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元禄・マジカル・プリンセス  作者: 沢田和早
第十七話 しもやんで なえいずる
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霜止出苗その一 朝寝坊

 中庭に面する障子が朝日に照らされて、座敷の中はほんのりとした明るさです。昨晩降っていた雨も、今朝になってようやく上がったのでしょう。そんな穏やかな三月下旬の朝、恵姫は夜着に包まって眠っていました。


「よくお眠りでございますねえ」

「ぐうぐう」


 いびきを立てて眠る恵姫の傍らには磯島が座っていました。よだれをたらしたままの寝顔を見詰め続けて、既に四半刻が経過しています。


「朝食の時刻はとっくに過ぎておりますよ」

「むにゃむにゃ、ぐうぐう」


 まったく起きる気配がありません。滅多な事では切れない磯島の堪忍袋の緒ですが、そろそろ限界が近付きつつあるようです。


「そろそろ午前のお稽古事の時間でございます。本日は姫様の抛入なげいれ花のお手並みを拝見したいと思っております」

「ぐうぐう、ま、まだ食べられるぞ、むにゃむにゃ」

「いい加減にお目覚めあそばせっ!」


 堪えに堪えてきた怒りが、ここに至って遂に爆発した磯島。気持ちよさそうに眠る恵姫の夜着を引っ剥がしました。


「う、うん? なんじゃ、磯島、もう朝か。ふあ~。それにしてもそなたはいつもわらわの邪魔をするのう。鯛の刺身を食らった後は鯛めしが出て来るはずじゃったのに、目が覚めたおかげで食い損ねてしまったわい。ふわ~」


 随分と眠そうな恵姫です。磯島はパンパンと手を叩きました。控えの間から女中が出てくると、恵姫の着替えを始めます。もう晩春ということもあり、薄綿入りの小袖一枚でも十分過ごせます。着替えが終わった恵姫は、さっそく食事の催促です。


「磯島、腹が減ったぞ。朝飯にしてくれ」

「朝食の時間は終わりました。終わった以上、出せません。昼まで我慢してくださいませ」

「な、何じゃと!」


 これは一大事とばかりに磯島に詰め寄る恵姫。食う、寝る、浜で遊ぶの恵姫三大娯楽の内の一つを奪われたのですから、無理もありません。


「少し寝過ごしたくらいで飯を抜くとは、余りにも酷い仕打ちではないか。磯島とて、わらわが飯の時間も忘れるほどに眠りこけてしまう理由を分かっておるのじゃろう」

「春眠、暁を覚えないからでございましょう」

「違うわ、何を呆けておるのじゃ。神海水の為と言っておろうが」


 神海水……それは海から離れた場所でも姫の力を受けて、恵姫の意志のままに自由自在に制御可能な特別の海水。何故特別なのかと言えば、恵姫の力を及ぼせるのは、あくまでも自然に存在する海水だけだからです。

 たとえば桶に海水を汲んで城に持って来たとしても、力を及ぼすことはできません。その海水は生きてはいないからです。自然界から切り離した途端に単なる塩水になってしまうのです。同じ事は淡水を制する瀬津姫にも言えます。川や池などの水にしか瀬津姫の力は及ばないのです。


 しかし、自然から切り離した水や海水を、生きたままにする方法もあるのです。それが神海水、神水というものです。斎主や斎宗によって作られた特別の容器に海水や水を入れ、そこに姫の力を籠めるのです。籠められた力が大きければ大きい程、水や海水の力は強くなります。

 姫の力を籠めれば、精神力も体力も消耗しますから、当然、精神的肉体的疲労も増します。普段の生活に支障のない程度に毎日力を籠め続ければ、大体一ヶ月程度で神海水は出来上がります。けれども、記伊の姫衆が強硬な手段に出ている現状では、そんな悠長なことも言っていられません


 そこで恵姫は通常時の五倍の速度で毎日力を籠めることにしたのです。これは完全に普段の生活に支障をきたす度合です。瀬津姫に出会った翌日から、この五倍速度神海水製造に着手した恵姫は、毎日朝寝坊し、お稽古事はさぼり、午後の浜遊びも止めて、ひたすら印籠に力を籠める日々が続いていたのです。恵姫が今朝なかなか起きられなかったのも、こんな事情があったからなのでした。


「わらわが毎日力を尽くして神海水を作っておるのは知っておろう。これは何もわらわ自身の為だけにやっているのではないのじゃぞ。そなたたち城の者、城下の者、我が領地の者、皆を守る為にやっておるのじゃ。我が身を削る思いで、かくも健気に頑張っておるわらわに対して、朝飯のひとつも食わさぬとは無慈悲にも程があろうぞ、磯島。さあ、早く飯の支度をせい。御馳走を食わせろ、鯛の尾頭付きを齧らせろ!」

「そう言い続けて、遅い朝食を取り、お稽古事を怠けて眠りこけ、午後も座敷で食っては寝てのゴロゴロ生活。そのようなお暮しを続けて本日で八日目でございますね」

「それが、どうしたと……はっ!」


 恵姫は重大な事実に気が付きました。五倍の速度で力を籠めれば、一月掛かる神海水は六日も掛からずに出来てしまうはずです。つまり昨日はまったく姫の力を使っていないはずなのです。


「二日前に神海水は出来上がっているのに、どのような理由で本日も朝寝坊なさっておられるのか、その理由をお聞かせくださいませんか、恵姫様」

「う、え、あの、それは、つまり……」


 真顔の磯島が迫ってきました。これは相当怒っています。言い訳を考えようにも寝起き直後で頭は呆け、空腹のために頭は呆け、言い逃れのできない状況に頭は呆け、もはや弁解の言葉すら思い浮かびません。恵姫は素直に両手を畳につけ、頭を下げました。


「す、済まぬ、磯島。七日間も朝寝の快楽に身を委ねてしまった為に、ついつい今朝もこれまで通り惰眠を貪ってしまったのじゃ。それもこれも春の陽気が悪いのじゃ。これだけ温くては朝になっても目が覚めぬのは仕方がなかろう」


 結局、春の陽気のせいにする恵姫です。磯島はため息をつきつつも、それ程怒っているようには見えません。


「そんな事だろうと思っておりました。まあ、良いです。六日間頑張られたのは紛れもない事実ですからね。その努力に免じて、本日の朝寝坊の件は忘れましょう」

「おお、許してくれるか。それでこそ磯島じゃ」

「ただし条件があります」


 さすがは駆け引き上手の磯島。何の見返りもなしに譲歩してくれるはずがありません。


「な、何じゃ、条件とは。毘沙から貰った伊瀬土産の鯛車を渡せとでも言うのではあるまいな」


 八日前、斎主との面会を終えて志麻の国にやって来た毘沙姫は、伊瀬のお土産を持参していたのです。黒姫には餡ころ餅、恵姫には鯛車。島羽の大暴れで鯛車を失くしてしまった事を、どこかから聞き付けて買ってきたようでした。なかなかに気の利く娘です。勿論、磯島がそんな物を欲しがるはずがありません。


「私が鯛車を貰ってどうなると言うのです。もっと大切なことでございますよ。姫様も気付いておられるはず、最近のお福の様子に」

「お福か……」


 それは恵姫も薄々感じていました。花見の日以来、お福は元気がないのです。上の空のような、胸に何かつっかえているような、悩み事があるような、そんな様子がずっと続いていました。


「女中の仕事をしている時も、休んでいる時も、食事をしている時も、横になっている時も、姫様に対抗する為の秘策を授けている時も、これれまでとは別人のように生気が感じられないのでございますよ」

「おい、磯島。最後に何やら聞き捨てならぬ事を口走ったような気がするのじゃが……わらわに対抗するとかなんとか」

「そんな些細な事はどうでもよろしいのです。姫様は最近、お福と遊ぶどころか一緒に居る時もほとんどありませんでした。神海水も出来上がったことですし、今日は一日お福に付き合ってあげていただけませんか。私の出す条件とはこれでございます」

「う~む、しかし、腹は減ったし、稽古事もあるし、一日付き合えと言われてものう……」

「特別に遅い朝食を出します。本日のお稽古はお休みにします」

「やはりお福にはわらわが付いていてやらねばな。よし、今日は一日とことんお福に付き合ってやろうぞ!」


 恵姫も磯島もにっこりです。二人の利害が一致した見事な終着点でした。仲良きことは本当に素晴らしいものですね。


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