芹乃栄その一 七福神
斎主宮に向けて歩く恵姫たち七人。やがて正面に鳥居が見えてきました。
「おや、誰か居るようじゃぞ」
鳥居の下に三つの人影が見えます。向こうも恵姫たちに気付いたのでしょう、三人揃って頭を下げました。
「へえ~、布がお出迎えとはね。どんな風の吹き回しだい」
遠目の利く才姫にはすぐに誰か分かったようです。その言葉通り、鳥居の下には才姫、禄姫、寿姫が立っていました。
「ほほう、あんたが黒様かね。ふむふむいかにも明朗快活な姫様じゃ。のう、寿婆さんや、そう思わぬかえ」
「まったくでございますじゃ、禄婆さん。黒様、お会いできて嬉しいですじゃ」
禄姫、寿姫と黒姫は初対面です。開口一番、二人からの挨拶を受けた黒姫は恐縮しながら挨拶を返します。
「初めまして、禄姫様、寿姫様。お二人の噂はめぐちゃんから聞いています、今度あたしにも砂時計の業を掛けていただけると嬉しいです」
「あれあれ、わしらの噂は間渡矢にまで広まっておりますか。これはまた面映ゆい話ですじゃ、のう禄婆さんや」
「はいはい、間渡矢と言えば大婆婆様が居られますからのう。久しぶりに会ってみたいものですじゃ」
黒姫の挨拶に笑顔で答える二人。実はまだ会った事のない黒姫が来るのを待ちきれなくて、朝の散歩の途中、わざわざ鳥居までやって来て皆の到着を待っていたのでした。
「七人の神器持ちの姫が一堂に会したのは初めての事。しかもお福様、与太郎様まで揃っておいでとは。今日は記念すべき日と言わねばなりませんね」
布姫にそう言われて、集まった十人は互いの姿を見回しました。確かにこの顔触れが同じ時、同じ場所に存在した事はこれまで一度もありませんでした。そして二度目があるかどうかも定かではないのです。今のこの一瞬を大切にしたい、それは恵姫だけでなく他の者たちが抱いた共通の想いでした。
「さあ、では参りましょうか。斎主様がお待ちです」
鳥居をくぐって歩き出す十人。与太郎が陽気に話を始めます。
「ねえねえ布様。節分の日にね、僕のお別れ会をしようって話があるんだ。こちらでは一月七日が節分なんでしょ。だから七草粥を食べながら僕との別れを惜しむ会にすればいいんじゃないかって、黒様と話をしていたんだ」
「七草粥でございますか。そうですね、そろそろ野の芹も目に付く頃、良いかもしれませんね。節分に会を開けるかどうかは分かりませんが、斎主様に申し上げておきましょう」
「ふふっ、このお別れ会が最後の思い出作りになりそうだなあ」
布姫からも承諾がもらえてすっかりご機嫌の与太郎です。そんな与太郎を冷ややかに眺める布姫。その目にはいつにも増して冷酷な輝きが宿っているのですが、そんな様子には少しも気が付かない与太郎、調子に乗ってこんな事まで言い始めました。
「神器持ちの姫って今ここに居る七人なんでしょ。さっき気が付いたんだけど、これって七福神に似ているよね」
「七福神じゃと。何をくらだぬ事を言っておるのじゃ、与太郎」
いかにも馬鹿にしたような恵姫の言い方に少々気分を害された与太郎、それでも自分の発見を誇らしげに語ります。
「七人の姫の名前だよ。めぐ様は恵、恵比寿様の恵でしょ。黒様は大黒天の黒。毘沙様は毘沙門天の毘沙。才様の本当の名は弁才姫つまり弁財天。布様は布袋様の布。禄様は福禄寿、寿様は寿老人。ねっ、七福神になっているでしょ。これで御座船間渡矢丸の帆に『宝』の文字を書けば宝船まで揃っちゃうよ」
皆の足が止まりました。慌てて与太郎も歩みを止めます。与太郎以外の九人は互いに顔を見合わせています。やがて布姫が静かな声で言いました。
「失礼ながら与太郎様、そのような神の名も七福神という言葉も、私たちは存じ上げておりませぬ。何か勘違いをなさっているのではないですか」
「えっ、嘘!」
驚く与太郎。これが恵姫の言葉ならすぐに疑って掛かるところですが、布姫の言葉となると信じないわけにはいきません。
「おかしいなあ。元禄の頃は七福神が居なかった……いや、そんなはずないよ。恵比寿神社なんて日本のあちこちにあるのに……」
「おい、何をぶつくさつぶやいておるのじゃ。ぐずぐずしておると置いていくぞ。まったく何が七福神じゃ。くだらぬ事を言いおって」
恵姫を先頭にして九人はさっさと歩き始めています。急いで後を追う与太郎です。
斎主宮の下院を過ぎ中院の敷地に入る十人。これより奥は男子禁制。立ち入る事を許されている男は斎主が認めた者だけです。
「されば拙者はここにて皆様のお帰りを待っております」
「うむ、此度は長くなるかもしれぬ。済まぬな雁四郎」
中院御殿へ入っていく雁四郎を見送った後、恵姫たちは内院へ向かいます。が、すぐに立ち止まると文句を言い始めました。
「こりゃ与太郎、何を当たり前の顔をして付いてくるのじゃ。お主も中院御殿へ入らぬか」
「えっ、僕も斎主様に会うんじゃないの」
「此度は与太郎を連れて来いとは言われておらぬ。許可なくおのこを内院に入れるわけには……」
「いいえ恵姫様、与太郎様も連れて参りましょう。斎主様へは私が話をします」
言葉を遮られた恵姫は布姫を見遣りました。まるで能面のように感情を表さない布姫の顔、それなのに恵姫は、そこに布姫の強い決意を感じたのです。
「ま、まあ布がそう言うのなら連れて行ってもよいが……」
こうして与太郎も含めた九人は内院を進み斎主御殿へとやって来ました。布姫は斎主と話をするため入り口で別れ、残った八人が控えの間でしばしの休息です。
内院に入れば私語は厳禁。それは与太郎もよく知っているので借りてきた猫のように大人しくしています。控えの間で聞こえるのは出された茶をすする音と、禄姫、寿姫が時々咳き込む声だけ。やがて女官が姿を現しました。
「お待たせ致しました。与太郎様も含めて皆さま一度に謁見致します。こちらへ」
女官に案内されて謁見の間に入る八人、下段の間には既に布姫が来ていて平伏しています。その後ろに八人は座り、同じように頭を下げました。
「皆様、よく来てくれました。七人の神器持ちの姫全員と一度に謁見するのは私にとって初めての事、そして恐らくはこれが最後となりましょう」
上段の間の御帳台から響いて来る声は、心なしか緊張しているように聞こえます。斎主は少し間を置いて話を続けます。
「結論から先に言いましょう。今日の召集は私の無礼を詫びるためです。既にそなたたちは私の隠し事について気付いているはず。ほうき星の事、与太郎の事、お福の事。既知の事柄について知らぬ振りをし、言うべき事柄を敢えて言わず、成し得ぬ事まで成し得るように思わせた事、非難されても言い訳のできぬ事ばかりです。しかしそれらは全てそなたたちの為を思っての事。それだけは分かって欲しいのです。お福、こちらへ来なさい」
突然自分の名を呼ばれたお福。戸惑いながら立ち上がり、上段の間へと歩みます。
「お福は今日限り間渡矢へは戻りません。今まで世話を掛けましたね、恵姫。感謝しておりますよ」
斎主の言葉に耳を疑う恵姫。前回とは違い有無を言わさぬ斎主の態度に恵姫は反論すらできません。
「それは急すぎるのではないですか、斎主様。お福は一年近く間渡矢で過ごしたのです。城の者たちと別れを惜しむ間も与えず、まるで拐すように親しい人たちと引き離すのは酷に過ぎましょう」
才姫です。恵姫と同じく才姫もまた斎主の傲慢とも言える態度に反感を抱いたのです。
「そう、以前のままのお福ならばそうでしょうね。けれども今のお福、記伊の斎宗の娘であり、次期斎宗でもあると皆に知られた今のお福ならば、むしろこのまま別れた方が良いのではないですか。間渡矢の者も腫物を触るようにお福に接しているのでしょう」
伏していたお福が顔を上げました。上段の間から振り返り恵姫たちを見渡すその顔には、驚きとも悲しみとも言えぬ表情が浮かんでいます。
「済まぬ、お福。瀬津から聞いたのじゃ。そなたの素性は既に城の主だった者は知っておる」
恵姫の言葉を聞いたお福の顔から驚きが消え悲しみだけが残りました。そしてまたゆっくりと前を向き、顔を伏せました。恵姫は斎主に問い掛けます。
「斎主様、何故それをご存じなのですか。お福の素性が露見した事は間渡矢の者と姫衆以外には知り得ぬはず。一体どこから……」
「あたしが教えたんだよ」
下段の間の一番奥から聞こえてきた声。一斉に振り向いた恵姫たちの目に映ったのは記伊の姫衆、瀬津姫の姿でした。
「な、何故そなたがここに……」
「間渡矢を出た途端、伊瀬の女官たちに捕まっちまったんだよ。記伊の斎宗様が命じられたんだ。間渡矢で何をしたか、伊瀬の斎主様に全てを話せってね」
「瀬津姫様、伊瀬の姫衆ではないと言っても斎主様の御前です。言葉遣いを改め、平伏してくださいませ」
動揺する恵姫とは対照的に布姫は冷静です。瀬津姫は言われたとおり九人とは距離を置いて座り、頭を下げました。
「瀬津姫、早まった事をしてくれましたね。お福については立春が過ぎるまで隠し通すつもりでしたのに。いえ、そなたを責めても詮無い事でした。責めるべきは記伊の斎宗、我が妹の方なのですから」
頭を下げて斎主の言葉を聞く瀬津姫。その握り締めた両拳は怒りを堪えるように小刻みに震えていたのでありました。




