序章 錆の騎士2
「ティク。絶対に振り向いちゃ駄目よ。真っ直ぐ、真っ直ぐ走って街に行くのよ。
お金は全部あげる。そのお金で一回くらいはおいしい物を食べてもいい。でも無駄遣いをしては駄目。真面目に仕事をすること。贅沢をし過ぎないこと。悪いことはしないこと。寝坊をしないこと。私は見逃しても、白竜様は見ているからね?」
次に訪れる街で、生活の基盤を整える全財産が入った。小さな花の刺繍が入った小袋を渡し。
強く、強く抱きしめる。その姉の体は、確かに怯え震えていた。
「嫌だ!僕は姉ちゃんと一緒にいる!」
そう、ティクと呼ばれた幼い男の子は、普通の一人よりも鼻と口が伸びた面で。
あらん限りの声で叫んだ。
だが、それをかき消すように。より大きな声で響く、ティクよりもティクの姉よりも。
身体が大きい大人達の怒号と悲鳴。
なんてことない、ただの街から街への移動だった。
そして、夜になったので明日の朝日が昇るまでの、就寝時間だった。
ついさっきまではそうだった。
黒いローブの集団が現れるまでは。
「クラナス村へ急げ!あれを……完成へ至る第二の輝石を回収するのだ!錆の騎士が来る前に!!」
黒ローブの者達が、何を言っているのか、ティクには分からなかった。
何でこんなことになっているのか、ティクには分からなかった。
商団の大人達でも混乱しているのに、ただの子供であるティクに分かるわけがなかった。
「行きなさい!!」
しかし、黒いローブの集団の一人が近づき、焦るような姉の声。
これならばティクのような子供でも分かる。
生き残ってほしいのだ。姉は例え自身を囮にしてでも。
振るえる体で、今にも怯えで零れそうな涙を堪えて。
それでも尚、混乱の発生源に、黒いローブの集団、その付近に向け姉は走っていった。
「待っ――」
縋る様に、体を動かしたが。
所詮は子供に過ぎないティクは、その声に、全身を凍らせた。
「ホアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァ――――――!!!」
その声は、人間の物ではなかった。
狼のような、獣の声でもなかった。
化物の声。
そう、例えるしかない声だった。
ティクは反射的に、頭の上にある耳を手で防いで駆けだした。その声から逃げる様に。
だが、防いでいてもねばりこく纏わりつくかのように、残響する化物の声。
次々と上がる大人達の悲鳴。
聞き慣れたはずの姉のものとは思えない、甲高い声。
ごめんなさい。怖くて逃げてごめんなさい。
姉なのか、それとも今も捕らえられている人達への謝罪なのか。けれども口から、その言葉は出ず。
誰か、姉を助けてください。僕はどうなっても構いません。
助けを求めてみたが、颯爽と現る英雄はおらず。
白竜様、僕を救ってください。
全てを見ているはずの神は、救いをくれなかった。
「たす……けて……誰かっ!助けてぇぇえええっ!!」
闇のような夜。
ティクは走り続けた、何も聞こえなくなる場所まで。
ただ救いを求めて。