橘始黄その三 船大工
見知らぬ浜に打ち上げられた恵姫一行。腹が減っては戦ができぬという事で、取り敢えず船で朝食を取る事になりました。
「しかし何じゃな、旅というものは思いも寄らぬ事が起きるから面白いのじゃなあ、パリパリ」
まるで他人事のように沢庵を齧る恵姫。一方雁四郎はお浪、お弱と頭を寄せ合って、今後の方針を話し合っています。
「とにかく漁船がある以上、船大工も近くの村に居るに違いない。朝食が終わり次第、拙者が探しに行くとしよう」
「私も付いて参りましょう。雁四郎様は交渉事には不慣れなはず。これでも人を見る目には自信があるのです」
「それは有難い。お浪、よろしくお願い申す」
何を置いても船の修理が先決です。もし今居るこの場所が間渡矢か島羽に近ければ、陸路でこの難儀を知らせる事もできますが、出来ればそれはしたくない雁四郎でした。自分に与えられたお役目は自分の力で完遂させる、厳左や友乗に頼るのは自力ではどうにもならなくなった時だけにしよう、そう決めていたのです。
「ほほう、朝っぱらからお浪と二人だけでお出掛けとはのう。雁四郎もやるではないか」
二人の話を聞いていた恵姫が茶々を入れてきました。むっとする雁四郎。
「誰のせいでこんな事になったと思っているのです。少しは反省してくださいませ。それから拙者が出掛けた後は海から離れぬようにしてくだされ。警護のお役目を一時放棄して人を探しにいかねばならぬのです。海の近くならば無敵でも陸に上がればただの娘になる事をお忘れなく」
「分かっておる。船で寝ながら待っておるわ。ふわ~」
こんな事態に陥ってもいつもと変らぬ図太い態度。逆に見習いたものだと思う雁四郎です。
朝食が終わるとお浪と雁四郎は船を離れて人を探しに行きました。残された四人は特にする事もありません。お弱が他に壊れた箇所はないか点検するだけで、恵姫は黒鯛の間で朝寝、才姫は沢庵を齧りながら朝酒、お福は飛入助と一緒に浜を散歩しています。
「あの二人、昼までに戻って来られるかねえ。お浪の飯は美味いがお弱は今一つ味が落ちるからねえ。昼は普段通りお浪に作ってもらいたもんだ」
船の修理ではなく昼食が気に掛かる才姫です。恵姫の影響がそろそろ出てきたのかもしれません。
「恵姫様―、戻りましたぞー!」
才姫の心配は杞憂に終わりました。ほどなく雁四郎とお浪は人の好さそうな若者を連れて戻ってきたからです。
「最初に着いた村で運よく船大工を見付けました。ここは宮宿の西にある中野村だそうです」
宮宿は尾治にある東海道最大の宿場町。桑名宿とは七里の渡しで結ばれ、海に面した南側には渡船場があります。どうやら間渡矢丸は伊瀬の海の端まで北上してしまったようです。
眠っていた恵姫はお弱に起こされて、才姫と一緒に浜へ下りました。雁四郎より少し年上に見える若者が挨拶をします。
「間渡矢の恵姫様といえばこの辺りで知らぬ者はおりませぬ。船が浜に上がって難儀していると聞き、何かお力になれればと参上致しました」
「うむ、有難い事じゃ。して、どうじゃ、すぐに直りそうか」
「そうですね……しばしお待ちを」
若者は船の亀裂を眺めたり撫でたり叩いたりし始めました。その仕草から腕の良さそうな職人の雰囲気が伝わってきます。しばらく後、若者が残念そうな顔で言いました。
「これは板を剥がして交換するよりありません。これほど大きな一枚板は手元にありませぬゆえ、取り寄せるのに時がかかりましょう。それから銭も少々……」
「い、いかほどになろうか」
雁四郎に問われ小声で答える若者。たちまち驚愕の表情に変わり「もう少し安くならぬでござろうか」と懇願する雁四郎。腕組みをして考える若者。
「では亀裂の上を板で覆いましょう。大釘で打ち付け、隙間を槙皮と膠で埋めるのです。この程度の大きさの板ならば作業場にありますし、一日あれば膠も乾き海に出られるはずです。ただしあくまでも応急処置。島羽に着いたならばきちんと修理してくだされ」
「そ、それで、その場合の修理費はいかほどに……」
雁四郎に問われ小声で答える若者。今度はがっくりと気落ちする雁四郎。ちょうど松茸を売った額と同じほどだったのです。
「分かった、それでお願い致す。さっそく取り掛かってくだされ。拙者も手を貸そう。ああ、お弱、おまえも手伝ってくれ。力仕事なら頼りになるからな」
「お任せください」
胸を叩いて答えるお弱。どうやら話はまとまったようです。
「ふむ、発つのは明日か。ならば今日は泊まりじゃのう。おい、雁四郎、宮宿に宿を取ってくれ。最後の夜じゃ、皆で騒ごうぞ」
余りにもお気楽な恵姫の言葉に、さしもの雁四郎の堪忍袋も切れる寸前です。
「いい加減になさいませ。どこにそのような銭があると言うのです。船の修理はただではないのですよ。そもそもこんな事になったのは恵姫様が変な夢を見たせいではありませぬか。宿など取りません。揺れない船の上で寝てくだされ」
「ああ、よろしければ我が家に泊まってもらっても構いませんよ。旅の話などを聞かせていただければ妻も喜びましょう」
「よ、よいのでござるか」
驚く雁四郎。快く船の修理を引き受けてくれただけでなく、一晩の宿まで供してくれるとはお人好しの塊のような若者です。
「それは有難いのう。才、お福、異存はないじゃろうな」
頷くお福。しかし才姫は少々渋い顔です。
「武家や商人ならいざ知らず、あんたたちみたいな市井の細民に情けを掛けてもらうのはあんまり好きじゃないんだ。泊めてくれるならそれなりの礼をさせとくれ。これから修理道具を取りに村へ戻るんだろう。あたしも連れて行っておくれ。村の病人を診てやるよ」
「病人……ではそちらの方は名医と名高い才姫様でしたか。一度に二人の姫様に出会えたとは何という僥倖。盆と正月が一緒に来たような目出度さです」
奇妙な例え方に苦笑する才姫。しかし相手が喜んでいるのは確かなので文句は言いません。
「恵、あんたも釣りをして魚を捕りな。お浪、海女の実力を見せてやりな。お福、あんたは……そうだね、この男の女房の手伝いでもしてあげな。皆で働けば気兼ねなく泊めてもらえるだろ」
「浜での釣りは久しぶりじゃのう。腕が鳴るわい」
「良き獲物が居そうな磯ですね。潜るのが楽しみです」
「……!」
「ピーピー!」
三人と一匹も働く意欲が沸き上がってきたようです。
「では、皆の者、取り掛かるとしようぞ!」
威勢よく声を上げる恵姫。この難局もどうやら乗り切れそうな目途が立ち、ほっと一安心の雁四郎です。
こうして皆がそれぞれ得意とする仕事に就き、それを熟し、成果を上げているうちに昼になりました。
浜釣りに熱中していた恵姫は、ふと、自分の傍らに小さな男の子が立っているのに気付きました。
「つりをしているのでございますね」
立っているだけでなく話し掛けてきました。小さいながら妙に丁寧な言葉遣いです。気になって視線を移すと年の頃は五歳くらいの男の子がこちらを見上げているのです。
『どことなく飛魚丸に似ておるのう』
「これこれ菖蒲丸、邪魔をしてはいけませんよ」
今度は女の声が聞こえてきました。大きな風呂敷包みを持ってこちらに歩いてきます。その後ろにはお福も居ます。
「これは、そなたの子か」
「はい。端午の節供に生まれましたので菖蒲丸と名付けました。邪魔を致して済みませぬ」
「謝る事はない。幼子は何にでも興味を持つものじゃからな。菖蒲丸、後で魚を食わせてやるぞ」
「ありがたきしあわせにございます」
大きな声で礼を言い、ペコリと頭を下げる菖蒲丸。その可愛らしい仕草も飛魚丸を思い起こさせます。
「おう、昼の弁当か」
間渡矢丸に板を打ち付けている若者が女と子に気付いたようです。横で手伝っている雁四郎が尋ねます。
「あれはそなたの女房と息子でござるか」
「はい。昼の弁当を持ってきてくれたのです。皆様の分もあるはず、一休みしていただきましょう」
「でかしたぞ、菖蒲丸!」
弁当と聞いて頭の中が食う事で一杯になってしまい、褒める相手を間違えてしまった恵姫ではありました。




