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元禄・マジカル・プリンセス  作者: 沢田和早
第六十三話 さけのうお むらがる
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鱖魚群その四 腹立ち姫

 亀之助からもらったぬくめ具からは心地よい温もりが伝わってきます。恵姫はそれを懐に仕舞うと、「ちょっと待っておれ」と言って、座敷の隅に放りっ放しの荷物の山に向かいました。


「確かあれはこの辺に……おお、あったあった」


 しばらく荷物を漁っていた恵姫は何かを持って縁側に戻って来ました。


「亀之助、よくぞ体を張ってわらわを守ってくれたな。褒美にこれを使わそう。旅の途中で手に入れた鯨の髭じゃ。細工好きのお主にはぴったりの品であろう」


 毘沙姫から自動からくり人形の話を聞き、最近は鯨の髭を使った仕掛けを工夫している亀之助。恵姫から手渡された大きく艶のある鯨の髭に感激もひとしおの様子です。


「これはまた立派な髭でございますなあ。これだけの物を頂戴した以上、扇風機に勝る見事な仕掛けを作ってみせましょうぞ。ところでこの髭、何やら歯形が付いておるようですが」


 ギクリとする恵姫。実はこの鯨の髭は尾治の中野村に漂着した時、杜若の作業場で偶然見つけた物なのです。鯨の髭と聞いて有無を言わさず齧り付き、そのまま放そうとしないので、根負けした杜若が恵姫に譲ってくれたのでした。尚、鯨の髭の代金として雁四郎が幾ばくかの銭を置いてきたのですが、そんな事を知っているはずがない恵姫です。


「姫様、稽古の途中でございます。早くお戻りください」


 亀之助が縁側を去ると、すぐさま磯島の催促です。しかし二度も邪魔者が入ってすっかり集中力を欠いてしまった恵姫。折よく朝四つを告げる時太鼓が聞こえてきました。


「おや、もう一服か。磯島、茶を持ってきてくれ。茶請けは鷹之丞の煎餅があるから要らぬぞ」

「いいえ、一服は致しません。このまま稽古を続けます」

「何じゃと!」


 血相を変えて磯島に駆け寄る恵姫。昼前のお稽古事は朝四つ時に一旦休憩するのがいつもの習わしなのです。


「何故今日だけ茶が飲めぬのじゃ。昼まで休みなく稽古を続けるより、途中で休憩を入れた方が良い結果が出ると言ったのはそなたではないか」

「本日はこれまで稽古らしい稽古をしておりませぬ。水仙を二度花瓶に挿しただけではありませぬか。その程度で稽古をしたとは認められません。稽古をしていないのですから一服の必要もないのです。さあ、続けてくださいませ」


 頑として主張を曲げない磯島。お稽古事途中のお茶は、磯島の合図がなければ持って来なくてもよい事になっているのです。憤懣遣る方ない恵姫ですが、磯島の言う通りなので反論もできません。水仙を花瓶に突っ込みながら愚痴り始めます。


「磯島はわらわに対して厳しすぎるのではないか。左肩の怪我が治ったのは誰のおかげじゃと思っておるのじゃ。わらわが力を使わねばそなたは今頃生きてはいなかったのじゃぞ」

「私が助かったのは血を分けてくれた与太郎様のおかげ。そして島羽城で手厚く看護していただいた才姫様のおかげでございます。恵姫様はただ単に血を動かしただけではありませんか。さほど恩義に感じるほどでもありますまい」

「な、何じゃ、その言い方は。せっかく助けてやったのに。磯島がそこまで恩知らずとは思わなんだぞ」

「感謝はしております。しかしそれとお稽古事とは話が別でございます。さあ、続けてくださいまし」


 まるで立て板に水を掛けているように、恵姫の言葉は磯島に届いていないようです。腹立ちを堪えて適当に花を生ける恵姫。ため息をつきながら手直しする磯島。ギスギスした雰囲気の中でお稽古事の時間は過ぎていき、ようやく昼の時太鼓が聞こえてきました。


「それでは本日はこれで終わりに致しましょう。すぐに昼食を持って参ります」


 恵姫は不機嫌でした。もう磯島の顔など見たくもないと感じていました。昼の膳の前で恵姫が食べる様子を見守っている磯島なんぞ、どこかへ行ってしまえばいいと思っていました。おかげでせっかくの昼食も味がさっぱり分かりませんでした。


「磯島の奴、どうしてこうもわらわには冷たいのじゃ。此度だけではない、蛍騒動の時でもそうじゃ。わらわにあれだけ心配を掛けさせておいて、病が治ったら豪勢なお茶会で女中たちを持て成し、わらわには礼の品ひとつも無かったのじゃからのう。そして此度のこの仕打ち。寝込むほどに姫の力を使い切って助けてやったというのに、与太郎のおかげ、才のおかげと来たもんじゃ。野良犬でさえ飯を食わせてやれば尻尾を振ってくれるものを。磯島は犬以下じゃ。鬼じゃ、血の通わぬ冷血漢じゃ」


 与太郎の血を移したのですから、血が通っているのは間違いないのですが、怒りの余りそんな事にも気付かない恵姫です。


「あ~、これほどむしゃくしゃしていては昼寝もできぬ。釣りじゃ。浜釣りで憂さを晴らそうぞ」


 食後の一服もほどほどにして物入れから特製竹魚籠を取り出す恵姫。ここで重大な事に気付きました。釣り道具を浜に置きっ放しにしていたのです。


「迂闊じゃった。旅に出る前に竿や釣り針を浜から引き上げるつもりであったのに、できぬまま江戸へ発ってしまったわい」


 間渡矢を発つ前日に浜から引き上げるつもりでしたが、その日よりも早く公儀隠密の襲撃があったため、そのままになっていたのです。


「三カ月近くも潮風に晒しっ放しでは釣り針も錆びておるじゃろうな。仕方ない、今日は釣り道具の手入れをするとしよう」


 どんよりしていた気持ちが更に重くなり、胸の中がどよどよになり始めた恵姫。いつもの釣り装束に着替え、東の木戸口から城外へ出ると、浜への山道を下り始めました。


「おや、浜に誰か居るようじゃな」


 木々に遮られてはっきりとは分かりませんが、浜から白い煙が立ち上っているのです。誰かが火を焚いているのは間違いないようです。


「ふむ……そうか、来おったか」


 まだ山道を歩いているうちに見当が付いた恵姫。浜に降りてみると、思った通り煙を上げているのは海女小屋です。


「おーい、お浪、来ておるのかー」


 恵姫が声を掛けるとすぐに小屋の葦戸が開き、そこから女の顔が現れました。一緒に江戸へ行った海女のお浪です。


「恵姫様、いらっしゃったのですか。すみません、まだ釣りはなさらないと思い、お弱と一緒に海女漁をしておりました」


 間渡矢城東の浜は城の者だけが立ち入れる特別の浜ですが、間渡矢の海女だけは自由に漁をしても良い事になっていました。ただし、ここでは恵姫が毎日のように釣りをしているのは周知の事実だったので、その邪魔にならぬよう、恵姫が釣りをしに来ない雨天や年末年始、夜明け前、日暮れ時などだけ海女たちは立ち入るようにしていたのです。

 恵姫たちより一足先に間渡矢に戻っていたお浪たちは、毎日気兼ねなくこの浜で漁をしていたのですが、さすがに昨日帰ったばかりで、今日浜へ釣りをしに来るとは思っていなかったのです。


「何、構わんぞ。昼まで海に潜って一服しておったのじゃろう。せっかく会えたのじゃ、少し話でもしようぞ」


 恐縮するお浪には構わず海女小屋に入る恵姫。中ではお弱が焚火に当たっています。

 二人から茶を飲ませてもらった恵姫はさっそく愚痴を始めました。勿論磯島の悪口です。帰って来たばかりで疲れているのにお稽古事をやらされた事、力を使って命を助けてやったのに、少しも有難く思っていない事などなど。


「磯島があれほど冷たくて恩知らずで分からず屋で頑固だとは夢にも思わなんだわ。わらわが江戸へ行っている間に、曲がっていた性根が更に変な方向へひん曲がってしまったようじゃわい」


 一人で喋りまくる恵姫を、お浪とお弱の二人は優しい眼差しで見守っています。腹に溜まっていたどよどよをすっかり喋り尽くしてしまった恵姫、少しは気が晴れたのかさっぱりした顔になると、お浪たちが食べていた酢ナマコをつまみ始めました。


「磯島様は優しいお方ですよ、恵姫様。優しいお方だからこそ恵姫様には厳しく当たっておられるのです」

「……どういう意味じゃ、むにゅ」


 口に酢ナマコを入れたまま、お浪の言葉に首を傾げる恵姫ではありました。


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