麋角解その二 与太郎のお役目
瀬津姫と共に間渡矢へやって来た破矢姫は、毘沙姫と同じく地に愛された姫です。ただし毘沙姫のように武家ではなく町人、飛脚問屋の娘でした。従って剣の才能は皆無。足が速くて力が強いという特徴だけを備えた姫です。
瀬津姫と同じく伊瀬の姫衆に加えられる素質は十分にあったものの、結局、記伊の姫衆のひとりになりました。破矢姫は自分の力を飛脚仕事に使い、銭を稼ぐ事をやめようとしなかったからです。姫の力は他の者のために使うもの、己一人のためだけに使ってはならないという伊瀬の斎主の教えに従えない以上、伊瀬の姫衆に加えるわけにはいかなかったのでした。
「瀬津の他に破矢まで来おったか。しかも狙いはわらわではなく与太郎。何を企んでおるのじゃ」
「さあね、それは教えてくれないんだよ。あたしや恵や城の者には迷惑は掛けない。とにかく与太と会いたい、話がしたい、これだけしか言わないのさ」
「さりとて大丈夫なのかのう。一旦和解したとはいえ、これまでずっと伊瀬の姫衆を仲間にしようと躍起になっていた瀬津じゃ。安易に信じて良いものか」
「瀬津だっていつまでも同じじゃないさ。大鹿も角を落とす時が来るように、瀬津だって張り続けていた我を緩める時だってあるだろうよ。あの後、記伊に戻って斎宗様と話をして、考えが少し変わったんじゃないのかい」
用心深い才姫にしては随分甘い見立てです。やはり血の繋がった姉妹とあって、心の底では瀬津姫を信じる気持ちを捨て切れないのでしょう。
「ふ~む……磯島、そなたはどう思う」
恵姫に問い掛けられた磯島、黙って首を横に振るだけです。さすがの磯島もこれだけの話で瀬津姫の考えを推測するのは無理のようです。
「才がそこまで言うのなら瀬津と与太郎を会わせるしかないじゃろう。どちらにしても次に彼奴が来た時には、才だけでなく黒やお福にも会わせなばならぬのじゃ。冬至の日に言い付けておいた役目があるからのう……むっ、待てよ」
ここで恵姫は才姫に顔を寄せると小声で話し始めました。
「才よ、まさかわらわたちが与太郎に言い付けた役目を、瀬津たちが嗅ぎ付けたのではないじゃろうな」
「それはないね。よしんば嗅ぎ付けたとしてもそれで動くような娘じゃないよ。幼い時から飲み食いには頓着しなかったからねえ。与太が持参した品を目の前に並べられても、何の興味も示さないはずさ」
「そうか、ならば良いのじゃ」
「どのようなお役目を与太郎殿に言い付けられたのですか」
磯島は冬至の日の出来事については何も知りません。恵姫は才姫から離れて元通りに座り直すと、澄ました顔で答えました。
「何、たいしたお役目ではないのじゃ。彼奴、冬至の日に少しばかり粗相をしてのう。その詫びに次に来る時はある物を持ってくるよう言い付けたのじゃ。いや、そのある物というのも大した物ではない、まあ、言ってみれば……」
「鯛焼きのように食べる物なのでしょう。最近、城の食事が貧しいので与太郎殿に美味い物を持ってくるよう言い付けた、さしずめそんなところでございましょう」
『ちっ、磯島め。相変わらず勘が良いではないか』
何もかも磯島の言葉通りではありませんが、九割方は合っています。何はともあれ、才姫の願い事を引き受けた恵姫、後はいつものように与太郎が来るのを待つだけです。
* * *
「明日から師走か。いよいよ今年も残り少なくなってきたのう」
才姫が城へお願いに来てから二日が経っていました。昼食を済ませた後は炬燵の中に潜り込んでゴロゴロしている恵姫。ようやく間渡矢丸の修理代に相当する銭が稼げたらしく、最近は夕食の膳にも魚が上るようになってきました。そうなれば無理に釣りに行く必要もありません。今日も釣りは取り止めにして、昼寝を楽しんでいるのです。
「外は北風が吹いておるのう。海もさぞかし荒れておるじゃろう。こうして炬燵に入ってぬくぬくしておるのが一番じゃ」
まるで浜に打ち上げられた鯨のように炬燵の中で寝そべっている恵姫。腹は膨れ体は心地良い暖かさに包まれています。これで眠るなという方が無理というもの。次第に瞼が重くなり知らぬ間に恵姫は眠ってしまいました。そして「気が付けば与太郎」の諺通り、そんな時にその男はやって来るのです。
「めぐ様、起きてよ、めぐ様」
気持ちよく惰眠を貪っている恵姫。その体を誰かが揺らしています。
「ぐっすり眠っているなあ。いつの時代でも炬燵は人を駄目にする呪われた暖房器具なんだね。ほら、起きて起きて」
しつこく声を掛けられ体を揺り動かされるので、仕方なく目を開ける恵姫。目の前には与太郎の顔があります。
「ようやく来たか、待っておったぞ、ふわ~」
大欠伸をして与太郎の姿をもう一度見れば、早々と小袖に着替えています。今日も帰るまでお福と一緒に女中仕事に精を出すつもりなのでしょう。
「めぐ様、この時間はいつも釣りに行っているんでしょ。今日はどうしたの」
「風が強いから取り止めじゃ。言っておくが炬燵のせいで駄目なおなごになったわけではないのじゃからな」
「あれ、聞こえてたんだ。てへっ」
眠りながらも与太郎の一人言はしっかり聞いていた恵姫。次第に明瞭になってきた頭に何か浮かんだようです。
「そうじゃ、お主が来た事を皆に知らさねばならぬのじゃ。与太郎、実はな……」
「瀬津さんが間渡矢に来ているんでしょ、僕と話がしたいって。磯島さんが教えてくれたよ。大丈夫、才様と黒様のお屋敷にはもう使いを出したから。間もなく城へ来るはずだよ」
磯島をあの場に同席させて正解でした。手際の良さでは右に出る者は居ません。
「そうか、ならばよい。それよりも与太郎、此度の布袋は相当でかいのう、ふっふっふ」
恵姫の口元からは早くもよだれが垂れ始めています。それもそのはず、与太郎はかなり大きな布袋を二つ持参していたのです。今にも奪い取ろうと襲い掛かってきそうな恵姫に、与太郎はきつい口調で言いました。
「駄目だよ。これはめぐ様一人の物じゃないって事は分かっているでしょ。才様、黒様、お福さんの四人が揃うまでは見せられないよ」
そう言われては恵姫も手が出せません。与太郎の言葉通り、冬至の日に四人で相談して決めたお役目だったからです。諦めて黒姫と才姫の到着を待つ事にしました。
四人が城へ来るのにそれほど時間はかかりませんでした。
「お初にお目に掛かる、破矢と申す。以後、お見知りおきを」
黒姫も恵姫も他の城の者も、記伊の破矢姫とは初対面でした。毘沙姫と同じく地に愛されている姫ですが、体はそれほど大きくなく、力も強そうには見えません。ただ手足が長いので走る速さは毘沙姫と遜色ないように思われました。
「厳左が同席かい。あたしもまだまだ信用されていないようだね」
会見の場である表御殿の小居間に厳左がどっしりと腰を下ろしているのを見て、苦笑いする瀬津姫。今回の与太郎と瀬津姫の話し合いについて厳左にも相談したところ、念の為に自分を同席させて欲しいと言われたのです。やはり厳左も恵姫同様、瀬津姫への警戒感を捨て切れていないのでした。
一同が揃ったところで恵姫が立ち上がります。
「此度は瀬津と与太郎のための集いであるが、その前に与太郎のお役目を済ませておこうと思っておる。与太郎、持参した物を披露するのじゃ」
「あ、は~い。結構お金がかかったんだよ」
そう言いながら一の布袋から取り出したのは、色とりどりの包装紙に包まれたチョコレートでした。
「おおー!」
歓声を上げる恵姫と黒姫。笑顔を浮かべるお福。更に二の布袋から取り出したのは瓶ビールとボトルワインです。
「へえー、こりゃいいね」
感心する才姫。喜ぶ四人の姿を眺めながら誇らしげに胸を張る与太郎ではありました。




