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元禄・マジカル・プリンセス  作者: 沢田和早
第十四話 こうがん かえる
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鴻雁北その一 桃の節供

 本日三月三日は桃の節供せっく。節供は元々宮中の行事で、武家においては一般的な行事ではありませんでした。武家に浸透し始めたのは、江戸に入った徳川家が式日の制を定めてからです。その時、五つの節供と徳川家康が入城した八朔(八月一日)が式日となりました。

 式日には江戸在住の大名は登城して将軍にご挨拶することになっています。参勤交代で江戸に居る恵姫の父も、今日は朝から登城していることでしょう。


「父上も今頃は大変じゃのう、ずずっ」


 と、恵姫は出されたお茶を飲みながら言いました。今日は黒姫の屋敷、つまり庄屋の屋敷に来ています。お福も一緒です。式日ということでお城のお役目はなく、お福も今日はお休み。そこで黒姫の屋敷で雛祭りを祝おうと、恵姫と一緒にやって来たのです。


「これ、黒。雛料理はまだか」

「もう、まだお昼にはだいぶ間があるんだから、お茶で我慢してくださいよ、めぐちゃん」


 恵姫と黒姫は、毎年交代で雛祭りを祝っています。昨年は恵姫の居る間渡矢城で一緒に祝ったので、今年は黒姫の屋敷で祝うことになりました。


「お福も腹が減ったとお怒り気味であるぞ」


 お福は思い切り首を横に振って否定しました。人を巻き込む手管は天下一品の恵姫です。


「何と言われようとお昼までは出ません。我慢してください」

「仕方ないのう。ならば気晴らしに雛合わせでもやるか。これ、黒、そなたも準備せよ」


 雛合わせは単純に互いの雛人形を見せ合う遊びです。恵姫は先日磯島に用意させた黒鯛様、赤鯛様の人形を持参してきました。一方、黒姫の座敷に飾られているのは、最近作られ始めた十二単の座り雛です。


「え~、これ、今年初めて飾るお雛様なのになあ。めぐちゃん、乱暴にしないでよ」

「分かっておる。では男雛からいくぞ、そりゃ~」


 恵姫は黒姫が畳に置いた男雛目掛けて、黒鯛様を突進させました。勢いよく吹っ飛ばされる黒姫の男雛。続いて突進する恵姫の赤鯛様。またも吹っ飛ばされる黒姫の女雛。座敷に響き渡る恵姫の高笑い。


「ねえ、めぐちゃん、子供の頃からずっと同じ遊びを繰り返してきて、今更言うのも変なんだけど、これって本当に雛合わせなの?」

「黒よ、これまで一度もわらわに勝ったことがないゆえに、悔しさが募っておるそなたの気持ちはよく分かる。じゃがな、雛合わせとは互いの雛人形の度量をはかる遊び。そして雛人形の度量はその持ち主の度量でもある。わらわの度量の方が黒よりも上なのじゃから、負け続けるのは仕方ない。気にせずともよいのじゃぞ」

「う~ん……」


 なんとも釈然としない黒姫です。どう考えても雛人形を戦わせるのが雛遊びだとは思えないからです。これでは淑やかなおなごではなく、勇ましいおなごに育ってしまいそうです。


「おや、お福ちゃんは雛人形がないのかね」


 座敷に黒姫の母が入ってきました。手に持った菱台には緑と白の菱餅が置かれています。それを見た黒姫はさっそく抗議です。


「あーもう。お昼までは食べ物は出さないって言っていたのに」

「どうやら恵姫様は辛抱できないようですからね。御目出度い日に我慢させるのもお気の毒でしょう。どうぞ、召し上がってください」

「おう、なんと話の分かる母上であることよ。有難くいただくかのう」


 雛遊びは後回しにして菱餅にかぶりつく恵姫。釣られて食べ始める黒姫。遠慮がちに手を出すお福。そんな三人の姿を眺めながら、黒姫の母は言いました。


「お福ちゃんは、雛人形を持っていないのかね」


 小さく頷くお福。恵姫も黒姫もその時ようやく気付きました。二人が遊んでいる間、お福は一人でじっと座っていたのです。雛人形がなければ雛合わせはできないのですから。その気はなくとも二人はお福を仲間外れにしていたのでした。


「ああ、お福、赤鯛様なら貸してやってもよいぞ」

「あ、あたしも、男雛を貸してあげるよ~」


 恵姫も黒姫もバツの悪い様子で雛人形を差し出します。そんな二人に黒姫の母は笑い掛けると、

「いえいえ、もっといい方法がありますよ」

 そう言って座敷を出て行きました。しばらくして戻って来た黒姫の母は古ぼけた一対の立雛を持っていました。


「お福ちゃん、これはね、あたしが小さかった時にいつも遊んでいた雛人形なんだよ。今の人形と違って座っていないし、女雛も袴をはいているし、もうあちこち破れたりしているけど、なんとなく捨てられなくて今日まで取っておいたものなの。ね、今度はお福ちゃんがこの人形と遊んであげてくれない」


 お福の顔が輝きました。その雛人形を受け取ろうと差し出された両手。しかし、その両手はすぐに引っ込められました。お福の顔は恵姫の方を向いています。女中の身分でこのような貰い物をしてよいのか、そう問うているようでした。もちろん恵姫は大きく頷きました。笑顔になるお福。これでようやくお福も雛合わせをして遊ぶことができます。


「そりゃ~!」


 当然ですが、お福の雛人形も恵姫の暴れ鯛人形には勝てません。派手に吹っ飛ばされ続けたために、ただでさえボロかった雛人形が、ますますボロくなってしまいました。それでもお福は幸せでした。こうして同い年の娘と雛遊びをすることは初めてだったからです。


「はいはい、雛遊びはそこまでにして、そろそろお昼の時間ですよ」

「めぐちゃ~ん、お待ちかねの雛料理だよ~。座って座って」


 人形を片付けてきちんと座敷に座る三人。運ばれてくる昼の膳。そこに並んでいるのは雛料理の定番、ちらし寿司と蛤汁。更に恵姫の要望に応える形で、平目の刺身と鯛の塩焼きが加わっています。


「おお、なんという御馳走なのじゃ。今日まで粗食に耐えてきた甲斐があったというものじゃ」


 美味そうな料理が並んだ膳を見て、恵姫は知らぬうちに落涙しそうになりました。そうです、思い返せば五日前の仮病露見。あの日以降、罰として毎日の三度の食事は極めて質素なものになってしまっていたのでした。


「さあさあ、恵姫様、今日はお腹いっぱい食べてくださいまし」

「うむ、いただくぞ、食うぞ~」


 恵姫は食べました、言葉通りの牛飲馬食です。この五日間で溜まりに溜まった美味なるものへの渇望を、この機会に一気に晴らさんとするかの如く食べ、かつ飲みました。


「ふは~、食ったのう。わらわは満足であるぞ。おや、これは白酒ではなく甘酒ではないか。今年こそ白酒が飲めると思っておったのにのう」

「仕方がありませんよ。比寿家ではお酒は二十歳になってから、なのでございましょう」

「そうだよ、めぐちゃん。聞いたよ~。島羽でめぐちゃんがお酒を飲んで酔っ払って、大事な神海水を使おうとしたってこと」

「ば、馬鹿、黒。そのようなことを口にするものではない。斎主様に知れたらただでは済まぬぞ」

「ふふふ、だったら二十歳になるまで白酒は我慢しようねえ」


 実に和やかな桃の節供の一場面です。満腹になった三人は座敷の障子を開けて外を眺めました。屋敷の庭にある桃の木が、心地よい三月の風に吹かれています。


「こうして桃の花が舞う風景の中に居ると、桃源郷へでも入り込んだ気分になるのう」

「そうだよねえ~、嫌なことも辛いことも、みんな忘れちゃうよねえ」

「きゃっ!」


 突然お福が悲鳴をあげました。同時に何かが落ちてきたような大きな音。


「なんじゃ」

「どうしたの、お福ちゃん」


 庭を眺めていた二人が後ろを振り向くと、仰向けになったお福の上に男が覆いかぶさっていました。与太郎です。


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