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元禄・マジカル・プリンセス  作者: 沢田和早
第十五話 にじ はじめてあらわる
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虹始見その一 花見待ち

「今日も来ぬつもりか、与太郎は。いったい何をグズグズしておるのじゃ。このままではせっかくの桜が散ってしまうではないか」


 ぶつくさ文句を垂れながら、座敷を行ったり来たりする恵姫。傍らに座っている磯島がいつもの如く諌めます。


「姫様、そのように文句を言いながら歩き回ったところで、与太郎殿が来るものでもありますまい。それよりも本日のお稽古事をそろそろ始めとうございます」


 午前中の恵姫にはそれなりのお役目があります。礼儀作法、武家としての教養、お稽古事、それらを磯島やその筋の師匠に習うのです。今日は磯島から茶の稽古を付けてもらうことになっています。


「いや、待て、磯島。稽古をしておる途中で与太郎が来れば、稽古を中断せねばならぬであろう。それならば最初からやらぬ方が良いではないか」


 磯島には分かっていました。与太郎を出しにて恵姫が今日も稽古事をせずに済まそうとしていることを。 四日前の雛祭りの日から、毎日、毎日、

「今日こそ与太郎が来る。稽古事はやめじゃ」だの、

「来る、必ず今日来る。そんな予感がしてならぬのじゃ」だの、

「見よ、磯島、この晴れ渡った空を。与太郎が来るとすれば今日じゃ」などと言い続け、昨日までの三日間、午前のお稽古事を怠け続けてきたのでした。そして今日も同じ手で怠けようとしているのです。


「恵姫様、磯島はお稽古が中断されても構わないと考えています。与太郎殿にはしばらく待っていただき、キリのいいところで稽古を切り上げ、それから支度をしてお花見に出かければよいのです」


 そうです。与太郎を待っているのは、共に花見に行くためなのです。四日前、雁四郎を励ますに当たって厳左が言った言葉、

『もし雁四郎が元気になれば花見をしようと思っておる。勿論、与太郎殿への礼も兼ねてだ』

 この言葉を厳左は頑なに守っていたのでした。


「与太郎など待っていてもしばらく来ぬかもしれぬぞ。その間にせっかくの桜が散ってしまっては台無しじゃ。あんな奴は放っておいて、わらわたちだけで花見に行こうぞ、厳左」

 と恵姫が言っても、

「いや、此度の功労者である与太郎殿抜きに、島羽よりいただいた見舞金で花見をするなど、仁義にもとる行いであろう。ここは辛抱強く与太郎殿再来を待つべきである」

 と言って、あくまでも花見は与太郎の為に開くという信念を曲げようとしないのです。


「与太郎め、あやつ花が散ってからこちらに来て、結局、花見ができずに使い道のなくなった見舞金を、己が懐に入れてしまおうという算段なのではないじゃろうな」


 もし恵姫が与太郎の立場なら確実にそうしていたことでしょう。しかし、この妄想は少々無理がありました。与太郎がこの時代の銭を手にしたところで、あちらの世で使えるはずもなく、こちらの世で与太郎の欲しがる物があるかどうかも分からないのです。むしろ花見を開いて御馳走を食べさせてもらった方が、与太郎は喜ぶはずです。


「与太郎殿は寺子屋の手習いを終えられ、仕官の口を探しておるのでしょう。いかに浪人の身とてなかなか都合が付かぬのではありませんか。姫様のように業突く張りなおのこではなさそうですから」

「な、なんじゃと、磯島。わらわが業突く張りとはどういう……」


 磯島に言い返そうとしたところで、中庭に面する障子の向こうから声が聞こえてきました。


「恵姫様ー。与太郎殿は参られましたかー」


 雁四郎です。今はもうすっかり元気を取り戻し、こうして城勤めに励めるほどになっていました。恵姫は障子を開けると、縁側に出て答えました。


「来ぬのじゃ。もう四日も経つというのに、さっぱり姿を現さぬ。おい、雁四郎。お主、与太郎を屋敷に連れ帰ってから、彼奴をぞんざいに扱ったのではないじゃろうな」

「滅相もございません。拙者もお爺爺様も丁重に与太郎殿を持て成しました」


 この言葉は嘘ではありませんでしたが、雁四郎の言う丁重が与太郎にとっても丁重なのかどうかは、甚だ疑問ではありました。あの日の与太郎は、それは大変な目に遭っていたからです。


 * * *


 雛祭りの日に屋敷に戻った雁四郎は、厳左に事の次第を説明した後、さっそく与太郎に木刀を与えました。


「さあ、与太郎殿、そんな小袖はかなぐり捨てて、拙者と手合わせ致そうぞ」

「え、いや、そんないきなり無理だよ。僕、中学も高校も体育の武道は柔道だったし、あ、だからと言って柔道が得意ってわけじゃないよ。受け身は上手くなったけど、それ以外はさっぱり……」

「何を訳のわからない事を喋っておられるのですか。さあ、木刀を持って。いざ、参る。そりゃあー」

「ひえ~!」


 こうして問答無用で雁四郎の稽古が始まりました。与太郎はチャンバラごっこはおろか、テレビの時代劇すら観たことのないズブの素人、一方、雁四郎は毎日剣の修業に励み、真剣で巻き藁切りを試すほどの武士。まるで稽古になりません。


「ほらほら、与太郎殿。受けるばかりでどうします。そちらからも打ち込んでください」

「そ、そんな事を言われても」


 矢継ぎ早に繰り出される雁四郎の攻めに、ひたすら避け、逃げ、後退し、「参りました」と言い続ける与太郎。如何に稽古の鬼とはいえ、根が優しい雁四郎はとうとう木刀を下ろしてしまいました。


「与太郎殿、そなたの腕がこれほどまでに未熟であったとは……」


 両膝と両手を地に着け、四つん這いの姿勢で荒い呼吸を続ける与太郎を、雁四郎は憐みを含んだ目で見下ろしました。


「ハアハア、いや、だからね、浪人って言っても、剣の腕前なんて関係なくて、ハアハア、ごめん、ちょっと水をくれない」


 苦しそうな息遣いの与太郎。雁四郎は無言でその場を離れました。屋敷の中へ入り、水を入れた木桶をぶら下げて戻ってくると、ひしゃくで水をすくって与太郎に差し出しました。


「ゴクゴク、ああ~、生き返る。ねっ、雁さん、打ち合っていて分かったと思うんだけど、僕は剣術の才能なんてないし、元々向いてないんだよ。もう僕の事なんて気に掛けてくれなくてもいいからさ。稽古なんかやめてお座敷でゆっくりしようよ」

「何を申される!」

 雁四郎は与太郎の両肩を掴みました。驚いてひしゃくを取り落とす与太郎。

「それほど簡単に諦められるのですか! おふう殿への想いはその程度なのですか! 浪人のままでよいのですか! 与太郎殿、諦めるには早すぎますぞ!」


 さすがは情に深い雁四郎。普通なら、こんな情けなくて弱っちい男なんかとっくに見捨ててしまうところですが、そんな無慈悲な真似は決してできない仁の男、それが雁四郎なのです。この燃えたぎるような熱い男の心情をまったく分かろうともせず、与太郎はいかにも有難迷惑な顔をしています。


「だから何度も言っているように、別に剣の腕前なんて関係ないんだってば。この時代だってそうでしょ。戦国時代じゃないんだし、泰平の世で剣の腕前なんか磨いたってムダ……」

「無駄にはならぬ」


 野太い声が聞こえてきました。厳左です。


「与太郎殿の申す通り、今の世にあっては剣を振るう機会はほとんどない。しかし剣の修練には意味がある。与太郎殿、こちらへ」


 厳左が招いています。与太郎は立ち上がって厳左の前に歩み寄りました。


「喝っ!」


 いきなり大声を浴びせられて尻もちをつく与太郎。厳左から発っせられる殺気を帯びた凄みに圧倒され、声を出すこともできません。


「我が気迫に怯えておるようだな、与太郎殿。そのような弱い心では武芸どころか何ひとつ満足には取り組めぬ。剣の修練は困難に打ち克つ心を養うもの。やり遂げねばならぬ責務、乗り越えねばならぬ試練、立ち向かわねばならぬ宿敵。与太郎殿はこれから多くの壁に突き当たるであろう。その時、剣の修練によって鍛えた心があれば、臆することなく立ち向かえるはず。剣によって成敗するのは他者ではない、己の中に潜む弱い己自身なのだ。さあ、その木刀を持って雁四郎に立ち向かえ。それしきの事ができぬようでは、取るに足らぬ些細な壁ですら突破することは叶わぬであろう」

「は、はあ……」


 こうして雁四郎と厳左に丁重に持て成された与太郎は、この時代を去る時刻になるまで、しっかり剣の修練に励んだのでした。もっとも日が暮れてからは、書による武芸の講釈に変わりましたけどね。


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