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元禄・マジカル・プリンセス  作者: 沢田和早
第三十九話 ふかききり まとう
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蒙霧升降その六 最期の言葉

 与太郎には今の才姫の気持ちがなんとなく分かる気がしました。大学受験を失敗した時、浪人が決定した時、自分はふうちゃんに相応しくない人間だと思った時期があったからです。しかしこの時代に来て恵姫たちに励まされているうちに、もう一度頑張ろうという気持ちが芽生え始めていました。失敗をしてしまった才姫も自分と同じなんだ、そう思った与太郎は躊躇ためらいながら才姫に話し掛けました。


「あの、その、才様。虫を殺せば治る病気は確かに多いですけど、そればかりじゃないと思うんですよ」

「聞いてなかったのかい。恵の母の病は虫が原因だったんだよ。何度も治してきたんだ、間違いない」

「えっと、もう今となってはどんな病気か分からないですけど、それが毒を出す虫だったとすればどうでしょう。虫を殺した後も毒は残るでしょう。才様の力では毒までは消せない、だから虫は居なくなっても残った毒によって体は弱っていったと考えられるじゃないですか」

「虫の出す、毒……」


 才姫は驚きました。これまで考えもしなかった事柄だったからです。


「才様は十分に力を尽くしました。皆、それは分かっています。親しい人を奪われたんですから、めぐ様にも悔しい気持ちはあったでしょう。でも毎日不眠不休で頑張ってくれた才様には感謝しているはずです。だからこそ文を書いて謝ったんです。人には滅多に謝らないめぐ様が謝ったんですよ。この気持ちを分かってあげてくれませんか。才様はめぐ様の母親に死なれて悲しかったんでしょう。今、こうしている間にも同じ悲しみを味わう人たちが沢山生まれているんですよ」


 自分の想いを込めて話し続ける与太郎。その姿に恵姫の心も動かされたようです。頭を上げて才姫を見詰めると、固く閉ざしていた口を開けました。


「与太郎の言う通りじゃ。才、医術の業を捨てんでくれ。そなたの力を必要としている者は大勢居る。わらわやそなたの味わった辛さ、少しでも減らしてやろうぞ。わらわからも頼む。お願いじゃ、才」

「お願い……」


 与太郎の言葉、恵姫の言葉。才姫の表情に少し変化が表れました。かつて間渡矢で病人を診ていた時のような優しさが、ほんの少し蘇ってきたのです。


「虫の毒か。考えもしなかったよ。三百年の後の世から来ただけの事はある。あんたたちの医術はそこまで進んでいるのかい。そうか、あたしにも治せない病だったんだねえ。だけど、どうしてあたしみたいな女に最後の命をくれたんだろうね。そんな事をせずに少しでも長く生きていれば、恵や毘沙にも最期を看取ってもらえただろうに……」


 それは与太郎にも見当が付きませんでした。恵姫の母に一度も会った事がないのです。二人の間にどれほどの信頼関係があったのか、推測すらできません。しばらくの沈黙の後、毘沙姫が口を開きました。


「恵の母については分からぬ事が多い。分からぬまま逝ってしまったからな。布の話では、恵の母が持つ姫の力は死が避けられぬ時になって初めて発動するようなものだったそうだ。もはや助からぬと覚悟を決め、これまでの感謝の代わりに己の命を与えたのではないか」

「それならあたしでなく恵に与えれば良かったんじゃないか。近くに居ないと与えられないようなものなのかい」

「いや、たとえ恵に与えられたとしても才に与えたかったのだと思う。母は必ず子を想う。子を想うからこそおまえに与えたのだ。才、恵の母の臨終の時はどんな様子だった。何か言っていなかったか」

「そんな昔の事、とっくに忘れちまったよ」

「そのような事を言わず思い出してくれ。わらわからも頼む、お願いじゃ、才」

「お願い……」


 才姫の表情がまた変わりました。その目は恵姫に向けられているのですが、同時にどこか遠くを見ているようでもあります。何年も前、これまでの人生で一番悲しかった、一番辛かったあの瞬間を……


「ふっ、そうかい」


 才姫は口元に笑みを浮かべると恵姫に近寄り、その頬を両手挟んで持ち上げました。


「大きくなったねえ、恵。泣きながらあたしに食って掛かって来た時はまだほんの幼子だったのに、いつの間にか娘らしくなったんだねえ。日に焼けて黒い肌、ぼさぼさで艶のない髪、あんたの母親とは似ても似つかない不器量な娘だよ。でもこの瞳、強い意志と優しさを持ったこの瞳だけはあんたの母親にそっくりだ。そう、あの時もこんな瞳をしてあたしに言ったんだ」


 才姫は思い出していました。恵姫の母が今際いまわきわに最後の力を振り絞って言った言葉。それは声にはならず口を動かしただけだったので、何を言いたかったのか才姫には分からなかったのです。そしてずっと分からないまま、今に至っていたのでした。

 けれども今、母の面影を宿した恵姫に会い、その口の動きを見て、ようやく恵姫の母の臨終の言葉が分かったのです。


「あんたはあたしにこう言いたかったんだねえ……恵をお願いします、って」


 才姫の脳裏に、最後に自分に向けられた恵姫の母の姿が蘇りました。自分の娘を才姫に託して恵姫の母は逝ったのです。そのために残った命を自ら与えたのです。才姫はようやくその事に気付いたのでした。


「大変なお馬鹿さんだよ、あたしは。一番の恩人の最後の願いが、今になってようやく分かったんだからね」


 才姫は恵姫から両手を離すと立ち上がりました。


「毘沙、間渡矢へ帰るよ。あんたたち歩いて来たのかい」


 それは三人が待ち焦がれていた一言でした。小屋の中は一遍に明るい雰囲気に包まれました。


「歩いてではない、走って来たのだ。案ずるな。私がお前を背負って走る。昼飯前には余裕で着く」

「やった~! 良かったね、めぐ様」


 笑顔の毘沙姫と与太郎。しかし恵姫はまだ浮かぬ顔をしています。


「感謝するぞ、才よ。して、わらわはそなたにどんな見返りを与えれば良いのじゃ」


 顔を強張らせてそう尋ねる恵姫に、才姫は苦笑いしながら言いました。


「何を言っているんだい。あんたの母親には一生かかっても返せないほどの恩を貰っているんだ。何も要らないよ。ああ、家来の与太郎は貰っておくよ。何かと使えそうだからね」

「才……ありがとう。心より礼を言う。与太郎は好きなようにこき使ってくれ」


 長く続いた二人の不和もようやく解消されたようです。才姫は身の回りの物をまとめると小屋の外に出ました。置きっ放しになっている背負子を見て呆れ顔です。


「こんな物に乗ってやって来たのかい。相変わらずの馬鹿力だね、毘沙は」

「結構乗り心地がいいのだぞ。さあ、二人とも腰掛けて荒縄で体を括り付けろ。準備ができたら背負ってやる」

「あ、あのう、僕はどうすればいいのですか」


 すっかり蚊帳の外に置かれていた与太郎が遠慮がちに尋ねました。


「ああ、済まんな。これは二人までしか乗れぬ。与太郎は走って帰って来い」

「えー!四里って十六キロでしょ。そ、そんなに歩いていたらお昼までに帰れないよ」

「ならばここに居るのじゃな。ほうき星が沈めば嫌でも元の世に戻るのじゃ。無理に間渡矢に帰って来ずともよいぞ」


 相も変らぬ冷酷な恵姫です。そうこうしている内に準備が整い、毘沙姫が背負子を背負いました。


「さて、飛ばすぞ。早く帰ってお福を治してやらねばな」

「ち、ちょっと、今回の一番の功労者は僕でしょ。それなのにこんな仕打ちって酷すぎるよ。十六キロも歩けないよ。お腹減っちゃうよ。喉も渇いちゃうよ」

「ちょいと、与太郎。家来が文句を垂れるんじゃないよ。お茶は好きなだけ飲んでいいよ。それと戸棚に蕎麦粉があるから腹が減ったら舐めな。歩くのが嫌ならほうき星が沈むまでここに居るんだね。ああ、そうそう小屋の戸締りはきちんとしていっておくれ。しばらくここには戻らないからね」


 才姫もまた恵姫と甲乙付け難い冷酷さのようです。思わず涙目になる与太郎。


「あのう、毘沙様、僕を抱っこして走るというのはどうでしょう。毘沙様の力ならそれくらい……」

「与太郎、達者でな。行くぞ!」


 与太郎の言葉を無視して走り出す毘沙姫。大声で喚きたてる与太郎の声はすぐに聞こえなくなりました。


「間渡矢、久しぶりだねえ。随分変わったんじゃないのかい」

「いや、さして変わってはおらぬ。厳左も磯島も元気じゃ。今は盆休みゆえ大婆婆様が来ておるぞ」

「あの婆さん、まだ生きてるのかい。呆れたねえ。江戸のろく寿ことぶきに負けないしぶとさだね」


 恵姫と才姫は仲良く背負子に揺られています。揺れるたびに触れる才姫の肩や腕。まるで亡き母と隣り合って座っているような温もりを感じる恵姫ではありました。


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