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元禄・マジカル・プリンセス  作者: 沢田和早
第十三話 つばめ きたる
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玄鳥至その一 二人の懸念

 中庭で立ち話をしているのは厳左と磯島です。この二人が二人だけで話をしている光景は、滅多に見られるものではありません。二人は間渡矢城の表御殿と奥御殿の責任者であり代表者。多忙を極める両者がこうして顔突き合わせて会談をしているとなると、余程の重大な案件が持ち上がっていると考えざるを得ません。


「それで、どうなのだ、姫様の容態は」

「はい、頬の腫れはもう完全にひきました。熱もありません。手と足の縄の跡はまだ少し残っておりますが、痛みはないようです。されど、まだ起き上がることは叶わぬようです」

「あれからもう五日も経っておると言うのにな。少し心配になってきたわい」


 厳左らしからぬ憂いに沈んだ表情、それは磯島も同じでした。この五日間、座敷で寝たままになっている恵姫を世話し続けていた磯島は、心身共に疲労が蓄積し、いつもの精気をすっかり失っています。


「早く良くなっていただけるとよろしいのですが……」


 そう言って磯島は空を見上げました。気の早い燕が春の空を滑るように飛んでいきます。そうして磯島は五日前の出来事を思い出すのでした。



 恵姫とお福、与太郎の三人を乗せて飛魚丸が間渡矢に戻って来たのは、午後遅くなってからでした。島羽で眠りに落ちた恵姫は一度も目を覚まさず、奥御殿に運び込まれてもこんこんと眠り続けていました。

 やがて日が暮れ夜も深まり、与太郎が消えてしまうと、恵姫がうなされ始めたのです。頬と額は熱く、汗が玉となって浮かび上がり、苦しい息遣いが続きました。すぐに呼ばれた御典医は風邪と見立てて、葛根と生姜を処方していきました。しかし、その後、間渡矢城にやって来た黒姫は別の見立てでした。


「これは、姫の力を使い過ぎたような気がしますねえ」


 黒姫の話はこうでした 昔、まだ子供で姫の力も今ほど強くなかった頃のことです。砂浜で恵姫と黒姫が遊んでいた時、沖に海豚らしきものが見えたのです。すると恵姫が、

「黒、あれを呼んでくれ」

 と、無茶な事を言い出したのです。黒姫はどうしようか迷ったのですが、恵姫があんまりしつこく頼むので、力を使って浅瀬まで引き寄せてみました。大喜びの恵姫は海豚に齧り付こうとしたのですが、浜から遠かったこともあり、海豚は難を逃れて浅瀬から沖へ泳いで逃げて行きました。そして、その夜、黒姫は熱を出したのです。


「一気に大きな姫の力を使うと、姫自身の体の力も消耗させちゃうみたいなんですよ。あたしは一晩寝れば治ったけど、めぐちゃんは相当大きな力を使っちゃったみたいですね」


 そう言われて磯島は、以前恵姫が嫁ぎ先で田んぼを水浸しにしてしまった一件を思い出しました。あの時も恵姫はその日に高熱を出して寝込んだと、後日聞かされたのでした。どうやら黒姫の推測は正しいようです。


「では、与太郎殿が消えられた途端に苦しみ出したのは、何か関係があるのでしょうか」

「う~ん、それについてはあたしもよくは分からないなあ。与太ちゃんが来ると姫の力が増すみたいなので、それと関係あるかもしれないけど」

「そうですか」


 あの与太郎にそんな力があるのかどうか、さすがにすぐには信じられない磯島でした。できればすぐにでも与太郎の再登場を願いたいところですが、二か月の間に三度しか現れていない事実を考慮すると、与太郎による癒しを期待するのは無理のようです。


「分かりました。この磯島の手厚い看病で、必ずや姫様を元通りの健康な姫様に戻して見せましょう」

 と、力強く磯島が宣言してから早や五日。傍目には病には見えぬほどに回復してはいるものの、まだ寝たままの状態が続いているのです。



 ひらりひらりと宙を舞う燕を眺めながら、磯島はため息まじりに言いました。


「姫様も、あの燕たちのように早く元気になっていただきたいものです」

「う~む、寝床から出る元気もないか……体が癒えても起き上がれぬのは、あるいは心に傷を負ったからかもしれぬな」


 厳左のこの言葉は磯島を驚かせました。自分の心にも傷を負いそうなくらいの衝撃が磯島を襲いました。


「心に傷とは何事ですか。どのような理由でそのようにお考えになられるのです」


 厳左は余計な事を口にしてしまったというように頭を掻きました。しかし、一度口から出てしまったら、もう戻す訳にもいきません。正直に話すことにしました。


「実は、そなたには言わなかったのだが、姫様の頬の腫れは船の破片が当たってできたのではない。女頭領に殴られたのだ」

「な、殴られた……姫様が殴られたと」


 磯島には信じられませんでした。自分が手塩に掛けて育てて来た恵姫が他人に殴られるなど、あってはならないことです。


「そうなのだ。姫様自身も殴られたとは言わなかった。自分の誇りに掛けてそのような恥を晒すのは嫌だったのだろう。だが、島羽城からの報告に寄ると、女頭領は姫様を殴ったと白状しておるそうだ」

「ああ、なんとおいたわしいことでしょう。まさかそのような事があったとは夢にも思いませんでした。見抜けなかった磯島、一生の不覚でございます」


 幾ら明日の恵姫の行動まで読める磯島でも、そこまで読むのはちょっと無理でしょう。


「恐らく姫様もお福も、船の中では相当辛い目に遭われたに違いない。殴られるよりももっと辛い事をされたのかもしれぬ。それ故に体が癒えても心は癒えず、座敷で寝たままになっておるのだろう。おや、どうした磯島殿」


 その場にしゃがみ込んで耳に両手を当てている磯島を、厳左は当惑気味に眺めました。耳に当てた磯島の手がぷるぷると震えています。


「聞きたくありませぬ、そのような話。あの姫様がそのような目に遭われたなどと、聞きたくありませぬ。信じたくありませぬ」

「これ、磯島殿。駄々をこねるでない。それではまるでそなたが姫様になってしまったようではないか。船の中でどのような目に遭っていたかははっきりとはしておらぬのだ。それほど気を揉むようなことでもあるまい。ただ、頬を女頭領に殴られた、これだけは動かしようがない事実だ」

「ああ、姫様、姫様……」


 ここまで取り乱した磯島もかなり珍しいと言えましょう。裏を返せばそれだけ恵姫を想う気持ちが強いことの表れです。いつまで経ってもうずくまったままなので、厳左は別の話題を持ち出すことにしました。


「ところでお福はどうなのだ。この前見掛けた時はひどく元気がなかったが」

「はい。帰城した翌日は全てのお役目を免じて、一日休養させましたが、次の日からは今まで通り女中として働いております。それだけでなく、姫様のために毎日浜へ貝を採りに行っております。海のものを食べれば姫様は元気になる、そう思ってのことなのでしょう。お福の元気がないのは恐らく姫様を気に掛けるあまりでございます」

「いじらしい娘であるな。己より他人を気遣って元気がないとは」


 厳左の頭の上を燕がかすめて行きました。先程から巣作りに余念がないようです。ここでようやく磯島が何かを思い出したように立ち上がりました。


「それはそうと、雁四郎殿は如何されておりますか。此度の警護不首尾の責任を問われ、蟄居を命じられたと聞いておりますが」

「己の部屋に閉じこもったままだ。用のある時以外は出て来ようとせぬ。万が一のこと考え、刀はもちろん針や釘のようなものまで取り上げておるが、かなり己を責めておるようだ」

「そうですか。此度の伊瀬行きは姫様だけでなく、お福にも雁四郎殿にもひどく辛い経験になってしまわれたようですね」

「雁四郎には良い薬じゃ。与太郎殿侵入の折は言い訳ばかりしておったが、此度はそれすらもできぬようだ。仕損じるという経験は多いほど良い。次のお役目に活かせるからな。三月になれば蟄居も終わる。それまでには元の雁四郎に戻っておるだろう」

「姫様がお元気になられれば、全てがうまくいくのでしょうね、きっと」


 磯島はもう一度空を見上げました。春の日差しがほんのりと磯島の顔を温めます。以前のように陽気で騒がしくて、奥御殿を明るく照らす日溜りのような恵姫様に早く戻って欲しい、そう願わずにはいられない磯島ではありました。


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