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序章 錆の騎士22

地下遺跡を走るティク。

その胸には、勇気と希望が灯っていた。

布売りの男の言葉だけでは、姉の生存は確証とは言えない。

少し前とは具体的にいつなのか、その少し前で殺されているのではないのか。


突こうと思えば、突くべき穴はいくらでもある。

だが、ティクの体を動かすのは、もはやそのような理屈ではない。

生きている生きていないではない。行かねばならない。

その思いだけが、ティクの体を動かしていた。


「――!」


だが、同時にティクは。

勇気の熱によって、茹で上がり切ることなく。

頭は冷静に、冴えていた。何故なら視界の先。


道の真ん中に、ゆらりと立つその人影を目にした時、瞬時にライでも化物でもない。

都合の良すぎる思考をしなければ、都合の悪すぎる思考もせず。

ただ、行くべき道の先に腐物があるという事実だけを捕らえ。

すぐさま口を押え、身を小さくして観察を始めた。

道はせいぜい二人並べる程度の一本道。右にも左にも壁しかなく、回り道はできない。


「……ァァ……ウァァ」


そして、血に濡れた服を、他の腐物が死んだ後の黒い塵で塗された腐物が一体。

何が起きたかはティクには分からないが、その両腕は、すでになく。

つい先ほど、腐物よりもよっぽど力も早さも持つ化物を見た後。ということもあり、大きな脅威は感じなかった。


「…………」


無言のまま、ティクは自身の拳ほどの石を三つ拾い、抱える様に持つ。

ティクには剣も盾もない。あるのは、己が身と意思のみ。

ただ、それではやはり不安があり、ティクは生き残るための手段を増やしたのだ。

そして、ティクはまず一つ目の石を、腐物の足元へ投げた。


「……アァ……?」


ティクが確かめたのは、目の前にいる腐物に目が見えるか、音が聞こえるかどうかの確認だ。

腐物の足元に石が床に叩きつけられ、そして少し転がる。

腐物はそれに、動きこそゆったりとしているが、最初に床を叩いた方へ顔を向け。

その後、転がった石の方へと顔を動かし、何だったのは今のはと、言わんばかりに石を足で蹴る。

これで腐物は目が見えることも、耳が聞こえることもティクは確認した。


もし、石がどこから飛んできているのか。

理解できる程度の知恵があったのならば、すぐにでも後ろ飛びをして逃げ出せるよう、腰を引いていたティクは。

前へ進むために、腰を落とす。


これはあくまでも前座だ。そして、これからが最も危険な賭けだ。

両の拳に握られる石を、握りしめ。

どうして、正人と亜人の子として産んだのか。どうして、姉と置いて死んでしまったのか。


孕ませるだけ孕ませて無責任に消えた父親も恨んだが、生んだ母親も事情は知っていても尚恨んでいた。

だが、今ここでは純粋な亜人だったという母親を、初めて亜人の血を混ぜてくれたことに感謝した。

ティクは持久力こそ、そこらの子供並みだが。

短時間での走り、特に初速はそこらの子供よりも秀でていた。

かけっこ遊びをしていた時は、亜人の血が混ざっているから早いんだ卑怯だ。と散々言われて、その後は決まってはぶられたりして、落ち込むことが多々あったが。

それでもティクは、遊びとはいえ勝ったという事実に、短距離の走りにティクに自信を付けた。

だからこそ、ティクは決して不利ではない賭けに出れた。


「ッ!」


ティクは石を投げる。

腐物に対してではない、壁にだ。

少しでも、道の端に寄せる為に。

そして、ティクの想像通りに、腐物は突然なった壁の音に気を引かれ。


目が壁を向いている内に、ティクはタッと駆け出した。

そして自分から近づいているのだから、当然ではあるが、腐物が近づき。

心臓が文字通り、握りしめられ、悲鳴を上げるかのように高鳴りを上げる。


(見るな!聞くな!僕を知るな!!)


恐怖が徐々に背と前から、板挟みするように迫り来て、もはや祈る様に、走るティク。

だが、目は閉じられていなかった。真っ直ぐ前を、近づく死を、一挙一動見逃さないと意志を宿る目で見続け。

だからこそ、気が付いた。

あともう少しで、走り抜けられる。そんな至近距離で。

腐物の濁って生気のない目と、合っていた事に。


「――――!」


それは、本能としか言えなかった。

すぐさま飛び出してきた腐物の口、情け容赦なく食らいつき、血を啜ろうとする口を。

ティクは、考えることせず後先、亜人混ざりの血ゆえに、犬っぽい足をした足で考えず飛び、身を捻らせながら避けた。


祈るだけで目を閉じたまま走っていたら、今頃はその柔らな肉が、腐物の口の中にあったことだろう。

ティクの意志が、寸前まで来た死を回避させたのだ。

だが、死を回避したことによる代償は転倒。


フィラキのように、咄嗟に衝撃を殺すような芸当が出来ないティクには、当然のことだが。

掌を、腕を、脇腹を、腿を、脛を。大よそ半身を凹凸のある小石交じりの硬い石床に叩きつけた。


「痛ッ!」


体を打ったことも、石が皮膚に掠り血が出たことも、まとめて全部ティクには痛かった。

そのままのたうち回りたかった、泣きたかったし、慰めてほしかった。

しかし、そんな幼い子供にどこまでも死は待ってくれなく。

死はそこまで来ていた。


「アアアァァ!!」


両腕がない為か、起き上がる前よりも、目の前の得物に、芋虫のように這いながら近づく腐物。

その、動きはやはり遅い。

ティクは、どういう訳かお守りとばかりに握っていた、最後の石を高く振り上げ。


「あ……あぁ……」


そして、ティクは声も出せず、動けずにいた。

ただ単に、痛みもあるが腰を抜かしていた。

しかし、仕方がない。


血をまき散らしながら這い寄る。人型で恐ろしい、死がそのまま形を成した腐物に。

戦を知らずに、あくまでも普通に生きてきた九歳児に。

フィラキのような、強き者に対しても死を恐れず襲い掛かり。

首か心臓を斬らねば塵に還らないモノを相手に。


そこらの石ころで、散々非力という現実を知ったその九歳児の筋力で。

どうやって、石で腐物を殴殺しろというのか。

その答えは、全知全能であるという神。

即ち、白竜でも、はっきりと答えるだろう。

不可能と。


「たす……けて……」


ティクは石を持った手を振り下ろした。

その手が振り下ろされる先は、腐物の頭ではなく石の床。

石と石がぶつかり合い、音が遺跡に反響する。


それだけだ。

それでは、抵抗とは言えない。

それでは、腐物は殺せない。


(助けてっ!)


言葉はいつしか、発せられず。

振り上げ、振り下ろす腕だけはそのままに。

ティクはあの日の夜と違い。囮になってまで助けてくた姉が、腐物を一瞬で始末するフィラキが、今この場にいないという現実を。

少しだけ生き永らえたツケを、回収しにきた死神を見続ける。


(助けてっ!!)


もういい、十分よくやった。


思いとは裏腹に、ティクの心の奥底で、その言葉は冷たく囁く。

きっと、誰もが悪魔の声とでも言うだろうが、ティクには砂糖菓子のような甘さを感じていた。

ここで死んでも、ティクという混ざり者の子供の物語に。

攫われた姉を救えず、無謀にも強者の保護から離れたばかりに、哀れに死んだと刻まれるだけ。


その前を思い出せ、この一週間お前はどれだけ頑張った。

姉を救う為と、飢えにも乾きにも耐えた。

夜風とたった一人で寝る、寒い孤独の震えにも耐え。

理不尽な大人の暴力に耐えた。


もう十分だ、ならばせめて死は安らかに。


悪魔はティクの前から死の形を消し、新たに三人の姿をティクの前に現れる。

さすがは私の息子だ。と、ティクには見たことないはずの正人の父が、頷き。

これからはずっと一緒よ。と、ティクにはあまり記憶にない亜人の母が、笑みを浮かべ。


頑張ったね、ティク。

そう、ティクがもっとも記憶に残る愛しく優しい姉が。

いつものように飛び込んだら、そのまま抱きとめて。眠りに落ちるその時まで、受け止めてくれる。

とても暖かな両腕を広げて待ってくれていた。


(助けてっ!!!)


だが、ティクは石を持つ手を振り上げて、振り下ろす。

そして視界に、異物が飛び込んだ。

父でもなく、母でもなく、姉でもない。

だからこそ異物。

汚れた黒いマント、赤い腕輪、そして錆びた甲冑。


「ギャァアアアア!!」


斬り裂く、サーベルの一閃。

ティクが知る中で、その持ち主の名は、一人しかいなかった。


「ラ……イ……?」


ティクには今のライの背しか見えていない。

だが、ティクの知るその人物とはずいぶんと印象が違っていた。

それほどまでにとても、英雄的だった。


相当の速さで駆け付けたことを知らせる、ライを追う様に吹く風に舞う、汚れたマントも。

全身が汚れている中でも、そこだけは唯一綺麗に輝く赤い腕輪も。

とても綺麗とは言えない錆が浮いた中古品に見えるが、だからこそ残された金属の光沢が確かな光を放つ甲冑も。

ティクには、一つの絵を完成に至らしめるための絵具に見え。


腐物から剣を抜き。一挙一動するたびに微かに鳴る音は、勇敢なる戦人に彩を添える為に奏でられる音楽。

沈黙であるはずの絵が、音を鳴らしながら動き出すことで、劇となり。

そして、最後に剣を構え直し静止したら。

絵は劇に、劇は像となった。


決して触れることを許されない、尊くそして崇められる。

人々の目を引き寄せて止まない、確かな力を持った彫刻像。

名付けるならば、英雄と呼ぶ像がそこにいた。


「何か聞こえて引き返したら、何でこっちに来てんだお前」


ただ、その像は相変わらず口が悪かった。

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