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元禄・マジカル・プリンセス  作者: 沢田和早
第六十二話 くま あなにこもる
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熊蟄穴その二 島羽出立

 結局、雁四郎が本丸御殿の客間にぶら下げた照る照る坊主は、総数十二個で打ち止めとなりました。十三個目の照る照る坊主が作られなかった理由はすこぶる簡単です。作る前に雨が止んだからです。


 十二個の照る照る坊主の御利益ごりやくか、はたまた雁四郎の努力を哀れんだ日天子にってんし様の御慈悲か、あるいは単に雨雲がなくなったからか、原因は不明のままですがとにかく雨は止んだのです。島羽城に籠もっていた四人は穴倉から這い出してきた熊の如く、伊瀬へ向かう街道に姿を現しました。


「これはまた気持ち良いほどの晴れっぷりでございますな」


 既に雁四郎とその他三名の間渡矢の面々は、島羽から伊瀬へ向かう島羽街道を歩いています。


「ちっ、何もこんなに早く発つ必要もなかろうが。まだ朝の寒さが残っているではないか。もう少し日が昇って暖かくなってから発てばいいものを。雁四郎も融通が利かぬ奴じゃのう」


 恵姫はぶつくさ文句を垂れながら歩いています。四人は朝食を済ませるとすぐに島羽を発ったのです。それには理由がありました。例の如く食事を終えてゴロリと横になった恵姫がこんな事を言い出したからです。


「ようやく晴れたようじゃのう。そう言えば最近、浜釣りをしておらぬな。ここ数日雨続きで釣り糸を垂らすのは城の櫓の中からばかりじゃった。たまには浜に出て釣りをしたいのう。伊瀬に行けば浜釣りなどできようはずもない。ここはひとつ浜へ行き……」

「本日は朝食後、直ちに伊瀬へ発ちます。浜釣りは間渡矢へ帰ってから存分に楽しんでくださいませ」


 強引に途中で話をぶった切る雁四郎。四日前はここで甘い顔をして恵姫の口車に乗ってしまったために、大変な目に遭わされたのです。いくら人の好い雁四郎でも同じ手に二度も引っ掛かるはずがないのでした。


「そう言えば今日は霜月の二の卯の日、新嘗祭じゃないか。帝の勅使が伊瀬の神宮に遣わされているはず。また大変な日に伊瀬に参る事になったもんさね」


 伊瀬神宮の最大の神事は神社の正月とも言われる長月の神嘗祭ですが、今日の新嘗祭も大切な神事です。宮中の帝が今年の初穂を誰よりも早く口にされる日、それはつまり庶民もまた今年の新米を口にできる日だからです。


「ふっふっふ、そうであったな。今日からわらわたちも新穀を食べられるのであったな。何故雨が今日止んだのか、その理由がようやく理解できたわい。伊瀬で姫札を使い、腹いっぱいになるまで新米を食えとの神のお告げなのじゃ。雁四郎、急ぐぞ」


 急に早足になる恵姫。美味い物への欲望を神のお告げにすり替えて、一心不乱に伊瀬を目指す恵姫を眺めながら、雁四郎は少しだけ後悔するのでした。この恵姫の食い意地を利用すれば、雨など関係なく伊瀬へ向かえたのではないかと。


『伊瀬うどん、蓮台寺柿、餡餅など、島羽ではなかなか口にできない食い物の話をすれば、それだけで恵姫様は重い腰を持ち上げたはず。考えてみれば江戸へ参る時、寄り道しそうになる恵姫様を予定通りに下田へ到着させるために使った手は、金目鯛酒蒸しへの執着だったではないか。何故そこに気が付かなかったのだ。雁四郎、一生の不覚』


 と臍を噛んでも後の祭りです。そもそも雁四郎は「一生の不覚」が多すぎます。きっと一生、「一生の不覚」と言い続ける宿命の星の下に生まれてしまったのでしょう。


 島羽から伊瀬までは約三里の道のり。二月には一悶着あった峠の番所も今回は難なく通れました。既に恵姫嫁入りの話は下々の家臣にまで知れ渡っていたのです。

 堂阪峠を越え、朝熊川沿いの道を進み、昼前には神宮門前町に到着しました。


「まずは斎主宮へ行って姫札を貰わねばな。此度はお福の分も用意してあるはずじゃ。お福、腹いっぱい美味い物を食おうぞ」

「ピーピー!」


 お福の代わりに飛入助が返事をしています。勿論お福も笑顔で答えます。


「調子に乗って食べすぎるんじゃないよ。腹痛の薬は持ってないんだからね」


 そう言う才姫も皆と同じく笑顔です。姫札は酒にも有効なので思いっ切り飲むつもりなのでしょう。

 ただ一人、雁四郎だけは憂鬱な顔をしていました。路銀の節約のために粗食に甘んじなければならないからです。中野村で船の修理費を半分に負けてもらったと言っても、それはあくまでも応急処置。間渡矢に戻れば船板を張り替えねばなりません。本格的な修理に掛かる費用の助けになるように、少しでも多くの銭を残して間渡矢に戻りたいのです。


「ひと月食い放題か。江戸では公儀の連中に散々嫌な思いをさせられたからのう。これくらいの褒美をもらわねば割が合わぬわい。存分に楽しませてもらおうぞ」


 雁四郎の辛い胸中を知る事もなく意気揚々と斎主宮へ向かう恵姫。やがて大きな鳥居が見えてきました。それをくぐれば斎主宮の敷地です。二月に訪れた時と同じように森閑とした空間。聞こえるのは五人の足音のみ。粛然とした雰囲気の中に身を置くと、船の修理費も路銀の節約も全てが些末事のように思われてくる雁四郎です。


「雁四郎はここで待っておれ。姫札をもらって来る」


 斎主宮外院の前で雁四郎と別れ、三人で御殿の中へ入る恵姫たち。すぐに女官が姿を現しました。


「恵姫様、才姫様、お福様でございますね。斎主様よりお話を伺っております。どうぞこちらへ」


 板張りの床に畳を敷いた客間へ通される三人。しばらく待っていると先ほどの女官が現れました。


「江戸でのお役目ご苦労さまでございました。こちらは斎主様より褒美として賜われた姫札でございます。ごゆるりと疲れをお癒しくださいませ」


 差し出された三枚の姫札を受け取る三人。恵姫の顔は早くも緩み切っています。これから門前町に出て何を食べるか、それだけで頭が一杯なのです。


「おや、期限は五日間かい」


 姫札を眺めていた才姫が声を上げました。既に懐に仕舞い込んでいた恵姫は、慌てて姫札を取り出しました。確かに五日先の日付までしか書かれていません。


「ど、どういう事じゃ。姫札はひと月使えるはずであろう。何故此度に限って五日なのじゃ」

「はい。此度のお役目で最も尽力されたのは布姫様でございます。当然、布姫様にもご褒美の姫札が賜れたのですが、『このような事で褒美などをいただいては、お役目に加われなかった黒姫様、毘沙姫様が気の毒でございます。ひと月ではなく五日間の姫札にしてくださいませ』と仰られたのです。一番大きな働きをした布姫様の姫札が五日間である以上、ただ座っていただけの恵姫様たち三名の姫札をひと月にするわけにもいかず、同じく五日間とさせていただいたのでございます」

「ははは、そうかい。布らしい心配りだねえ。恵、これなら今月中に間渡矢に帰れそうさね」


 事務的に淡々と説明する女官。少しも気にせず陽気な才姫。初めて姫札を手にして感激一杯のお福。しかし恵姫だけは口をへの字に曲げ、姫札を両手で握り締めたまま体を震わせています。


「うぐぐぐ、布め。余計な気遣いをしおって。黒や毘沙の事など気に掛けずともよいではないか。こんな事なら島羽で贅沢三昧の日々を続けていた方がよかったわい」

「恵、五日間でも遊ばせてもらえるんだ。有難く思いな」


 才姫にそう言われても恵姫の怒りはすぐには静まりません。そんな様子を気に掛ける事もなく、女官は話を続けます。


「姫札の他に、斎主様から皆様への言付けを預かっております。与太郎様が姿を現したら斎主宮へ連れてくるように、との事でございます。間渡矢へはその後に戻られよ、と」

「へえ、与太なんかに何の用があるんだろうね」

「それは伺っておりません」


 女官はこう返答しましたが、恵姫たちには何となく分かっていました。与太郎はほうき星消滅の鍵を握る人物。立春まで残りふた月を切り、どのように事を進めるか与太郎と話し合っておきたいのでしょう。そう考えれば斎主が与太郎に会いたがるのも不思議ではありません。


「ふむ、与太郎の件は引き受けた。しかし姫札は五日間しか使えぬ。その間に与太郎が現れねばどうするのじゃ」

「再び斎主宮にお出でください。新しい姫札をお渡し致します」

「ほほう……」


 女官の返答を聞いてにやりと笑う恵姫。その顔がお馴染みの悪人面になっている事に、客間の誰も気付いていないのでありました。


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