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元禄・マジカル・プリンセス  作者: 沢田和早
第七十二話 にわとり はじめてとやにつく
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鶏始乳その二 黒姫の懸念

 毘沙姫は錨を下ろすと、今度は掛け梯子を船尾に垂らしました。黒姫は沢山の握り飯と数本の吸い筒を風呂敷に包んで結び目に紐を括り付け、禄姫と寿姫は寒くないよう頭巾を被り分厚い綿入れ半纏を身に着け、恵姫は釣り竿を持ち、才姫は何も持たずに間渡矢丸の船尾へ歩き、最後に布姫が赤鯛の間から姿を現して、甲板に居並ぶ六人の姫に呼び掛けます。


「皆様、ただいまより私たちは間渡矢丸を降り、帆掛け船にて記の川に入ります。ここからは記州徳川家の領地。領内に斎宗宮が存在する事もあり、御三家でありながら姫衆には寛容な土地柄。さりとて私たちが伊瀬の姫衆であると知られれば、厳しい詮議にかけられるのは必定。くれぐれも人目につかぬよう用心していただきたく思います」

「分かってるよ、布。釣り船の振りをすりゃいいんだろ。恵がきっちりやってくれるさ」

「うむ、川釣りは自信がないが、それなりに頑張ってみるつもりじゃ」

「おい、準備ができたぞ。早く乗れ」


 黒姫の風呂敷包みを帆掛け船に降ろし終わった毘沙姫から声が掛かりました。順番に梯子を降りて帆掛け船に移る姫たち。禄姫と寿姫は毘沙姫が背負って降ろします。全員が船に移ると、毘沙姫は再び間渡矢丸に戻って、帆掛け船を繋いでいた綱を解きました。


「皆、忘れ物はないな。あっても取りには戻れんぞ」


 綱を持って帆掛け船に降りてくる毘沙姫。誰からも返事はありません。皆、船が出るのを待っているのです。


「それでは参りましょう。ふうぅぅぅー」


 布姫の吐く息に乗った風が帆を膨らませると、七人の乗った帆掛け船はするすると走り始めました。それと共に小島の近くに停泊している間渡矢丸はどんどん小さくなっていきます。


「間渡矢丸よ。此度もよく働いてくれたな。しばしの間そこで体を休めるがよい」


 恵姫は遠ざかっていく間渡矢丸に最後の別れを告げると、全てを吹っ切るように船首へ顔を向けました。過ぎ去った事は全て忘れ、今はただ前だけを見詰めて進みたかったのです。


 七人の姫衆を乗せた帆掛け船はほどなく記の川に入り、上流目指して遡り始めました。熊野川と並んで記州を代表する大河とあって、昼下がりの記の川には投網をする漁船や、様々な荷を積んだ運搬船が行きかっています。

 時に奇妙な目付きで帆掛け船をジロジロと眺める者も居ましたが、男のような恰好をした毘沙姫がギロリと睨みを利かせているので、誰もが眺めるだけで何もしようとはしませんでした。


「長閑な昼下がりじゃのう。船に揺られておると眠くなってくるわい。ふわ~」

「めぐちゃんは釣りをしていてくれなきゃいけないからね。欠伸はいいけど寝ちゃ駄目だよ」


 黒姫に釘を刺されて釣り竿を握り直す恵姫。海と違って川の上では釣り糸を垂れていても少しも心が沸き立ちません。結局、船を降りるまで魚は一匹も釣れませんでした。


「確か、この辺りのはず……ああ、あそこですね」


 記の川に入って二里ほども進んだ頃、布姫は船を川岸に近付け始めました。枯れた葦に覆われた川辺にははんの木も生えそろっていて、船を隠すには好都合な場所です。


「ふうぅぅー」


 綱に息を吹きかけ、風に乗せて川岸へと送り出す布姫。その綱の先をがっしりと握り締めたのは破矢姫です。後ろには瀬津姫も立っています。


「やっと来たね。待ちくたびれてすっかり体が冷えちまった」


 掴んだ綱を自慢の怪力で引っ張る破矢姫。七人を乗せたまま帆掛け船は川辺へ乗り上げました。素早く綱を木に括り付けます。


「お出迎えありがとうございます。瀬津姫様、破矢姫様。隠れ家は遠いのですか」

「いいや、ここから一里ほどさ。ただ人目に付かないように道を外れて歩くから時間がかかる。船旅でお疲れのところ悪いけどすぐ発つよ。日暮れまでには着きたいからね」

「禄と寿は私が背負う。毘沙はその風呂敷包みを持ってやれ」


 破矢姫は大きな背負子を取り出しました。二人どころか三人は腰掛けられそうな大きさです。途中で落ちないように縄でしっかり体を結わえて破矢姫に背負われると、九人になった一行は東を目指して歩き始めました。


「瀬津よ、わらわたちは記伊の土地についてよく知らぬ。歩きながらで構わぬから話してくれぬか」

「ああ、いいよ。そうだね、まずは神宮から話そうか。伊瀬の神宮に当たるのは記伊では國懸くにかがす神宮さ」


 それから瀬津姫は記伊の神宮と姫衆について簡単に話をしてくれました。ほうき星退治の儀式を行う斎宗宮があるのは大日山の奥。日矛鏡が祀られている神宮があるのは領主の居城の和歌山城の近く。そして今向かっている隠れ家は斎宗宮と國懸神宮の中間点、大日山の麓にあるのでした。斎宗宮からは半里もない場所です。


「斎宗宮は斎主宮と違って山の中だ。坂が多いが樹木も多い。人目に付きにくいから忍び込むには好都合ってわけさ」


 如何にして誰にも気付かれずに与太郎を連れ出せるか、作戦の成功はこの一点に掛かってます。どうやら地の利は恵姫たちにとって有利に働いてくれたと言えそうです。

 船を降りてから半時余りで瀬津姫が用意してくれた隠れ家に着きました。その名の通りのあばら家です。かつては木こり小屋として使われていたようで、隣には炭焼き小屋もあります。


「見てくれは悪いけど中はまずまず使えるよ。待ってな、今、火を熾すから」


 小屋の中は板敷の一間だけ。九人が身を寄せ合ってなんとか横になれるだけの広さしかありません。ただし有難い事に部屋の真ん中には囲炉裏がしつらえてありました。薪が燃え出すと小屋の中はすぐに暖かくなります。湯を沸かし、黒姫の作った握り飯を食べて、ようやく九人は人心地付く事ができました。


「この面々が一つ所に集まって共に飯を食う事になろうとはのう。世の中とは分からぬものじゃ」

「それもこれもほうき星のせいさね。彼奴さえ姿を現さなかったら、こんな苦労もせずに済んだって話だよ」


 腹が膨れた恵姫と才姫は口が軽くなったようです。眠るにはまだ早く、だからと言って他にする事もありません。お喋りでもして時間を潰すしかないのです。


「ねえ、布ちゃん、あたしずっと思っていた事があるんだけど訊いてもいいかなあ」


 いつも陽気な黒姫にしては珍しく遠慮がちな口調です。布姫が「何なりと」と答えると、黒姫はやはり遠慮がちに言いました。


「与太ちゃんを元の世に戻して、この世がほうき星に飲まれた後、あたしたちはどうなっちゃうんだろう。姫衆だけじゃなく、雁ちゃんとか城下の人たちとか子供たちとかも、皆、佐保姫様みたいになっちゃうのかなあ」


 それはここに居る誰もが知りたくて、まだ誰もが言い出せなかった疑問でした。如何に布姫でも答えられないと思われたからです。この世がほうき星に飲まれるような事態を、この世の誰も経験していないのです。起きていない事の結末など知り得ようはずもありません。


「そう、気になるでしょうね。黒姫様だけでなく他の皆様も。ほうき星によって相転移を起こした後の時空がどうなるのか……実は私にもよくは分からないのです」


 思った通りの答えでした。八人が抱いていた僅かな期待はすぐに諦めへと変わります。


「ただ推測はできます。昨年の三月、私は皆様と同じく佐保姫様にお会し、お話を致しました。それは今までになく長いお話でした。私はその時、ほうき星の本当の意味も与太郎様の本当のお役目も知りませんでした。ですから佐保姫様のお話を完全には理解できなかったのです。けれども今になってようやくその意味が分かり掛けてきました。佐保姫様は相転移を起こした後の人々について語っていたのだと」


 そうして布姫は「あくまでも私の推測ですが」と前置きして、次のように話してくれました。佐保姫のような存在になるのはあくまで姫の力を持った者、または姫の力に大きく関わった者だけ。そうでない者は、与太郎の時空において該当する存在者となって生きる事になるのです。相転移の瞬間、該当する存在者が存在する時代と場所に意識を飛ばされ、これまでの意識を残したまま与太郎の時空の存在となって生きていくと言うのです。


「でも、それじゃあ一人に二つの意識が宿るってこと?」

「はい。ただしこちらの意識は相当薄まるようです。いわば夢でも見ていたような感覚とでも言うのでしょうか。そうして与太郎様の時空で日々を送るうちに、こちらの世の意識も記憶も薄れて去ってしまうようです」


 いずれにしても相転移によってこの世の人々が完全に消えてしまうわけではないようです。少しだけ安心した黒姫ではありました。

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