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元禄・マジカル・プリンセス  作者: 沢田和早
第四十一話 てんち はじめてさむし
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天地始粛その二 回し車扇風機

 磯島の独り言など無視して中庭を走り抜けた恵姫。表御殿の玄関に入ろうとしたその瞬間、誰かが玄関から出て来たのに気付きました。


「わわっ、危ない。ぶつかるところであったぞ」


 かろうじて衝突を免れ大声を上げた恵姫、出て来た相手を見て更に大声を上げました。鷹之丞だったのです。


「遅い! 何をしておったのじゃ。朝一番に来いと言い付けたであろう。見よ、お主がなかなか来ぬせいで、こんな所まで出張って来る羽目になってしまったではないか」

「こ、これは申し訳ありませぬ。実は土鳩の具合が悪くなりまして、特別に餌を調合し、与え、様子を見ていたのです」

「土鳩じゃと。扇風機より土鳩の方が大事だと申すのか」

「それは言うまでもありません。土鳩はご家老様のご命令。扇風機は恵姫様のご命令。ご家老様のご命令を優先するのは当然です」

「むぐぐ……」


 与太郎に似て腑抜けな若者だと思っていたのに、どうやら口だけは達者なようです。それに遅れはしたものの、これで今日のお稽古事も怠けられそうな目途が付いたのですから、言い合いをする必要はありません。


「もうよいわい。で、それが新型改良型自動回転式扇風機なる物なのじゃな」


 鷹之丞は両手に大きな風呂敷包みを抱えています。恵姫はまじまじとその包みを眺めました。


「はい。亀之助と力を合わせ、ようやく完成致しました」

「思ったより小さいのう。これで本当に人の手を借りずに風を起こせるのか」

「はい。まだ試してはおりませぬが、恐らく大丈夫かと思われます」


 鷹之丞の言葉には自信が溢れています。こうなっては早く実物を見たい恵姫。鷹之丞と二人で奥御殿の縁側に戻って来ました。


「おや、人影とは鷹之丞殿でしたか。何か御用ですか」


 今日からお稽古事を始める気満々の磯島。胡散臭そうに鷹之丞を眺めています。


「おう、磯島。実はな鷹之丞が新型の扇風機を作ってきおったのじゃ。驚くなかれ、人の手を借りず、自らの力で風を起こす扇風機であるぞ」

「なんと、自らの力で風を……」


 ほんのちょっとだけ磯島の好奇心がくすぐられたようでした。縁側に座ると、これまた胡散臭そうな目で鷹之丞が抱えた包みを眺めています。


「そのような扇風機があるとは信じられません。恵姫様を謀っているのではありませんか」

「とんでもございません。ただ、黒姫様のお力添えが必要になるかとは思います」

「黒の? 先ほどはそんな事は申しておらなんだが……言葉の説明はもうよい。さっさと中身を見せよ、鷹之丞」

「はは、只今!」


 恵姫に言われて包みを縁側に置き、結び目を解く鷹之丞。現れた扇風機はこれまでの物とほとんど変わりません。二本の支柱に一本の軸。その端に取り付けられた三本の捩じり羽根。ただし軸の反対側に付いているはずの取っ手はありません。代わりに糸車に似た輪が二本取り付けられています。


「これが新しい工夫とな。取っ手を紡ぎ車に交換しただけに見えるが……」


 首を傾げる恵姫。相変わらず胡散臭そうな目をしている磯島。二人を前にして鷹之丞が得意げに説明します。


「人の力でなければ何の力で風を起こすか、拙者と亀之助はあれこれ考え続けました。最初に思いついたのは水です。が、水は屋敷の中では扱いにくく仕掛けも大がかりになります。次に思い付いたのは砂、これも水同様きちんと密閉されねば周囲が砂だらけになります。更に思い付いたのは風。が、風で風を起こすなど意味がありません。そこで最後に考え付いたのが、鼠です」

「ね、鼠じゃと!」


 これには恵姫のみならず磯島も驚いたようでした。胡散臭そうな目に若干期待の色が混じり始めました。


「はい。ご覧の通り、糸車から思い付きました工夫でございます。この回し車の内側に鼠を一匹入れまして勢いよく走らせるのです。さすれば回転は軸を通して捩じり羽根に伝わり風が起きるという仕掛けです」


 人の力を借りるのでなければ他の生き物の力を借りる、実に単純な発想です。恵姫は拳で手の平を叩きました。


「なるほど! 見事な工夫であるぞ、鷹之丞」

「そうでしょうか。鼠が素直に回してくれるとは思えませんが」


 磯島はまた胡散臭そうな目に戻っています。慌てて取り成す鷹之丞。


「それは拙者たちがもっとも懸念する点でございます。ですからまずは黒姫様の力をお借りしたいのです」

「黒……そうか、次郎吉か」


 先ほどの鷹之丞の言葉の意味がようやく分かりました。次郎吉ならば黒姫の意のままに扱えます。回し車の内側で走り続けるくらいの事は、雑作もなくやってのけてくれるでしょう。


「はい。次郎吉殿は餅が大好物と聞き及んでおります。できましたら手土産に餅など持参して庄屋様の屋敷に伺い、是非とも黒姫様の協力の元、この自動式扇風機を試してみたいと思っております」

「よし、分かった。ではさっそく庄屋の屋敷へ参るとしようぞ」


 言うが早いか踏み石の草履を履いて中庭に下りようとする恵姫。その腕を磯島が素早く掴みました。


「何をするのじゃ、磯島。鷹之丞の言葉を聞いておらなんだのか。これから庄屋の屋敷へ行くのじゃぞ」

「それはお稽古事が済んでからにしてくださいませ」


 今日の磯島は昨日までの磯島とは違います。先ほど心を鬼にして今日からお稽古事を始めると決めたのです。一度鬼の心になってしまえば、そう簡単には仏の心には戻りません。


「いやいや、稽古が済んでからでは昼になってしまう。昼寝をせねばならぬし、夕釣りにも行かねばならぬ。庄屋の屋敷に行くのは今しかないのじゃ」

「昼寝はやめて夜にまとめて寝てください。それから夕釣りですが、本日は二百十日。船乗りにとっての凶日ゆえ、漁師も海女も海には出ぬ事になっております。姫様も例年釣りはなさらぬはず、お忘れですか」

「んっ、ああ、そうであったな。忘れてなどおらぬぞ。夕釣りのために浜に置いてある釣り道具が無事かどうか、確かめに行かねばならぬと言いたかったのじゃ」


 と言い訳した恵姫ですが、本当は忘れていました。お稽古事を怠けたいがために口から出た昼寝であり、夕釣りだったのです。そしてそれらは完全に磯島に否定されてしまいました。


『くっ、このままでは庄屋の屋敷は昼から行く事にされてしまい、お稽古事が始まってしまうではないか。鷹之丞、遅れて来たお主が悪いのじゃ。何とかせよ』


 持てる眼力を両目に集中させて鷹之丞を睨み付ける恵姫。その無言の圧力を感じ取った鷹之丞、小さく頷くとこんな事を言い出しました。


「磯島様、拙者昨日黒姫様に本日の御都合をお伺い致したところ、昼までに参上せよと申し付けられました」

「昼までに? 何故です?」

「はい、本日は二百十日、強風で稲が倒れる恐れがあるため、昼から田を見回りたいと仰っておられました。ゆえに、庄屋様の屋敷へ伺うのは朝のうちがよろしいかと存じます」

「そうですか……分かりました。黒姫様の都合とあれば仕方ありませんね。では本日もお稽古事はお休みに致しましょう」


『おお、よくやった、鷹之丞!』


 心の中で歓喜する恵姫。勿論そんな様子は微塵も見せません。


「うむ、済まぬな。磯島。わらわもお稽古事が休みとなって至極残念であるが、鷹之丞が苦心惨憺して作り上げた新型扇風機、さっそく試してやらねば不憫であるからのう。こらえてくれ、磯島」


 何を白々しい事をと思いつつ、磯島自身も新型扇風機には興味がありました。回し車の中で鼠を走らせて風を起こす仕掛け……ほとんど見世物です。城下の広場で披露すれば黒山の人だかりができるかもしれません。


「うまくいくと良いですね。それでは失礼致します」


 磯島は立ち上がると座敷に戻り、持参した針仕事用具を持って出て行きました。思い通りにお稽古事は休みとなり、庄屋の屋敷へ遊びに行く口実もでき、すっかり満足顔の恵姫ではありました。


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