表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
元禄・マジカル・プリンセス  作者: 沢田和早
第五十六話 ち はじめてこおる
278/361

地始凍その二 水と氷

「ふむ……しかし、その考えには無理があるのではないかな」


 またしても綱吉公の異議申し立てです。吉保は面倒になったのか何も言いません。自由に会話させておく事にしたようです。


「人の歴史は自然の歴史とは切っても切れぬ関係にある。地震、大風、洪水、それらが人の歴史に影響を及ぼさぬはずがない。自然と人の歴史が三百年ずれているとしたら、それだけで人の歴史は大きく変わるはず、そうではないか」

「はい、僕もそれは疑問に思ったんです。それで布様に色々と尋ねてみました。有名なところでは元寇ですよね。二回目の弘安の役で吹いた大風。それによって蒙古は大打撃を受けた。風が吹かなければ歴史も変わっていたかもしれない。それで布様に訊いたところ、この世では嵐はなかったけど、風を制する力を持つ姫が大いに活躍したと聞かされました。つまり僕らの世の歴史では自然が演じた役割を、この世の歴史では姫が演じていたのです。それで僕は考えたんです。自然と人の歴史のずれを修正するために、この世には姫が存在するんじゃないか、いや、むしろ姫が存在するから人の世の歴史はズレてしまい、だからこそ姫がそのズレを修正する役割を担っているんじゃないかなって。だって僕らの世の歴史の中には姫なんて存在は無いんですから」


 綱吉公も恵姫たちも不思議な感覚に襲われていました。この世における姫と自然と歴史の関係。それについて一番深く理解しているのは自分たちこの世の住人のはず。なのに今、別の世から来た何も知らないはずの者に、その関係を教えられているのです。

 それはちょうど顔に付いた泥を指摘されるようなものでした。自分の事なのに自分では見えない、他人だからこそ自分が見えている、この世の者ではないからこそ、この世の者には見えぬものが見えているのです。


「そのような事、ただの推測に過ぎぬではないか。何の証拠もない。そもそも世が一つではないなど到底信じられぬ。世は一つに決まっている」


 姫に関する話を聞かされた吉保は少し苛立っているようです。姫の話題が出るだけで不機嫌になるほどの姫嫌いとあっては、当然と言えるかもしれません。


「ん~、でも世が一つだとすると、説明がつかないんだよなあ」


 自信無さげにつぶやく与太郎。布姫との会話ではそこまで突っ込んだ話はしていなかったのです。

 与太郎の言葉が途切れてしまったのを見て、すぐさま布姫が前に出ました。


「世の複数存在について申し上げたき儀がございます。よろしいでしょうか」


 その儀は無用、と吉保が言い渡す間も与えず、綱吉公が即座に返答しました。


「その方は布姫か。構わぬ申してみよ」


 如何にも口惜しそうな吉保を尻目に布姫が話を始めます。


「最初に申しておきます。話の中には与太郎様の世で使われている言葉も出て参ります。その方がより正確に話せるからでございます。御承知おきくださいませ。さて、世、という言葉はあまり相応しくありませぬ。私たちを取り巻いているのは時間と空間。それゆえ時空と呼んだ方が相応しいのです。時空はひとつしか存在しないと何故言えましょう。時空は最初から存在し、未来永劫存在し続けると何故言えましょう」

「ならば時も広がりも無い、などという有様があると申すのか」

「あり得ましょうね。時間も空間も無い状態があっても不思議ではありません。それを馬鹿らしいと思うのは、私たち人が物体という現象に過ぎないからです。例えば今私たちの居るこの空間には大気があります。目には見えませんが風が吹けばそれを感じられましょう。この大気が無い空間というものが想像できますか、吉保様」

「大気ならば別に無くても不思議はなかろう」

「そうですね。大気の無い状態をわたしたちは想像できます。ところで音、という現象があります。音は大気、水、物を伝わってしか存在できません。それらに付随する現象に過ぎないからです。ですから音にとって大気や水や物が無い状態などは考えられないのです。それ無くして音は存在し得ないのですからね。私たち人もこれと同じです。人、つまり物体は空間と時間に付随するだけの現象。ですから音が大気の無い状態を考えられないように、私たち物体も空間や時間のない状態を思い浮かべる事ができないのです。そして時空がない状態から時空が一つある状態が生まれたのだとしたら、一つある状態から二つある状態、更に多くある状態が生まれたと考えて何の不都合がありましょうか」


 恵姫たちにとって、これは初めて聞く話でした。自然と人の歴史のずれについては、昨晩布姫と与太郎の話し合いの中で聞いていたのです。しかし布姫が今話し始めた内容は全くの初耳、しかもすぐには飲み込めない難解さを伴っています。


「よく分からぬな。布姫、要点だけ簡単に申せ」


 熱心に耳を傾けている綱吉公も恵姫たちと同じく理解できていないようです。それに気付いた布姫は表情を曇らせると、深々と頭を下げました。


「失礼致しました。時空が複数存在しても不思議ではない理由を申し上げたかっただけなのです。与太郎様の時代には、この世は大きな爆発によって始まったと考えられているようです。その時にはまだ時空は一つ、あるいは複数あっても区別の付かない状態だったように思われます。やがて世が進むにつれ、それぞれの時空には相が出来上がっていったのです」

「そう? 人相、手相などの相の事であるか?」

「はい。相とは状態の違いを表す言葉。例えば北国の湖を思い浮かべてください。さざ波を立てていた湖面は真冬になれば一面凍り付きます。水の相が氷の相に変わるのです。水も氷も本質は同じもの。しかし一方は液体で一方は固体、同じ物でも相が変われば状態は変わるのです。爆発によって始まったこの世、その中にあった時空はやがてそれぞれの相を持ち始めました。それはあたかも凍り始めた湖面のように、ある部分は水、ある部分は氷となって分かれていく様と同じです。それぞれの時空は本質的に同じでありながら、相の違いによって別々の状態を持つようになりました。与太郎様の時空が氷の相とすれば、私たちの時空は水の相。その差はほとんどないはずです。自然の中で起きた歴史はどちらも同じなのですから。ただ人の歴史に関する相、これだけが異なっているのです。そして相の差異が時の流れの差異となって表れているのです。水から氷に入った光は屈折します。氷の中の方が光は速く進むからです。これは裏を返せば氷中では水中より時間が速く進んでいるとも言えます。私たち水の相の時空より与太郎様の氷の相の時空のほうが人の歴史が速く進むのは、これと同じと考えてよいでしょう」

「……何故、そのような事が起きる」


 吉保が絞り出すように言いました。猜疑心に満ちた目が、そのような話は絶対に信じられないと無言のうちに語っています。


「何故異なる時空が出来てしまったのだ。それはいつから起きたのだ。この世が出来た時から相が違い始めたのなら、たかだか三百年如きの差異では済まぬはずであろう」

「はい。与太郎様の時空とこの時空の一番の違いは姫の存在。となれば、姫が力を持ち始めた時に相の分化が始まったものと思われます。それは始まりの姫と呼ばれる倭姫が伊瀬に内宮を鎮座された時、即ち今から二千年ほど前に二つの時空は袂を分かったのです。ちょうどこの頃、遠い異国の地においても己を神の子と自称する耶蘇やそなる者が現れております。私たち同様、自然に愛される力を持つ者たちが、この時空のあちこちに出現し始めたのでございましょう。そしてこの二千年の間に、二つの時空における人の歴史には三百年の差が生じてしまったのです」


 淀みなく答える布姫。その言葉には何の迷いもありません。与太郎はただ感心するばかりでした。自分が布姫に与えた三百年間の知識は断片的で微々たるものに過ぎませんでした。にもかかわらずこれだけ深く理解し、現在直面している問題に応用した布姫の才能は、まさに神のみが成し得る奇跡のように思えて仕方がなかったのです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ