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元禄・マジカル・プリンセス  作者: 沢田和早
第六十九話 きじ はじめてなく
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雉始雊その五 主と家来

 座敷に居並ぶ他の姫たちは何も言いません。皆、恵姫に全てを任せているのです。


『これまで磯島を相手に化かし合いの修練に励んできたのじゃ。今こそその成果を見せる時ぞ』


 恵姫は顔を上げ斎主に答えます。


「その布袋は与太郎の物ではありません。内宮門前町で珍しい袋を見付けたと、黒がわざわざ買ってきてくれたのです」

「そうですか。ではこの装束は何ですか。これも門前町に売っていたと言うのですか」


 斎主が袋から取り出したのはここへ来る時に与太郎が着ていた服でした。鯛焼きを食べてしまったので風呂敷に包んだ服を布袋に移し替えていたのです。


『ぐぐっ、どこまで世話の焼ける阿呆なのじゃ』


 心の中で激怒しながら恵姫はしぶとく反論です。


「それは前回与太郎が置いて行った装束です。黒が買って来た布袋にちょうど収まるので入れておいたのです」

「そうですか。ではこの菓子は何ですか。このような鯛の形をした菓子は門前町には売られていないはずですが」


 あろう事か布袋にはまだ鯛焼きが一匹残っていたのでした。これには恵姫も良い言い訳が思い付きません。


「そ、それは、その、あの……とにかく与太郎は来ておりません」


 しどろもどろの恵姫を見て、斎主は氷のような微笑を浮かべました。


「どうしても隠し通したいのですね。ならばこれ以上は問いません」


 斎主の瞳に銀が宿りました。命あるものを感知できる才姫の業です。ゆっくりと座敷を見渡す斎主。その視線が納戸の襖を捕えました。


「納戸に二人居ますね。出てきなさい」


 恵姫は禄姫に目配せしました。業を使って与太郎を逃がせ、そう言いたいのです。その意図をすぐに悟った禄姫は静かに立ち上がると縁側の障子に近付きました。庭に出て寿姫が業を使うのを待つつもりなのです。が、


「禄姫、どこへ行くのですか。座敷から出る事は許しません」


 目敏い斎主にすぐに見付かってしまいました。渋い顔をして元通り座敷に座る禄姫。これでもう打てる手はありません。


「そこに居るのは与太郎と寿姫ですね。早く出てきなさい」

「斎主様、納戸に人は居りません。居るのは二人ではなく一羽と一匹。きっと雀の飛入助と鼠の次郎吉かと思われまする」


 ここに至ってもまだ通用しない戯言を吐く恵姫。と、納戸の襖が音もなく開きました。


「もういいよ、めぐ様。斎主様は誤魔化せないよ」


 姿を現した与太郎が力なく言いました。続いて出てきた寿姫も無言の溜息をついています。一瞬、怒りが込み上げた恵姫ですが、ここは怒っている場合ではないと気を取り直し、斎主の足元にひれ伏して言上します。


「斎主様、与太郎は何かの手違いでこちらに来てしまったのです。ついうっかり床柱のある部屋へ足を踏み入れてしまったのです。ここはひとつ大目に見てはいただけませぬか」

「いいえ、恵姫様。そうではありません」


 布姫がゆっくりと立ち上がりました。斎主の横に並び座敷の姫たちを見渡します。


「何が違うと言うのじゃ、布」

「与太郎様の来訪は偶然ではありません。己の意思でこちらに参られたのです。でなければ鯛焼きなど準備するはずがないでしょう。恵姫様に美味しい鯛焼きを食べさせ、ほうき星の生贄となるためにこちらに参られたのです」


 恵姫も立ち上がりました。納戸の襖の前に佇んでいる与太郎に向かって問い掛けます。


「誠なのか、与太郎」


 無言で頷く与太郎。恵姫は駆け寄って与太郎の両腕を掴みました。


「何故じゃ。こちらに来れば命は無いのじゃぞ。何の為に髪を切られてまでお主を助けたと思っておるのじゃ。お主に生き延びて欲しいと思ったからではないか」


 恵姫の怒りとも嘆きともつかぬ言葉を聞いて、与太郎は顔を伏せたまま呟くように答えました。


「ごめん、めぐ様。せっかく助けてくれたのに親切を踏みにじるような事しちゃって。でも、このまま何もしなかったらめぐ様たちもこの世も消えてしまうんでしょ。そう思うと居ても立ってもいられなかったんだ。多分、僕は、こちらの世が好きになってしまったんだよ。自分が生きている世よりも」


 腕を掴んでいた恵姫の両手が離れました。与太郎は顔を上げると座敷の皆を見回しながら話し始めました。


「最初はこちらの世なんて全然好きじゃなかった。軽蔑しているくらいだった。不便だし食べ物は質素だし車も電車もないしテレビみたいな娯楽もない。ただ食べて働いて眠るだけの毎日。心の底では馬鹿にしていたんだ。でもめぐ様たちと触れ合っているうちに僕の考えは変わっていた。本当に僕らの世は幸せなんだろうかって。便利で快適な生活、種類も量も豊富な食べ物、心身を喜ばせる様々なエンタメ。だけどそれは表側でしかないんだ。それらを手に入れる為に僕らは自然を傷つけ、人を傷つけ、自分自身すらも傷つけて生きている。それが僕らの世の裏側。消えるべきはむしろ僕らの世の方なんだ。めぐ様たちの居るこちらの世の方がよっぽど残るに相応しいんだよ」


「じゃからと言って何もお主が犠牲になる事はなかろう。己の命はもっと大切にすべきではないのか。おふうと同じ大名家に奉公できる目途も立ったのであろう」


「そうだね。でも僕の命なんて僕らの世ではちっぽけな物なんだよ。ふうちゃんと同じ大学、いや大名家に行ったとしても格が違うんだ。ふうちゃんが奥方の侍女のお役目だとすれば、僕は水汲みや薪割り、そんなお役目に過ぎないんだ。勿論就職だって厳しいに決まってる。運よく入れたとしてもブラック企業。そこで体も心もボロボロにされて待っているのはリタイアか過労死。リタイアしても再就職なんてできなくて、行きつく先はフリーターか引き籠り。そうして何の役にも立てずに終わってしまうような人生しか送れないんだ。でもこちらの世では違う。僕の命はこの世を生き延びさせる為に使う事ができる。そしてめぐ様やお福さんの心にずっと残り続ける事ができる。僕の世では取るに足りないちっぽけな命でも、こちらの世では皆を救える唯一の大きな命なんだ。それならめぐ様たちの為に使いたい、そう思ったんだ」


 恵姫には与太郎の世の事は分かりませんでした。この世とどんな風に違うのか、与太郎がどんな思いで過ごしてきたのか、それも分かりませんでした。ただ与太郎が恵姫たちの為に自分の命を使いたいという、その気持ちだけは理解できました。己の命を顧みず斎主宮内院で抜刀した雁四郎と同じく、忠義の志を感じたのです。


「与太郎、お主の心意気はよう分かった。じゃが、それでもわらわは承服できぬ。誰にも顧みられぬちっぽけな命と言っても親は嘆き悲しもう。おふうも心を痛めるのではないか。お主の命はお主一人だけのものではないのじゃ。もっと大切にすべきではないのか」

「親には悪いと思ってる。だから書き置きを残してきた。きっと一次試験の点数が悪くて家を出たって思ってくれるはず。こちらで命を落とせば僕の体は元の世には戻らないでしょ。永遠に行方不明のままだから、どこかで元気に暮らしていると思ってくれるんじゃないかな」


「おふうはどうするのじゃ。独り身のまま暮らせと言うのか」

「ふうちゃんは僕の事なんて何とも思ってないよ。僕の片思いなんだから。きっと良い人を見つけて結婚して子供を作って幸福な人生を送ってくれると思うよ。ねえ、めぐ様。分かってくれないかな。この十日間ずっと考えて悩んで迷って、そうしてようやく出した結論なんだ。めぐ様に喜んでもらえなきゃ命を懸ける意味がないよ」

「いや、しかし、しかしじゃな……」


 恵姫はもう何も言えなくなってしまいました。与太郎がどれほど苦しんできたか、どれほどの覚悟でここに来たか、その大きさと深さが分かったからです。黙り込む恵姫、その肩に布姫の手が置かれました。


「受け止めて御上げなさい、恵姫様。そうでなければ与太郎様が気の毒です」

「そうだよ。めぐ様はいつも言っていたよね。『わらわの為に命を捨てよ』とか『家来なら命を惜しむな』とか、僕に対して酷い命令ばかりしてきたよね。それなのに今回に限って命を大切にしろなんておかしいよ。僕はめぐ様の家来なんだもの。家来が主の為に命を懸けるのは当たり前、そうでしょ、めぐ様」


 恵姫は俯いたまま何も言いません。両拳を握って立ち尽くしています。


「ねえ、めぐ様、僕だって死ぬのは怖いんだよ。もしかしたら途中で逃げ出そうとするかもしれない。でも、めぐ様が命令してくれたのなら、僕は最後まで頑張り通せそうな気がするんだ。これが最後のお願いだよ、めぐ様。主として家来の僕に命令して。わらわの為に命を差し出せって」


 恵姫は思い出していました。これまで与太郎には無茶な命令ばかりしてきました。それは与太郎がそんな命令を実行できるような胆力のある男ではなかったからです。命令に従えるはずがないと思っていたからです。

 けれども今は違っていました。この一年近くの間に与太郎は、雁四郎や鷹之丞たちと引けを取らぬほどに深い忠義と仁愛の心を身に着けていたのです。

 家来としてのお役目、それを果たしたいという与太郎の願い、その願いを無下にするのは主としてはあるまじき振る舞いと言わざるを得ません。恵姫は拳を握り締め、体を強張らせ、声を震わせながら、断腸の思いを込めた命令を与太郎に下しました。


「与太郎、そなたの覚悟、しかと受け取った。ならばその命を賭してほうき星を殲滅し……わらわとこの世の者たちを……破滅より……救うのじゃ……」


 恵姫の切れ切れの言葉を聞いた与太郎は背筋を正すと、恵姫に向かって力強く答えました。


「承知(つかまつ)った。この与太郎、身命を賭してお役目を果たしてみせまする」

「与太郎、恵姫、よく決心してくれました。お福、こちらに来なさい」


 それまで黙って二人の会話を聞いていた斎主は与太郎の横に立つと、自分の髪を一本引き抜きました。そうして近くに来たお福の腕と与太郎の腕をその髪で縛りました。


「与太郎とお福は直ちに記伊の斎宗宮へ送ります。伊瀬の姫衆の皆様、十日余りも伊瀬に留めてしまい申し訳なく思っています。ほうき星の件は解決致しました。留め置きはただ今を以って解除致します。良き年越しをお迎えください。恵姫、そなたも間渡矢へ戻りなさい。これまで通り神器も与えましょう。与太郎の事もほうき星の事も、何もかも忘れてしまいなさい」


 斎主はそれだけを言うと座敷を出て行きました。廊下に控えていた女官が入れ替わりに入ってくると、与太郎の腕を掴みました。


「与太郎様、お福様、こちらへ」


 女官に連れられて座敷を出ていく与太郎とお福、と、与太郎は敷居の前で立ち止まり、今一度座敷を振り返りました。


「めぐ様、これで本当にお別れだね。めぐ様と出会えて、同じ時を過ごせて、沢山の思い出を残せた事、感謝してもし切れないくらい楽しくて幸せだったよ。今までありがとう。さようなら」


 そうして廊下に消えていく二人。別れの挨拶に返事をする事もなく、ただ体を震わせながら座敷に立ち尽くす恵姫ではありました。


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