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元禄・マジカル・プリンセス  作者: 沢田和早
第七十一話 さわみず こおりつめる
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水沢腹堅その四 旅立前夜

 大凧に引っ張られて空の彼方へ遠ざかっていく恵姫。このまま放っておいたら大変な事になりかねません。毘沙姫は髪を扇形に広げ先端を赤く光らせると、表御殿の屋根を蹴り、大凧目掛けて飛び上がりました。


「待ってろ、恵。すぐ行くぞ」


 恐るべき速度で大凧向けて飛んでいく毘沙姫の体。まるで獲物を狙う鷹のようです。


「毘沙―、早く助けてくれー!」


 しかしほうき星の影響か、毘沙姫の跳躍距離は思ったほど伸びませんでした。恵姫にたどり着く前に失速しかかっています。 


「くっ、このままでは届かぬ。恵、紐を放せ。受け止めてやる」

「駄目じゃ。幾重にも巻き付いておる上に、凧に引っ張られて固くて解けぬのじゃ」


 流されていく恵姫。落ち始める毘沙姫。万事休すと二人が思った時、不思議な風が吹いてきました。大凧が流されているその空間だけ逆向きに大気が移動し始めたのです。

 大凧は次第にその速度を緩め、空中で止まった、と思うと、今度は城に向けて流され始めました。それと共に大凧の高度もぐんぐん低くなっていきます。


「この風……そうか、来たのか」


 恵姫より先に城山斜面の山道に降り立った毘沙姫は、下から歩いていくる二人の人影に気付きました。思った通りです。


「お正月に凧揚げは付き物ですが、暴れ鯛様まで空に揚げるとは、如何にも間渡矢のお正月でございますね」

「助かったぞ、布。取り返しがつかなくなるところだった」

「私よりも恵姫様でございます。そろそろ地に落ちる頃、受け止めて差し上げては如何ですか」

「おう、忘れていた。また後でな」


 踵を返して山道を駆け登っていく毘沙姫。布姫と寛右は微笑みながら遠ざかる後姿を見送るのでした。


 布姫の起こした風によって大凧は城の中庭に戻ってきました。毘沙姫が受け止めた恵姫は目を回して気絶しています。急いで座敷へ運び火鉢の近くに寝かせ、禄姫が耳元で「鯛のお造りが用意できましたですじゃ」と囁くと、恵姫はパチリと目を開け、むくりと体を起こし、側に座っている毘沙姫に向かって弾丸のような説教を始めました。


「この怪力娘が! わらわを何度死の淵に立たせれば気が済むのじゃ。今日だけで二回は命を落としておるぞ。そなたと一緒に遊んでいたら命がいくつあっても足りぬわ。今後二度とわらわの前で正月遊びをしてはならぬ。羽根突きもコマ回しも凧揚げも禁止じゃ。よいな」

「うむ。間渡矢での正月遊びは今日を限りに封じる事としよう」


 毘沙姫も少しは反省しているようです。大きな体を小さくして頭を掻いています。


「何にしても無事だったんだ。よかったじゃないのさ。さあ、酔いも醒めちまったし、そろそろおいとましようかね」

「めぐちゃ~ん、今度はあたしの所へ遊びに来てね~。お餅を沢山食べさせてあげるよ~」

「恵様、それでは失礼致しますですじゃ」

「毘沙様、帰りは大婆婆様の屋敷まで背負っていってくださりませ」

「おう、任せろ」


 こうして五人の姫たちは帰っていきました。城門まで見送りに出る恵姫と布姫。気が付けば日は西に傾き、赤みを帯びた夕焼けが五人を照らしています。二人は遠ざかっていく後姿を名残惜しそうに眺め続けるのでした。


「お別れは済みましたかな、恵姫様、布姫様」


 後ろから寛右が声を掛けました。元日から比寿家名代として年始の挨拶に回っていた寛右。間渡矢城下は勿論、島羽城、伊瀬の神宮、山田町奉行にも足を延ばし、果ては金を借りて頭の上がらぬ御用商人の両替商までも訪れて、今年も銭を融通してくれるようご機嫌取りまでしてきたのでした。


「今年も年始の挨拶回り、ご苦労であったな、寛右」

「これもお役目なれば苦労とは思いませぬ。それよりも明日の事について、最後の話し合いを致したいと思いますが」

「そうじゃな。表の小居間で話すか」


 三人は表御殿へ入ると冷え切った小居間に座りました。誰にも聞かれたくないので、茶も火鉢も用意しません。


「まずは間渡矢丸ですが既に出港準備はできております。ただし沖に停泊しておりますので、小舟を出す必要がありましょう」

「私の帆掛け船がありますから心配には及びません。それよりも厳左様には気付かれていないでしょうね」

「昨年より全て秘密裡に進めております。城の者は勿論、港の網元ですら気付いてはおりません。知っているのは某と鷹之丞、亀之助の三名のみ。水や食糧などの荷の積み込みも二人の手を借りて、昨日無事に終了したとの事です」

「ご苦労様でした。礼を申します、寛右様」


 深々と頭を下げる布姫。つつがなく旅の支度を整えた寛右でしたが、その顔には不安の色が浮かんでいます。


「どうした寛右。まだ何か心配事でもあるのか。申したい事があるなら今のうちじゃぞ。明日になればわらわたちはここには居らぬのじゃからな」

「……いえ、心配事というより疑問なのです。何故お二人だけで行こうとしておられるのですか。伊瀬の斎主様は正月二日に御座船で記伊へ向かったと聞いております。お二人だけで斎主様と斎宗様に立ち向かうなど無謀過ぎるのではないですか。厳左殿や他の姫衆に声を掛ければ力を貸していただけるはず。何故そうなさらないのですか」


 恵姫には寛右の心の内がよく分かっていました。恵姫も布姫も二度と間渡矢に戻って来ないのではないか、あるいは命を捨てる覚悟なのではないか、寛右はそう考えているのです。


「ご案じ召されますな寛右様。私も恵姫様も命を粗末にするような真似は致しません」


 寛右を安心させようと布姫が穏やかに話します。恵姫も殊更明るい声で寛右に応じます。


「そうじゃとも。わらわたちは記伊へ攻め込むわけではないのじゃ。厳左など連れて行っても何の役にも立たぬ。さりとて他の姫衆の力を借りるわけにもいかぬ。斎主様の意思を踏みにじる振る舞いである事に変わりはないのじゃからな。他の姫衆にそのような真似はさせられぬ。逆賊の汚名を着るのは布とわらわの二人だけで十分じゃ。布は丸坊主ゆえ、断髪の罰を受けたくても受けられぬからのう、丁度よい」


 二人の言葉を聞いても寛右の表情は晴れません。しかし今更何を言っても聞き届けられるはずがない事も分かっていました。もう一度無言で二人を見詰めた後、


「くれぐれもご無理をなされませぬように」


 と頭を下げる事しかできないのでした。


 その日の夕食は恵姫と布姫の二人だけで取りました。磯島は気を使って席を外してくれたのです。布姫の寝床も客間ではなく恵姫の座敷に用意されました。眠る前に明日の支度をする恵姫。


「これは持っていかねばな。これは……かさ張るからやめておくか」


 ぶつぶつ言いながら手行李(こうり)に旅道具を入れる恵姫。横で眺めていた布姫が尋ねました。


「恵姫様、そんな物を持っていかれるのですか」

「そんな物とは失礼な。これは雁四郎が伊瀬の門前町で銭を出して買うてくれた鯛車じゃぞ。持っていかねば罰が当たるわ」

「そうでしたか。雁四郎様の鯛車とあらば置いてはいけませんね」

「布は支度をせずともよいのか。荷物はないようじゃが」

「私の荷は帆掛け船に積んでございます。ここまで運んでも仕方がありませんから」


 詰まらぬ事を訊いてしまったと苦笑いする恵姫。旅荷の準備ができると行燈を消し、夜着に包まって寝床に横になりました。

 静かな正月三日の夜。これがこの座敷で眠る最後の夜になるのかもしれないと思うと、恵姫はなかなか寝付けませんでした。布姫に話し掛けようかと思っても、眠りの邪魔になるのではないかと気兼ねして声が出ません。


「眠れませんか、恵姫様」


 恵姫の心情を察したのでしょう、布姫が話し掛けてきました。恵姫は寝返りを打ちながら答えます。


「うむ……やはりまだ迷っておるのかもしれぬのう。乾神社の榊の場所にそなたが現れ全てを話してくれた時、わらわの決意は間違っていなかったと確信した……はずじゃったのにのう。こうしていざ前日になってみると、また心が揺らぎ始めておる」

「人の心とは弱いもの。それが当たり前です。恵姫様は残っていただいて構いません。記伊には私一人で参りますので」

「いや、残ったりはせぬ。与太郎の命だけはなんとしてもわらわの手で助けたいのじゃ。それに布は己を偽ってまで斎主様の機嫌を取り、ほうき星に関する多くの知識を得てくれた、その苦労も無駄にはできぬ。よし、話しているうちに迷いがだいぶ薄らいだわい。明日は早いのじゃ、寝るぞ」


 また寝返りを打つ恵姫。布姫からはもう何の返事もありませんでした。


 翌朝、まだ日が明けぬうちに二人は寝床を出ました。素早く身支度を整え、手行李を風呂敷に包んで背負い、数通の文を枕元に置きます。磯島や厳左に宛てた書き置きです。


「与太郎も親に書き置きを残してきたと言っておったのう。きっと今のわらわのような気持ちであったのだろうな」

「さあ、恵姫様、急ぎましょう」


 懐かしい座敷をもう一度見回した後、恵姫と布姫は廊下を出ました。奥御殿はひっそりと静まり返っています。足音を立てぬよう廊下を歩く二人。と、玄関に続く廊下の先に何やら人影のようなものが見えます。


「やはり、このようなお心積りだったのですね」


 廊下を覆う薄暗がりの中から聞こえてきたのは、紛れもなく磯島の声でありました。


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