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元禄・マジカル・プリンセス  作者: 沢田和早
第六十八話 しみず あたたかをふくむ
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水泉動その五 桜色の刀

 寛右の疑念は瀬津姫と破矢姫が間渡矢を去った日から始まっていました。才姫の独断で縄を解かれた二人の後を、鷹之丞が密かに追っていたのです。そして間渡矢領を出たところで伊瀬の女官たちに呼び止められ、そのまま斎主宮に連れて行かれるのを見届けた後、寛右に報告したのでした。


「記伊の姫衆である二人が伊瀬の斎主宮に留め置かれるとは……如何なる事情があるというのか」


 しかも二人はそのまま伊瀬に留め置かれ続けているにもかかわらず、記伊からは何の動きもありませんでした。つまり記伊の斎宗も二人の伊瀬滞在を認めている事になります。


 そして寛右の疑念にとどめを刺したのが、姫衆召集の為に斎主宮から届けられた文でした。そこに書かれた斎主直筆の水茎の跡に、言い知れぬ迷いと欺瞞を感じたのです。それまでずっと抱いていた疑念は不吉な予感へと変わりました。具体的に何が起こると言えないまでも、良からぬ事が起こりそうな気配を感じ取ったのです。武家社会の中で様々な障壁に突き当たっては乗り越えてきた寛右、その長年の経験に裏打ちされた理屈では説明のできない勘とでも言うべきものでした。


 寛右は直ちに手を打ちました。これまでの本差に代わって、刃を潰し鞘を桜色にした刀を雁四郎に与えたのです。恵姫からは神器の印籠を取り上げたかったのですが、さすがにそれは無理なので、くれぐれも軽率な言動を慎むようにとだけ言い渡し、二人を送り出したのでした。


「そうですか。刀ではなく鉄の棒だと言った意味が分かりました。寛右、これはあなたの仕業ですね。まさかこうなる事を予測していたのですか」

「いえ、偶然でございます。雁四郎ならば脇差のみでも警護のお役目は十分務められるはず。ならば徒に余計な武具を帯びるべきではないと判断したのです。抜刀とは刀を抜く事。しかし雁四郎が抜いたのは刃を潰された鉄の棒。抜刀したとは言えませぬ。よって死罪には当たらぬはずです」

「いいえ、そうとは言えません」


 起死回生とも言える寛右の弁明を聞いた後でも、斎主の口調は冷ややかです。


「罰はその者の行為ではなく心情に対して与えられるのです。医者が刃物で他人を傷つけたとしても、それが鉛玉を取り除く為の所作ならば罪には当たりません。殺意を抱いて他人を傷つけた時、人は罰を受けるのです。雁四郎が抜刀をしていないとしても殺意があったのは明らかです。よって死罪は当然です」


 寛右の懸念はここにありました。自分自身に向けられた殺意を斎主はどう感じているか、それによって寛右の言い分を聞き届けてくれるか否かが決まるのです。残念ながら斎主は雁四郎の行為ではなくその心情に重きを置いているようです。しかし、それも寛右にとっては想定の範囲内でした。


「確かに斎主様の仰る通りです。しかしながら斎主様はこうも仰られました。理由の如何にかかわらず抜刀すれば死罪、と。それは裏を返せば、理由の如何にかかわらず、抜刀していなければ死罪ではない、と言えるのではないですか。殺意を持って拳を振り上げたとて死罪にはならぬはず。それと同じだと考えまする」


 御帳台からは返事がありません。確かに斎主はそう言ったからです。沈黙が長引くにつれ、寛右の口元は次第に緩んでいきました。これも寛右の計略のひとつ、この言葉を引き出す為にわざと重ねて問い掛けていたのです。


「……大した知略ですね、寛右。まるで布姫と遣り合っているような気にすらなりますよ。分かりました。雁四郎の助命嘆願、聞き届ける事に致しましょう。死罪から追放に刑を減じ、伊瀬、志麻、記伊三国からの所払いと致します。ただし今はほうき星消滅前の大事な時ゆえ、刑の執行は立春以降、それまでは松平家が身柄を預かり蟄居処分と致します。それでよろしいですね」

「ははっ、斎主様の仰せの通りに」


 恭しく平伏する友乗と寛右。二人の顔にはこれ以上にないほどの喜びが花開いています。


「ところで斎主様、恵姫様は如何しておられますか。できればお会いしたいのですが」


 寛右は雁四郎で頭が一杯ですが、友乗は松平家当主の嫁となる恵姫が気になるようです。問われた斎主は声の調子を落として答えました。


「会うのは構いません。謹慎させているわけではないのですからね。正直に言えば、雁四郎ではなく恵姫の方を松平家に預けたいほどなのですよ」

「それはまた如何なる理由ですか。まだ仕置き部屋に入れられているのでしょうか」

「いえ、禄姫、寿姫と同じく外院御殿の客間に移しました。恵姫にはほとほと手を焼かされました。気を失っている時は良かったのです。翌日の昼過ぎに突然目を覚ますと『腹が減った』『ここから出せ』『一人は嫌じゃ』『釣りをさせろ』と大騒ぎ。喚く、叩く、跳ねる、蹴とばすと悪態の限りを尽くし始めました。間渡矢の仕置き部屋は頑丈にできているそうですが、斎主宮の仕置き部屋は他の座敷と大して変わりありません。畳も襖も障子も荒れ放題。困った女官がお福を部屋に入れたところ、ようやく静かになりました」

「それはまたご迷惑をお掛け致しました。重ねてお詫び申し上げます」


 平謝りの寛右。しかしそこまで元気なら恵姫に関してはそれほど心配の必要はなさそうです。


「お福はすぐに記伊へ戻すつもりだったのです。しかし恵姫を落ち着かせる為にしばらく伊瀬に留め置く事となりました。今は、禄姫、寿姫の隣の座敷で、二人一緒に寝起きする毎日です。さて、それでは此度の謁見はこれで終わりましょう。雁四郎の身柄は明日引き渡します。明朝巳の刻、斎主宮に参りなさい」

「ははっ!」


 もう一度平伏する寛右と友乗。すぐに謁見の間を出ると毘沙姫の待つ中院御殿へ向かいます。


「ほう、雁四郎は所払いに減刑か。それは良かったな」


 良かったなと言いながら表情がほとんど変わらない毘沙姫ですが、これはただ単に感情の表現が下手なだけで、心の中で大いに喜んでいる事は寛右も友乗もよく分かっていました。


「やはり果報は寝て待つものだな。火鉢もない諸大夫の間で、寒さを堪えて寝ていた甲斐があったぞ」

「本当に寝て待っておられたのですか。これは図太い、ははは」


 すっかり明るさを取り戻した三人は恵姫の居る外院へ向かいます。程なくして外院御殿の中へ入り、客間へ通じる廊下を歩いていると騒ぎ声が聞こえてきました。


「ええい、離せ。寛右たちが来ておるそうではないか。わらわも雁四郎助命の口添えをするのじゃ」

「その必要はありませんぞ、恵姫様」


 襖を開けて笑顔で答える寛右。二人の女中に両腕を掴まれていた恵姫は、エビで鯛を釣ろうとしていたら鯨を釣ってしまった漁師のように驚いています。


「寛右、友乗、毘沙! では謁見は終わったのか」


 頷く寛右。恵姫の顔が綻びました。謁見の結末は聞かずとも分かります。寛右も友乗もこれ以上ない笑顔だったからです。


 お福も交えてお茶を飲みながら、雁四郎減刑の経緯を聞く恵姫。寛右が持たせた桜色の刀に関しては、とりわけ感心したようです。


「あの刀にそのような仕掛けが施されておったとはのう。間渡矢襲撃の件と言い、此度の件と言い、寛右には助けられてばかりじゃ。礼を言うぞ」

「それが某のお役目なれば礼には及びませぬ。恵姫様も立春には戻られる由、残る懸念は公儀がどう動くか、この一点だけですな」


 雁四郎の刑が切腹から所払いに減じられたとは言っても、斎主宮から懲罰を受けた事に変わりはありません。比寿家を目の敵にしている吉保の事、改易とまではいかないにしても何らかの沙汰を申し付けて来る可能性はまだ十分残っています。


「それに関しては心配なされるな。乗里様は既に動いておられます。雁四郎減刑の報を聞けば更に動きやすくなるはず。とにかくここは様子を見る事に致しましょう」


 いかにも自信ありげな友乗です。その頼もしい姿に心配性の寛右もここは松平家に任せてみようという気になるのでした。


「乗里か……わらわのこの姿を見て乗里はどう思うかのう。髪を切られて童女のような姿になったわらわに愛想を尽かし、嫌いになるやもしれぬのう」


 それは恵姫の口から出た言葉とは思えませんでした。客間に居る誰もが驚き、そしてその後で優しい笑みを浮かべました。恵姫とて年頃の娘。ほうき星や雁四郎などとは比べ物にならないくらい、気に掛かる事があるのです。


「大丈夫でございますよ、恵姫様。我が殿、乗里様は髪の長短で人を判断するようなお方ではありません。殿が惚れておられるのはあくまでも恵姫様ご自身なのですから」


 惚れているかどうかは不明ですが、ここは友乗が気を利かせたのです。この言葉を聞いて俄然元気になる恵姫。


「うむ、そうか、そうじゃな、そうじゃとも。わらわにべた惚れの乗里が髪如きを気にするはずがない。ふっ、わらわともあろう者が下らぬ事を気に掛けておったわい。わっはっは」


 いつにも増して立ち直りの早い恵姫ではありました。


 こうして恵姫、雁四郎に関する謁見は無事終了しました。斎主宮を出る寛右と友乗に続いて毘沙姫も二人に付いてきます。


「毘沙姫様はこれからどうされるのですか」

「どうって……飲むに決まっている。寛右も友乗も明日の雁四郎引き渡しの為に今日は伊瀬に泊まるのだろう。一仕事終えた後の酒は美味い。今宵は心行くまで飲むつもりなのは分かっている。私も付き合ってやろう」


 顔を見合わせて笑う寛右と友乗。完全に図星だったのです。


「されば才姫様も呼びましょう。賑やかな方が更に美味くなります」

「ほう。お堅い松平家の家臣にしては気が利くな」


 友乗の提案にすっかり上機嫌になる毘沙姫。ずっと凍り付いていた心がようやく氷解し、泉の水のように流れ始めるのを感じながら、明るく笑う二人と共に門前町へ向かう寛右ではありました。


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