綿柎開その五 お祝い
綿と言われれば、かつては蚕の繭から作られた綿を意味していました。足利の世になって植物としての綿の生産が盛んになると、これまで綿と呼んでいたものは真綿と呼ばれ、植物から取れる綿は木綿と呼ばれるようになったのです。
恵姫たち三人が摘んでいるのは言うまでもなく木綿の方の綿。庄屋は以前蚕も飼っていたのですが、手間が掛かりすぎるので止めてしまい、今は木綿だけを栽培しているのです。
「これは何度やっても面白いのう。触れるだけでポロリと落ちて来るわい」
実利を求めて栽培している訳ではないので、植えられている綿の木もさして多くありません。しかも綿を吹いている実はまだ少ないので、摘む量にも限りがあります。ホイホイ摘んでいく恵姫を渋い顔で眺める黒姫。
「めぐちゃ~ん、あんまり摘んじゃ駄目だよ~。お福ちゃんの摘む分がなくなっちゃうからねえ~」
やんわりと注意が与えられました。寝た切りだったお福の体を慣らすためにやっているのですから当然の小言です。
黒姫に綿摘みを咎められた恵姫は、手を止めると文句を言い始めました。
「植えてある木が少ないのじゃ。このように屋敷の片隅に植えず、麦のように綿畑にすればよいではないか。木綿は結構な銭になるそ。江戸で呉服を商いしておる越後屋も元は伊瀬の商人。木綿を大量に仕入れ反物にして江戸で売りさばいておるのじゃ。種からは油も取れるし、搾りかすは牛の餌、枯れた綿の木は焚き付けに使える。実に有能な作物ではないか」
「う~ん、めぐちゃんの言う通りなんだけどねえ……」
黒姫はお福の摘んだ綿を籠に入れながら、少し沈んだ声で言いました。
「やっぱり食べられる物を作りたいんだよね。ほら、志麻の国って大昔は海の物を献上する御食国だったでしょ。だから今でも漁をする人は多くて、お米を作っている人は少ない。志麻で作っているお米だけじゃ足りなくて、魚を担いで伊瀬の国へ行って、銭に替えたり直接お米と交換して帰って来る。あたしは志麻の人たち皆が志麻のお米を食べられるようになるくらい、沢山のお米を作りたいんだよ」
如何にもお米大好きな黒姫の言葉です。そしてこの希望はまた領主である比寿家の願望でもあったのです。だからこそ新田開発という大きな賭けに乗り出そうとしているのですから。
「それに飢饉になった時、沢山の木綿があってもどうにもならない。沢山の銭があっても買える食べ物がなくちゃどうにもならない、そうでしょ。だから木綿や紅花や蚕みたいな食べられない物は、屋敷の片隅で育てるだけで十分だと思ってるんだ」
「うむ。それでこそわらわの従姉妹。見事なまでの食い意地じゃ」
食い意地ではなく、あくまでも領民の生活を考えての黒姫の意見なのですが、恵姫には伝わらなかったようです。
やがて吹いている綿はほとんど取り終えてしまいました。けれども半分以上の綿の木にはまだ実が付いています。
「七月の綿摘みはちょっと早かったねえ。お福ちゃん、良かったらまた手伝いに来てくれない?」
返事の代わりににこやかに笑うお福。血色の良い肌を見ると、病人だった頃の面影は少しもありません。完全に回復したと考えてよいでしょう。
今日は雨が降り出しそうな空模様なので、摘んだ綿の実を干す作業は後日に回す事にしました。井戸で汗を流しながら西の空を見れば、垂れ込めた雲が橙色に染まり始めています。
「ふむ、日が暮れる前に帰るとするか。黒、今日は楽しかったぞ。お福、山道を登るだけの元気は残っておるか」
頷くお福。しかしここで黒姫が思い掛けない事を言い出しました。
「まだ帰っちゃ駄目だよ。夕ご飯を家で食べて行ってもらうんだから」
「夕飯を? それは嬉しいが磯島には何も言っておらぬぞ。今頃城でわらわの飯の支度をしておろう」
「ううん、磯島様は御存じですよ。夕ご飯を食べる事も、今日はここに泊まっていく事も」
「な、何を言っておるのじゃ、黒……」
突然の黒姫の言葉に戸惑う恵姫。それ以上何も答えようとしない黒姫。お福と顔を見合わせても首を傾げるばかり。お福も事情が飲み込めていないようです。
「さあさあ二人ともお座敷へ行って。そこで待っていてね」
黒姫に背中を押されて玄関に向かい、座敷に入れば才姫と毘沙姫が寝転んでいます。
「あーら、お帰り。綿摘みはどうだったい?」
起き上がってそう言った才姫からは酒の匂いがします。
「ああ、無事全て摘み終わったわい。しかし明るいうちから酒を呑むとは、一体ここへ何をしに来たのじゃ」
「ふふ、いいじゃないかい、酒くらい。山に籠もっている時は正月くらいしか呑めなかったんだからね。久しぶりにいい酒を飲ませてもらったよ」
「おう、恵、お福。終わったか。なら、そろそろ始めるか」
毘沙姫もよく分からない事を言っています。返事を出来ずにいるとそのまま座敷を出て行きました。
「何がどうなっておるのかさっぱり分からぬ。これから何を始めるつもりなのじゃ」
急に中庭から賑やかな声が聞こえてきました。縁側に出た恵姫は思わず驚きの声を上げます。
「こ、これは何事じゃ。そなたたち、何故ここへ」
庭を歩いて屋敷に近付いて来るのは厳左、雁四郎。そして鷹之丞に亀之助まで居ます。口を開けて茫然と立ち尽くす恵姫を見て、厳左が愉快そうに笑いました。
「ははは、恵姫様。何を狐に化かされたような顔をしている」
同時に座敷には毘沙姫、庄屋、女中が入って来ました。手には膳を持っています。
「さあさあ、御馳走だ。恵、今宵は食うぞ、呑むぞ」
女中が膳を並べていきます。厳左たちも座敷に入り膳の前に座ります。恵姫はもう何が起こっているのかさっぱり分かりません。
「ふふふ、そろそろ教えてあげようか、めぐちゃん」
悪戯っぽく笑う黒姫。驚いて何も言えない恵姫がコクコクと頷くと、黒姫は大威張りで言いました。
「今日はお福ちゃんの快気祝いなので~す。めぐちゃん、いつまでもまだ病は治らないとか言って、お福ちゃんを独り占めしていたでしょ。だから磯島さんや厳左さんと相談して、今日、強引にお福ちゃんを連れ出して、お祝いをする事にしたのです!」
「なんと、お福を祝うための策略であったのか」
驚きつつもようやく合点がいった恵姫。しかし一番驚いていたのはお福自身です。余程感激したのでしょう、両手で顔を覆い、体を小刻みに震わせています。その様子を見て厳左が優しい声で言いました。
「お福、これは何も快気の祝いだけではないのだ。我らは日頃からそなたに感謝しておる。恵姫様のお相手、いつも大変であろう。この機会に礼を言うぞ」
「お福さま、左義長の折の乾神社への随行。伊瀬の旅での雀の知らせ、梅集め、蔵の整理。これまでお福様に助けていただいた事柄は数え上げればキリがありません。雁四郎も礼を申し上げます」
「それならばこの鷹之丞とて同じ事。土鳩の件では飛入助まで呼び出していただきました。お力添え、まことに感謝いたしておりまする」
「え~、そのう、奥御殿を覗いていた件につきましては、この亀之助、心より反省致しております。お詫びに与太郎殿ご考案の扇風機に改良を加えました新型扇風機を作って参りました。お納めください」
「亀ちゃん、覗きはほどほどにするんだよ。お福ちゃん、あたしからもお礼を言わせて。水口祭り、お田植え神事、お菓子作りの手伝い。お福ちゃんが居てくれたおかげで、あたしは本当に大助かりだったよ。これからも手を貸してくれると嬉しいな」
口々にお福に向けられる賞賛と感謝の言葉。お福は嬉しさと恥ずかしさが入り混じったような顔をしてそれを聞いています。
「お福がこれほど皆から愛されておるとはのう。まだ半年しか間渡矢に居らぬと言うのに……不思議なおなごじゃ」
「その愛らしい娘を、お稽古事を怠けるために座敷に閉じ込めていたのだ。少しは反省するのだな、恵」
「ありゃ、気付いていたのか、毘沙」
「当たり前だ。磯島でなくてもそれくらい分かる。だからおまえには何も言わずに城から連れ出したのだ」
毘沙姫は軽く恵姫の頭を小突きました。肩をすくめて舌を出す恵姫。お福は皆に勧められて膳の前に座り、並んだ料理を眺めています。まるで綿が弾けたような幸せそうな笑顔。さすがの恵姫も自分の犯した愚行に胸がチクリと痛みました。
『もっと早くに座敷から出してやるべきであったのう。許せよ、お福』
と、一応心の中でお福に詫びはしたものの、
「さあ、食おうではないか。今宵はお福のために大いに食い散らかそうぞ!」
すぐさま膳の前に座り、箸で料理をつつき始める恵姫なのでありました。




