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元禄・マジカル・プリンセス  作者: 沢田和早
第六十九話 きじ はじめてなく
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雉始雊その三 極上鯛焼き

 こちらに来た早々恵姫に足蹴にされては、如何に温厚な与太郎も怒らずにはいられません。


「ちょっと、いきなり蹴とばすなんて酷いよ。理由もなく家来に暴力を振るうなんて主君にあるまじき行為だよ」

「理由ならあるわい。言ったではないか。二度とこちらに来てはならぬ、来れば殺される、死んでもこちらに来るでないと、口が酸っぱくなるほど命じたであろう。その命を破って何故こちらに来たのじゃ。これではわらわの髪と引き換えにお主を逃がした意味がないではないか」

「……あ、ああ、そうか。そうだね。ごめんなさい」


 恵姫の怒りの訳が分かった与太郎、素直に謝ります。


「えっと、その、僕も一応こちらに来ないように自分の部屋には入らないようにしていたんだ。ほうき星が昇っても床柱の部屋に居なければこちらに来る事は絶対にないからね。でも今日はどうしても部屋に入らなくちゃいけなくて、少しだけなら大丈夫かなあと思って入った途端……」

「こちらに来てしまったと言うのか。ああ、何たる粗忽者。油断大敵という言葉を知らぬのか。どうして立春までのひと月くらい辛抱できぬのじゃ」

「恵様、そんな大声を出してはいけませんですじゃ。女官に気付かれでもしたら大変ですじゃて。のう寿婆さんや」

「その通りですじゃ禄婆さん。恵様、来てしまったものを責めても仕方がありませぬ。こうなったらほうき星が沈むまで与太郎様を隠し通すのですじゃ」


 禄姫も寿姫も人生経験豊富なだけあって前向きな意見です。改めて与太郎の姿を眺めればいつもの薄い寝巻ではなく、タートルネックのセーターにポケットだらけのカーゴパンツ。遠目に見ても怪しい人物とすぐに分かります。


「着替えじゃ! その装束を脱ぎ捨て女中姿になるのじゃ!」


 いつもの如く女装させられる与太郎です。見付かれば命が無いのですから、とにかく目立たないようにするのが一番です。お福に連れられて隣の納戸へと入っていく与太郎。二人が座っていた場所には布袋が置かれています。


「ほほう、何か持って来たようじゃな」


 当然のように無断で布袋を開け、中を覗き込む恵姫。紙包みが沢山入っています。その中の一つを取り出してみました。


「何じゃ、これは。妙に柔らかいが」


 前回のシャンプーの件もあるので、迂闊に紙包みを開ける事はできません。ここは用心して与太郎の着替えを待つ恵姫です。


「ああ、また勝手に布袋を開けて。でも、まあいいや。今日は久しぶりに貢物を持って来たんだから。それ鯛焼きだよ。皆で食べて」


 着ていた服を包んだ風呂敷を持って納戸から出てきた与太郎、いかにも得意げな顔をしています。一方の恵姫は余り良い顔をしていません。


「お主の世の鯛焼きは美味くないからのう。黒が作ってくれる鯛焼きと比べるとどうしても味が落ちる」

「それはどうかなあ。あ、お福さんや、禄様、寿様も食べてよ」


 紙包みを開けて鯛焼きを皆に渡す与太郎。渋っていた恵姫も実物を目にした途端よだれを垂らし始めました。さきほどの言葉はどこへやら、勢いよく鯛焼きに齧り付きます。


「う、美味い!」


 一口食べて歓声を上げた恵姫。あっという間に一匹を平らげ二匹目に取り掛かります。


「ほうほう、これは美味しい菓子でございますじゃな、禄婆さんや」

「はいはい、寿婆さんや。これほど見事な菓子は江戸でも京でもなかなかお目には掛かれませぬじゃて」

「……!」

「な、何故じゃ、何故与太郎の世の鯛焼きがこれほど美味いのじゃ……はぐはぐ」


 喜んで食べる四人の姿をご満悦の表情で眺めながら、与太郎は話します。


「今回は特別に高級な鯛焼きを持って来たからなんだ。小麦も小豆も全て国産、余計な添加物も一切使っていない名店の鯛焼き、一匹三百円。お年玉全部なくなっちゃった。でもこれならめぐ様も納得の美味しさでしょう」

「はっはっは、でかしたぞ与太郎。これまでで最高の貢物じゃ、はぐはぐ」


 喜んで食べ続ける恵姫ですが、寿姫、禄姫、お福の三人は食べるのをやめました。ある事に気付いたからです。わざわざそんな鯛焼きを用意してきたという事は、ここに来たのは偶然ではなく……


「与太郎様、もしや、そなた……」

「ううん、その先は言わないでいいよ禄様。めぐ様が喜んでくれればそれでいいんだ。僕のために髪まで切られちゃったんだからね」


 禄姫の言葉を遮る与太郎。その心の内を悟った禄姫はそれ以上の言葉を慎みました。


「めぐちゃ~ん、元気にしてる~、そろそろお茶の時間……」


 いきなり襖が開いたと思ったら黒姫が姿を現しました。襖に手を掛けたまま呆然と突っ立っています。


「ちょいと黒、早く中に入んなよ。板張りの廊下は冷えるから火鉢に……」


 続いて現れた才姫も黒姫の横に突っ立ったまま、女装した与太郎を凝視しています。


「おい、そんな所で何を仲良く突っ立っているんだ。さっさと中へ……おまえ、与太郎ではないか。どうしてここに」

「毘沙、大声を出すでない。女官に聞こえたらどうする。とにかく三人共早く中へ入れ」


 恵姫に言われて座敷の中へ入る三人。斎主との話し合いは朝の内に行われ、それが終わった後は恵姫の座敷で一服する習慣が、いつの間にかできあがっていたのでした。

 火鉢を囲んで恵姫の話を聞く三人。与太郎は偶然ここへ来たと聞かされて釈然としない顔をしています。


「予期せず来てしまったと言うのか。だが、それならその鯛焼きは……」


 やはり毘沙姫も、そして黒姫や才姫も、禄姫たちと同じ疑問を抱いたようです。それでも与太郎や禄姫たちが無言で首を横に振るのを見て、それ以上は何も言わない事にしたのでした。


「ねえねえ、それよりもこのままじゃ与太ちゃん、まずいんじゃない。もうすぐ朝四つのお茶を持って女官がやって来るよ」

「そ、そうじゃった。おい、与太郎、納戸に隠れるのじゃ」


 恵姫に言われてあたふたと納戸に入る与太郎。恵姫が襖の外から声を掛けます。


「いいか、物音を立てるでないぞ。雉も鳴かずば撃たれまいと言うからな。与太郎も黙っていれば見付からぬ。分かったな」


 返事はありません。雉も鳴かずば撃たれまいを実行しているのです。そうこうしているうちに、女官が土瓶と湯呑を乗せた盆を持って座敷に入ってきました。


「お茶をお持ちしました。おや、何やら甘い香りが致しますね」


 食べ掛けの鯛焼きを隠し損ねて手に持ったままだった恵姫。急いで後ろに隠します。


「そ、そうか。不思議じゃのう。別に菓子など食べておらぬのにのう」


 お得意の見え透いた嘘が炸裂です。磯島や厳左ならすぐに見破る誤魔化しも、付き合いの浅い斎主宮の女官には十分通用したようです。それ以上何も言わずに盆を置いて出て行きました。


「ふう~、危ないところじゃったわい。与太郎、もう出てきても良いぞ」

「は~い。ねえ、今気が付いたんだけど布様はどうしたの。もう伊瀬には居ないの」

「布はまだ斎主様と話をしているのさ。付き合いが悪いったらありゃしない。あれじゃまるで斎主様の腰巾着さね」


 恵姫が髪を切られて以来、布姫に対する才姫の感情は悪化の一途をたどっていました。布姫も他の姫たちと交わろうとせず、宿坊ではなく斎主宮で寝起きしていたので、余計に才姫の反感を買っていたのです。


「才様、そのような悪口はおやめなされ。布様はわしらの為に一所懸命知恵を絞ってくれているのですじゃ、のう、禄婆さんや」

「そうですともじゃ、寿婆さんや。皆仲良しでなければ伊瀬の姫衆とは言えませぬ。才様、肝に銘じて置いてくださりませ」

「分かったよ、禄、寿。ちょいと恵、あたしにも鯛焼きをおくれ」


 口達者な才姫も伊瀬の姫衆最年長の禄姫、寿姫に説教されては素直に従うしかありません。火鉢の傍に腰を下ろして鯛焼きを食べ始めました。


「あ、あの、才様。ごめんなさい。布様と仲が悪くなったのは僕のせいなんでしょ。僕は布様の事をもうなんとも思ってないから、才様も仲直りしてくれると嬉しいな」

「別にあんたが謝る事は無いよ。それにしても美味いじゃないか、この鯛焼き。甘い物嫌いのあたしでも嬉しくなる菓子だね」


 どんなに大きな怒りも美味なる食べ物の前では借りてきた猫同然に大人しくなるのです。この鯛焼きを布姫に食べさせてもいつもの能面のような表情は変わらないのだろうか、などと他愛もない空想に耽る才姫ではありました。


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