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元禄・マジカル・プリンセス  作者: 沢田和早
第七十一話 さわみず こおりつめる
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水沢腹堅その一 新年挨拶

「新年じゃあー!」


 寝床の中で雄叫びを上げる恵姫。元旦は心地よい目覚めから始まりました。むくりと身を起こして大晦日から炭火が燃えっ放しの火鉢に近寄ると、夜着を羽織ったまま手をかざしました。


「磯島が起こしに来る前に起きてやったわい。一年の計は元旦にあり。今年のわらわは一味違うのじゃ。それにしても冷えるのう」


 火鉢にかざした手をこすり合わせる恵姫。夜明け前が一番寒いと言いますが、日が昇ったからとてすぐに暖かくなるわけでもありません。体を丸めて火鉢に当たりながら、早く女中が来て着替えを始めてくれないものかと思っていると、


「おはようございます、恵姫様。おや、お珍しい、もう起きていらっしゃったのですか。雨が降らなければよいのですが」


 磯島が入ってきました。新年早々皮肉めいた言い回しを聞かされ、盛り上がっていた恵姫のヤル気は一瞬で盛り下がってしまいました。


「磯島、目出度い正月じゃ。もう少し気の利いた台詞を言えぬものかのう。まあ、よい。朝の支度を始めようぞ。武家の正月三が日は忙しいからのう」


 磯島に続いて入って来た数名の女中たちによって、身支度を整えさせられる恵姫。磯島は満足そうに恵姫の髷を眺めています。


「一晩寝られても少しも乱れておりませんね。昨日苦労した甲斐がありました」


 普段は元結もとゆいで髪の一か所を縛っているだけの恵姫も、正月三が日だけは髷を結って過ごす事になっていました。しかし背中を覆うほどに豊かだった黒髪は、斎主の断罪剣により肩の辺りまで切られてしまいました。泰平の世の女は髷を結うべし、という変わった信条の持ち主である磯島。正月三が日の髷を斎主の断罪剣如きで中断させるわけにはいきません。磯島は決心したのです、何としても恵姫の髷を結おうと。


「うむ、よくできた髷であるな。あのように短い髪をよくもこのように結えたものじゃのう。どのような業を使ったのじゃ」

「……秘密でございます」


 これまでの知識と経験とかんざしと髪飾りを総動員して、磯島は髷を結う為の工夫を凝らしました。苦闘する事一時半。退屈の余り恵姫が居眠りをして目覚め、また居眠りを始めた頃、ようやく髷を結う事ができたのです。


「短い髪でひと月暮らしたせいか、髷を結われても余り違和感はないのう。これなら三が日を快く送れそうじゃ」

「それはよろしゅうございましたね。ところで恵姫様、本日の御予定ですが頭に入っておられますか」

「無論じゃ。まずは腹ごしらえに座敷で雑煮を食う。辰の刻からは家臣一同の年始の挨拶で振る舞い酒を飲む。ああ、分かっておる、わらわは茶しか飲まぬぞ。巳の刻からは年始客の供応で正月の菓子を食う。昼は一服して正月料理を堪能。昼からは年始客の供応でまた菓子を食い、未の刻頃に茶菓子を食い、日暮れに夕食、夜には夜食。そして元日の一日は終わる。どうじゃ。完璧であろう」


 眉間の恵皺が深くなる磯島。確かに合ってはいますが、そこかしこに「食う」という言葉が差し込まれているのが気になります。どうやら今日は一日中口をもぐもぐさせながら過ごすつもりのようです。


「昨年と違い今年は人手が足りぬ為、私は表御殿で恵姫様に付き添う事ができません。比寿家当主の娘として、松平家の嫁として、恥ずかしくない立ち居振る舞いを心掛けてくださいませ」

「分かっておる。磯島は心配性じゃな。何の為に毎日お稽古事をしておると思っておるのじゃ。この一年のうちにすっかり淑やかな娘になったわらわを年始の客にたっぷりと見せてやるわ」


 磯島の恵皺が更に深くなりました。花をそのまま花瓶に突っ込むような娘の口から「淑やかな」などという言葉が出て来るとは、片腹痛くて臍が茶を沸かしそうです。


「さあ、支度ができたぞ。磯島、雑煮じゃ。餅は二つで頼む」


 さっそく口をもぐもぐさせるつもりのようです。それでも口に何か入れておけば、年始客に対して無礼な口を利く事だけはなくなるはずです。それもまた良いかもしれないと思いながら、磯島は朝食の支度をしに座敷を出て行きました。


 辰の刻前から間渡矢城には家臣たちが登城してきました。本来ならば今年は殿様が国許に戻っている年。年始の挨拶も殿様に対して行うはずだったのですが、病の為に江戸に留まったまま今年も不在。従って挨拶の対象は恵姫になります。


「ほほう、毎年の事とはいえ、こうして皆が揃うと圧巻であるのう」


 正月の里帰りをしている者を除いて、表御殿の大書院には間渡矢の家臣が全員集まっていました。上座に居るのは恵姫一人だけ。下座には厳左、磯島を筆頭にして番方、役方、女中などが所狭しと居並んでいます。


「これだけ人が居れば火鉢がなくとも暖かく感じるというものじゃ。さて始めるとするか」


 恵姫が上座に腰を下ろしました。それを見た厳左、大声で新年の挨拶をします。


「新年の御慶、言上し奉る!」


 言い終わるや平伏する家臣一同。ここで上座に居るのが殿様ならば「うむ、めでたい」の一言で終わるのですが、恵姫となればそうもいきません。すっくと立ちあがると、


「目出度い年明けに相応しい日和じゃ。今年はわらわの輿入れもあり目出度さもひとしおであるが、もしやそなたたちはわらわが島羽へ行き間渡矢を去ってしまう事を悲しみ、顔では目出度さを装いながら心の内ではシクシクと泣いているのではなかろうな。案ずるでない。そのような心配は無用じゃ。島羽に嫁いだとてわらわは間渡矢を忘れたりはせぬ。いや、それどころかこっそりと抜け出して、時々この城に……」

「恵姫様、手短にお願い致す」


 話がとんでもない方向に逸れ始めたので慌てて厳左が諫めます。話の腰を折られた恵姫はむっとした表情になりましたが、そこは目出度い新年元旦、すぐに気を取り直して締めの挨拶です。


「何はともあれ今年も精一杯お役目に励むようにのう。わらわも、そして江戸の父上も期待しておるぞ」

「ははっ」


 再び平伏する家臣一同。これにて年始の挨拶は終わり、続いて当主から献酒を賜ります。昨年に続き今年も殿様が不在の為、恵姫が一人ずつ盃に酒を注ぎます。


「お流れ頂戴致す」


 最初は厳左です。神妙に注ぐ恵姫。


「雁四郎が居らぬ正月は寂しかろう。毘沙と打ち合いをして気を晴らすがよいぞ」

「元日の打ち合いとなれば、剣ではなく羽子板を持たねばなりませぬな、ははは」


 続いて磯島です。


「何じゃ、その心配顔は。年始の客の供応くらい卒なくこなして見せる。任せておけ」

「左様でございますか。ところで間渡矢襲撃の一件で残らず使ってしまった五器齧ごきかじりでございますが、卵は残っておりましたので着実に増えております。ふふふ」


 何人かおいて鷹之丞と亀之助です。


「鷹、今年は鶏を大量に飼ってみてはどうじゃ。さすれば毎日卵が食える」

「毎日卵を産みましても全て恵姫様の胃袋に収まるのかと思いますと、鶏が哀れに思えてきます。しばし考えさせてくだされ」

「亀、鯨の髭を使った新しく奇抜な仕掛け、楽しみにしておるぞ」

「お任せください。現在、自動時太鼓叩きを考案中でございます。これがあれば時太鼓叩きのお役目は不要となりまする」


 最後の方で小柄女中も盃を受け取ります。


「磯島から聞いておるぞ。お福の分までよう働いてくれておるそうじゃな。今年も頼むぞ」

「は、はい。一日も早く磯島様に代わって女中頭となれますよう、精進致す所存でございます」


 一人一人に声を掛け、全ての家臣に酒を注ぎ終えた恵姫。今年最初のお役目はつつがなく終える事ができました。

 大書院に集まっていた家臣たちも晴れやかな顔をして、本日お役目を割り当てられている者以外は下城していきます。これから各々の屋敷で元日を祝うのです。


「皆、明るい顔をしておったのう。これからもその明るさを忘れず毎日を生きていくのじゃぞ」


 家臣たちを見送る恵姫の表情は心なしか悲しそうに見えました。まるで今生の別れを告げる旅人のような物寂しさを漂わせながら、皆が去ってしまった大書院を見渡し続ける恵姫ではありました。


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