化物の片手を斬り落とす。
「いでぇえ!嫌だ!ジニダグナァイイイイ!!」
それでも尚、化物はまだ暴れる。
その口と偶然手に入れた力で、幾人もの人々を食い殺しておきながら。
同じ口で、別の所から現れた力の前に、死にたくないと叫び逃げる。
ライが追撃に動くが、斬り裂かれて、血やら脂肪が出て。
体が軽くなったらしい化物は、素早く部屋を支える残った三本の柱の内の一つを手にし。
「お前らが死ねぇええええええええ!」
それを、明らかな悪意と敵意を持って、ティクとティフィへ向けて投げた。
「きゃあああああ!!」
「――っく!!」
悲鳴を上げるティフィ。
意味がないと分かっていながらも、それでも一歩前に躍り出るティク。
だが、やはりそれよりも前に。
ティクの手の届かぬ先に、錆びた甲冑を着た騎士、ライの背が割って入る。
「はぁ!」
縦に斬るサーベルの一撃で、柱は勢いを大幅に殺し。
続くハルバードの薙ぎ払いで、粉々に粉砕される。
だが、それが化物の狙いであった。
「やっぱりお前が死ねぇええええええ!」
祭壇の破片。それを握った化物が、ライを叩き潰すように振る下ろす。
「がぁ……!」
ここに来て、初めて零すライの苦し気な呻き声を出す。
それでも尚、初撃に立ったまま耐え、それどころか、サーベルを振るう。
しかし、ライ達が僅かな隙を見逃さない様に、化物もまた隙を見逃さない。
そのサーベルの攻撃が、苦し紛れだと看破し。
肉を切らせて骨を断つ。
まさに、その字の通りに、サーベルの攻撃を耐えると、ライに殴打を繰り返す。
「えぇははははぁ!はっははは!!」
「ぐっ!がぁああ!ぐぅああぁあ!」
二度三度も殴打を受けて尚、ライは立ちながら耐えた。
両手の武器は握られたまま、いつでも反撃すらつもりだったのだ。
最初こそ一撃を与え、二三撃与えて捻り潰すつもりで笑っていた化物だが。
その様には、ついに真剣に恐怖を感じ始め。
「早く死ね!早く死ね!早く死ね!はよ死ね!」
数えるのが億劫になるほどの殴打が続いた頃、ライの膝が床に着き初めたが。
「ォオォオオオォオォオオオ!!」
「ぎゃぁあああああ!いやぁあああああ!?何でぇ生きてるのぉおおおお!!?」
尚も立ち上がろうとするライに、化物はいよいよ狂ったように。
祭壇の破片がライの甲冑と化物の力によって耐えきれず砕けても、尚素手で殴打を続け。
いつしか化物の手から血が零れ始める程の、時間を要した後。
ようやく石床と同化するように、ライは地に伏せ。
一滴の血を垂らすことなく、武器は握ったままライは、動かなくなった。
「やめろ……」
ティクは思わず、言葉を零す。
目の前の、自身の英雄が地に伏したという現実が受けれ入れないのではない。
それ以上、ライが傷つくのが嫌だった。
しかも、原因は自分達を庇ったが故に起きたものだから余計にだ。
けれども化物が、そんなティクの気持ちが知ろうとする気がある訳がなく。
化物は散々恐怖を味合わせた相手の確実な死を確かめるべく。また、ここまで自慢の体を傷つけた騎士の死体すら、微塵に潰すべく。
残った二本の柱の一本を握り取った。
瞬間、部屋全体が小刻みに揺れ始める。
当然と言えば、当然である。部屋を支える柱はティクとティフィがいる残り、一本のみ。
それ以前に、化物が暴れ過ぎたのだ。
部屋の一角が崩壊を始めたが、後先考えずに抜き取った化物は気にすることがなく。
ティク達もまた、それよりもライの方に気が全て向かっていた。
これから、処刑されるかのように、槌による止めを刺されようとするライに。
「やめろぉおおおおおおお!!」
「死ねぇええええええええ!!」
生を望む声と、死を望む声が同時に響く。
だが、死は遥かに早く振り落とされる。生を望む声を巻き添えに。
「……え?」
だからだろう、そんなことを止めろと騎士は生を死から、押して遠ざけ。
その槌の一撃を全身で甘んじて受けた。
バキッボキッバギギッ!
そしてそれが、ティクが間近で聞いた、ライの骨が折れる音だった。
「ぎゃぁあああはははは!ざまぁみろぉおお!オラを怒らせるからだぁああ!!」
化物はその後、二度三度槌を振り下ろし。
ライが何故か血は流さないが、さすがに死んだだろう。
そう判断した化物はライを足蹴にして、飛ばす。
飛ばされたライは、二度三度転げまわった後、壁と激突し。
その上に幾つか、崩壊した天井の一部がぶつかったが、ライは沈黙したままだった。
「…………」
ティフィも沈黙した、救いに来た騎士は、もういない。
沈黙が意味するものが失望だけなら、ティフィにとってマシだったのだろうか。
何せ部屋には、化物とティクとティフィしかいないのだから。
そして、ここに来て悪い時は不幸にも重なった。
コン――と、部屋に音が妙によく響く。
「骨人……!呪われた骨人が、そんな……」
ライが起きた、そう一瞬でも思っただけに、その姿がを見たティフィの絶望はより深く染まり。
ティクも、驚きのあまり、言葉を失った。
唯一化物が、口を開く。
「なぁんだぁ?血がでねぇと思ったら呪われた骨人じゃねぇええかあぁああ!?あぁあああきたねェえええ!!」
残った手を床にこすり付けながら、本当に汚い物を触ったかのように言い放つ化物。
呪われた不浄の存在。薄汚い神に見捨てられた魔の者。災厄そのもの。
それが白竜教会に教わってきた骨人であり、ライの正体だった。
アーメットの下に隠していた、骨にひびが入った頭。
血と肉がなく、それでも尚生きる存在。
骨人、それがライの正体であった。
ティクの中にあった様々な疑問の、答えがその姿にあった。
「……あ、あの!」
「ああぁん?」
ティクが、少しばかりの現実逃避。
疑問の答えが次々とライの姿によって当てはまっていくので、その解放感を味わった中。
ティフィは、凹凸激しく素肌で触れようものなら痛みが走る石床に、文字通り血が流れることを厭わず額を擦り付け。
「お願いします!私はどうなっても構いません、ティクだけは見逃してください!お願いします!!」
ライが生きていようが死んでいようがティフィにはもう関係なく、骨人は信頼できない。
何をするかも分からないし、何が起きるかも分からないような相手だからだ。
だからこそ、ティフィには。せめてティクだけでも逃す為には、生殺の権利を握る化物相手に懇願するしかなかった。
ティフィにとって、ティクは唯一残った家族。亡き母から託された、唯一無二宝物なのだ。
ティクの命が天秤に乗ったのならば、ティフィには自身のプライドも身体も、命すらも軽く思えた。
だからこそ、ティフィは今この場で体を震わせて怯えることも、口を噛むこともなかった。
「私の身なら喜んで捧げます。ですからどうかティクは!弟だけはどうか……」
もしダメだったら、そんなことをティフィは考えてなかった。
もし考えていたとしても、化物から帰ってきた答えはティフィの考えを超えていた。
「見逃すのはいいぜぇ気分がいいからなぁ、でもどうやって帰るんだァ?でぇへでぇああははははっ!」
理由は不明だ。
だが、悪いことに限っては、いかなる状況であろうとも人というのはよく頭が回る。
化物の言葉を聞くと同時に、ティフィは、体をガバリと起こし視線を一点に向ける。
それを見た時。
終わった。そう確信した。
もし、余裕があればライを精一杯口汚く、ティフィは罵倒していたことだろう。
なぜ一度は命を捨てるつもりで、ティクを助けたのに。なぜティクをこんなところに。
よりにもよって、私の前に連れてきたのだと。
「このガキが掘って帰るのかぁ!?ゲハハハハハ!!」
ティフィも化物に釣られたわけではないが、笑った。
引きつったまま、壊れたかのような笑みを浮かべた。
今、化物がいる部屋の出入り口は一つだ。
だが、その一つしかない部屋の入口は、化物が祭壇の瓦礫を投げつけ始めた辺りから、すでに崩壊していたのだった。
「馬鹿な混ざり者のガキ共だ!骨人に関わったからこうなったんだぁ!!」
今骨人が生きていようが、死んでいようが。
今化物が生きていようが、死んでいようが。
もう、生きて帰る希望はなかったのだ。
全ての恨みはライに一先ずおいて置き、もうティフィは壊れたように笑うしかなかった。
「お前に何が分かるんだよ」
そんな中だから、意志が宿る声はよく響いた。
生きて帰る望みがない、そんな中だからこそ、ティクの声は。
生をまだ諦めていない声はよく響いた。
「ライだけなんだ……」
ティクが黄金教団にティフィが攫われてすぐ、最初に掛け合ったのは、白竜教会だった。
けれども、妙な槍を放つ娼婦とやらが出て忙しく、対応する暇がない。
黄金教団に攫われても、日ごろ白竜様に祈りを捧げ、ただテロスを高める生活を送っていれば、白竜様から白い力の加護があるのだ。
お前は亜人の血が混ざった子だな、本当に真摯に白竜様に祈りを捧げてきたのか。
疑うような視線を向ける教会の助司祭。
今のティクならば、その槍を放つ娼婦とやらの話も、まったくの嘘ではないことくらいは理解できる。
結局のところ、亜人混ざりの子供に対して、都合のいい言い訳をしているだけということも分かる。
だが、ティクが欲しかったのは助司祭の説教でも、白竜の加護でもなく、姉の救ってくれる大人の力だった。
次に掛け合ったのは、多少名のある私兵団だった。
何度か門前払いを食らいながらも、何とか金を払い、話の場を設けて貰えたが。
あくまでも、人と人の戦いの為にある兵であり、黄金教団は専門外。
それでも尚というのならばと、明らかに混ざり者ということ、払えそうにないこと。両方の意味で下に見た値を押し付け。断ったら、ティクは秋風によって冷えた水をかけられた。
次に掛け合ったのは、所謂チンピラだった。
結果は、ティクは騙された。
ただ、ティクは随分とマシな相手に騙された。
結果だけ言えば、必要以上に絡んだから殴られただけで、有り金は全部は取られなかったのだから。
ライもその辺りを考慮したうえで必要以上に、相手を傷つけなかった。今のティクには理解できた。
他にもティクは経験した。
姉を救う僅かな可能性である以上金はほとんど使えず。
使ったとしても、食事は最低限だった。宿なんてものは使えない。似たような環境の孤児か何かあった者達の中。姉の財布を抱きかかえる様に、盗まれないよう周囲を睨みつけながら浅く眠り続けた。
そんな日々を一週間。
姉との約束、どれだけ飢えても、金が足りなくても悪いことはしなかった。
それだけは守り続けた。
だが、たった一週間で、ティクが見る世界の全てが敵に見えた。
そこには、信仰の違いも、大勢の人も、少ない亜人も、自身のような混ざり者も関係なかった。
だからこそ、有り金全部。
渡した所で、ライには。ティクのような子供が持っている財布の額が、たかが知れていることくらい。
分かっているだろう。
その程度の額では、命の危険が間違いなくあることを考慮したら、到底割に合わないはずなのに。
助けてやると、そう言い切って。
冷たい態度はとることがあったが、ただの一度も裏切ることなく、ただの一度も見捨てることなく。
ティクにとって、今この場に姉の元へ連れてきてくれたのは。
力を貸し続けてくれたのは、救いとなってくれたのは、他の誰でもないライだった。
「ライだけなんだ……!俺に助けてやるって言ってくれたのは!ライだけなんだ!!」
化物と対峙して、それが現状把握でいる範囲での自身の寿命を縮めている行為であることはティクにも理解できている。
それが蛮勇であることも、賢い行動とはとても言えないことであることもティクには理解できた。
だが、ティクに震えはなかった。
意志の宿る目で、まっすぐ化物を見て、ティクは告げるのだ。
「ライが骨人だろうが知ったことか!ライはまだ死んでない!ライがお前を倒して三人で生きて帰るんだ!!」
ティクの熱い思いとは裏腹に、場は静まり返っていた。
ティフィは、状況がどうあれ素直に驚いていた。
自身の知るティクは、甘えたがりな所があるが、素直で優しい弟だった。
何か嫌なことがあっても、静かに耐えることが多い弟だった。
それが今では、到底自分の力では手に負えない相手に、一歩も引くことなく。
己の意志を主張している。
それを成長というには、日々を生きる中では間違いなく危うさは孕んでいる。
だが、頭ごなしで否定はできない。そんな弟の成長を見た。
「へぇー」
対して化物の反応は、興味がないのか、理解する気がないのか。
とことんどうでもいい。そんな感想が口から零れていた。
だが、ティクを殺す気にはなったらしい。槌を握り。
それをティクとティフィ、仲の良い姉弟の二人とも薙ぎ払おうと腕を上げ。
特に、別れ文句を言うことなく、振ろうとした瞬間。
突如炸裂音が鳴り響き、化物の血が空を舞った。
「がぁ……?アアァ!?いってぇえええええええええええ!!」
化物は槌を振れなかった。
突如発生した肩の衝撃が、急激に範囲を周辺に拡大させ、あまりの激痛に振ろうにも振れなかったのだ。
化物の肩周辺の大部分の肉を無残にも飛散させたその現象は、炸裂する弾丸によって引き起こされていたのだが。
何にせよ化物は振り返り。二人と一体はあり得ないモノ見たかのように目を見開いた。
「まったくだ」
その声の持ち主は、右手に白き竜を信仰する地域では持つのはあまり良しとしない銃。
毒草の彫刻が刻まれた短銃を握り。
赤い腕輪に刻まれた刻印を、強く光輝かせながら。
骨が折れ、或いはヒビの入った箇所に。真っ赤な火を灯し、全身を火で燃え上がらせながらも。
ライは立ち上がっていた。
「この程度で俺がやられる訳ねぇだろ」
そして、そう言うと同時に。
火で燃え上がるライが意図せず、アーメットの下にて隠されていた、七色の光を放つネックレスがはらりと晒され。場には数え飽きたほどの衝撃が再び走り。
ティクも思わず言葉を零す。
「白竜騎士……!本物!?」
許可なき者が身に付けたら、白竜と聖王を侮蔑した不敬の神罰として、即日極刑すらありうる。
不思議な七色に発光する白銀皇石で作られた、白き竜が持つ、太陽の目と月の目ではなく。
万物を見通す、真に尊き第三の目が刻印されたネックレス。
血によって始祖まで連なる現聖王に選ばれた。
強くそして、貴族社会への参入が認められ。真に気高き者にしか身に着けることが許さぬ証。
化物と腐物を使役する黄金教団に対する。白竜教会が抱える最強の騎士達の一人。
白竜騎士それが、錆びた甲冑の騎士。
錆の騎士ライの正体だった。
「来い、セレネス」
ライの声に、ライの手から離れていたハルバードが一人で浮かび上がり、持ち主の元へ飛び。ライは力強く掴み。
そしてライは、弾を込めるのに時間がかかる短銃をさっさと鞄に片付け。右手を背に伸ばし。
柄が包帯に巻かれた漆黒の剣。バスタードソードを握りしめ。
二つの武器の先端を広げる様に身体の外へ向け。腰を落とさず、両の足を前後違わず揃え、構える。
要するに、両手を広げた状態の仁王立ちだ。
そしてこれが、ライの最も自然な構えだった。
「死んだんじゃねぇのかよ!?何で立ってるんだよ!?何なんだよお前はぁ!!?」
混乱しながら、そう問いかける化物。
ティクも、ライの口から開かれる言葉を待ったが。
「うるせぇ」
取りつく島がない。そんな火で燃えているのに冷たい、ライの変わりない態度だった。
だが、続く言葉はあった。
そしてそれは、ティクが知る中で今まで棘がどこかしら必ず生えていた。ライの数々の言葉や口調の中で。唯一、穏やかで慈悲が込められていた。
「化物になったお前には、もう分らんだろうよ。人が持つ意志の力はな」
大いなる意志とやらにライが、激しい怒りを向けていたことはティクにも理解できた。
だからこそ、腐物や化物にも戦いを始める前に会話の内容から。同じく怒りを向けていると、ティクは思っていた。
だが、実際にライが腐物よ化物に向けていた感情は、どちらかといえば憐憫に近い物だったのだ。
はたしてなりたくてなったのか。
なりたくないのになってしまったのか。
どちらも分からない、とにかく哀れな誰かの末路を。
「だから……見せてやるよ。そいつが見せたように、俺が持つ歩み続ける意志を」
ライは腕を逆十字に構え。
技を唱え。両腕を広げた。
「暴食の破剣!」
瞬間、ライのバスタードソードは鍔から赤黒い光があふれ出て、剣を包み込む。
見た目としては、ただそれだけの変化だ。
ティクが見た、フィラキの赤腕への変化と比べれば、その見た目の衝撃は低い。
しかし、それが発動されてから剣から放たれる。
ただただとんでもない何かである、それだけは理解できる圧。
それが、フィラキの赤腕を上回っているようにティクは感じた。
「あ、あぁ……!」
その圧を向けられし化物の心情とは、即ち限りない恐怖。
すでに瀕死となりつつ身でありながら、全身を震わしている化物が、暴食の破剣による圧の強さを明確に物語っていた。
そして、その直後に轟く咆哮が化物の心情をいよいよをもって決定づけさせた。
「ォォオ゛ォオオ゛オオオ゛オ゛オ゛オオオオ!!!」
ライからドス黒い靄のような物が、視覚的に捉えれてしまう程の威圧感と存在感を持ちあふれ出した。
そんな奇怪な光景を見て、恐れを抱くなというのは、例え化物だとしても無理があった。しかし、だからと言って何もせず、ただ斬り殺されないのが化物なりの生存本能だった。
走り迫るライに、化物は槌を振るい。
ライもまた剣を振るう。
だが、バスタードソードと槌はぶつかり合うことはなかった。
赤黒い光に包まれたバスタードソードに触れた槌は、暴食の名に相応しい。
無数の小さな咬創を断面に生み出しながら、二つに割かれ。
剣を振り終え。続く動作で行われるライの跳躍と共に。
空を穿つハルバードの一突きで、化物は腹を貫かれ。
体内で捻られ、ハルバードは化物を逃がさない様に固定した。
「オォオオオオオオオ!!」
再び上がるライの咆哮。
そして、今度こそ避けられぬ死の前に、潰されてたような顔をしている化物の顔が、さらにぐにゃりと曲がり。
暴食の破剣を発動させた、赤黒い光を放つバスタードソードの袈裟斬りを受け。
化物は断末魔を上げた。
「いぎゃぁああああああああああ!」
暴食の破剣。
その一撃を受けた化物は、あまり血をまき散らすことなく倒れる。
本来は盛大に噴出するはずの血すら、ライのバスタードソードの赤黒い光が、触れる度に食い尽くし。
袈裟斬りに巻き込まれた心臓ごと、ライの剣に食い消されたのだ。
そして、化物は馬面の化物よりも、多少大きな黒い石を残し。塵となり消えた。
「…………」
ブンと、あまり血が付着してない様に見える漆黒のバスタードソードと。
べっとりと血が付着した、月光のハルバードを振るうライ。
それが、戦いの決着を意味する物であったかのように、黒い剣にはもう、暴食の赤黒い光は消えていた。




