寒蝉鳴その三 お福の力
お福の世話はひとまず磯島に任せて、三人は元の座敷に戻りました。まだ精霊馬作りが途中です。再び作り始めましたが、まったく身が入りません。
「此度の事、磯島だけを責められぬ。わらわたちとて同罪じゃ、そうであろう毘沙よ」
「ああ。お福の具合が悪い事は我らも知っていたのだからな」
与太郎と共に海へ泳ぎに行った翌日からお福の様子が変わった、七夕の節供の日に磯島はそう話していました。その言葉の通りならお福は半月近くも自分の病気を隠してお役目をこなしていた事になります。そして磯島も恵姫たちもそれを知っていながら、お福に対して何もしてこなかったのでした。
「でも、それは仕方ないと思うよ。お福ちゃん、辛抱強い子だからねえ。ほら、伊瀬に旅した時もそうだったでしょ」
今年の三月、斎主宮からの呼び出しに応じて四人で伊瀬へ向かった時、峠道にさしかかったお福は最後まで弱音を吐かずに付いてきました。最終的には雁四郎が手を貸し、黒姫が熊を召喚して事なきを得たのですが、もし雁四郎も黒姫も居なければ、倒れるまで歩き続けたに違いありません。
「我慢強さと意志の強さはお福の美徳であるが、今回はそれが裏目に出てしまったのう。やはりわらわたちがもっと気遣ってやるべきじゃった」
ため息をつく恵姫。他の二人も口を閉ざします。まだ昼前だと言うのに、精霊馬を作る座敷はまるでお通夜のように暗くなってしまいました。
「なあ、恵。ひとつ気になっている事がある。お福の変調は海へ行った翌日から始まった、磯島はそう話していたのだろう」
「そうじゃ」
「海へ行った日、お福は髷を解き姫の力を使った。病と無関係とは思えぬのだ」
毘沙姫の言葉に恵姫と黒姫は手を止めました。過大な姫の力はそれを使った身体に大きな負担を与えます。昔、黒姫が恵姫に請われて海豚を呼んだ時、そして島羽で恵姫が竜巻を起こして船を破壊した時、どちらも翌日二人は高熱を出して寝込んだのです。
「姫の力か。関係ないとは言えぬが、あの時お福が使った力はさほど大きくはなかったじゃろう。飛入助に西瓜を持ち上げさせただけ、その程度で体に影響が出るじゃろうか」
「使い方が分からぬのかもしれぬ。髪が発光するほどの力を使ったのは、恐らく初めてだったはずだ。しかもお福自身、姫の力を使った事に気付いていない。自覚がないまま姫の力が発動したという可能性もある」
「あっ、もしかしたらそうなのかも……」
黒姫が何か思い出したように言いました。毘沙姫と恵姫の視線が黒姫に向けられます。
「西瓜割りの時、めぐちゃんたちは海側に居てお福ちゃんの背中しか見ていなかったでしょう。あたしはお福ちゃんの前に居たから、表情や仕草がよく見えたんだよ。それでね、飛入助が西瓜を持ち上げた時、お福ちゃんの口が動いたんだ」
「お福が声を発した、そう言いたいのか、黒」
「ううん。何も聞こえなかったから、多分、声は出していない。でも言葉は出している。それも一言じゃなくお喋りするみたいにとても長い言葉を」
黒姫の話を聞いて考え込む毘沙姫。姫の力についてこの三人の中で一番詳しいのは毘沙姫です。黒姫も恵姫も黙って毘沙姫の言葉を待ちます。
「やはり姫の力はお福の意志とは関係なく働いてしまったのだろうな。姫の力はひとつの言葉、ひとつの音に付随して発動する。長い言葉ならばそれだけで使う力も大きくなる。ゆえに短い言葉に力を溜めて発するのがもっとも効率が良い。お福はそれを知らなかったのだろう。我らなら小さな業には小さな力を使い、大きな業には大きな力を使う。お福はそれができず、小さな業に大きな力を使ってしまったのだ。言ってみれば鯛を捌くのに包丁ではなく大太刀を用いたようなものだ。無駄な労力の割に成果は少ない」
恵姫にとっては実に分かりやすい例えでした。そして毘沙姫の考えは十分な説得力を持っていました。もしその通りなら海で遊んだ翌日は歩けないくらい疲れていたはずです。にもかかわらずお福は恵姫たちと一緒に往復二里の道を歩いて夏越の祓を行っていた事になります。
「なんたる様じゃ。半年以上もの間お福と共に過ごし、お福と心を通い合わせて来たと言うのに、わらわはお福の事を何も分かっていなかったのじゃな。姫の力を使って疲れた体に鞭打つような真似をして弱らせ、いつも通りの役目を負わせて更に弱らせ、その結果、お福を病にしてしまったとはのう。もっと早くに気付くべきであった。悔やんでも悔やみきれぬ」
両手を畳につけて顔を伏せる恵姫。その肩を黒姫が優しく叩きました。
「めぐちゃん、過ぎた事をあれこれ考えても仕方がないよ。それよりもお福ちゃんが早く治るにはどうすればいいか考えようよ。明日からお盆だけど、あたし毎日様子を見に来てあげようか?」
「いや、それは逆にお福が気を遣うだろう。黒、いつも通りの盆を過ごせ。看病は磯島と明日から来る大婆婆様に任せておけばいい。恵もくよくよせずに明るい顔で接してやれ。所詮風邪だ。美味い物を食って一日寝ていれば放っておいても治る」
威勢よく恵姫の背中を叩く毘沙姫。二人から温かい言葉を貰って、落ち込んでいた恵姫の心も少し立ち直ったようです。
「うむ、そうじゃな。何も大病を患っておるわけではないのじゃ。わらわとした事が少々大げさに考え過ぎたかもしれぬのう。黒、毘沙、とっとと盆棚を作ってしまおうぞ。そして昼飯を腹いっぱい食おう。わらわたちの元気な姿を見れば、お福も元気になろうぞ」
それからの三人は心機一転して真面目に働きました。精霊馬を作ってしまうと、それを持って奥座敷へ行きます。そこは恵姫の父が在国中に寝起きする、奥御殿でもっとも格式の高い部屋です。一段高くなった棚に真菰を敷き、その上に位牌、供え物、蝋燭、生花などを置き、鬼灯を吊って盆棚を作っていきます。最後に磯島に手直しをしてもらって完成です。
「三人とも御苦労さまでした。そろそろお昼ですね。黒姫様、食事はどうされますか」
「あたしは帰って食べるよ。お盆の準備もあるからね。お盆が明けたらお菓子を持って遊びに来るから、お福ちゃんにお大事にって言っておいて」
「盆明けにはお福も元気になっておろう。良き盆を過ごすがよいぞ」
黒姫は空になった籠を持って帰って行きました。恵姫と毘沙姫は座敷に戻ると昼食を取りながらお福の様子を磯島に尋ねます。
「そうですね、少し落ち着いてきたようです。まだ熱っぽさはありますものの今は静かに眠っております。目が覚めましたら粥などを食べさせようかと思っております」
どうやら思ったほど深刻な容体ではないようです。毘沙姫の言う通り眠って食べてまた眠ってを繰り返していれば、次第に回復していくのかもしれません。
お福の様子を見に行きたい恵姫でしたが、行って良くなるものでもないし、眠りの邪魔をするのも悪いので、結局、昼食の後も毘沙姫と共に座敷で時を過ごす事になりました。普段ならばすぐに横になって昼寝をする恵姫も、今日ばかりはさすがに目が冴えて眠る気にもなれません。
「今年の盆は例年になく詰まらぬものになりそうじゃのう。お福があの調子では賑やかに遊ぶ事もできぬ」
「恵はいつも賑やかだからな。たまには静かに過ごすのもいいだろう。果報は寝て待てだ。寝るぞ」
毘沙姫はごろりと横になりました。この気丈さは恵姫にはないものです。恵姫も横になると目を閉じました。瞼の裏にはお福の姿ばかりが浮かんできます。
「お福、早く良くなって元気な姿を見せてくれ」
瞼の裏のお福に向かってそんな言葉を投げ掛ける恵姫ではありました。




