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序章 錆の騎士21


化物は死んだ。その後すぐにフィラキが始めたのは、捕らわれていた人々を介抱だ。

動ける者の中には、このまま助かるという希望に満ちた顔をした者もいれば。

親しき者が、化物か腐物に食い殺され生き残っていしまったことに嘆く者もいる。

だが、そんな者達にフィラキは老若男女問わず尻を叩いて、こう一喝するのだ。


悲しむのは生きた後。


まだ彼らは死地に近い場所にいるのだ。

化物や腐物がいるいないではない。

彼らにはちょっとした、飢えや渇きを含む些細なことでも死に近づく身にまだある。

たったの一時助かって。生き残ったことに対して、いちいちあれこれ言ってる場合ではないのだ。


生き残った者の中には、不運にも足に怪我をしたり、折ったりと一人で歩けない者もいる。

たった一回使えば使い物にならないくらい簡素でも、全員纏まって地上まで運び出すには、担架や杖が必要なのだ。


ライとの約束により、よっぽどの事情がない限り。

フィラキは、血の癒者として。傷ついた者達を、奇跡に等しい血のテロスの力で癒すことはできない。


その為フィラキは、立ち往生するしかない者達に指揮や喝を出し。

傷ついた者達を、効能を確認されている薬草で作った薬草酒や、軟膏を塗り。

包帯や、針と糸のような持ち運びできる医療道具で。


血の癒者ではないが、知識と技術を持って人々を癒す。

本業の医師達に届くまで命が繋ぐよう、対処可能な物は対処していく。

そんな化物を倒す力と、迅速に指揮と治療を施す姿に。

人々は恐れよりも、敬意を抱き。

フィラキが指揮を始めてから、戦闘の最中に見せた混乱らしい混乱は起きなかった。

一方ティクは周囲を見回し。


「姉……ちゃん……」


まったく予想していないわけではなかった。

覚悟もしていないわけではなかった。

それでも、今この場に姉がいないという事実が、ティクの両肩に重くのしかかっていた。


もっと早く助けを、ライ達に会っていれば。

足が折れてでも、クラナス村にもっと早く辿り着いていれば。

怒りよりも悲しみよりも、ただただ無力であり続けた自身の後悔という黒い感情が、ティクの体を蠢いていた。


「ティク来なさい」


そんな中、フィラキはティクの名を呼び手招きし。

ティクは、もはや意志が宿らない目で、足を棒にしながらフィラキを見つめるが。


「あなたのお姉さん。ティフィのことよ。来なさい」


いつになく、真面目で厳しい口調で諭すように。

言った覚えのない姉の名前を出したフィラキに、ティクは従う。


「ティ……ティクか?」

「布売りのおっちゃん?」


そこにいたのは、連れ去られた時に傷を負い。

劣悪な環境にいた為か、生気が乏しく見える。

元は若いなりに、相応の気力に満ち。商団の馬車にて、何度か少しだけ会話した男だ。


ティクが混ざり者の子供と分かると、正人にはない亜の部分を無遠慮に触る程度の偏見意識は見せたが。

良くも悪くも、普通の人というのが感想しか抱けない人だった。

だが、その口から告げられた内容。


「ティフィは、お前達が来る少し前に。別の化物に連れ去られた」


その言葉に、ティクは全身を震わせ。

停止していた思考が回転を始め、黒い感情により冷えた心に僅かに火が灯り。

再び目に微かな意志が宿る。

ゆるりとした動作で、フィラキをティクは見て、誘いの言葉を出そうとしたが。


「私は行かないわよ。そして、今のあなたでは行かせられない」


ティクが何を言おうとしているのか、まるで分っているかの様に。

布売りの男の施術を止めず、フィラキはまずは、きっぱりと断り。

理由を添えた。


「私はここにいる人。ティクを含めた、全員を救出しないといけない。

ライに言われているのもあるけど、ライとティクが結んだ契約を今ここで私が反故にしてでも、彼らの命の方があなた一人に恨まれるよりも価値がある」


ティク一人と、捕らえらていた何十人。

混ざり者の日雇い仕事しかしてない子供と、各々が社会の何らかの組織や国に属して働き税を納める者と子供。

人を数字として考えても、価値として考えてもティクだけでは天秤に乗せるに値しない。


そうフィラキは言っているのだ。

ティクは一貫して好意を抱いたままだったフィラキだからこそ、そんな言葉を言っている姿に。

失望に似た悲しみと怒りが同時に沸く。


だが、反論できなかった。フィラキの論を覆すには、この場でもっとも価値のある人間に。

例えるならば、庶民が何十人束になってもその利益には届かない、貴族にでもならなければならないのだ。当然無理な話である。亜人の貴族もいないことはない。

だが、今ここでティクが自分が貴族の血筋を引くと言った所で、証明する物がなければ鼻で笑われるのがオチというものだ。


「…………」

「だから、行かせないわよ」


トボトボと、沈んだ顔をしたティクは、それでも姉がいるであろう場所に向かおうとするが、フィラキはティクの肩を掴み。

腐物や化物屠るだけの力を持つ、フィラキ相手ではろくな抵抗を許されず。ティクはされるがままに、フィラキの前に立たされ。

自身よりも背の高いフィラキを見上げるが。


「もうちょっと、シャキとしなさい。そんな顔でお姉さんに会うつもり?」


フィラキの方から、ティクに目線を合わせ。

ハンカチで、いつの間にか零れそうになっていた涙を拭き始め。

いつかの水汲み場のように、暖かい笑みを浮かべるのだ。

ティクはまるで、ハンカチに何かの力があり、負の感情を拭い去っているのではないか。そんな奇妙な感覚を味わった。

それほど、フィラキと言う女性の笑みというのは、人から嫌悪を取り除く。魔性に似た力が秘められていた。そしてふっと、込められていたフィラキの力が抜けられた。


「あなたが、どうしても行きたいって言うなら。私を振り払って。行きなさい」


それは、非情な物言いをするならば、自己責任という名目を盾にした。ティクからの契約破棄の要求だ。

ティクから、もう護衛はいらないと言うならば。

目に見える範囲では助ける義務がフィラキにはあるが、それがなくなり。ティクを引き留める理由がなくなる。また、ティクも姉の生存を確かめに向かうことが出来る。


お互いに利がある条件ではある。ただしティクは例え少しの時間だとしても。

正真正銘、誰も助けてくれることのない、まさに命をかけることになるのは事実だ。

そして、もうティクが何をしようが、大きな影響がないのも事実でもある。

そのことに気が付けない程、ティクは愚かではない。

だが、それでも尚、ティクにはただ待つという事が出来なかった。


「……いいことを教えてあげる」


何言っても行くんだろうな。


そんな雰囲気をティクから感じたフィラキは、ティクの耳元で囁く。

あまりにも無知で無力なただの子供を、無責任に死地へ赴かせる。

まさに悪魔の所業であることを自覚しながら。

引き止めても、引き止めても、何があっても絶対に歩みを止めない者は、死が代償だとしても止まらない。そんな相手を隣で、嫌と言うほど見てきたフィラキは、どうせ行くなら。

もっと、恰好が良い表情向かわせ、そこでの生き延び方を教えるのだ。


「自分じゃどうしようもないことがあった時は、素直に助けを呼んでみなさい。最後まで信じていたら、都合よく助けてくれる奴がいるから」


その助けてくれる奴が誰なのか、フィラキは口にはしないが。言うまでもなくティクは頷いた。

もうティクには迷いはなかった。

フィラキを振り払うことなく、ティクはフィラキの手をまだ小さな両手で握り。


「行ってくる!」


そう、曇りのない笑みをティクは浮かべ。

フィラキはつい、実力行使に出ても止めるべきだろうか。

この混ざり者の少年を、万一にも失うのは、少し惜しいと思ってしまった。


「フィラキ!」

「んー?」

「一目惚れしましたぁ!」


そんな中、ティクの手が、死に怯える恐怖によるものとは別の意味で震えていることに。

繋ぐ手からフィラキは感じ取っていたが。

顔を赤くしながら突然告白をしてきたティクに、フィラキはここで言うかと驚き、目を丸くするが、嘲笑うことは決してしなかった。


ティクは酔っているのだ。

この告白も、要するにノリとか勢いとかそういった類だ。酔っぱらいの一夜の誘いと変わりはしない。

だが、ここでティクを嘲笑ったら、女として失格だ。

フィラキは別に、男を常々立てねばならない。そんな殊勝な思考をしているわけではない。


安全(ライ)にたどり着くのに数分にも満たぬが、抗えぬ死があるかもしれない場所に、正真正銘たった一人で行く。


そんな男になりつつある男の子の、人生最後の告白相手になるかもしれないのだ。

フィラキは、それを女として名誉として受け取る気はあっても。迷惑として受け取る気はなかった。

相手は顔と身体目当てといった、上っ面だけではなく。


特異な力と、必要ならば切り捨てる冷酷な思考を持ち合わせていることを直に見て。それでも尚。伝えてくれたのだから余計にだ。

理由が一目惚れでも、ティクならばフィラキには十分。一考するだけの価値はあった。

だが、それでもフィラキの心の内は変わりはなかった。


「頑張れ、男の子」


フィラキは、変わらず笑みを浮かべたままティクの胸を軽く叩く。

明確な言葉は口にしていないが、意味は分かったようでティクは少し落ち込んだが、すぐに気を取り直し。再び屈託の無い笑みを浮かべたティクは、走り出した。

思いは振るが、確かな祝福をフィラキはティクに与えたのだ。


「ひっでぇ振り方するなぁ嬢ちゃん。たぶん初恋だぜ?」

「それならもうちょっと、ドキドキする素敵な場所で、情熱的な言葉を言って貰いたいものね」


治療の手を再開させるフィラキだが。

その脳裏には、未だに色褪せることのない記憶を思い出させていた。

まだ錆びた甲冑を身に纏っていなかった時の、骨人との会話を思い出していた。

自身が、今とは比較にするのも怖気が走る、醜いナニかだった頃の記憶を。


『いいの?私を助けたら、私と一緒にいたら変な目で見られるよ、酷い目にあうよ』

『知るか。お前が助けてって言ったんだろうが。俺はお前との約束を果たしに来ただけだ』

『約束……?どうして私なんかの?』

『ん?あー……』

『…………』

『……俺の奴隷ってことでいいや』

『……なんだぁ。罪人から奴隷か……。うん。じゃ、どうせなら助けるついでに名前付けてよ。

肉塊じゃここを思い出して嫌だし、いつまでもお前とアンタじゃ分かりにくいからさ』

『相変わらず注文の多い奴だ……じゃ、お前はフィラキだ。フィラキ・ピュラー』

『どういう意味?』

『牢獄にいた赤髪の女』


会話を思い出したら、フィラキは少し腹が立った。

そして当時とそっくりそのまま同じ言葉を、この場にいない骨人にぽつりと呟く。


「ひっどい名前」


しかし、あれで心底ドキドキしていたのだから。

随分と当時はチョロかったと、フィラキは内心嘲笑う。

そして今も、フィラキ・ピュラーが始まった瞬間を思い出すだけで、不思議と鼓動の高鳴りを感じてしまうのだから。随分と現在もチョロいと、フィラキはふい笑むを零す。


「あー……これは相手に相当入り込んでるみたいだな。ティクも災難だな痛!」


その笑みを間近で見せられた布売りの男言葉を、フィラキは包帯を強く巻くことで答えた。


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