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元禄・マジカル・プリンセス  作者: 沢田和早
第六十二話 くま あなにこもる
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熊蟄穴その五 斎主の申し出

 雁四郎の期待も空しく、「脚気退散」の商いは一度だけで終わる事になりました。

 食事も取らずに商売に精を出していた五人。すっかり売り切れてしまったので、遅めの昼食にしようと話をしていたところへ、一人の女が声を掛けてきたのです。


「もし、恵姫様ではありませぬか」


 見覚えのある女です。最初に気付いたのは雁四郎でした。


「そなた、姫屋敷の使いの女ではないか。何故伊瀬におられる」


 そうです。布姫到着を上屋敷に知らせ、姫屋敷では恵姫たちを案内し、与太郎到着を聞いて上屋敷にやって来た布姫一行に随伴し、翌日再び姫屋敷へ戻っていった、あの女が五人の前に居たのでした。


「私は姫屋敷にて禄姫様、寿姫様の身の回りのお世話をしておりました。斎主様の命により江戸を離れる事となったお二人は、伊瀬において見知らぬ者の世話になるより、気心の知れた私に面倒を見てもらいたいと希望されたため、共に伊瀬に参る事になったのです」


 禄姫と寿姫は高齢です。誰かの手を借りねば日常生活にも支障をきたすはず。してみれば二人にとってこの女は、恵姫にとってのお福のような存在なのでしょう。


「左様か。そなたのように気立ての良きおなごならば、禄や寿も気兼ねなく世話になれるであろうな。二人によろしく伝えてくれ」


 そう言って立ち去ろうとする恵姫。しかし女の次の一言が恵姫の足を止めました。


「あの、そちらに居られるのは与太郎様ではありませぬか」


 石のように凍り付く恵姫。与太郎出現の報を受けて布姫たち四人が比寿家上屋敷にやって来た時、この女も供として付いて来たのです。当然、与太郎の顔は見知っています。


「な、何を申しておるのかな。そのような者がどこに居るというのじゃ」

「そこに旅装束姿で立って居られますお方、江戸で見た与太郎様にそっくりなのですが」

「た、他人の空似であろう。そのような者の姿はわらわには見えぬぞ」

「では、そこに居られるのはどなたなのでしょうか」

「し、知らぬのう。そこになど誰も居らぬではないか」

「……」


 断固としてシラを切り通そうとする恵姫。姫屋敷の女もさすがに奇妙に思ったのでしょう。口を閉ざしてしばらく考えた後、直接与太郎に話し掛けました。


「あの、あなたは与太郎様ではないのですか」

「あ、いえ。僕は与太郎です」


 根が正直者の与太郎、当然そう答えます。女はようやく合点がいったという風に頷きました。


「やはりそうでしたか。斎主様が待っておられます。私はこれより斎主宮へ帰り与太郎様来訪をお伝えしますので、日暮れまでに斎主宮に参ってください」

「あ、いや、ちょっと待つのじゃ。何か勘違いをしておるのではないか」

「それでは失礼いたします」


 引き留めようとする恵姫の言葉には耳を貸さず、さっさと歩いていく女。項垂れる恵姫。これで姫札の更新はなくなりました。期限が切れる二日後には間渡矢へ帰らねばなりません。


「この阿呆!」


 いきなり与太郎の頭を小突く恵姫。いつもの事とはいえ今日の拳骨は理不尽過ぎます。


「痛いよ。なにも殴る事ないでしょ。僕は悪くないよ、悪いのはめぐ様の方じゃないか。それなのにどうして僕が殴られるのさ」

「喧しいわ。お主のせいでたった五日で間渡矢に帰らねばならぬではないか。詰まらぬ。実に詰まらぬ。わらわにこんな詰まらぬ思いをさせたのじゃから殴られて当然じゃ」


 これまたいつもの如く滅茶苦茶な理屈です。しかしこうなってしまってはもう諦めるしかありません。取り敢えず五人は遅めの昼食を取った後、斎主宮へ向かう事にしました。


「斎主宮か。僕らの時空では三百年前でもそんなものは存在しなかったからね。ちょっと楽しみだなあ」


 鳥居をくぐって敷地を歩く与太郎は少し興奮気味です。与太郎の時空の歴史には存在しなかった存在。それに触れようとしているのですから、気持ちが高ぶるのも無理ありません。

 下院を抜け中院に入ったところで雁四郎と別れました。ここからは私語は厳禁です。内院を進んで斎主御殿へ入り、控えの間に通される四人。しばらく待っていると女官が現れました。


「此度は皆様四人一度にお会いになるそうです。こちらへどうぞ」


 言われるままに謁見の間に入る四人。下段の間で平伏すると、上段の間の御帳台みちょうだいの中から厳かな声が聞こえます。


「与太郎を連れて来てくれたのですね。礼を言いますよ、恵姫」


 江戸では友人のように気軽に接していた斎主ですが、こうして斎主宮で御帳台から話し掛けられれば、その権威の強さを感じずにはいらません。恵姫は顔を伏せたまま、


「はい。斎主様の命に従い、速やかに与太郎を連れて参りました」


 と、体面を取り繕った返答。もとよりほうき星は既に西に傾き始めているのですから、速やかでない事は明らかなのですが、そこは恵姫の性格を知り尽くした斎主、詳しく問いただそうとはしません。小さく頷くと今度は与太郎に話し掛けます。


「与太郎、ここに来てもらったのは、これからのそなたの身の振り方について望むところがあるからです。ほうき星消滅のためにそなたは欠かせぬ存在。立春寸前にほうき星が膨張した時、そなたは確実にこちらの時空に居てもらわねば困るのです」

「あ、はい。確実にこちらに居るように頑張ります」


 胸を張って答える与太郎ですが、こちらへ来るのに与太郎の意思はほとんど関係ないので、どれだけ頑張ろうが余り意味はありません。御帳台の帳の向こう側で微かな吐息が聞こえました。きっと斎主がため息をついたのでしょう。


「与太郎に頑張ってもらえるのは大変嬉しいのですが、それだけでは心許無く思います。そこで相談なのですが、立春まで与太郎をこの斎主宮に留め置きたいのです」


 伏していた顔を上げる恵姫。才姫もお福も顔を上げると互いに互いを見詰め合いました。


「斎主様、与太郎はほうき星が沈めば元の世に帰ります。留め置くことはできませぬ」

「そうですね。しかしお福が居れば帰る事はありません。そうでしょう」

「では、お福をこの斎主宮に留め置きたい、斎主様はそう仰られるのですか」

「その通りです」


 斎主の声は穏やかながら、有無を言わせぬ威圧感をまとっています。お福と別れる……立春までの短い間とはいえ、恵姫にとっては断固として拒否したい要求でした。お福を見ればやはり困惑した表情をしています。お福も斎主宮に留まる事を快く思ってはいない様子です。


「了承してくれますね、恵姫、お福」


 斎主にそう言われてもすぐには答えられませんでした。お福と離れたくない、斎主に逆らいたくない、相反する気持ちの間で揺れながら何か良い返答はないかと思案する恵姫。と、すっかり蚊帳の外に置かれていた才姫が口を挟んできました。


「斎主様、私たちは姫衆ゆえ斎主様のお言葉に軽々しく逆らう事はできません。しかし与太郎は姫でもなければこの時空の者でもない、斎主様のお言葉に従う義務はないはず。ならば、まずは与太郎の意見を聞いてみてはいかがですか。伊瀬に出現したいのか、それともこれまで通り間渡矢が良いのか。その返答を聞けば恵もお福も納得致しましょう」

「ああ、確かに与太郎をないがしろにしておりましたね。では与太郎に尋ねます。どちらが良いのですか、伊瀬か間渡矢か」

「えっ、いや、そんないきなり訊かれても困っちゃうなあ」


 突然話を振られてあたふたする与太郎、ぶつぶつ独り言をつぶやき始めました。


「間渡矢を選べばこれまで通りだけど、伊勢を選べばめぐ様は居なくてお福さんだけが居るんだよね。しかも暮らすのはこの斎主宮。近くには美味しい物で溢れている門前町もあるし、めぐ様の機嫌を損ねて素振り百回とか、遠くへ使いに出されるとか、女中仕事の手伝いとか、そんな事もしなくて済む。まるで穴に籠もった熊みたいに毎日寝て過ごせるんだよね。うわ~、伊勢なら極楽だあ~」


 手で顔を覆う恵姫。どう考えても与太郎が間渡矢への出現を選ぶはずがありません。横に座るお福も既に諦め顔です。身から出た錆とはいえ、今回ばかりは日頃の行いを少し反省する恵姫ではありました。


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