鴻雁北その二 ほうき星と与太郎
「与太郎、また来たのか。少し遅かったな。ちょうど雛料理を食い終わったところじゃ。もう少し早ければ鯛の骨くらいは呉れて遣ったのにのう。まったく、間の悪いおのこじゃて」
まるで屋敷に顔を見せに来た出入りの商人に対するような、気軽な口の利き方です。さすがに四回目ともなると、与太郎出現にそれほどの驚きを感じなくなっているのでしょう。しかし黒姫は違いました。
「きゃー、あなたが与太ちゃん! 初めまして。あたしはめぐちゃんの二才上の従姉妹で黒姫って言います。好きな獣は鼠で、好きな食べ物はお餅。仲良くしてね」
そうです。黒姫が与太郎に会うのはこれが初めてだったのです。当然、与太郎も初めての対面なので緊張しました。あの破廉恥で暴虐非道な恵姫の従姉妹となれば、弥が上にも緊張度は高まります。
「あ、は、初めまして。ぼ、僕は与太郎、十八才です。三百年後の世界から来ました。よろしくお願いします。黒姫様」
「やだあ、黒姫様だなんて。めぐちゃんはめぐ様って呼んでいるんでしょう。だったら、あたしもくろ様でいいよ~」
「あ、はい、くろ様」
「おいおい、与太郎。妙に鯱張っておるではないか。まさかお福だけでは飽き足らず、黒にも手を出すつもりか」
「ち、違いますよ。めぐ様の従姉妹って言うから、くろ様もあんな事やこんな事やとんでもない事を仕出かすんじゃないかと、心配しているだけです」
「え~、それは大丈夫だよ~。あたしはめぐちゃんと違ってのんびりしていますからね。御小用箱を覗いたり、股引を下ろしたり、身代わりにして閉じ込めて逃げる、なんてことはしないから、安心していいよ」
「なっ……ちょっと、これまでの恥ずかしい出来事、どうしてくろ様が知っているんですか。まさか他人に話しているんじゃないでしょうね」
「いや、話しておるぞ。こんな面白い話を黙っていては世間に失礼であろう。少なくとも城中の者は皆知っておる。ああ、安心せい。お主が後の世の者であることは、吟味の場に居た重臣しか知らぬ。厳左の遠い親戚の者で、時々間渡矢に遊びに来る馬鹿息子ということにしてあるから、そのように振る舞うのじゃぞ」
与太郎は顔を覆ってがっくりと膝をつきました。一回目と二回目にここで起きた事がテレビの番組制作ではないと分かり、今までの自分の恥ずかしいあんな事やこんな事は、当事者のみが知っているだけだと安心していたのです。しかし、どうやら恵姫はあちこちで言いふらしているようでした。城中の者全員が知っているのなら、城下に知れ渡るのも時間の問題でしょう。
「ああ~、僕はもう恥ずかしくてこの世界で生きていけないよ」
「気を落とすな、与太郎。お主はまだ若い。これから何度でも名誉挽回の機会は訪れようぞ。それよりも黒、与太郎が来たのじゃ、確かめることがあろう」
そうだったと言わんばかりに縁側に出る黒姫、恵姫も縁側に出ると東の空を眺めました。
「見えぬな。来たばかりであるし、まだ水平線すれすれの所にいるのじゃろう。黒、何か踏み台はないか」
「それなら踏み台よりも、梯子を使って東の塀に上った方がいいよ」
さすがは城下一の庄屋の屋敷、立派な門と頑丈な漆喰塀が建屋の周りを取り囲んでいるのです。下働きの田吾作に梯子を用意させると、四人は庭に出て東の塀の前に集まりました。
「あの、塀に梯子を立て掛けたりして、何をするつもりなんですか」
心配そうに尋ねる与太郎。また恥ずかしい事でもされるのではないかと怯えているようです。
「梯子を立て掛けたのなら、それに上るしかないではないか。別に与太郎は上らずともよいぞ」
まず恵姫、続いて黒姫、最後のお福が梯子を使って塀の瓦屋根に上りました。かろうじて東の水平線が見えます。
「あ、めぐちゃん、あれ見て」
黒姫の指差す方向には、海から顔を出したばかりのほうき星が光っていました。斎主宮で初めて見た時よりも大きく、輝きも強くなっています。
「やはりほうき星が昇ると与太郎がやって来るようじゃな」
「逆に、与太ちゃんが来るとほうき星が昇るのかもしれないよ」
「うわ、何ですか、あれは。こんな昼間にほうき星?」
いつの間にか塀の屋根に上って来た与太郎が叫んでいます。
「あれ、与太ちゃんにも見えるんだね。姫の力を持っている者にしか見えないはずなんだけど」
「ふ~む……」
恵姫は考えました。与太郎が姫の力を持っているとは思えません。となれば、ほうき星が見えているのは他の要因によるはずです。与太郎と他の者との違い、それは与太郎がこの時代の人ではない、これだけです。
「おい、与太郎、三百年後のお主の世でも、あのほうき星は見えておるのか」
「いやいや、そんなニュース、じゃなくて、そんな話は全然ありませんよ。僕だって向こうであんな星を見たことなんて一度もなかったですしね。昼間にでも見えるなんて、どんだけ明るいんですか。でも変だなあ。元禄時代にここまで明るい彗星が出現したなんて、歴史の本に書いてあったかな」
「あるわけがない。あれは力のない者には見えぬのじゃからな。まあよい。これで与太郎とほうき星の関係はよく分かった。座敷に戻ろうぞ」
四人は塀を下りて再び座敷に座りました。そこには既に黒姫の母によって与太郎の分を加えた四人の茶と茶菓子が用意されていました。
「黒の母は気が利くのう。与太郎なんぞに茶を飲ませることはないのにな、ずず」
「お客様には変わりないですからね。ずず」
「あ、僕もいただきます、ずず」
「……」
お福だけは音をたてず静かに飲んでいます。一服したところで恵姫が口を開きました。
「まあ、なんじゃ与太郎。こうしてお主と落ち着いて話ができるのはこれが初めてじゃ。色々と尋ねたいことがある。此度は正直に話すのじゃぞ」
「ああ、はい。僕も知りたい事や知って欲しい事がありますからね」
「はいは~い、じゃあ、あたしから。与太ちゃん、前回は素っ裸で三百年後に戻ったんでしょ。恥ずかしくなかった?」
何の前触れもなくいきなり平手打ちを食らわされたような黒姫の問い掛けに、ああ、やっぱりこの娘は恵姫の従姉妹なんだなあと、変な納得をしてしまう与太郎でした。
「えっと、この前残して行った僕の服、返してくれるんですよね」
答えをはぐらかしてこちらから質問をする与太郎。しかし、そんな姑息な手段はこの二人の姫には通用しません。
「正直に『恥ずかしかった』と言えば、返してやらぬでもないぞ、与太郎、ふっふっふ」
悪い顔をしてほくそ笑む恵姫。どうあっても、この言葉を言わせたいようです。観念した与太郎は素直に言葉にしました。
「は、恥ずかしかったです」
「向こうに戻った時はどのような格好をしていたのじゃ」
「えっと、うつ伏せになって、お尻を突き出していて……」
「きゃー、恥ずかしい。ねえ、ここでやってみせてよ、与太ちゃん」
「え、そ、そんな恰好、できるわけがないでしょう」
「ほほう、わらわの従姉妹である黒の頼みが聞けぬと申すか」
「勘弁してくださいよ。どれだけ僕を辱めたら……」
ばん!
大きな音がしました。お福が手を叩いたのです。口元にはいつも通りの柔らかい笑み、しかし目は笑っていません。いつまで下らないことをしているんですか、そう言っているように見えます。恵姫と黒姫は顔を寄せてひそひそと内緒話を始めました。
「ねえねえ、めぐちゃん。お福ちゃんって最近変わったんじゃないかなあ」
「そうなのじゃ。斎主様に会って以来、妙に気が強くなりおってのう。姫の力も増しておるようじゃし、磯島からも何やら人心掌握術の手ほどきを受けておるようなのじゃ」
「え~、それじゃ第二の磯島様が誕生しちゃうかもしれないね」
「うむ。今のうちにこちらの味方に付けておかねばな」
神妙な顔つきでお福を見詰める恵姫と黒姫。当のお福は相変わらずにっこり笑っています。取り敢えず恥ずかしい格好はせずに済みそうな与太郎ではありました。




