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元禄・マジカル・プリンセス  作者: 沢田和早
第五十六話 ち はじめてこおる
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地始凍その五 斎主の業

「三百年前のほうき星! 今、その方はそう申したのか」


 驚く綱吉公。見えぬ物を見せるだけでも至難の業のはず。それなのに三百年も昔の姿を見せるなど人の為せる業とは思えません。それは綱吉公だけでなく与太郎や恵姫たちもまた同じ思いを抱いていました。斎主の姫の力がどのようなものか、ここに居る者は誰も知りません。今、その力を見られるのは心躍る喜びであると同時に、名状し難い怖ろしさをも感じるのでした。


「皆様、驚く事はありません。現に私たちの目に映っているのは全て過去。現在を見ているわけではないのですから」


 斎主は大広間の一同を見回しながら話します。


「私たちは光によって物を見ています。けれども光とて無限の速さを持っているわけではありません。物から出た光が目に入るまでには時間がかかります。つまりそれだけ過去の姿を見ている事になります。近くの物は近い過去、遠くの物は遠い過去。私たちの目に映っている一瞬と思えるこの景色も、実は各地点には各時間が分布している、過去から現在までの様々な時が入り混じった風景なのです。もし極端に目の良い者ならば、無限と言ってもよいほど遠くにある、この世が生まれた時の光さえ目にする事ができましょう」

「つまり我らの目の力を向上させ、三百年の遠方にある光を見せるのがその方の業であると言いたいのか」

「そうですね。そうとも言えるかもしれません。実際には三百年先にある光の波面まで意識を飛ばすのです。三百年前、この地の風景を記録した光の波面は、今現在三百年の彼方を進んでいます。時間と空間に関与できる業を持つ禄姫、寿姫の力を借りて、その波面の位置まで私の意識を飛ばし、その意識の光景を皆様にお見せするのです。禄姫、寿姫、お願いします。それから与太郎、力を貸してください」

「えっ、ぼ、僕!」


 いきなり斎主に名を呼ばれて驚く与太郎。一方の禄姫と寿姫はのろのろと立ち上がります。


「やれやれ、やはりわしらを使われますか。最初に申しておきますが三百年は無理ですじゃ」

「そうですじゃ。心も体も持ちませぬぞ」


 愚痴めいた言葉を吐きながら二人は斎主の元へと歩いていきます。与太郎とお福も立ち上がると斎主の傍へ寄りました。


「禄姫、寿姫、案ずる事はありませんよ。私が力を貸します。そして与太郎も力を与えてくれます。あなた方に大きな負担は掛からぬように致します。さあ姫衆の皆、そして公儀の方々、立って私の腕を掴んでください。」

「う、上様のお体に手を触れると申すか」


 気色ばむ吉保。将軍の体には御典医でさえ直接触れる事ができず、手首に巻いた糸で脈を測っているのです。姫衆如きが安易に触れてよいものではないのでした。


「私に触れなければ意識を見せる事はできません。ほうき星も見られませぬが、それでもよろしいのですか」

「吉保、そこまで気を使わずともよい。斎主は余より官位が上の高貴な姫。むしろこちらが礼を言うべきであろう」


 綱吉公は厳かに立ち上がると斎主の右腕を掴みました。それを見た吉保と正武も同じく右腕を掴みます。


「恵、面白くなってきたじゃないか。あたしたちも行くよ」


 恵姫と才姫も斎主の傍に寄り、お福と一緒に左腕を掴みます。禄姫と寿姫は斎主に身を寄せ、右手を伸ばして斎主の頭に触れます。


「ぼ、僕はどうすればいいのかな」

「私の正面に立ち禄姫、寿姫に触れてください。あなたは私に直接触れずとも、それだけで意識が見えるはずです」


 言われた通り両手で禄姫、寿姫に触れる与太郎。全ての準備が整うと斎主は顔を上げました。その目の焦点は大広間を抜け、ずっと遠くにある何かに合わせられています。


「されば、我が力、見せてくれようぞ」


 これまでとは全く違う別人のような声色。その目には才姫と同じく銀が宿り、扇のように広がって持ち上がった大垂髪おおすべらかしは七色の光を放ち始めています。


「お、おお……これは、この力は」

「何と、これほどの力をみなぎらせるとは……」


 斎主から伝わってくる姫の力の大きさに、禄姫と寿姫は感嘆の声を上げました。そして二人の白髪は墨の如き艶を帯びた黒髪へと一挙に変貌したのです。


「さあ、禄姫、寿姫、業を使うのです」


 斎主の命を受け寿姫が神器の砂時計を取り出し、逆さまにすると同時に声を揃えて叫びました。


「遡行!」


 途端に大広間は闇に覆われました。その闇の中で天井だけがぽっかりと空を映し出しています。目まぐるしく回り続ける空。十万回の夜と昼、十万回の日と月と星、それらが目に追えないほどの速さで昇っては沈んでいくのです。


 綱吉公も与太郎も恵姫も、大広間の者一同がこの現実ならぬ光景に心を奪われていました。三百年の時を一気に遡る業。それは姫屋敷で見せた禄姫、寿姫の業とは完全に別物でした。斎主と与太郎の力が合わさればこれほどの応用が利くのです。


「と、止まった、のか」


 激しく変わりゆく空の様子に眩暈を起こしかけていた綱吉公、ようやく回転が収まった空に一安心した様子です。しかし、その安心は忽ちのうちに失われてしまいました。東の空から昇る日輪に続いて、得体の知れぬものが昇って来たからです。


「あ、あれがほうき星だと言うのか」


 震える声で吉保がつぶやきました。姫衆一同もそのほうき星の姿に心乱さずにはいられませんでした。既にその大きさは日輪の十数倍にも膨れ上がり、昇るにつれてますます膨らんでいくのです。その輝きは常に変化して定まらず、その色は混沌として識別できず、その形は輪郭がぼやけて把握できず、距離を保って膨らんでいるのか、あるいは巨大なものが近づいてくるので膨らんでいるように見えるのか、それさえも判別できないそれは、最早ほうき星とは呼べない代物でした。


「こ、この眩しさは……」


 それが誰の声だったのか、恵姫には分かりませんでした。突然ほうき星の輝きと大きさが増大し、全天を覆ったのです。余りの眩しさに恵姫は耐え切れず目を閉じ、斎主から手を離し、その場に伏してしまいました。


「お立ちください、皆様」


 斎主の穏やかな声が聞こえました。はっとして目を開ければそこは元の本丸御殿大広間。そして全員、斎主から手を離して畳の上に伏しています。

 恵姫は立ち上がりました。続いて才姫、お福、公儀の三人。ただ与太郎と禄姫、寿姫は斎主の足元で伏したままです。


「やはり随分と力を使わされてしまったようじゃて、禄婆さん、大丈夫かえ」

「あたしゃ腰が抜けちまったよ。しばらく休ませてもらおうかね」

「ぼ、僕も凄く疲れちゃった。長湯して逆上せちゃった感じ」

「禄姫、寿姫、与太郎、お詫び致します。予想よりも遥かに多くの力が必要だったようですね。さて、如何ですか、公儀のお三方、これで納得していただけましたか」


 皆、自分を取り戻すと斎主から離れ元の場所に座りました。最初に言葉を発したのは綱吉公です。


「ほうき星の姿、しかと見せてもらった。疑う事無き凶兆の星。斎主よ、その方の言葉を信じよう。与太郎と姫衆の力を合わせ、あの星を滅ぼすべく尽力していただきたい」

「お、お待ちください。あれが真実である証拠はどこにありましょうや」


 斎主の言葉を完全に信じ切ってしまった綱吉公に対し、吉保は尚も意見する事を諦めません。


「真実ではないと申すか」

「伊瀬の斎主は幻術を使うと聞いております。我らに在りもせぬ幻を見せたに違いありませぬ」

「いや、幻ではない。余には分かる。あれは紛う事無く姫衆が目にした三百年前の光景である。正武、その方もそう感じたのではないか」

「御意、某も上様と同じ意見でございます」

「くっ……」


 吉保はそれ以上の言葉を継げませんでした。なぜなら吉保自身も自分の言葉とは裏腹に、今、目の前に広がった光景は真実であると感じていたからです。それは理屈を超えた、生物として本能的に感じられる確信めいたものでした。


「お分かりいただけたようですね。それでは本日より私たち姫衆に一切手出しをせぬとお約束くださいませ。あのほうき星を滅するにはより多くの姫の力添えが必要となりましょう。公儀の方々に邪魔をされては、大願を果す事は叶いませぬ」

「約束致そう。これより公儀は姫衆と武家との垣根を取り払い、泰平の世を治めていくとな。吉保、よいな。今後、姫衆への無用な手出しは一切許さぬぞ」

「ははっ!」


 平伏する吉保を満足顔で眺める斎主。布姫も恵姫も思い通りに事が進み、肩の荷が下りたように心が軽くなりました。


「皆の者、此度は大儀であった。これにてお開きと致す」


 自らの言葉で謁見終了を表明し、上段之間を立ち去る綱吉公。平伏してその姿を見送ってから、斎主を始めとする姫衆と与太郎も立ち上がり、大広間を去ろうとしました。


「待たれよ」


 下段之間の襖を開けようとしていた与太郎たちの背後に吉保の声が掛かりました。


「此度はあくまでも与太郎の謁見だったはず。にもかかわらず結果として姫衆の謁見となってしまった。その方たち、謀ったのではないのか。与太郎消滅を防ぐという名目で大挙して大広間に乗り込み、上様を懐柔し、姫衆に都合の良い方向へ話を進める。最初からその腹積りではなかったのか」


 綱吉公が姫衆に同調してしまった事が余程悔しいのでしょう。まだ腹の虫が収まらず因縁を付けてくる吉保。斎主は向き直ると聞き分けの悪い子供を諭すように言いました。


「いいえ、与太郎一人を謁見に向かわせれば、ほうき星が沈むと同時にあちらへ戻ってしまうのは事実なのです」

「ならば示して見せよ。この大広間に与太郎だけを残し、全ての姫衆を退出させよ。それで姿が消えるのならばその方の言葉を信じようぞ」

「承知致しました。では私から」


 襖に手を掛けていた与太郎をそのままにして、まず斎主が外に出ました。続いて禄姫、寿姫、恵姫。与太郎の姿は消えません。吉保の口元が少し緩みました。


「どうした、消えぬではないか、やはりその方たちは……」


 吉保の言葉はそこで終わりました。恵姫に続いてお福が外に出た途端、装束だけを残して与太郎の姿は消えてしまったからです。


「当てが外れたね、吉保様。これ以降あたしたちに手出しするんじゃないよ」


 無礼なまでの才姫の捨て台詞に、何も言い返せない吉保。最後になった布姫は与太郎の装束を拾い上げ「本日はお疲れさまでございました」と頭を下げて出ていきました。


「さて、わしも行くとするか。出羽殿、お先に」


 そう言って退出する正武に声を掛けるでもなく、まるで地に凍り付いた霜柱の如く、誰も居なくなった大広間にいつまでも立ち尽くしている吉保ではありました。


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