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元禄・マジカル・プリンセス  作者: 沢田和早
第五十六話 ち はじめてこおる
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地始凍その四 供の女

「高野山箒星始末記は当てにならぬと申すか。ならば姫衆に伝わる書を見せてみよ。持参しておらぬとなれば伊瀬より取り寄せるがよい」


 全くの傍観者である金剛峯寺に高野山箒星始末記が残されているのなら、当事者である斎主宮にも、それに類する書が残されていて然るべきです。それは吉保だけでなく誰にとっても当然と思われる推測です。

 吉保に問われた布姫は一呼吸置いた後、静かに答えました。


「残念ながらほうき星に関する書を姫衆は持っておりません」

「無い、全く無いと申すのか」

「はい。書という形では残されていないのです。代々の斎主様、斎宗様に口伝という形でしか残されていないのです」

「ならば何の証拠もないではないか。与太郎が別世から来た、それは認めよう。しかしほうき星に関しては世迷言としか思えぬ。高野山の始末記にしても、幻覚を見た僧たちの戯言に過ぎぬのではないか。そもそも姫衆と僧以外、誰も見た事のない存在を信じられるわけがない。そうであろう」


 押し黙る布姫。綱吉公も正武も吉保のこの言葉には反論できませんでした。実際、高野山箒星始末記は歴史書ではなく奇書、いわば竹取物語のような創作物と捉えられていたからです。


「そうでございますね。言葉だけで文字だけで信じろと言われても、そうは出来ないのが人というもの。ならば、実際にほうき星を目の当たりにすれば、私の言葉を信じていただけますか」

「ふっ、ありもせぬ物を見せられるわけがなかろう」

「目に見えさえすれば信じていただけますかと聞いております! お答えください!」


 大広間に居る全ての姫衆が驚きました。どんな時でも沈着冷静で感情を滅多に表さない布姫。その布姫が声を荒らげているのです。雷鳴轟くが如き迫力に圧倒され口を閉ざす吉保。正武も綱吉公も雷に打たれでもしたかのようにしばらく身を固くしていましたが、布姫が何も言わないのを見て綱吉公が答えを返します。


「見えるのならば信じぬわけにもいくまい。吉保、正武、異存はないな」

「ございません」


 そう返答するや揃って頭を下げる二人。ようやく返事を貰えた布姫は満足げに頷くと、膝行で与太郎の後ろまで下がり、顔を後ろに向けて厳かに呼び掛けました。


「時が巡って参りました。御出座し賜りたく存じ上げます」


 大広間下段之間の襖が音もなく開きました。現れたのは一人の女、それは布姫が連れて来た供の女に違いありませんでした。恵姫はその姿を見て、思わず声を漏らしました。


「まさか……」


 恵姫たちがまとっている装束は姫衆としての正装でしたが、老中の屋敷を訪ねた時の小袿こうちぎ姿に表衣をまとっただけの簡略化された装束でした。しかし、供の女は唐衣も裳もまとった十二単姿。そしてそれ以上に驚かされたのは、額を飾る挿頭かざし心葉こころばと、そこから垂れる白い日蔭のかづらです。心葉の金額には七つの真珠、そこから伸びた金の枝には銀細工の梅花が七つ埋め込まれています。それらが表すのは神器を与えた伊瀬の姫衆の数。このような挿頭を飾れるのは唯ひとりだけ、伊瀬の斎主しか居ないはずです。


「馬鹿な、何故斎主が……そのような知らせは受けておらぬ……」


 狼狽する吉保。それは恵姫とて同じでした。これまで斎主宮でしか会った事のなかった、触れる事すら叶わなかった斎主が、こうして目の前を歩いているのです。まるで夢を見ているような心持でした。そして改めて眺めると、やはりその顔はお福に似ているのです。


「そうか、だからどこかで会った気がしたんだよ」


 才姫がつぶやきます。斎主宮で謁見する時、斎主の姿は見えません。御帳台の帳が降りているからです。薄い帳から透けて見える装束、声、雰囲気、それだけがこれまで知っていた斎主なのでした。才姫は供の女に会った時、斎主宮に漂っていた雰囲気と同じものを感じ取ったのでしょう。


「ひ、控えおろう。上様の御前なるぞ」


 声を震わせながら吉保が叫びます。斎主は他の姫衆のように膝をつける事なく、立った姿勢で上段之間に近付いてくるからです。


「吉保様、お忘れですか。官位の上では斎主様の方が上なのでございますよ」


 布姫に言われて顔をしかめる吉保。武家を束ねる将軍も姫衆の頂点に立つ斎主も、結局は帝の家臣。綱吉公は正二位内大臣、斎主は正二位右大臣。官位は斎主の方が上なのです。


「公儀の皆様、初めまして。このような形で顔を合わせるのは大変心苦しく存じます。されど私たち姫衆の危機とあってはそうも申してはおられません。吉保殿、これ以上私たち姫衆を苦しめるのはおやめくださいませ」

「な、何の事を言っておるのだ。さっぱり分からぬ」


 知らぬふりをする吉保。当然の事ながら間渡矢襲撃の件に関して綱吉公は何も知りません。公儀隠密を動かしたのはあくまでも吉保の独断だったからです。だからと言って、ここで吉保の悪事を暴き、その罪を責め立てても意味はありません。何の証拠もないからです。

 結局、単なる脅し文句に過ぎないのですが、それでも吉保の動揺を誘えたのですから、機先を制するには十分な一言でした。斎主はにっこり笑うと話を進めます。


「公儀の皆様は布姫の言葉を信用していただけないようですね。確かに高野山箒星始末記のような書を、私たち姫衆は持っておりません。けれどもたとえ持っていたとしても、私たちの言葉を信用できないのなら、私たちの書もまた信用できないはず。そんな皆様がほうき星を見せられたからと言って、心底私たちを信用していただけますでしょうか」

「まずは見てからだ。とにかくほうき星が確かにあると得心せねば話にならぬ」


 傲慢な態度を改めようとはしない吉保。むしろ綱吉公の方が気兼ねしているかのように見えます。

 二人と同じく正武も平常心を失っていましたが、斎主と吉保の遣り取りを聞いているうちに、ようやく落ち着きを取り戻せたようです。


「伊瀬の斎主様、よくぞお越しくだされました。武家と姫衆が手を取り合ってこそ泰平の世は保たれるというもの。我らは姫衆に対して何の敵意も抱いてはおりません。しかしながら与太郎は公儀のまつりごとに対し、大いに役立つ者と判断致しております。江戸に留め置く事をお認めくださりたく思います」


 正武の丁寧な言葉遣いは礼を尽くそうという意図からではありません。あくまでも力関係を考慮しての低姿勢に過ぎないのです。ここに居る五人の姫衆と斎主、この六人が本気を出せば、城に居る番方全てを駆り出しても到底歯が立たないのは明らかです。となればこちらが取るべき最良の策は威圧ではなく懐柔。長い経験を積んできた正武らしい臨機応変な対応です。


「公儀の中にも正武様のようなお方が居られると分かっただけで、ここに来た甲斐がありました。けれども与太郎は公儀のためにこの時空に来たのではないのです。その者の使命はほうき星を消滅させる事。それは私たち姫衆のためだけでなく、武家の公家のこの世の全ての民のために、必ず果たさねばならない務め。与太郎を公儀にお渡しする事はできないのです。そしてこれまで江戸に置いていた禄姫、寿姫。この二名も伊瀬への帰還を認めていただきたく思います。ほうき星消滅の後は必ず江戸に戻しますゆえ」

「ちょ、調子に乗るでないぞ。与太郎だけでなく姫屋敷の二名まで……」

「心得た、斎主よ」


 怒りが収まらない吉保を制して、綱吉公が返事をしました。


「無論、そのためにはほうき星が如何なるものか、余を始めとするこの者たちにも見せてもらわねばならぬ。今、この場でそれができるのか」


 大きく頷く斎主。その笑顔には揺るぎない自信と決意が満ち溢れています。


「ご覧に入れましょう。三百年前この地を覆ったほうき星の禍々しい姿を」


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