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元禄・マジカル・プリンセス  作者: 沢田和早
第十話 すずめ はじめてすくう
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雀始巣その一 黒姫帰郷

 恵姫は後ろを振り返りました。十一日間に渡って欲望の赴くままに食ったり飲んだり出来た夢のような門前町は、もう道の向こうに遠くなっています。


「竜宮城を去る浦島殿も、きっとこのような心持ちであったことよのう」


 そう考えると踏み出す足の力は弱くなり、垂れた髪は後ろに引かれ、歩みは止まり、知らぬうちに向きを変え、何故か逆向きに歩き出す恵姫。その肩を雁四郎の右手がむんずと押さえました。


「恵姫様、どこへ行かれるおつもりですか」

「手を放してくれ、雁四郎。まだ十日と半日しか楽しんでおらぬのじゃ。食い足りぬ、これでは満足出来ぬ、後生じゃ雁四郎、行かせてくれ」

「見苦しいですよ、恵姫様。本日の昼食を済ませたら島羽へ発つと、あれほど約束したではありませぬか」

「そ、それはそうなのじゃが、しかしな、分かってくれぬか、わらわのこの気持ちを。城を離れ、五月蠅い磯島の目から逃れ、思う存分羽を伸ばせるこの自由を、わらわはまだ手放したくはないのじゃあ~」


 やれやれまた駄々をこね始めたと、雁四郎はうんざりしました。黒姫が一足先に志麻に戻った後、そろそろ島羽に発とうと何度言っても、今と同じように嫌だ嫌だと言いくるめられ、気が付けば斎主の謁見から五日間も無駄な時を過ごしてしまっていたのです。


「頼む、雁四郎放してくれ、行かせてくれ、もう一度、腹いっぱい食わせてくれ~」

「お福殿、お願いいたす」


 雁四郎にそう言われたお福は恵姫に歩み寄ると、その顔を近付けて、にっこりと微笑みました。恵姫が急に真顔になります。


「う、ぐぐ」


 唸り声をあげ、肩に乗った雁四郎の手を払うと、再び島羽に向けて歩き始める恵姫。これで一安心とばかりにその後を追う雁四郎とお福。恵姫はちらりと後ろを振り向いてお福の顔を見ました。


『斎主様との謁見以来、お福の様子が変わったような気がするのう。あの笑顔には以前にはなかった有無を言わせぬ威圧感が漂っておる。今となっては目の上のたんこぶじゃな』


 恵姫に伊瀬を離れる決心をさせたのもお福でした。今朝、宿坊を出た時から、島羽の方を向いたままお福は動こうとしなかったのです。その余りの頑なな態度に、遂に恵姫も我を折ったのでした。


「志麻を立ち島羽に向かいし我が身かな伊瀬でのことも夢のまた夢」


 と、どこかで聞いたことのある歌を詠みながら、恵姫は五日前の斎主宮での謁見を思い出すのでした。


 *  *  *


 三人で内院を出ても誰も何も言いませんでした。中院で雁四郎と合流し、下院で退出の挨拶をし、斎主宮を後にして、そこでようやくそれまでしっかりと閉じられていた恵姫と黒姫の口が開かれました。


「ふう、今日の謁見はいつも以上に気を遣ったわい。黒、そなたはどうじゃった」

「あたしはねえ、あんまり小槌を使っちゃいけませんって叱られちゃった」

「そうか。それでほうき星についての話は聞いたか」


 いきなり話の核心をぶつけられて、黒姫は息が止まったような顔をしました。


「う、うん。聞いたよ。あんなものがあったんだねえ。今まで全然気が付かなかったよ」


 黒姫はそう言って東の空に目を遣りました。恵姫もそちらを見ます。雲に覆われた空。そこに心なしか光る点のようなものが見える気もします。


「遠眼鏡なしではほとんど見えぬな。じゃが、やがて見えるようになるのであろうな」

「そうだね」

「あの、お二方は何の話をしておられるのでしょうか」


 四人の中でただ一人、事情を知らない雁四郎が横から口を挟んできました。恵姫も黒姫もしばし躊躇しましたが、雁四郎が知ったからとてどうなるものでもないと判断し、簡単に謁見での内容を説明しました。


「そうですか、そのようなほうき星が……しかし、これで力の衰弱の原因が、つまりは昨今の不作不漁の原因が分かるのではないのですか」

「事はそう簡単ではないぞ、雁四郎。それにもうひとつ、これは黒も知らぬことゆえ話しておこう」


 そうして恵姫は与太郎とほうき星の関係についても話しました。ただし、これはあくまでも推測に過ぎないとの注釈も付けてです。

 黒姫はじっと恵姫の話を聞いていました。そして話が終わっても何やら考えているようでした。いつまで経っても何も言わないので、恵姫が尋ねました。


「どうした、黒。何を考えておる」

「めぐちゃん、やっぱりほうき星と与太ちゃんは関係あるような気がする。二回目に与太ちゃんが現れたのが朝で、消えたのが夕方なんでしょう。ほうき星は現れると半日で沈む。与太ちゃんも半日で居なくなった」

「ほうき星が昇ると与太郎が現れ、沈むと消える、そう考えておるのか」


 黒姫が頷きました。恵姫は即座に首を振りました。


「それは違うな。二回目は確かに半日じゃったが、最初に現れたのは朝で消えたのは昼じゃ。奴は半日も居らなんだ」

「ううん、与太ちゃんがお福ちゃんの夜具に居るって気が付いたのが朝ってだけでしょう。本当は夜中に現れてそのまま朝まで気が付かなかっただけかもしれないじゃない。それなら半日で消えたことになる」


 恵姫はお福を見ました。お福は頷いています。黒姫の言う通りかもしれない、そう言いたいのでしょう。


「いや、たとえそうだとしても腑に落ちぬことがある。ほうき星は既に昨年から現れておるのじゃぞ。ならば与太郎も昨年から現われねばおかしいではないか。これまでに現れたのはたった二度、しかもどうじゃ、ほうき星は今も現にあの空を飛んでおる。なのに与太郎は現れぬ。これでは与太郎とほうき星を結びつけて考えるなど、とても無理じゃ」


 黒姫はまた黙りました。恵姫の考えも理に適っていたからです。と、再び横から雁四郎が口を挟んできました。


「他にも何か要件があるのかもしれませぬよ、恵姫様」

「どういうことじゃ、雁四郎。他の要件とは何じゃ」

「そうですね……例えば苗です。間もなく苗床作りも始まりましょう。その時、籾種を土にまけば、必ず芽が出るというものではありません。水と熱と光と籾種の力。これらが揃って初めて芽が出るのです。ほうき星は与太郎殿が出現する要件のひとつに過ぎないのではないでしょうか」

「では、他の要件とは何じゃと申すのだ」

「それは……それは追い追い明らかになって来るのではないでしょうか。次に与太郎殿が現れた時は、その辺りを重点的に訊いてみるのがよろしいかと存じます」


 確かに今の段階で、与太郎とほうき星が無関係だと決めつけるのは早計のような気もします。恵姫は考えを改めました。


「分かった。与太郎が現れるまでこの件は保留じゃ。黒、そなたの考え、あるいは的を射ておるのかもしれぬな」

「えへへ、あたし勘がいいからね。結構自信あるんだ。それにね、ひとつだけ確かなことがあるよ。与太ちゃんはあたしたちを救いに来たんだってこと」


 常人の想像の域を超越した黒姫の仮説です。恵姫は呆気にとられ即座に否定しました。


「黒、そなた気でも違えたか。あのような薄野呂うすのろが我らを救えるはずがなかろう」

「ううん、救えるよ。だって与太ちゃんが来たときは姫の力が回復しているんだよ。それもあたしたちだけじゃなく、みんなの力が。きっと与太ちゃんはあたしたち姫を助けるために後の世から来ているんだよ」


 これには恵姫も異を唱えることが出来ませんでした。刀を抜いた厳左に神海水を使った時、今まで忘れていた力の充実を感じたのです。与太郎が姫の力を回復させている、これは紛れもない事実でした。救いに来たかどうかは別問題にするにしても。


「それも次に与太郎が現れればはっきりするじゃろう。さあ、話し合いはこれくらいにして美味い物でも食おうではないか。謁見が終わって肩が軽くなったら腹が減ってきたわい」


 それから四人は門前町に行って、たらふく美味い物を食べました。恵姫だけでなく黒姫もお福も雁四郎も、伊瀬に着いて初めて安らかに食事が出来た午後でした。


 翌朝、黒姫の言葉通り、庄屋の家で下働きをしている田吾作が宿坊に姿を現しました。


「お嬢様、お迎えに上がりました。そろそろ彼岸の準備をせなばなりませぬゆえ、急き立てるようで申し訳ないですが、そろそろお帰り下さいまし」

「うん、田吾作どん、お迎えありがとね。めぐちゃん、あたし帰るね。はい姫札。あんまり食べ過ぎちゃ駄目だよ」


 そう言って黒姫は田吾作と一緒に志麻に帰って行きました。

 その後、恵姫は五日間に渡って門前町で暴飲暴食を繰り返していたのですが、伊瀬に入って十一日目の二月十六日、雁四郎とお福の必死の懇願を受け入れ、ようやく重い腰をあげて島羽道に就いたのでした。


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