霞始靆その四 お福検分
お福は座敷に入ると二人の前に座りました。黒姫が挨拶をします。
「初めまして、お福ちゃん。あたしは黒姫、めぐちゃんの従姉妹で庄屋の娘。年はめぐちゃんより二つ上。好きな物はお餅。よろしくね」
黒姫の言葉にお福は頭を下げました。それから頭を上げ、そしてそのままです。口を閉じ何も言いません。返事を貰えると思った黒姫の顔が少し陰りました。
「ああ、済まぬな、黒。お福は口が利けぬのじゃ」
「えっ、あっ、そうなのね。気が付かなくてごめんなさい。それから鼠ですけどね、あたしの鼠は特別なの。だから会えばお福ちゃんもすぐに気に入ってくれるかなあって思います」
お福は激しく首を横に振りました。相当な鼠嫌いのようです。黒姫はいかにも残念というような表情になりました。
「う~ん、慣れれば可愛いんですけどねえ」
あの怖い物知らずの恵姫も五器齧が大の苦手ですし、人にはそれぞれ得手不得手があるものです。
「うむ、お福の鼠嫌いはわらわも知らなんだ。これからは気を付けるとしよう。黒姫、お福の紹介はわらわがしよう。昨年の暮れに入ったばかりの女中見習いじゃ。わらわと同い年、その割に胸や尻はわらわよりでかい」
「ぷっ、お福ちゃんが大きいと言うより、めぐちゃんが小さい……」
「黒、余計な事は言わんでいい。それから、ここが重要な点なのじゃが、お福の母はわらわや黒の母と同じく、昔、巫女をしておったそうなのじゃ」
「巫女……」
以前、磯島から聞かされた時の恵姫と同じように、黒姫もまたその事実に驚きを隠せませんでした。お福を見る目が明らかに変わりました。親愛だけだった瞳の中に、ある種の畏敬が混ざり始めたのです。
「じゃあ、お福ちゃんも力を?」
「それを見てもらいたくてな、わざわざお福を呼んだのじゃ」
恵姫は立ち上がって障子を開けました。雲が広がって青空は見えません。中庭の立木も、松や楠以外は葉を落とした寂しい姿です。
「お福、そなたは先日、梅林で鶯を呼びよせた。あの業を見た時、わらわは黒に会ってみるがよいと言った。覚えておろう」
お福はこくりと頷きました。
「わらわがそう言ったのは、そなたの業が力に寄るものなのか、否なのか、黒に見てもらいたいと思うたからじゃ。その時が今やってきた。済まぬが、ここでもう一度見せてくれぬか。梅林で見せたそなたの業を」
お福にとってはいきなりの恵姫からの申し出でした。一瞬戸惑いの表情が顔に現れました。が、座敷に呼ばれた理由が分かって安心したのか、緊張していたお福の表情から、少し硬さが取れたようでした。
「どうじゃ、お福」
再度の恵姫の要請。お福は頷くと縁側に出ました。そしてあの日と同じように両手を掲げると、澄んだ声を出しました。
「チッ、チッ、チッ」
縁側に一羽の雀が舞い降りてきました。ちゅんちゅん鳴きながらピョンピョン飛び跳ねています。お福は目を細めて可愛らしい仕草を眺めました。
「どうじゃ、黒」
恵姫に尋ねられても黒姫はすぐには答えませんでした。やがて雀は羽ばたいて空に舞うと、中庭の木に止まり、また飛び上り、屋敷の塀の向こうへ消えて行きました。
「う~ん……これは、力とは言えないかなあ」
黒姫の言葉には迷いがありました。確信は持てないがそう考えざるを得ないという感じです。
「ほら、鳥寄せってあるでしょう。餌や笛で鳥をおびき寄せること。あれを声でやっているだけみたいに見えて……」
「うむ、確かにそうじゃな」
その点は恵姫も同感でした。力を持たぬ者でも少しの訓練があれば出来そうな業です。
「やはり、わらわの考え過ぎか」
「ねえ、お福ちゃん、お福ちゃんはどう思っているの。自分には力があると思う?」
黒姫はお福の顔に自分の顔を近付けると、じっと見詰めました。お福は困ったように首を傾げるばかりです。お福自身ですら分かっていない様子でした。
「どうやら結論は出たようじゃ。手間を掛けたな黒。これでわらわもすっきりした」
「本当にそうなの、めぐちゃん」
今度は恵姫を見詰める黒姫。疑い深い眼差しで自分を見る黒姫に、恵姫は訊き返しました。
「本当に、とはどういう意味じゃ」
「めぐちゃんも感じているはず。お福ちゃんにはあたしたちと同じ、力のある者だけが持つ独特の雰囲気があるってこと」
「じゃが、お福は力を持っておらぬ。今、そなたがそう申したではないか」
「力は持っているけど、それの使い方が分からないってだけかもしれないよ。鳥を寄せるのは力の別の面を見ているだけかもしれないよ。その為に本当の力に気付けていないだけかもしれないよ」
「別の面か……」
恵姫も黒姫も、改めてお福を見ました。考えてみればお福の素性を二人はほとんど知らないのです。これまでお福がどんな環境で、どんな人々に囲まれ、どのようにここまで大きくなったのか。何故声は出るのに言葉は喋れないのか。何も知らないのでした。
「無用な詮議はやめるとするか」
恵姫はお福の両手を両手で握りしめました。
「お福に力があろうとなかろうと、そんな事はどうでもよいのじゃ。お福はお福、それだけでよい、それ以上は知る必要のないことじゃ。お福、役人の吟味のような真似をして悪かったのう。お詫びに黒が愉快な動物を呼んで、そなたを喜ばせてくれるそうじゃ」
「ちょっと、めぐちゃん、何を勝手な事を言っているのよ」
いきなり話を振られて、温厚な黒姫も少々ご立腹です。
「よいではないか。お福のように黒も鳥を呼んでみよ」
「あたしは鳥は呼べません。忘れたの? あたしが力を及ぼせるのは母が子に乳を与えて育てる生き物だけですよ」
「おや、そうであったか。では、鯨を呼んでみせてくれ」
「それ、何年も前に、あたしたちが七五三で顔を会わせた時にも言っていましたよね、めぐちゃん。こんな山の上で、そんな遠くに居て、そんな大きなものを呼ぼうとしたら、あたし力を使い果たして、下手すると死んじゃうかもって答えたら、『まあ、死んでもよいではないか。一度、鯨の丸齧りををやってみたいのじゃ』とか言われて、その後、一月くらいはめぐちゃんとは絶交状態になっちゃったでしょ。もう忘れたの」
「うむ、忘れたのう」
と答えた恵姫でしたが、本当は思い出していました。
『わらわも幼い時はひどい性格であったのう。それに比べれば今は随分と大人になったものじゃ。我ながら成長したわい』
心の中で反省しているのかしていないのか、よく分からない恵姫でありました。
「もう、めぐちゃんの我儘は小さい時から全然変わらないのね」
恵姫の無茶振りに腹を立てる黒姫でしたが、さりとて本気になって憎めないのが恵姫の不思議な魅力です。加えて、お福を喜ばせてあげたいという気持ちも少なからずありました。鼠は嫌いでも、生き物好きであることは間違いなさそうです。
「仕方ない、やってみますか。次郎吉以外の動物がこの辺りに居るといいけど」
黒姫は帯に手を入れると、再び小槌を指に挟んで取り出しました。それをゆっくりと持ちあげていきます。先を天に向けて浮き上がる黒髪一本一本。先端の白い発光。先ほどと同じ光景です。恵姫もお福も一体どのような動物が現れるのかと、心躍らせながら黒姫を見詰めていました。




